(一)
家族って言ったら、コトバに出来なくとも、なにかイメージが
あるように思う。コトバ以前のもの。
自分のなかにある家族のイメージはあるとして、実際の
家族ということは、どんな感じだろう?
最近、つくづく思うことがある。
家族といったって、自分のもつイメージにおさまっていくという
もんじゃないかも知れない。
家族として暮らしているお互いが今起きている目に見える
出来事やそれぞれの内面で起きてくることに、一人ひとりが
そのなかに、沈潜したり、相互に影響し合いながら、そのなかに
明日を見出していこうとしてる、そういう今、今の積み重ね
じゃないか、と。
(ニ)
12月26日、秀剛と悠海の間にはじめての男の児が誕生した。
「母子とも、元気だ」という一報を聞いて、安堵とうれしさ。
悠海は「死んでしまいたいというほど痛かった」という。
悠海のなかで、どんなことが起きているのだろう。
秀剛のなかでは、どんなだろう。
秀剛と悠海は、今年10月27日に結婚の披露をした。
友人たちやご近所の人たちの祝福を受けていた。
その後、妻小浪には思いがけないことが起きた。
11月14日、北海道美幌に住む次男坊の讓が、その
息子を伴って、鈴鹿にやってきた。
11月18日は、亡き実の父の命日。
15日、墓のある金沢に行く途中、兄貴秀剛と母小浪に
会いに来た。5年ぶり。
讓には子どもが5人。母小浪は孫に会いたい。
「行くけどいいか?」と讓に電話するが、「いまは、ちょっと・・」
となかなかOKがでない。讓と奥さんのなかに、なにかがあって、
妻が「行きたい」というのがくると、何かがはたらくのだろう。
妻は讓を受け入れて、嬉しそうだった。
心のうちでは、どんなことが起きていたんだろう。
讓はその夜、よく酒を飲み、よく喋った。
母小浪、兄貴秀剛、義理の妹桃子は、何時間もジッと
聞いていた。
その場面から醸し出される空気のなかに、それぞれの
内面の動きがあったろう。
讓はある意味、不良扱いされていた。母も外見は
そのため讓に厳しく当たった。
「お母さんがそのときも、ぼくのこと思ってくれていたと
感じていたよ」
彼は、その夜、酔いながらそんなことを述懐していた。
母小浪はずっと「譲には寂しい思いをさせてしまった」という
感情が深奥に沈んでいるようだった。そこに、何か動きは
あったんだろうか。
何日かして、讓から母小浪のところにメールがとどいた。
「子どものときのことを思うと、お父さんもお母さんも、ぼくの
ことではすごくエネルギーをかけて思っていたことに気が
ついた」といったことが書かれてあった。
これには、妻とともに、ぼくも心底からわいてくるものがあった。
その何日かあと、こんどは馬鹿でかい蟹が贈られてきた。
(三)
悠海が出産した日、26日は母小浪の誕生日の前日。
ぼくの娘桃子は、12月22日生れ。
わが家族、12月生れが3人になった。
22日はささやかな桃子一家の誕生会。
パートナー(?)の雄一くんから首にかける、なんというんだっけ、
ネックレスとは言わない、それ、のプレゼント。
雄一くんは何を思い、娘に何が起こり、孫娘風友、男の子晴空に
どんな気持ちが起きたんだろう。
12月24日は、桃子・小浪・クリスマスイブを混ぜこぜにした
夕食会。チキンのクリームソースとワイン。雰囲気だして。
雄一くんが、めっちゃ朗らかで、孫たちもそれに乗って
楽しい一夜だった。
翌日、雄一くと二人のとき。
「きのう、宮地っさん、みんなと最後までいたでしょ。
あれ、桃子、喜んでいたっすよ」
「へええ、そうか・・・」一瞬なんのことか分からなかった。
何かこころに残ったけど、いろいろ思うことがあった。
去年のいつごろだったか、桃子が「お母さんとお父さんと
いっしょに何かしたら、どんなになるか。一度、そんなこと
してみたい」と気持ちを出してきたことがある。
桃子が2歳のとき、離婚した。その後は小浪を母として
育ってきた。
小学2年のころ、桃子は小浪が実際の母でないことを知った。
父をはじめ、大人はそのことを桃子に隠している。
桃子はそれ以来、「知りたい、でも聞けない」という、ことばには
できないが重い沈むような感情が立ち込めた、と2年前
一週間の内観のあと、ぼくに話してくれたことがある。
桃子のなかの家族ってどんなだろう。
産みの親、お母さんとは高校生年代になるまで、いっしょに
暮らしたことがない。
今になって、あらためて、娘桃子のこころのうちに思いを
馳せている。
息子太郎は38歳。
大阪の岸和田、実の母といっしょに暮らしている。
独り身である。もちろん、いつも意識の上にのぼってくるわけでは
ないが、何か深い気持ちがある。
話するといったって、いまのところできるようには思えないけど、
ありきたりの表現すれば「よき伴侶にめぐまれないかあなあ」
これって、ぼくのどんな元の感情から出てくるんだろう。
(四)
妻小浪の誕生日には、ここ13年来、食事をしたり、時には
一泊の旅をしたりしてきた。
プレゼントをしたことがあるけど、これはどうも、今の
ぼくには苦手な分野だ。
今年はひょんなことから、兵庫県の日本海側の城崎温泉に
行くことにした。
行きかたは電車。すべて鈍行で。一級の身障者の特典で
付き添いは、鈍行ならタダになる。
旅館は1万以内。「カニには、目をくれない」
城崎は外湯が売りだったようだ。
外湯が7つあり、小浪は7つとも制覇すると、勢い込んで
いた。
着いたその日の午後には3つ、夜には2つ、翌朝に2つ
見事に浸かりきっていた。
旅館の食事も、その値段なりに新鮮なカニ、魚介が盛られて
きて、二人で満足した。
冬の日本海を見に行った。
遥か沖から10メートルを越すかというほどの大波が岩場に
覆いかぶさるようにやってきて、岩にぶつかって砕けちいている。
かえって、海の底はどうなっているのいるのか、心揺さぶられながら
思った。
鈍行は片道6時間。往復12時間、電車のなかで、ぼくらは
差し向かいだった。
けっこう、心楽しい時間だった。
(五)
モヤとした気持ちも、この旅の道連れだった。
何日か前に横浜の司法書士事務所の人から電話があった。
「祖母名義の土地を名義変更するので、よろしく」という
趣旨のもの。
名義変更のあれやこれやは、兄からのメールや電話で
「はい、了解。使っている人で、話合ってすすめてもらったら
いい」といった、一見さばさばした自分の立場を表明していた。
それが、司法書士からの電話をうけたとき、なんか投げやりな
気持ち、ことが事務的にすすんでいることについての違和感、
コトバにすると、そんな感じかなあ。
そこを観ていくと、子どものころから、「そういうことは、ぼくは
関係ない・・・」といったものがあったと思い出す。
これが、どんな感情から出てきていたものか。
もともとあったものとも思えないが、それはどんなものだろう。
事としては、進んでいく。
すすまないものがある。
昼の世界にしていきたいものがある。
(六)
12月30日の深夜、激しい腹痛。トイレに何回か行くが、下痢は
しているが、吐き気もある。喉に指を入れて、吐く。昨夜食べた
タマゴが出た。何回か吐いたら、腹痛もおさまり、寝ることができた。
31日。明日から新たな年。いま、しておくことは?
たくさんありそうで、どれから手をつけていいか、定まらない。
気分も晴れ晴れしていない。
来年の企画でいま詰めておかなくっちゃ、という自分が
いるなあ。
それは、それとして、まず何から?
「やっぱり、これか」
実際に人に会いに行ったり、企画の会場を見に行ったりしている
うちに、ちょっと気持ちが落ち着いてきた。
その日の昼は、はたけ公園で蕎麦打ちして年越しそばを
食べる会をやっている。
妻、「わたし車使うから、あんたは自転車で言って!」と
出かけていってしまった。
歩いてはたけ公園まで行く。
途中、おふくろさん弁当屋さんに門松があるのに気づく。
これは、栗屋さんと本山さの合作。
本山さんのなかで、「いっしょにやろうという気持ちが動いた」と
聞いた。
店頭にそこでやっている人たちの気持ちを感じた。
はたけ公園では、そば打ちする人、湯がく人、食べる人で
ムンムン。
ゆっくりでも、歩いて、みんなのところに来て、よかったなあと
思った。
帰り、鈴鹿カルチャーステーションに立ち寄る。
ここにも、門松が。
ロビーのワックスがけもしていた仲間たちもいた。
年末年始、サイエンズスクールの「自分を知るための
コース」に参加している人たちもいる。
家族といっても、血が繋がっているだけだけが家族とは
言わないだろう。
たとえ血のつながりがなくとも、相互に気持ちのいきちがいが
ありながらも、とことんまでは離れず、どこか底では相手を
大事にして、内面的にも受け止め合って行きたいという深奥の
感情に支えられているのが、本来の人間の顕れではないか。
どこにも今があり、その今は、おそらく実際の世界の
すべての人、諸事諸物と相関連していて、どこも切り離すことが
できない。
家族のような社会というとき、そのような内実を伴うことなしには
そんな表現ができないようなものを想う。
そこから明日を望む。
そこからはじまるものの世界から、そういう実際からはじめたい。
表現したいことが湧いてくるようだけど、もう混沌としてきた。
孫たちの百人一首で騒いでいる声が心地いい。
心地いいのがいちばん。