かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

資源のない国日本とTPP

2011-10-24 10:53:33 | わがうちなるつれづれの記
新聞は読まない。
テレビのニュースはよく見る。
テレビから流れてくる情報に相当影響されていると思う。

 だいたい、ぼんやり眺めて、聞き流している感じだけど、時々、
「うーうん」とひっかかるときもある。
 
 先日は、安住財務大臣がTPPについて、記者会見をしたというニュースを見た。
「資源のない国、日本ということが深く理解できれば、TPPへ参加は自ずからはっきりしてくるはず」
みたいな発言を聞いたし、字幕でも見た。

 なかなか含蓄のある言い回しだなと感心した。
 同時に”資源のない国”とういう表現に反応している。
 安住さんは「資源がない」と言う時、その資源とはどんなことを指しているのだろう?
 本人に確かめて見るほかないが、文脈からいえば、「石油とか天然資源」を指しているかも
しれない。
 安住さんが実際どう思っっているか、確かめるのはたいへんだ。


 "資源"という字を解読すれば、なにかを生み出す元のもと、みたいな感じかな。
 もし、それが石油とかそのほか工業製品につながる地下資源などだけをイメージしてるなら、
とても狭い感じがする。
「資源がない国」をそういうところから見ていたら、なにか出発するところが貧しいと感じてしまう。

 人というのは、どうだろう。
 人といっても、働きからいえば、身体的な働きがあり、こころや知性の働きもある。
 この二つは分けられるものでもないだろうけど、この働きの能力を持った人たちが、
日本国中に1億余人いると言う実際は、どういうことになるだろう。
 1億余人一人ひとりに人生があり、経験の積み重ねがあり、それぞれ環境にかかわりながら、日々
なにかを生み出しているのではないだろうか。

 太陽は、空気は、水は、大地は、人間以外のいきものたちは、人がそれらと調和して
暮らしていこうとするかぎりにおいて、それらすべての存在が目の前に実在してるんだと
感じられるように思うけど、どうだろう。

 TPPがどんなことか、ほんというとよく分からないし、叱られるかもしれないけど、
関心もないなあ。
 でも、いま感じているような金融や工業化などが人の暮らしを左右する世界の流れは
どこまで続いていくのだろう。
 どこかで、訳のわからない、簡単に説明がつかないような変化が、ある日突然、じぶんの暮らしを
一変させてしまう。こんなことが、ずっと続くのだろうか。
 
 大震災・津波・原発事故は、一瞬のうちにそれぞれの生活基盤を根こそぎ無に帰してしまった。
行政機構も機能しなかった。そこでは、どんなドラマがあったのだろう。

経済が恐慌に陥る恐れが、なんとなく気持ちのどこかにあるが、そうなったとしたら、
なにか今と根本的に変わるところがあるだろうかと、いくども問い返している。

 暮らしが出来ないというと、雇用創出がいわれるが、いつもなにか「雇用されなかったら
暮らしていけないのだろうか?」とつい思ってしまう。
 お金が無かったら、暮らしていけないか。

 二宮金次郎は、江戸後期の大飢饉のなかで、餓死者を出さない村おこしをしている。
 そこには、それが実現するだけの考え方があったというのだ。

 どこへ向かっているのだろう。
 根拠はわからないけど、今みたいな流れが、永く続くとは思えない。