かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

新緑のいなべ散策

2016-04-24 11:05:51 | わが健康生きがいづくり三重の会記録

                 1 、遠足気分

桜が散って、新緑の季節に様変わりしている。

大気も温もってきている。身体中に血がめぐっていると感じる。

この日、4月23日、健生みえの会の老人たちが、いなべ市の

三岐鉄道沿線をピクニックして、阿下喜(あげき)温泉に行く。

 

夜、あまり眠れなかった。

当日は、阿下喜駅(あげき)10時集合だった。みんな車で行くという。

ぼくは、電車で行くと伝えた。

平田町駅7:30~伊勢若松~桑名~西桑名~阿下喜駅9:30。

「あんた、もう起きたほうがよくない」7:00前、妻から声かかる。

もし、一人なら、「今日は止めとこかな」となるような気分だった。

妻が、平田町駅まで車で送ってくれた。

 

陽は射していたが、うす曇。薄ら寒くも感じる。

途中の駅で、若いカップルが電車を待っていた。

電車が止まると女性のほうが乗り込んだ。

電車のドアが閉まると、二人は互いに目配せして、手を軽く振った。

何か、二人の間に、ほのぼのとした恋心が微かに

ただよっているように感じた。

一瞬、自分のなかにも、忘れていた感覚が蘇った感じがした。

さっき、駅まで送ってくれた妻に「ありがとう」って言ったとき、ふと

恥じらいのような、新鮮な気持ちがふくまれていたかも、と思った。

 

       2、三岐鉄道を行く 

 

西桑名から、三岐鉄道に乗る。

単線で、レールも小幅で、車両も狭い感じ。遊園地のお猿の電車?

おとぎの国に運んでくれる?

家の間近かを走ったり、途中庭先の端を行くときはスピードを落としたり。

カーブが多いし、線路が緩やかに上下し、視界が広がる麦畑をゆったり

と走ったりしていた。

駅名も一筋縄では読めない。

昔、朝鮮半島からの渡来人にちなんだ名前、「穴太(あのう)」「治田(はった)」

などの駅が連なる。

「いなべ」という名前が、そもそも朝鮮半島からの渡来人に由来すると言われる。

日本書紀には、新羅から来た水工技術集団として猪名部(伊那部)の名がみえ、

それがルーツとされる。摂津から伊勢を経由して来たとされる。

20歳のころ、韓国慶州の田舎に行ったとき、のどかな里山と田園風景が印象的

だった。この新緑の鉄道沿線はそのときの心の風景と重なる感じがした。

 

      3、八幡神社・めがね橋・ねじれ橋

 

終点阿下喜駅に着くと、健生みえの面々は、車で到着していた。

まもなく、いなべの石ぐれ町に住む伊藤正敏、敏子夫妻が到着。

コースプランは、いろいろ臨機応変に考えているようで、ほかの

面々はおんぶに抱っこと決め込んでいた。

 

まず、一行は、車で駅から東にもどって、めがね橋近くの八幡神社に

出かけた。

神社は三岐鉄道の踏み切りを越えた北側にある。

拝殿の左に大きな丸い鉄製の球体があった。ぼんやりしていた。

「大きいな、丸いなあ、何かな?」と横目で見ながら、拝殿東の広場に

移っていた。

敏正さんが、火の神様の案内してくれたり、石碑が「娘の書道の先生の

先生の書なんです」という案内に感心したりした。

戦没者の碑もあって、そこに刻まれてある年月日とどこで亡くなったか、

これにやたら反応していた。

「昭和19年10月20日 レイテ島」

これは、戦争末期、勝てないことが分かっていて、玉砕のためのレイテ戦が

始まった日だと思った。

どんな感情や理屈があるにせよ、そうして日本は敗戦した、ここのところ

今、もういちど向き合いたいと思った。

帰りがけ、「あの球体は、ブイかしらね」「いや、機雷でしょ」

「よくもそんなもの、神社に奉ることができたね」など、聞こえてきた。

あとで、調べてみると、その拝殿前には14インチの砲弾も奉られてあった。

 

「もうじき、めがね橋の上を電車が通るよ」と誰かから、声がかかった。

一行。とくに電車好きでもないだろうに、いつ来るか、いつ来るかと待って

いる。子どもの心境だなとおもった、

大気は日を浴びてうらうらと。

そのうち、「来たぞ、来たぞ」

東からくると思ってスマホカメラ用意していた。あわてて、西に。

そのあと、歩き始めていたら、今度は東から来るぞ、と声かかる。

それも、パチリ。

にわか鉄道カメラマン。

 

すこし歩くと、ねじれ橋。

土木学会の推奨の銅版があった。

たしかに、石がねじれて積んである。

「なんで、ここでねじれた橋をつくらなきゃいけなかったんだあ?」

「水路や周囲の水田をそのままで、レールを通すとしたら、こう

するしかなかったんじゃない?」

どんなんが正解か、それぞれそれほど関心があるわけじゃない。

案外、あっさりと通り過ぎた。

 

 

お昼ごはんは、いなべ公園で、いう流れだった。

「ありゃ、弁当をもってきてない」宮地。

「いいよ、余分に持ってきているから」と中井佳子さん。

ベンチに座って、中井さん、さあ弁当を、という勢いで黒いビニール袋

を持ち上げた。

「わあ、弁当じゃない。トウガラシの袋だった」

「何、出掛けに、これっていったじゃない」と佳子さん。

そのとき、何を言ったって、どういったて無いものは無い。

わがピクニック一行はあるものを分け合った。

余川さんは、あちこち歩く間、しきりとメモをしていた。

「俳句の材料、ありましたか?」

「いっぱいあるよ。今回は、三岐鉄道は軽便鉄道と言っていたらしい

ので、それを句に出来ないかとおもっているんだけど・・・」

(そうか、軽便鉄道と聞いて、あの車体がこの五月の空に浮かんでいったら、面白い

だろうな!ってなこと浮かんできた)

「余川さん、いい句作ってよ」

 

 

 

      4,木の花桜神事  

 

桜を見に行くらしい。

近くに今の時期でも咲いている桜の巨木があるという。

敏子さんがナビゲーター。

ふつうのお宅の庭だというので、敏子さん、「トイレは済まして行きましょう」

というので、コンビニで休憩して、出かけた。

「ここ、ここ!」と敏子さん。

桜の巨木が見える脇道に車を入れた。

ちょっといくと、黄色いヤッケを着たおばさんが厳しい顔して、飛び出してきた。

「シッ・・・!いま、神事をやっているので、車をもっと奥に入れて、2台目ももっと

奥にいれて、・・・・・静かに・・・・・」あとは、よく分からない。

突然の来訪で叱られているのか、神事に立ちあってもいいと思っているのか・・

分からぬまま、車を降りて、神事をやっている、桜の木の下の庭の隅っこに

はべらせてもらった。


 

神主さんが祝詞を詠んでいた。

「熊本地震で被災された方」とか、「福島で放射能で被害を受けた人」とか、

そういう言葉が聞こえてきた。

この巨木は山桜の変種で、木の花桜と言われている。野生では、京都亀岡と

いなべのこのお宅だけという。市の天然記念物に指定されている。

いなべ市長もこの神事に列席されていた。

コノハナサクヤヒメの神話は知る人ぞ知るである。

ニニギノミコトが、桜の花のように美しいコノハナサクヤヒメに一目惚れを

したのである。

神話では、そのあといろいろな葛藤があるようだけど、今の時代の桜に

よせる心情は、誰もが安心して豊かに、満開の桜のように、平和に繁栄したいという願いを

託すものではないだろうか?

神主さんの祝詞は、そんな願いが込められている名文だと思った。

神主さんの進行で神事は粛々と、歯切れよく進んだ。

最後、「天津祝詞 みそぎの大祓い」を渡されて、参列者で唱和した。

「木の花耶姫の命 守り給え幸(さき)はえたまえ」

 

水谷さんのお宅の巨木。

語り部の方が、神事のあと、木の花桜がどういものか、その由来など

案内してくれた。

 

桜の木の下には、さまざまな種類の花が咲いていて、女の人たちには

興味深かったみたい。

大平照子さん。「これ、ミヤコワスレって言うのね。母が、私は花では

これが一番好き!っていってたの。それも、この濃い色の花がすきだって。

母の言葉で、これが出てくるの」

さらっと、世間話のように言っているけど、そのとき、照子さんは母の声を

近くで聞いているのではないかと思った。

おごそかな神事のあと、そんな時間が現れてきたといえないかなあ。

 

お神酒を振る舞ってくれたり、水谷さんの奥さん手製のトチの実の

せんべいを食べさせてくれた。

女性陣には「美味しい。サクサクよね」と大好評。

そうそう、子どものとき、節分とか、ただでもらえるものがあると、

すっごくうれしかったよね。

 

最後に、みんなで写真撮りたいね。

語り部のおじさんにお願いしてパチリ。

 

「それにしても」とひとしきり。

健生みえの会のアクションでは、たまたま桜を見にいったら、木の花桜

神事に巡り逢うような、思いがけないサプライズが毎回あるんだよね。

このアクションデイにずっと参加しつづけている辻屋哲男・康子さん夫妻

には、感慨ひとしおではないかな。

伊勢の斎宮行きのときも、たまたまその日、滅多に見られない屋根吹き、

なんと言ったけ、そういう日に出っくわしたもんね。

 

      5、阿木喜温泉

 

10:00にスタートした阿下喜にもどり、温泉に浸かる。

何か今日は、うらうらとした4月下旬の新緑の里山の風景を堪能して、

満ち足りた、ちょっとうとうとしそうな感じ。

温泉は心地よい。

心地よさを通り越して、ほんとこのまま眠りに入ってしまってもいいかなあ。

「歩いたあと、温泉というのも、乙なもんだね」

誰かが言った言葉に反論はなかった。

 

そのあと、敏正夫妻と温泉で別れた。

辻屋さんが、「五百羅漢」に案内してくれた。

そのときは、正直、夢心地でした。

             (おしまい、宮地の個人的な感想)