かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

「知ろうとする」人間の営み

2016-07-16 14:41:13 | アズワンコミュニテイ暮らし

きのう、今日と猛暑や蒸し暑さが減って、梅雨も終盤らしいけど、

さわやかな風まで感じるときがあります。身体が楽です。

いまの自分の身体状態からすると、このような大気の感じ、この

中で過ごせるのが、何よりご馳走というのが実感です。

どうも暑さや気圧に身体がとても敏感になっているらしいのです。

 

昨夜は、サイエンズ研究所の金曜ゼミに参加しました。

金曜ゼミは、週一回金曜日7;30から9:30まであります。

テキストは、SCIENZU サイエンズNo5

 

「サイエンズ入門ーー人間を知り、人間らしく生きる」

 

です。

鈴鹿カルチャーステーションのセミナールームが会場です。

 

ここのところ何回か欠席していて、久々の参加です。

少し遅れて会場に入りました。

もう、今晩、探究するページの音読がはじまっていました。

隣の木全さんが開いているページを覗いて、何処かわかりました。

 

その節は

 第一章 人間の考えーー「どう捉えているか」

  その章の6節、「良いこと」「悪いこと」

でした。

 

出席者は20人ほど、セミナー会場に輪になって座っています。

スタッフはサイエンズ研究所の佐藤さん。

ゼミって、どんなイメージがあるかわかりませんが、一人ひとり

どちらかというと、静かに黙しながら、沈思している姿に見えます。

それでも、読んでみての感想がポツリポツリでます。

浮かんできたことを、ぼくもしゃべったりしました。

 

どの辺を探究したらいいのだろう?

沈黙のなかでも、「この節にはどんなことが書かれているかという

へんはどうかな?」

「良いとか、悪いの判断をしないようにしようとか、良いことをやるのが

本当だとか、そこは言ってないようにおもうんだけど」

「「善・悪」は、人間の考えに過ぎないとおもいます、ってあるけど、

これはどんなことなんかなあ?」

スタッフの佐藤さんが投げかけてくれます。

だからといて、議論になることはないなあ。

ときに思っていることを、切々と話す人もあります。

それも、輪のなかのこと。その話への反応もあります。

 

ちょっと、一服。

使っているテキスト「サイエンズ入門」は、サイエンズ研究所が

発行しています。

「刊行にあたって」のところに、サイエンズ研究所の紹介があります。

ーーサイエンズ研究所の趣旨は、人間と社会の研究を基礎として、

  人間らしさを知り、誰にでも通じる幸福条件を見出しながら、

  物も心も豊かな社会を実現する。

 

鈴鹿に引っ越してきて、6年経ちます。この趣旨に向かって、一歩

づつ、探究しながら進んでいるなあという実感があります。

 

ーー本来人間とはどういう生き物なのか?人間の本質を探り、誰でもが

  幸せに生きられる社会の仕組みを考案しています。

  そして、そこから見出せたことを、社会生活に実現していくための

  カリキュラムをサイエンズスクールに組み込み、そこに参加した

  人が、実生活で実践しています。

 

そうなんですね、ぼくも6年こんな感じで、鈴鹿市の一市民として、また

誰もが幸せに暮らせる社会はどんなものかと、有志の人たちと探究

や暮らしをやってきました。

それらの現れを、ある時期、アズワンコミュニテイ鈴鹿と表現して

きました。

最近は、誰もが幸せに生きられるという社会実現は、”アズワン”という

言葉で適切に表現されているのではないかと気がつきました。

鈴鹿のコミュニテイというのは、そういう社会実現に向けての、一つの

社会実験をしているにすぎないんじゃないか?

 

アズワン・・・「固定や隔てのない一つの世界」

ジョン・レノンの「イマジン」で歌われてもいます。

心からの願いは「世界中のみんなで幸せになろう」

 

「世界中のみんなで幸せになろう」

これをアズワンネットワークと表現してみたらどうだろう。

いまのぼくには、なんかぴったりします。

今やっている、社会実験、コミュニテイはなんと言えばいいのだろう。

アズワンネットワークの鈴鹿コミュニテイという感じだろうか?

 

 

道草ついでに、「サイエンズ」って、どんなことだろう?を考えてみたい

です。

これは、ぼく自身の整理でもあるかな。(退屈なときは、ここで終わりに

してくださいね)

 

「サイエンズ入門ーー人間を知り、人間らしく生きる」

”はじめに”

3節ありますが、

   その1、「知ろうとする」人間の営み「サイエンズ」

ーー「サイエンズ・SCIENZ」という言葉は、Scientific Investigation

     of Essential Nature(科学的本質の探究)とZero(零・無・空・・)

  の頭文字をとったものです。

  「サイエンズ」の目的は、ものの本質を明らかにして、そのものらしく

  生かす、そのものらしく生きることにあります。

  「サイエンズ」をやさしく表現すると「人間を知り、人間らしく生きる」

  営みともいえます。

  当然のことですが、「人間を知り、人間らしく生きる」には、自然界や

  社会のあり方なども、大きく影響しています。

 

そうなんですよね。いきなり、「サイエンズ」なんて言葉を出して、これって

何のこと?ですよね。

ネットで「SCIENZ」と検索すると、「SCIENS」のまちがいじゃありませんか、

とでるときもありました。 

 コトバになるには、その前に何かの対象、何かのものか、何かのことが

あるんでしょうね。

コトバの解釈の前に、どういうことをそのコトバで表現しようとしてるんだろう?

そのんとこ、解説があります。

 

ーー「探究する」という言葉は高度な印象を受けるかもしれませんが、

  やさしく言うと「知ろうとする」ことだと思います。

  「知る」という脳の働きは、人が生まれたときから始まる「人間の本分

  とも言えます。

  そして、「知る」という働きには、終わりがありません。

  例えば、宇宙や地球のことを知らないわけではありませんが、

  「宇宙を知った」「地球を知った」と言える人は、おそらくいないでしょう。

  同様に、人間についても、「人間を知った」とは言えないでしょう。

 

”脳の働き”って、自分がもう「知った」とか「分かった」と意識上で、

言い聞かせても、それとは別に脳自体は「知ろう」として働き続けて

いるということになるんだろうね。なんか、実際はそんなふうに見える。

 

ーーもしも、「そのことについては、もう分かった」としてしまったら、

  それ以上進歩しないでしょう。

  しかし、案外、私たちの日常では、人や物事について、「もう知っている、

  もう分かった」としていることが、ずいぶんあるように思います。

 

ーー現状では、人間や社会について、「人間はこういうものだ」「そうしなければ

  社会は成り立たない」「そんなことは当然だ」「無理に決まっている」という

  ことがはなはだ多い気がします。

  それが、人間社会の進歩を阻んでいる大きな原因ではないかと思います。

 

 

長々と引用してしまいました。

この、「〇〇はこうだ」「こうに決まっている」「無理だ」「人として許せない」

などなど・・・言葉として表現するときもあれば、心のなかでしっかりと

そう決めている、思い込んでいる、信じている、ということもあるのでは?

「サイエンズ」は、そういうことは、どんなことをしてるんだろう?と

自分の中や、社会の中を、観察していくことなのかな、と最近では

おもうようになってきています。。

 

 

ここで、突然、金曜ゼミに戻ります。

何回か、来ていなかったゼミで、はじめ焦点がなかなか合わなかったです。

みんながポツリポツリと発言する話を聞いたり、沈黙があり、テキストに

何が表現されているのか、読み直したり・・・

 

ーー果たして「良いこと」「悪いこと」というものが実際にあるでしょうか?

 

この問いが、テキストから入ってきました。

「こういうことをするのは良くない」とか、「そんなときは誰だってうれしいよな」

とか、自分のなかに「良い」「悪い」が出てくる。

これは、幼児のころから、周囲環境からそのまま受けてきたものが、心の

底にまで浸み込んでいるものだと思う。

それが出てきたとき、「これは良いこと」「これは悪いこと」としていることが、

「自分の中の考え」を言っているのか、それが実際にあることとして、言って

いるのか、自分のなかはどうなっているのだろう?

もし、「良い」「悪い」が自分(人間)の考えだとしたら、「わたしは、そう思う

んだけど」というだけでしょうね。

これも、理屈でそうというより、実際どうなっているか、静かに探究したうえで。

そのための有志が居てくれるのが、有難い。

そんな人たちなしでは、こんな探究はできにだろうなと思っています。

 

「良い」「悪い」が、自分(人間)の考えに過ぎないとすれば、あと残る

のは、「そのことの実際」はどうなんだろう?というものではない

でしょうか。

 

 

「良い・悪い」と決め付けたり、思い込んだり、信じたり、それはどうも

正常な心の状態で無いかもしれないが、それは何をしているかというと、

自分が考えたにすぎないことを、実際にあったこととして、錯覚・思い違い

をしているのではないでしょうか。

(そうそう、これって、自分自身がいつも焦点にしていきたいところです)

 

 

その晩は、9時半過ぎに帰宅しました。

最近、深夜息苦しくて、眠りにくかったですが、いつの間にか眠りに

ついていました。