かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

遊びとしつけ

2018-05-10 13:48:10 | アズワンネットワークのある暮らし

韓国ソウルにある恵共同体の人が81名が、鈴鹿コミュニテイにスタデイ

ツアでやってきた。5/4~5/7、大人53名、中高生9名、小学生10名、

乳幼児9名。

恵共同体は韓国のなかでも長く続いている共同体で、今回はそのメンバー

(大家族といえばいいのか)全員でやってきた。

受け入れでは、そうとう入念な準備をしていたが、その話しを漏れ聞く

だけだった。

 

わが家の近くに川俣公園がある。そこの脇を通ることが、最近心臓

リハビリの散歩コースだった、

この公園は学童保育所のとなりにある。

昼下がり。

連休中なので子どもはいないだろうと思いきや、近づくと賑やかな

子どもたちの喚声が聞こえてきた。

子どもら15人、大人も何人かいた。

恵共同体の子どもたちだった。

「インデアンが転んだ」という遊びに興じていた。

輪になって手をつなぎ歌を歌いながらまわる。

誰かの合図で止まって両隣の子を押したり引いたりして、

ころばせる(動かして)、そのたび抜ける子ができるという

遊び。子どもたちは笑いながら、楽しそうだった。

しばらく見ていた。

親はコミュニテイを見学しているが、子どもらは彼らの世界で

満喫しているようだった。

 

翌朝、川俣公園の脇を通る。

歩くので精一杯だったけど、学び舎のスタッフ純奈さんが

「わたるとしゅんもいるよ」と声かけてくれた。孫である。

4歳のわたるとさら。2歳のしゅんとはる。

2歳児は裸足で砂場で穴を掘っている。近所の親子もそれを

みている。4歳児は公園を大きく駆け回り、ときどき水を

もって来て、池をつくる。

池を前にして、2歳児2人が無言で見つめあい、そのうちしゅんが

女の子を押した。

何があったか分からない。

そこには、「そんなことしたらダメ」という声がなかった。

そこの二人は何事もなかったかのように、それぞれの思い思い

に砂をいじったり、池の水に手をいれたりしていた。

そこには、スタッフと子どもが5人いたかな、違うことをしていても

バラバラとは見えなかった。

 

その日、午後も川俣公園にいった。

はじめだれもいなかった。と思う間に恵共同体の子たちが走って

きてワイワイ、サッカーをしていた。

 

遠くで見ていての感想だけど、一人ひとり元気ハツラツで、抜ける

ような青空の下でそだっているように感じた。

子どもらもあっちこっちする子いなくて、お互いが兄弟のように

つながっているようだ。

 

夜に恵共同体のメンバーとアズワン留学生(アカデミー生)と

ザックバランに話し合う機会があったと聞いた。

恵共同体では「しつけ」を大事にしてるということがあるらしい。

「しつけ」といっても、「これをやったらいけない」「こうしなさい」

とうところより、先ず相手の話を良く聴く、その上で自分の意見も

言って、どちらがより公正かを子どもたちと考えていくことを

大事にしているという話しになって、そこをみんなでも考えたらしい。

アズワン留学生は「うーん」「うーん」と言う反応だったらしい。

 

いまの世の中でしつけは、子育てに欠かせないという認識が疑いようも

ないくらい当然になっている。

まだ、幼い乳幼児にそれをやろうとしても、無理だろう。

誰かを責めたりはないけど、自分の要求は、どこまでも言い続けること

が多いようにおもう。

成長にしたがって、親の言うことを聞かないことが起こる。

親は「やりなさい、やめなさい」と子どもにいう。

ここで出来る親子の関係、人と人の関係がその後どうなるか。

その子を動かすというより、親の気持ちをその子に知ってもらって

一人の人として、向き合うこともおおいだろう。

ただ親のなかで、心の奥で「させよう」という心理、認識がないかどうか。

無ければそれが伝わるし、あれば言葉よりその気持ちが伝わるだろう。

子どものなかで、「だめでしょ」とか「こうしなさい」という親や

身近な人に言われる環境であれば、人と人の関係がそういう状態の

ものとして子どもの中に粉雪のように積もって行くのではないか。

実際やる、やらないは別にして。

 

人は自分の意志を妨げられることを好まない。大人も子どもも。

「やりなさい、やめなさい」は「強制と束縛」という。

これを聞いたら、だれでも逃げ出したくなる。

あまり自覚していないけど、「しつけ」にもこういう要素があるように

おもうが、どんなものだろう。

もし子どもから「しつけ」をなくしたらどうなるだろう?

大人は不安でしょうががない。

そんなことしたら何をしでかすかわからない。

それはそんな気持ちになりやすいが、これは人をそんなふうに

危険視する認識があるのではないかなあ。

大人と大人でも同じだとおもう。

規則や決まりや果ては罰でもつくらなければ、人はなにをするか

わからない。

 

「人が人を怖がり、危険視するのは異常だ」と聞いて、あれっと

胸に響いた。はっとした。

そこから、人と人の正常な関係というものはどんなものか、観察しはじめ

ている。

現状に立って、あれこれ考えたりするまえに、人と人の正常な関係とは

どんなものか知ることが先だとおもった。

歳を食っても、肝心なことをすっぽらかしていたと痛感した。

 

観察をはじめたばかりだ。

これからどんな探究がなされていくか。

そして、恵共同体の方々との交流もこんなことに焦点が

あたったら、面白く、次につながっていくようにおもった。