かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

生い立ちのなかで経済面の感覚や考えがどうなっていたか?(2)

2012-07-18 19:21:48 | サイエンズ研究所のある暮らし

<レポートのメモ   つづき>

 〇お金というものをどうみていたか?

 小学生のころ。1953~1960.

 5円玉を握りしめて、商店街の四つ角にある肉屋さんにコロッケを

買いに行く。揚げたてのコロッケにソースをかけてくれる。お昼ごはんで

あり、おやつだった。

 

 電池で動くブリキのロボットがほしい一心で、お金貯めたときがある。

 500円。息せき切って、おもちゃ屋で買った。うれしかった。

 家に帰って、動かしていた。ただ動くだけでは、物足らなくなり、分解した。

 それっきり、あんなにまでして欲しかったロボットは、ゴミになった。

 「欲しい」「お金」「手に入れる」 この一連のことが、おもったほど、

すばらしいことではないらしい、という感覚。

 

 衣服は、兄のお下がり。

 盆踊りのとき、年一回、新品の下駄をおふくろが買ってくれた。

これは、とびきり、うれしい。

 

 おふくろは、「金がない」といっていたが、居間の隅に汚いカバンをいつも

置いていて、そこからぼくらがお金を持ち出しても、なにも言わなかった。

 金勘定をしているところ、おもいだせない。

 

 高校は、国鉄と私鉄の二つを乗り換えていくところにあった。

 じぶんで、金を稼ぐことを覚えた。

 横浜駅ビルに、ボーリング場ができた。そのころ、投げたボールと

倒れたピンは、裏側に人がいて、拾っていた。学校が終わると、そのアルバイトに

行った。

 

 横浜港の港湾荷役の仕事も、ときどきやった。”たちんぼ”で、当ててもらって、

一日終わると、現金で1000円もらえた。

 

 金というのは、ほしいとなったら、いつでも手に入るという感覚だった。

 

 高校2年のおわりに、「大学に進学したい」とおやじに話したら、「金がない、

だめだ」と言われた。おやじから「金がない」と聞くのはじめてだった。

 口答えしたら、「穀つぶし!」と言われて、切れた。

 高校3年のとき、中学時代の恩師の紹介で母校の管理人として、夜の

宿直をした。それで、大学の入学金を貯めた。

 「こんなことも、出来るんだ」と、お金がないので、やれないという思いは

なかった。

 

 大学のころ、なにをおもったのか、家のある国電鶴見駅から、大学がある

御茶ノ水駅まで、定期券を買わずに、2か月ほど、通学していた。

 「どこまでやれるんだろう?」とおもっていた。

 もちろん、そのときがきた。御茶ノ水で捕まり、と東京駅の鉄道公安局に

連れていかれ、おやじをよばれ、何万かのお金を払った。

 なにかに、反抗していたのか?開き直っていた。

 

 大学生活は、授業料は自分で払うと決めていた。

 学校は、大学紛争盛ん。バリケードがあって、授業がないときが多い。

 アルバイトで、金を稼ぎ、勉強しているわけではないのに、授業料を

払う。「おれは、なにをしているのか?」ばかばかしくなった。

 3年のときから、授業料払わなくなったら、4年生の1月ごろ、事務局から

呼び出し。「授業料を納めなければ、除籍になります」

 お金を貸してやるから、卒業だけはしておけ、と言ってくれる人はあったが、

除籍になる。

 

 その春ごろ、新聞販売店に住み込み。親から離れようとかんがえた。

 朝は配達、昼は横浜港の荷役作業。

 2か月やった。お金になるが、身がもたない。

 

  ついに、サラリーマン暮らしで、楽に行こう、とガンバルことを断念。

 新聞の求人広告を見て、面接に行く。一人の募集に20人以上来ていた。

 その一人になった、通産省の外郭団体で、給料もよかった。

 

  研修施設に住み込み。発展途上国の人たちと一緒に暮らした。

  食費と家賃はひかれるが、自由にできるお金はけっこうあった。

 貯める気がなかった。ほとんど、飲み食いに使った。旅行もした。

 

 その後、金の要らない社会という運動に参加した。


 お金を貯めようという観念がなかった。

 じぶんには、そんなことできないと、ハナから決めているようなところが

あった。

 それは、今にいたっている。

  

 この3月に65歳。年金が支給されはじめた。

 家賃にも満たない。

 やりたいとおもっていることは、だいたい金にならないことが

多い。

 この歳になって、金を稼がなくてはでやるの、億劫。


 <つぶやき>

 これは、今週金曜日のサイエンズ研究所カレッジで、発表する

ためのメモ。当日、どんな発表になるか、皆目見当がつかない。

 先ずは、なんなと出して、それから、なんとかならないかなあ・・・