最低でも、今の日本国憲法の願っている方向から外れないで
いきたい。
前文「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて
行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による
成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることがないように
することを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を宣言する」
第九条「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に
希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は
武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に
これを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
国として、他国とは絶対、戦争しませんよ。
そのため、武力ももちませんよ。
平和のための戦争なんてものはありませんよ。
戦争は、だいたい相手が攻めてくるから仕方なく
やったという大儀名分からはじまっている。
人間には、そういう弱さがあるんで、武力を持たないという
ことで、すっきりしようぜ。
一部の人が勝手にやれないように、みんなで話し合いながら
暮らしていきましょう。
そんな受け取りをしているかな。
とっても、かんたん、はっきりしている。
清々しい。ぼくは、こんな生き方がしたい。
こんな歳になってしまったけど、人を殺したくもないし、
人から殺されたくもない。
それは、憲法も願っているし、ぼくのなかからの願いでもある。
わが子やその孫たち、これから生まれてくる人たちもにも
そんな極面に立ち合わせたくない。
世界各地にそんな状況に、願ってもいないのに、立たされている
人々が多数いることに、こころが痛い。
争いがおきたらどうしようでなく、争いのタネを究明して、
それを明らかにして、その原因を人間の知性を用いて、
取り除こう。
人間は、間違いやすいけど、間違いを正せないほど、愚かでは
ないはず。
争いのタネが、自分のなかにも内在しているという自覚。
ここからの出発が、なにをおいても、不可欠とおもっている。
ここが岐路。
有史以来、人は争い続けてきた。
だから、それは人間の本性だといえるかどうか。
目の前で、戦争への道が開けれようとしているとき、
そんなのんきなこと、考えていられない、そんな気持ちも
ないわけではない。
100年後、200年後、千年後、そこから今を見るとき、
争いのタネを自他ともに知って、それを社会からも
取り除こうという時代が過去の人たちにあったことが、
どれだけ贈り物になるか。