かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

となりの人

2014-01-20 07:41:12 | アズワンコミュニテイ暮らし
 わがマンションの隣に、吉田順一さんが住んでいる。
 
 その部屋ではひとり暮らし。
 
 35年来の知人である。
 
 なら、彼のことを知っているかと自問すると、彼についての
 
 ぼくの中のイメージはあるけど、実際の順一さん(順ちゃん)を
 
知っているかとなれば、知っているとは言い難い。
 
 昨年10月、順ちゃんをわが家に呼んで、晩ごはんを食べた。
 
 その時、デザートにと、うすかわ饅頭をもってきたくれた。
 
 昼間は、おふくろさん弁当の営業をしている。
 
 その日営業で飛び込んだ饅頭屋さんで買ってきたという。
 
 そのときの話をブログに書いた。
 
 うすかわ饅頭の味がひろがったという感想だった。
 
http://blog.goo.ne.jp/miyati007/d/20131010
 
 

  順ちゃんは、昨年12月29日から1月4日まで、
 
サイエンズスクールの「自分を知るためのコース」に参加した。
 
その感想文が、アズワンコミュニテイのブログに載った。
 
 
     
    自由への道     2014.01.03 Friday(吉田順一)
 
 私は知らなかった
 キメつけているなんて
 夢にも思いもしないで
 本当のことを本当に知ろうとしないで
 暮らしていた

 お金がないと生活できないのか
 仕事しないと生きてゆけないのか
 人間てそういうものなのか

 一体どこに固定したものがあるだろう
 この世界のどこに固定したものがあるだろう

 広い世界の中のほんの一部を
 私の目が捉え、耳が聴き

 彼のもった”それ”は一体何なのか
 コップはどこにあるのだろう
 私が思う世界が本当の世界なのか

 自由への道を閉ざしているのは誰だろう
 幸せへの道を見えなくしているのは何だろう

 今すぐ 何でもやめることができるし
 今すぐ どこへでも行くことができるし
 今すぐ 何でもやることができる

 人間の考えを 人間の考えとして
 人間が幸福に生きられるよう
 正しく使おう

 そうして たとえ間違った時にも
 責め合わずに 今を生きよう

 今 この世界に在るものたちの中で
 わたしは 豊かに生きられる
 
 
 あとで順ちゃんから、「この感想文は夜中に起きて、
 
書いたんだけど、なんというか、私が書いているという
 
感じがしなかったんだ。コースに参加した人たちと
 
検討したことから、そういう私が書いているみたいな。
 
おもしろい感じがったなあ」と聞いた。
 
 
 だれもが幸福に暮せる社会。
 
 その人がその人らしく、だれもがその人らしく暮せる社会。
 
 疑いや怒りや責めあいのない社会。
 
 人と人とが楽しくつながって、それであたりまえの社会。
 
 
 そこを、だれもが目指しているのではなかろうか。
 
 一足跳びにいかなくとも、どこからはじめるか、
 
順ちゃんの感想文は深く、ぼくの心に響いて、共鳴している。
 
 

おなら

2014-01-19 08:17:33 | アズワンコミュニテイ暮らし

 今朝、起きたら妻がパジャマ姿で居間でパソコンを

開いていた。

 電気もつけないで。ストーブはつけて。

 トイレに行こうと、その横をすり抜けようとした途端

プーっとおならをした。

 妻のところを離れたとき、二回目の音が聞こえた。

 乾いていて、よく通る音だった。

 「うふぁあー」ぼくは反応した。

 「あはは」妻は笑った。

 

 妻のなかに溜まっていたものが出たのだ。

 爽快ではないか。

 妻を自分の思い通りにさせようというのはないか?

 いやいや、思っていることを聞いているのではない。

 奥の奥、自分のなかのこころの状態のこと。

 

 ともに暮らす

 ともに生きる

 どんなことだろうと、トイレのなかで考えた。

 


19年目

2014-01-18 02:06:07 | アズワンコミュニテイ暮らし

 きょうは、阪神淡路大震災が起きてから、19年目。

 その日、その朝、その時間のときを思い出した。

 三重県にいた。

 

 夕方、身体がひどく冷えていた。

 妻と亀山の温泉に行った。

 車で20分。入浴料、65歳以上100円。

 貧乏性のぼくでも、安心して温まれる。

 

 それで、ゆっくり眠れると思いきや、小1時間で目が覚めて、

眠られない夜に・・・

 

 「子どもの詩」を引っ張り出してきて、読む。

 面白いので、なお目が冴えた。

 

 「あっ、こんな詩が・・・」

 記念に載せておこう。

 

       あたりまえのことが

                  佐藤裕子(神奈川・小五)

  食べられること

  ねむれること

  学校へ行けること

  友達と遊べること

  大人が仕事をすること

  健康で安心なこと・・・・

  それはあたりまえだった

  それが幸せに変わった

  平成七年一月十七日

  阪神大震災が私に残したこと

                      

 

 

 


願いごと

2014-01-09 07:22:17 | アズワンコミュニテイ暮らし



新しい年の幕開けです。
どのように迎えられたでしょうか。

三重県鈴鹿の一隅で「やさしい社会の試み」

アズワンコミュニテイ鈴鹿に関わりながら

暮らしている宮地昌幸と申します。

 

昨年はトランジションタウンの活動の仲間に入れてもらい、

いろいろな人との出会いが次々とありました。

社会の影響を受けながらも、「ホントウはこうありたいよね」

と心の底から自問している人たちがたくさんいることを知りま

した。

「お金に縛られずに自分がホントウにやりたいことがやれる

世の中」

「縛ったり、縛られたりがない、一人ひとりが自由に暮せる

世の中」

「責めたり、責められたりがない。本心のままに安心して

暮せる世の中」
 

 

 これは、ほんの一例。

それぞれの人の中の願いは、その人の中から、その人のコトバ

として出てくることでしょう。

 新しい年にあたり、暗い時代をどうしようというところからでなく、

「ほんとうはこうありたいよね」というところからの出発をしたいと、

あらためて思っています。

 

「やさしい社会」の試みは2001年からそんな心意気ではじまり、

14年目迎えました。

まだまだ未熟な段階ですが、この試みが未来に向けて今の暮らしを

ホンモノにしていこうとしている人たちの参考にしていただければ、

うれしいです。
 

PVプロボノさんの応援で「アズワンコミュニテイ鈴鹿」の

紹介ビデオが出来ました。

アズワンコミュニテイ鈴鹿の探訪DAYへの案内でもあります。

新年のメッセージとして、お届けします。

 

http://as-one.main.jp/ac/video.html



 今年も、みなさまと共に歩んでいきたいと思っています。
 よろしくお願いします。

 


年のはじめの独り言

2014-01-07 19:00:47 | わがうちなるつれづれの記

 3日に思い立って、「そうだ初詣に行こう」

 新年の初外出。

 小浪と連れもって、近くの忍山神社へ。

 

 歩きながら、去年を思い出した。

 一昨年12月一ヶ月入院生活を終わって、正月を自宅で迎えた。

 その時も、思い立って寒風の中、小浪の後をソロソロ、トボトボ

ついて神社まで行った。

「歩けたあー」という喜びがあった。

 今年はボチボチだけど、小浪の前を歩いていた。


 昨年の12月、妻と城崎温泉に出かけた。

 志賀直哉の「城崎にて」を城崎ではじめて読んだ。

 志賀直哉は大正3年、東京で電車に跳ねられて死にかけた。

 養生に城崎温泉に来ている。

 「そういう小説だったのか・・・」と感慨があった。

 城崎での、志賀直哉の内面からの表現。

 

  ーー然し妙に自分の心は静まって了った。

   自分の心には何か死にたいする親しみが起こっていた。


 道々そんな想念、気分、共感の気持ちが起きていた。


 忍山神社には、一組の父子が車で参拝に来ていた。

 ぼくらがはじめに願いごとを氏神さんに聞いてもらった。

あと、お父さんの声かけで子どもたちも、頭を下げたり、

手を打ったりしていた。

氏神さんは、一人ひとり大事にしてくれるかな。


   初詣日頃の不義理怖じもせず



 今年は元気だった。

 青少年の森まで足を伸ばした。

 冬の日がうらうらと公園の池のまわりの小道や花木を

温めているようだった。

 マラソンしている人たち、ぼくらのようにペアで歩いている

老夫婦などとすれ違う。

 そんなとき、「こんにちは!」と声がかかるときがある。

 小路に入ると、人影がなくなった。

 

    腕組めば人無き小路冬日かな

 

 

 昨年12月26日に生まれた秀剛と悠海の子どもに

名前がついた。

 「和」 

秀剛のこだわりで、「わたる」と読む。

漢和辞典には、たしかにこの読み方がある。

秀剛の亡き父は「亘」と書いて、「わたる」と言っていた。

 

先日、「和」をわが家において、二人しばし外出。

妻も「和」のところから離れていた。

近づくと、彼はぼくをじっと見る。

じっと見ている彼をぼくもじっと見た。

なんか心地いいひととき。

 

   赤子とは宇宙の気配冬日向

 

 

 共に暮らしている青年、名古屋大学大学院に通っている

福田博也くんが10日、アメリカに留学する。

 わが家に週一回晩ごはんを食べに来るよしみで送別会。

 名目はなんでもいいのかも。

 

 「どこへ、行くの?」

 「テキサス州、メキシコとの境の近く」

 「テキサスのどこ?」

 「オースチン、首都」

 「テキサス大学で何を勉強するの?」

 「量子統計学・・・」

 この辺になると、すこし深入りし過ぎたかな、と思う。

 「誰か呼んでくれたの?」

 「うん・・・」

 「お名前は?」

 「ペトロフスキー教授」

 ちょっと人がそこにいるぞ、という感じ。

 「何か、可愛がってもらっている感じしてる」と博也くん。

 

 その夜、ゆっくり寛いでいた。

 アメリカでもこんな感じでやるんだろうな。