かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

韓国からの友人、鈴鹿滞在記(2)--「実際は、どんなあらわれをしているか」

2012-07-03 08:20:33 | アズワンコミュニテイ暮らし

          1、いざ、探訪に出発

 二日目、アズワンコミュニテイー探訪の一日。

朝、雨は降っていないけど、どんよりした曇り空。

研修所を出発しようというとき、佐藤靖二さんがあらわれた。

ユー・キーマンさんと佐藤さんがお互いを見つけて「おおー」と握手。

 

 キーマンさんは、昨年8月、韓国でマイライフセミナーに参加している。

そのとき、佐藤さんが進行して、一人ひとりが自分を調べていく

サポートをした。

               

          2、鈴鹿カルチャーステーションにて

  午前9時、鈴鹿カルチャーステーションの案内からスタートした。

 「ここは、街の”縁側”です」と坂井和貴さんが口をきった。

 通訳のイー・スンヒョップくん、”縁側”が分からず、坂井さんに聞きかえした。

 

 

  「もう一つは”学び舎”としての場です」

 そして、”学び舎 てっらこや”のリーフレットが配られた。

 それを、丁寧にみていた、大学教授のトー・スンジャさんが、リーフレットの

一隅に書かれてあるコトバについて、何か語りはじめた。

 〇学ぶことは本来楽しい

 〇知ることは本来楽しい

 〇成長することは本来楽しい

 スンジャさんは、「こういうことを、実際、どのようにやっているのか?」と

坂井さんに問うていた。

 

 鈴鹿カルチャーステーションの子どもスペースに、まだ”立っち"が出来なき

幼児が廊下に座っていた。お母さんは掃除をしていた。

 気づいたら、ト・スンジャさんは、その子を抱っこしていた。

 

 

         3、街のはたけ公園にて

 鈴鹿の繁華街のすぐ北側から伊勢湾に至るまで、田園地帯がつづいている。

 はたけ公園はそのはじまりのところにある。

 2年前にショッピングモール”ハンター”さんから、借り受けた。

 

  案内は、鈴鹿ファームの小林耕一くん、中井正信さんがしてくれた。

  玉ねぎの乾燥小屋では、たくさんの玉ねぎにおどろいていた。

 

  蓮池では、中井さんがうれしそうに案内してくれた。

 

  「酒の肴に、蓮根が食べたくて・・」と中井さん。 

この農場が使えるようになって、最初にしたことが、ユンボを借りてきて、

池を掘ることだった。誰に相談するでなく・・

 隣で聞いていた耕一くん。

 「掘るのはいいんだけど、トラクターが泥沼にはまって、ぼくら、そのたび、

トラクターを上げに来なきゃなんなかった・・」

 中井さん、照れる。

 池には、蓮の花が二輪、すっくと咲いている。まさに泥田のなかから、

美しく現れてきた。

 

 はたけ公園は、”てっらこや”の子どもたちの野外フィールドでもある。

 看板の前で、記念撮影。

 

        4、おふくろさん弁当屋さんにて

 店頭をまず見学。

 

 そのあと、事務所で岸浪龍くんが待っていてくれて、しばし懇談。

 

 岸浪「はじまったのは6年前。20個からでした。いまは、1000個ぐらい

      になるかなあ・・」

 誰かが、電卓で計算している。

 イーナンゴクさんが、「ただいま、計算しています」と実況した。

 岸浪「会社には、とくに決まりがないんです。給料なども、その人と

    話し合いながら、決まっていくんかな。今、中学、高校の子どもがいるとか、

    一人身だとか、それぞれその人の事情があるだろうから、よく聞いて、

    会社の事情も出して・・・」

 「それじゃ、不公平なことにならないかな?」と誰か。

 岸浪「じぶんは、一人ひとりの事情にあわせていくのが、公平だと

     かんがえているだけど・・・」

 「お金がもっとほしいという人がいたらどうします?」と質問。

 岸浪「会社の事情もいって、それでもというときは、お金がもっと得られる

    ところに、そのときは行ったりしてますね」

 「話し合いでうまくいくのだろうか?」と疑問。

 岸浪「一人ひとりが話し合える人になるというのが大きい。会社も規則

    などで縛らない。サイエンズスクールに参加したことがある人が多い。

    参加していない人もいるけど、いまのところやれてるかな」

 「もし、経営的にやれなくなったら?」

 岸浪「うーん、そんときはやめるでしょうね。お弁当屋がやりたいわけじゃ

ないんで・・」

       

          5、コミュニテイー食堂"ふぁみーゆ”にて

 お昼ごはんは、”ふぁみーゆ"の肝っ玉かあさん、中井佳子さんの手塩に

かけた、お料理。

 

 タイの料理というが、名前は覚えていない。鶏ガラスープと大根を炊き、

そのスープでごはんを炊く。残りは、大根スープとして、食卓にのる。

 「辛い味噌もつくったので、食べてね」と佳子さん。

 各人、「おいしい」とか言いながら、しばし歓談。

 辛い味噌には、ちょっとホッとしていたかな?

 

 佳子さんが、こんな食堂をはじめた気持ちを話してくれた。

「コミュニテイーの人だけでなく、一人暮らしの人や普段、お互いの

交流をしたいのに、そんなことが、し難い人たちに、家庭的な雰囲気で

くつろいで食べたり、しゃべったりする場がつくりたくて・・・2時間も3時間も

いることが多いですよ。要は、料理が好きだからかな・・・」

 

           5、コミュニテイ通貨”リンカ"ショップにて

 リンカショップといっても、いまごろ鈴鹿ファームやはたけ公園の素人野菜

づくりグループが育てた野菜が置いてあるだけ。店番は、居ない。

 玉ねぎ・ジャガイモ・小松菜・ナス・キューリ・キャベツ・人参・大根・ニンニクなど。

 

 リンカの事務局をしている小野さんが、実際どんなふうに運用してるか、

話してくれた。

 「いくらマイナスでも、使える」というところで、「えー」とおどろく。

 

 

 「リンカを使うことを目的にしていない。ゆくゆくは、お金が要らない社会を

目指しています。いまは、過渡期だととらえています」と小野さん。

 

 お店のなかで、立ちながらだったけど、お互いにこのリンカの仕組みに

ついて検討会がはじまった。

 

         6、サイエンズスクール事務局にて

 いつもは、事務局に常駐している竹本美代子さんか、小野みゆきさんが

案内してくれる。そのときは、スクールの「人生を知るためコース」にお二人、

参加していて、不在。

 そこで、ぼくが、サイエンズスクールの案内をさせてもらった。

 「サイエンズスクールは、人としての成長をサポートする仕組みです。

コミュニテイーにかかわる人だけでなく、NPOとして、だれもが参加できる

よう開かれています。

 人は誰でも、しあわせを願っているとおもいますが、願っている通りに

ならないことが多々あります。実現しない原因は、その人じしんになかにもl

あるかもしれないし、周囲社会にもそれを阻害する要因があるかもしれない。

 そこを、外からの知識や良い考えをもってくるのではなく、じぶんを材料

にして、じぶんとはどういうものか、人間とは、と観察し、願っている

ことが本当の意味で実現できるよう、検討する機会です」

 じぶんでも、なにを今いっているのか、と感じながら話しましたが、韓国の

友人はジッと耳を澄ませて聞いてくれていたようでした。

 「そういうスクールの内容は、世界各地に広がいくとおもうか?」と質問。

 昨年8月、韓国でマイライフセミナーが開催された。そのとき参加した

ユー・キーマンさんが、そのときの感想を話してくれた。

 

            7、夕方、コミュニテイー探訪を終えて宿舎へ

 今回は通訳つきというので、一か所一か所、たっぷり時間をとっていた。

どこでも、韓国の友人は、じっくり聞いて、核心をつく問いかけをしていた。

どこでも、時間が足りないという感じだった。

 昨年春から「アズワンコミュニテイふだん着で探訪DAY」という受け入れを

はじめた。

 ”探訪”とは、「社会の実相や物事の実態などをその場に出向いていって

さぐり歩くこと」と辞書にあるが、今回の案内で感じたのは、社会や人の

真の姿を究明していこうというような、情熱だった。

 じぶんのなかにも、呼びさまされるものがあった。

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      


韓国からの友人、鈴鹿滞在記(1)ー「サイエンズって、どういうこと?」

2012-07-03 08:15:15 | アズワンコミュニテイ暮らし

 「とも、遠方より来る、また楽しからずや」 

 学校の教科書か、なにかで聞いて覚えている。

 この一節は、論語の開巻の第一章のなかにある。

「子曰、学而時習、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。

人不知而不、不亦君子乎。」

 これは、孔子さんが、学問とは何か、を述べられているらしい。

単純に、「遠くから友だちが来た、うれしいもんだ」程度のことではないらしい。

 

 韓国からイーナンゴク氏ほか、7名の人たちが鈴鹿にやってきた。

 アズワン・コミュニテイを見学したいというのだった。

通訳はイー・ナンゴク氏の長男イー・スンヒョップくん。30代の青年。

 

 6月27日のお昼に、名古屋セントレアから、津なぎさ港に着いて、

7月1日朝まで、4泊5日の滞在だった。

 

 津なぎさ港で、持って行ったおふくろさん弁当を食べた。

 

 鈴鹿では、サイエンズスクール研修所に落ち着いた。5日間、わが家になった。

 

 どっさり、お土産をいただいた。

 

 研修所では、お互い挨拶を交わしたあと、自己紹介。

 小野雅司さんからアズワン・コミュニテイーのマップを読みながら、あらましの

説明があった。

 

 

 「最初だから、だいたいの案内でいいかなあ」と軽く考えていた。

 じっさいは、そこから感想や質問がどんどん出てきた。

 

 「”新しい試み”というけれど、戦争があって平和を求めるといったような、そんな

キッカケはあったのか?」

 

 「いままでやってきたことと、新しくはじめていること。これまでのものとの

つながり、そして新しい方向とはどんなことか?ちがいは?」

 

 「各人がやりたい気持ちでやる、会社なども各人を縛らないとしたら、

コントロールがなくなって、秩序が成り立たないし、モラルも崩れてこないか?」

 

 「人がよい、そういう人の集まりか?」

 

 「新自由主義や利己的な考えから、競争や争いがなくならない現実がある。

コミュニテイは、そういうものをのりこえていく熱情に支えられてる。実現させる

ためには、そうなる条件が要る。そうなるためのベースが大事。鈴鹿では、

そのへん、どうやっているのか」

 

 「やりたい人がやりたいようにできる社会、コントロールがないということ、

これは産業とか生産性より、人間関係を大事にする社会を描いているのか。

この二つを比較・実験というと、できるのか?”科学的に”といわれているけど、

そのへんはどうか?」

 

「サイエンズの説明に”零・無・空”と書いてあるけど、これはどんなことを

表現しているのか?」

 

「人のなかにストレスがない。これは、真に自由な人。そういう人の集まりは

高い集合意識にささえられているのでは・・?」

 

 「はじめてだから」とか「軽く」というぼくの感覚は、どこかにすっとんでいた。

「そろそろ、お風呂とか食事にしたいのですが・・」と切り出して、なんか、各人

ハッと我に返る感じがあった。

 「記念撮影をしましょう」と小野さん。

 

 

 夕食は、歓迎会だった、

 おふくろさん弁当さんから、ちらしずしやオードブル各種が届いた。

 「わああ」と目を見張る。

 

 歓迎会のなかで、もっとお互いを知りあっていこうというので、

「最近、こころに残ってたこと」をスピーチした。

 イースンヒョップくんの、婚約者のチョン・ターヒさんが、お母さんの

誕生日に姉妹でパソコンを贈って、「こんな娘をもって、うれしい」と

母が喜んでくれたという話をしてくれた。

 ターヒさん、はなしの途中、思わず涙。

 一同、耳を澄まして、聴きとろうとしているみたいだった。

 

 歓迎会での一人ひとりのスピーチは、その人が感じられて、

しみじみとした気持ちになった。

 写真で、韓国の友人を紹介してみましょう。

左から、

 イー・ナンゴクさん  67歳    韓国全羅北道にあるノンシル村を拠点に

                     人文運動を展開している。

 ウオン・ソンチェさん 51歳    ノンシル村の小学校の先生。佐藤学の教育

                      運動に共鳴。

 ト・スンジャ女史    59歳    大学教授。専門は社会福祉。30年、アメリカで

                      研究・教育活動。3年前、韓国に帰国。ソウル在住。

 

 

左から

ユー・キーマンさん    38歳   ノンシル学校の理事。ナンゴクさんの、人文運動に

                       共鳴、講座やフォーラムなど、コデイネートしている。

                       昨年8月、韓国開催の”マイライフセミナー”に参加。

シン・ミョンスクさん    年齢?  看護師。ノンシル村近くの村の保健所の所長さん。

                       高校生と中学生の子どもあり。

ペー・キッチョルさん  33歳    大工さん。家具などもつくる。帰ったら、ノンシル村に

                       移住予定。

 

 

左から

チョン・ターヒさん    27歳    病院の栄養士。今回は、スンピョップくんに

                       ついてきただけでなく、コミュニテイーのこと知りたい。

イー・ッスンヒョップくん  34歳   味噌工場の経営者。一昨年、母が亡くなって、

                       母の工場を引き継いだ。日本滞在歴あり。

                       日本語おもいだしながら、通訳。

 

 初日の夜は、更けていった。

 到着したとき、小雨。雨が続いている。

 韓国は、雨がないと聞く。干ばつの怖れさえあるらしい。

 

 アズワンコミュニテイーの見学、というより、”探訪”どうなっていくのか。

 「ゆったり、じっくり味わってほしいなあ」と、それができるよう、案内しようと

じぶんのこころにたしかめた。