かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

北の孫たち

2014-11-04 12:18:49 | 家族あれやこれや

北海道美幌に次男譲を訪ねた。

27日から今日まで町営のグリーンヴィレッジに滞在した。

30日夜、孫4人お泊りにきた。

枕投げなど、それは賑やかだった。

それぞれ、成長に応じて、子供らしく育ているな。

彼等のなかにお父さんやお母さんがいるな。

長女は、東京で母方の祖母の下で暮らしている。

 

長女  朱音 (あかね)  中2

長男  颯杜 (はやと)   小6

次男  翔己 (しょうき)   小5

三男  峻基 (としき)    小3

四男  魁斗 (かいと)    6歳


音の記憶

2014-11-04 10:34:19 | わがうちなるつれづれの記

微熱と咳が止まらない。

きのう、午前中は部屋で休養。

NHKBSアーカイブスにたまたま出っくわした。

 

佐々木昭一郎監督の「四季 ユートピアノ」

1980年のテレビ作品だという。

監督の名前も作品の名前もまったく知らなかった。

何かに惹かれて、最後まで観てしまった。

ピアノの響き、そのことを倍音とかいうのかな、その音が

いつまでも、ぼくの心のへんに響いていて、消えない感じ。

 

風のなかに、虹のなかに、四季のなかに音を感じながら。

遠い記憶のなかの音は、居心地の悪い音も。

主人公榮子(えいこ)のなかの音は、母や父との死別、

兄との別れ、祖父母との暮らしと旅立ち、仲間とのピアノ

作り、解散、友との出会いと別れ、時に深い記憶からの

問いかけ。

映像は、現われては消え、ぼくはその残像に一人残される。

気がついて、あわてて、またその音の世界へ戻ろうとして

いる。そのうち、その響きがぼくの心の中で共鳴していた・・

 

プロローグのナレーション。

1歳  母のミシンの音を聞いた。

2歳  父の靴音を聞いた。

3歳  古いレコードを聞いた。

4歳  兄とピアノを見た。

     大きなピアノだった。

     触るとダイヤのような音がお腹いっぱいに響いた。

 

1歳のとき、じぶんがどんな音を聞いていたのか、考えたこと

なかった。記憶がないだけで、実際はいろんな音を聞いていた。

聞き耳をたて、もしかしたら、ワクワクしたり、おどろいたり、

何だろうかと思っていたかもしれない。わが家には、ミシンは

なかったけど。

2歳のときだって、そんな記憶はない。ここでは、父の靴音を

聞いたとあって、この靴音は父の戦争体験の音であることが

暗示されている。

「父は爆音識別レコードにおびえている」

兄はそのレコードを雪のなかで金槌で叩き壊した。

3歳、兄とピアノの記憶は鮮烈だったのだろう。

「ダイヤのような音」って、どんな音のイメージが、そのとき

湧いてきたのだろう。

 

観終わったぼくは、じぶんのなかに響いているはずの音が

どうなっているか、考え始めている。

小学生5,6年のころ、音楽の授業では「ドレミファ」がよく

歌えなかったか、じぶんで勝手に「オレはには無理」としたのか、

みんなで声を和すところで、変な声をだし、注意されてもやるもん

だから、先生、女先生だったけど、「もう教室にいなくてもいい」と

言われて、校庭の隅で寂しい思いをしていた。

 

考えてみると、ぼくの暮らしのなかには音というか、音楽?

メロデイ?リズム?みたいなものあるかな。

過去何回か、音楽を聴くということをしてきたけど、あまり

身についたとは、とうていいえない。

たまたま聞いていいなあ、と感じることはたくさんあるけど、

この曲を聴きたいとか、カラオケなどで歌いたいというものは

ない。

カラオケでは、かつかつ「男はつらいよ」は歌っても、人は

どう思うかわからないが、歌った後は、悪い感じじゃない。

 

ちょっと、別のところから考えてみて・・・

リズムやメロデイーを感受するというのでは、どうなんだろう?

 

子どもの頃はラジオを聞いていた。

ただ聞いていた、というより、気持ちやイメージを膨らませながら

聞いていた。

何の番組か覚えていないが、「不知火海」を舞台にしたラジオトラマの

音楽が、真っ黒い海に浪が荒れている、じぶんはそこに立たされている

見たいに怖かった。

「李承晩ライン」で漁船が拿捕されるというニュースも怖かった。

アナウンサーの声で「リショーバンライン」とか「ダホ」というコトバが

聞こえてくると、じぶんが捕まえられてどこかに連れて行かれるのでは

ないかという恐怖感が湧いた。

 

わが家ではそのころ、「ヤンボーニンボートンボー」という

コマーシャルソングが流行っていた。

3人兄弟で、兄は伸一、ぼくは昌幸、妹は文子。

その3人をもじって、「伸ちゃん、まんちゃん、ふんちゃん」という

歌で子どもらはふざけ合っていた。

おふくろは、その影響か、一人の名前をいうのに、1,2回は

言い直していた。そんなリズムもあった。

 

小学生3,4年生のころ、落語をラジオでよく聞いていた。

それは熱心に聞き、楽しんでいた。一人でも笑っていた。

そういう語り口はじぶんのなかに滲みているのかもしれない。

小学唱歌や演歌も、意識の底にしっかりと滲みこんでいる感じが

する。

ときどき、演歌のメロデイに触れたりすると、思わずジーンと

きたり、涙が込み上げてくる、前触れのような現象がおこる。

 

ああ、いろんな音を感受するセンサーというか、そいういう

世界というものがぼくのなかにあるんだろうな。

そんなの、自分一人でつくったもんじゃないし、時代のせいだけ

にもできないだろう。

時代の影響は受けながらも、人自体に具わっている感受する心、

これはどうも暗いほうとか、好まぬほうえは行きたがっていない。

明るいほうへ、人と共鳴できるほうへ、そんな感じがする。

できうれば、周囲の環境がそういう感受する心をあるがままに

育んでくれるように・・・

 

ちょっと、面倒になり、飛んでしまった。