かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

寄っておしゃべり

2016-04-17 13:13:36 | アズワンコミュニテイ暮らし
「理想の暮らしを語る会から、
「寄り合って楽しくおしゃべり会」が産まれでた!


理想の暮らしを語る会は、老後の暮らし方って、どんなに
なるんだろう、そんな関心からそれぞれの胸のうちを出し
ながら、毎月1回、ホソボソと語り合ってきた。地域社会の
医師、保健センターの職員、包括支援センタの人とも、
この会に来てもらって、お話を聞かせてもらってきた。

このところ、理想の暮らしを語る会といっても、漠然と
している。いったい、なにがしたいのか、ということになり
「自分らしく老い、自分らしく一生を全うできる地域社会の
実現」というのが、突然浮上してきた。
おっとっと、そんなとこまで、思っていままでやってきた
だろうか。
理想というところからいえば、「人間の本来性に適った」と
か、「老いる」というのはそこから見たらどういうことか、
「死」とは、とか語りたいこと、最近では自分の身体の
病気についても自分自身を観察して、みんなの場にだして
いくのも、面白いなあとなってきた。
「病、市に出せ」という格言もあるそうな。

自分のことを自分のなかで抱えておくのが当たり前の間がら
のなかで、ちょっとづつでもオープンにできる楽しさ、軽さ。
そういうことができる会の雰囲気、それは曲がりなりにも
出来てきたかなあ。

4/15 夜7時、地域包括支援センターでバリバリ活動をして
いるのTさん、浄土真宗の坊さんでこれまで生活困窮者の
支援をしてきて、最近鈴鹿に引っ越してきたKさん、それに
鈴鹿市の健康面の仕事をしているY女史、それに、中井、鈴木
宮地が中井宅に寄り合った。
「理想の暮らしを語る会」とは別に、実際、鈴鹿市内のなかで
暮らしていて、それぞれの立場で人と接している人がどんな
ふうにやっているか。やっていること、ほんとうはこんなこと
したいとか、やってみてどんな気持ちかなど、理想の暮らしを
語る会でやってきた”語り合い”を、そういう実際家の人との
寄り合いができないかなあ、と思っていて、この夜、やっと実現した。
Y女史は少し遅れて、駆け込んできた。小学生の女の子を
連れて。「まあ、先ずは晩ご飯はどう?うどんんつくるよ」中井夫人。

その夜は、Kさんのフードバンクをやっていきたいという話、
「生活困窮者に届けたいんだけど、届けながらそれらの人と
つながっていきたいんだけど、そこが見えないんだよね。
いまは、関連する人とのかかわりをつくっているところかな」
Tさんから、包括支援センターというところは何をするところ
か、熱く聞かせてもらった。Tさんから受け取るのは、仕事で
やっているというより、彼の人生をかけて、いろいろな事情や
背景をもった人と、人としてぶつかっていっているという印象
だった。彼の祖父が認知症で、不本意な死に方をしたというのが
原点という話も聞かせてもらった。

Y女史は仕事や暮らしに疲れはてているという感じで、「職場で
描いたことが実現しない」「やっても書類作りの追われて」とか
どちらかというと、ぼやき調だったけど、Tさんの話を聞いていて、
「Tさん、そいういことができるエネルギーって、どこから
わいてくるの?」と突っ込んだあたりから、彼女のなかで何かが
起きたと感じた。
「私の仕事って、65歳以下の人にもっと声をかけてもらいたいと
いうのがあるのよね。いまは、そうよ、ゼロなのよ。毎日のことに
かまけて、見失っていたかも・・・」

「こんなこと、漫然としゃべっていて、何になるのかしら」と
いう疑問もあった。
先ずは、具体的に問題に手を打っていくにはとか、対策の
話し合いというより、いろいろやってみて、起きてくる気持ち
など、肩書きや立場を離れながら、お互いと知り合うように
できたらいいなあ。
Y女史がTさんの話から、自分の中が変化したのなんか、
いいなあと思った。
「この会の名称だけど、”寄り合って楽しく地域社会を支える”
ってのはどうかな」
「長いなあ。”寄り合って楽しくしゃべる会”というのはどうか」
「それなら、Y・T・S ということにしたら」
「YTSの会か。まあ、いいか。もっといい名前がおもいついたら、
変えたらいいんだから」

お酒もなしに、その夜、このいい加減な寄り合いは10時まえ
お開きになりました。