朝,5時に薬を飲む。妻は眠っている。
一人食堂で、しばらく椅子に坐っている。
部屋は静まりかえり、蛍光灯の明かりに照らされて周りに
いろいろ置かれている物がぼんやり目に入る。
ものたちに囲まれて、自分がここに居るって、どんなこと
なんだろう、ふと思った。
退院して、もう何日になるだろう?
不整脈はでないものの、常に吐き気があり、それがどういう
ことなのか、ぼくには分からない。お医者さんにどうにか
ならないか、これはどこからくるのか、何度も尋ねたが、
「うーん、心不全からくるもかなあ」
それを、減じる手立ては示してもらえない。
吐き気や息切れなどの現われがあると、長い時間、机の前に
坐っていられなく、ついベットに横になってしまう。
すこしは楽になるから。
こんな状態で日々過ごしている。
ときに、ぼくは自分の捉えた”吐き気”という意識に縛られて
いるんじゃないか、とおもうときがある。
朝、周りにあるものたちを一つ一つ見て、これは何だとつぶやいて
見る。
包丁・ペットボトル・急須・箸・計量カップ・湯のみ
・コーヒーミル・テープ・ペンさし・カガミ・布の状差し
テッシュ・箒・かご・紙ふくろ・・・
ふともう少し、雑貨の周りにあるものに目をむけると、食器棚・
冷蔵庫・食卓・椅子・窓・カーテン・・・
わあ、自分から離れて見てみると、限りなくものたちとともに、
じぶんが成り立っている。
こういうことは、知識では読んだり、聞いたりしたら「そうだよな」と
なるけど、早朝、一人ものたちに囲まれていると、その感がひしひしと
迫ってきた。
自分の捉え方とは別にそのものたちは、そこに存在している。
それだけでなく、自分がこうして生きていられることと、深く
関わっているんじゃないか。
そのものが見えるようになりたい。