かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

韓国の友人、鈴鹿滞在記(3)ーー「やりたい人がやりたいだけやれる社会」

2012-07-04 14:33:10 | アズワンコミュニテイ暮らし

 2日目の夜、朝からのコミュニテイー”探訪”を終えて、感想をお互い

出し合いながら、懇談会があった。

 しばらく誰も口を開かなかった。

         〇一人ひとりが感じたこと

 そのうち、イーナンゴクさんが静かに感想を語った。

 「きょうは、あまりにもたくさんの経験をしたような感じだ。コトバにならない。

なにかが、たしかに行われている」

 

 ドー・スンジャ女史「鈴鹿カルチャーステーションで”学ぶことは本来楽しい”

    ”成長することは本来楽しい”とあったが、コトバだけでないように見えた。

    子どもに何か教えるというより、そういう生き方、暮らしを大人たちが

    実践しているようだ。夕方、アフタースクールでの大人と子どもの様子を

    見ても感じた」

 

 ジョン・ダヒさん「お弁当屋さんに関心があった。メニューもみんなで

     かんがえているようだし、だいいち美味しい。コミュニテイー通貨が

     地域の人たちにも流通しているらしいので、すごいとおもった」

 

 ウオン・ソンジェさん「どこに行っても、やさしく受け入れてもらった。感動

    している。子どもの育ち、農業の取り組み、地域社会にも開かれた文化

    創造の努力、そういうことが実際に行われている。韓国にも、こういう

    試みはあるけど、こうまで実践的で、深みのあるものじゃない。一人ひとりの

    顔がきれいだった。

    もっと知りたいこと、二つ。

     一つ、子どもがどんなふうに育っているか、もう少し知りたい。

     二つ目、このコミュニテイーの経済生活の仕組み全般はどうなっているか?」

 

 ペ・キッキッチュイさん「外国ははじめて。旅行気分だったけど、学ぶことがあまりに

      あって、気持ちが重くなった。ときどき、一歩離れて、休みに行っていた。

      食事、どこも美味しい。これなら、どこでも暮らせそう。日本語は話せないけど、

      目で話ができる感じ。小野さんとは、とくに・・」

 

 シン・ミョンスクさん「とにかく、感動している。頭で描いたり、理論でははっきり

     していても、実際の暮らしを通して、実践しつつあるのは、見たことなかった。

     ここに、それが行われている。リンカがいくらマイナスであっても使える。

     お互いの間でも、コミュニテイー全体でも、つねにプラス・マイナスゼロという

     捉え方、これはわたしには革命的な考え方だった・・。そこには、コミュニテイー

     として、人を優先していこう、人が心の面で成長していくことを大事だという、

     考え方があるようだ。不思議な経験・・・」

 

 

           〇だんだん、お互いに響き合うように・・

ドー・スンジャさん「いままで宗教のこと、研究してきた。ここを見て、あえて宗教で

     なくても、高い知性の人、霊性を持った人が実現すると見え、おどろきだ。

     人を聴くということが言われているけど、これは”人、その人をそのまま

     受け入れる”ということではないか。宗教では、ちがう宗教との間でしば   

     しば対立になったりする。宗教の理論なしに、高い知性の人、”霊性”

     の人に成り合って、お互い尊重しあえる、そんな実践が行われている」

イー・ナンゴクさん「サイエンズスクールの”自分を知るためのコース”に、昨年。

     韓国で参加した。

      いまのじぶんの実態、つまり人間を知っていくというところを

     ベースにして出発し、真実の社会を実現を、一歩一歩すすめる。

      そういう”実際”に触れた感じがする。目的ははっきりしていても、その

     実現を邪魔する要素がいろいろある。それを、取り除いていく実践、

     リンカの仕組みは、過渡期のものとしてやっていると聞いた。

     代表的な実例だろう。

      普遍性というのはどうか。ひろがっていくというより、ある一つの部分でも

     真実なものをあらわしていくのが大事」

 

 通訳に徹していたイー・スンヒョップくんに、なんとはなしにスポットライトが当たって

しまった。

 「通訳やってて、どうだい?」

 イー・スンヒョップくん「だんだん疲れてきたなあとおもうときがあった。そうなって 

       くると、通訳しながら”そんな質問、おかしい じゃないか””案内の人が

       言っていること、分かってないんじゃないか”とか出てきて、これはまずい

       なあとおもった。人をコントロールするような気持ち。そこから、切り替えて

       通訳の機械になりきろうとおもった」

 

  ドー・スンジャさんが、「そんな質問していたの、わたしかも・・。ごめんね」と

明るく反応。

 一同、大笑い。

             

  

ぺ・キッチュイさん「こんど、ノンシル村に移住するつもり。はたけ公園の蓮池のところで   

        2年前に農場を借りて、最初にしたのが、池を掘ることだった聞いた。コミック

        みたいだけど、まず必要なものをつくるといかないで、何を目指しているか、

        そこを考えているような、心の余裕を感じた。帰ってから、なにができるか、

        具体的にはわからないが、心の池を掘ろうとおもっている」

 「へえー」というリアクションあり。

 

            〇やりたい人がやりたいだけ・・・

小林耕一くん「やりたい人が、やりたいだけやれる社会がいいなあ。みんなで一致して、

      やるっていうんではなく・・・」

 

 

ユー・キマンさん「やりたくてやる、そういうこころでやるというのはいいけど・・・

      やりたい仕事でなくても、人のため、社会のためにやるということも

      あるのでは・・・やりたいだけでは、やりつづけられないのでは?   

      やる気がある、やる気がない、というのは、どういう状態だろう?」

 

小野雅司さん「やりたい、とか、やりたくない、とかは、ふつうの感じがするけど。

      やりたくないときは、やりたくないんじゃないかな。じぶんも周囲も、その

      ことをそのまま受けとめる、その方が楽だと・・・」

 

          〇経済生活について

イーナンゴクさん「鈴鹿カルチャーステーションが、地域社会に開かれて活動している

      様子はよくわかった。経営面でやれているのかな?希望でもあり、心配が

      あるんだが・・・」

 

 懇談会に参加していた片山弘子さんが、丁寧に説明してくれた。

彼女は、発起人の一人だ。

片山弘子さん「経営的にやれているかと問われたら、まだまだです。

      コミュニテイーやいろいろな人に支えられて、やっとやれてい

      感じです。いつか、自立ができること目指してやっています。

        農場なども、所有している社長さんに、タダで貸してほしい

      と話にいったの。すぐには返事もらえなかったけど、半年後に

      電話があり、使っていいよ、と・・・」

イーナンゴクさん「それは、おもいつかなかった!ノンシル村でも学校に

      する家がほしいけど、こんど市長さんに”タダで貸してほしい”

      と言いにいけるかな。じぶんのなかに、カベがあった・・・」

   

 コミュニテイー通貨リンカにも支えられている。

小野雅司さん「ムリになったら、やめるでしょう。

      経済というのでは、リンカのほかに、今使っていないお金をお互いに

      融通し合うことなどもしています」

イーナンゴクさん「会社なども、仕事したからいくら支払うでなく、それぞれの

     暮らしの必要を聞いて、それで決まっていくというから、ふつうには

     分かりにくい。人にとっての公平というのは、どこにあるか?」

 

             〇黙って聴いていた人が・・・

 懇談の間、黙って聴いていたシン・ミョンスクさんが、なにか内から湧いて

くるものがあるかのように、話はじめた。

 そこには、自身でも気づかないでいたことが、呼び覚まされた、そのことを

表現せずにはおれないというふうだった。

 この懇談会で、メモをとりながら、一人ひとりのコトバの元を聴こうとしてきた。

このときは、メモをとることができなかった。

 「本来の人の姿は、意識したことに現れてくるのではなく、要らない考えが

離れていくかで、じぶんのなかに現れてくるのではないか」というように

受け取ったけど、「そんなようにまとめることがなんの意味がある?」と

感じるほど、新鮮なほとばしりだった。

 

 いま、このブログはメモを見ながら、その人を思い浮かべながら書いている。

 それは、どういうことをしているのか?その人のことを言っているのか?

 その人からじぶんが感じたことを、じぶんのなかで構成して書いている、という

のが正しいようにおもう。

 本人が読んだら、「こんなこと言っていないけどなあ」とか、「なにかカン違い

してない」ということばかりかも・・・

 それでも、書くのはどうして?

 そのとき、懇談会のなかで、じぶんが感じた感動を「聞いて,聞いて!」と

せっつくものがあるから・・・?

 

            〇「ちょっと聞いて」と前置きして・・

ドー・スンジャさん「わたしたちは、アズワン・コミュニテイーに、どんな考えで

      どのように実践してるか、習いにきたんだけど・・・

       今日一日やってきて、コミュニテイーの人たちは、なんにも教えよう

      としてないと感じた。聞くだけでいる。

       なにか、じぶんたちばかりが、ああじゃないか、 こうじゃないか、

      と出し合っている。

       ここの人たちは、他から学んでいこうという空気がある。

        アズワン・コミュニテイーのありかたがあらわれているのかなあ・・・」

 

 受け入れているじぶんに、そんなことを意識していなかったので、「ほうう、そうか」

と新鮮だった。

 

 

 韓国からやって来た8人の人たちは、お互いに顔は知っていても、そんなに親しい

という間柄ではない人もいた。それが、ぐんぐんお互いのカベがなくなっているらしい。

 じぶんにとっても、8人のなかには、旧知の人もいれば、初めての人もいる。

旧知の人には、新しいその人に出うことができ、初めての人には、これまでも

お付き合いしてきたかのような親しさがあるなあ、と懇談会の帰り道に浮かんで

きた。

 雨は、上がっていた。明日の里山散策は、傘はいらないだろう。 

 

                                        (つづく)