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かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

物に囲まれて

2018-01-27 16:49:09 | わがうちなるつれづれの記

朝,5時に薬を飲む。妻は眠っている。

一人食堂で、しばらく椅子に坐っている。

部屋は静まりかえり、蛍光灯の明かりに照らされて周りに

いろいろ置かれている物がぼんやり目に入る。

ものたちに囲まれて、自分がここに居るって、どんなこと

なんだろう、ふと思った。

 

退院して、もう何日になるだろう?

不整脈はでないものの、常に吐き気があり、それがどういう

ことなのか、ぼくには分からない。お医者さんにどうにか

ならないか、これはどこからくるのか、何度も尋ねたが、

「うーん、心不全からくるもかなあ」

それを、減じる手立ては示してもらえない。

吐き気や息切れなどの現われがあると、長い時間、机の前に

坐っていられなく、ついベットに横になってしまう。

すこしは楽になるから。

こんな状態で日々過ごしている。

ときに、ぼくは自分の捉えた”吐き気”という意識に縛られて

いるんじゃないか、とおもうときがある。

 

朝、周りにあるものたちを一つ一つ見て、これは何だとつぶやいて

見る。

 

 包丁・ペットボトル・急須・箸・計量カップ・湯のみ

 ・コーヒーミル・テープ・ペンさし・カガミ・布の状差し

 テッシュ・箒・かご・紙ふくろ・・・

 ふともう少し、雑貨の周りにあるものに目をむけると、食器棚・

 冷蔵庫・食卓・椅子・窓・カーテン・・・

 

わあ、自分から離れて見てみると、限りなくものたちとともに、

じぶんが成り立っている。

こういうことは、知識では読んだり、聞いたりしたら「そうだよな」と

なるけど、早朝、一人ものたちに囲まれていると、その感がひしひしと

迫ってきた。

自分の捉え方とは別にそのものたちは、そこに存在している。

それだけでなく、自分がこうして生きていられることと、深く

関わっているんじゃないか。

そのものが見えるようになりたい。

 

 


国際電話

2018-01-24 09:03:29 | わがうちなるつれづれの記

7,8年前から、ときどき国際電話がかかってくる。

電話はニューヨークから。

かけてくる人物は、いまから60年前、横浜の高校のときの同じ

クラスで過ごした男性だ。

同じクラスとはいえ、記憶ではほとんど話したこともなく、とくに

付き合ったこともなかった。

Nという名前である。

色白で、なにか寡黙な感じだったかなあ。

その彼から、おなじ同級の友人に「宮地の住所と電話知っていたら

教えて」と連絡があった。

なんで、彼がぼくの連絡先を聞いてきたのか、そのキッカケは

わからない。

友人を介して、連絡先を伝えたら、ひょんなときに、Nから国際電話

があった。

なんとか高校時代の彼のこと思い出そうとするが、ほとんど記憶が

出てこない。

高卒のあと、どこに進んだかも知らない。

電話の話から、東京の繊維問屋に進み、途中から伊藤忠商事

の繊維部門の営業になり、その成り行きでニューヨークの伊藤忠

営業部に送り出されたという。そのころ、伊藤忠の繊維部門が縮小

されて、そのあとどんな経緯か分からないが、どうも長年、ニューヨーク

・マンハッタンのスラム街に住んでいるという。

何がなんだか分からない。

そのときも、一人暮らしという。それが楽だという。

マンハッタンの暮らしは、身に危険なときもあるけど、彼には居場所

になっているようだ。どうやって暮らしているのか聞くと、何か

よく理解できなかったが、一人で事業をしてるということ。

 

電話の話は長い。延々とニューヨークのことやじぶんのいまの

気持ちを話してくる。

「なんで、ぼくに話したくなったか」

さっぱり、分からない。

「もう、今日はこれぐらいにしよう」と声をかけて終わる。

その後もニューヨークの新聞や絵葉書や、「こんな本があるけど

読んでみたら」とか手紙が来たりする。

 

最近も、入院中に電話があった。

あまり体調は良くなかった。

彼は、そんなこと分からない。あとから、後から話つづいて

止まらない。すこし、えらいなあと思った。

 

退院して、体調がすぐれず、ベットに横になっていたら、スマホ

に国際電話がかかってきた。

とってみるとNだった。

「どこが悪いの?」

「心臓」

「そんなに悪いのか」

「もう先が見えるくらい」

「病身であっても、100歳まで生きる気持ちでやったほしい」

励ましてくれた。

「いまのやりたいことって、何?」

「世界中のみんなでしあわせになろう、かな」

「それは、ぼくも同じだ。でも、実際を見たら、なかなか難しい」

「いまの世の中をみて難しいというところではやっていない」

このあと、アズワンコミュニテイーのことを根掘り葉掘り訊かれた。

ぼくの方は、息切れがして苦しかった。

途中は、「うん」とか「そうじゃない」とかの応対になった。

ジョンレノンの「イマジン」の歌のこと言った。

「国境や所有もない、君は夢ものがたりというけど、いづれ世界は一つ

になる、この実現のために研究と実践してるんだ」

いま、横になりながら、言葉だけじゃなあ、という気持ちが湧く。

「人類はだれかが考えたことに、そんなフィクションを信じて

国や会社やお金が、実際にあるものと暮らしている。

だから、目の前のことをゼロから見直すなんて、思いもよらない」

「ポイントはフィクションだと、という点をはっきりさせることかな?」

ぼくは、しんどかったがこんなやり取りをNと国際電話で話した。

実際は、いろいろなやりとりがあったんだけど。

「もう今日ほこれぐらいにしよう」とNに伝えた。えにも不思議な

同級生との縁を感じた。

「遺言になっちゃたかなあ」

この言葉、Nに伝わったかなあ。

 

 

 

 

 

 


退院のあと

2018-01-19 14:24:00 | わがうちなるつれづれの記

寒さはいったん和らいだ。

退院のあと、自分の身体に起きていることに、ついていけてない

感じがする。

つねに胸の奥がムカムカしている。病院でも、それを

伝えていたが、心不全が起こす症状の一つという見解だった。

「先ず、不整脈が起きないことが今の治療です」と聞かされた。

不整脈が止まらなければ、死に至るところだった、と。

 

腹膜透析は、一日1回、夕方の4時に透析液1500ccを入れて、夜の

9時に排液する。5時間、腹膜のなかに入れておき、老廃物や水分を

抜くことになるらしい。

いまのところ、1500cc入れて、1800ccから1900cc出ていて

腹膜透析はまずまずのようだ。

 

今回退院して、いままでと違って感じるのが、立ちくらみや息切れ

が普段の暮らしのなかで、顕著になっているなあ。

服を着替えるにも、何回か息をつかないと、着れない。

坐っていて、立ち上がると、何かにつかまって身体を支えないと

次の動きに行きにくい。どうも血の巡りが足のほうにいくのに

時間がかかるようだ。

一番つらいのは、吐き気とともに、食べる際に食べ物が飲み込み

難く、実際には食べ物が出るわけではないが、その度に汁もの

やお茶で流し込む、といった感じ。

食欲そのものが出てこない。

小浪とも話し合い、喉を通りやすいメニューで工夫してもらって

いる。

冷たいお茶や水は、いっとき、胸苦しさ和らげてくれる。

 

実際にぼくの身体でなにが起きているのか。

どうも、心不全状態が相当すすんでいるらしい。

お医者さんでも、どのくらい進んでいるなんてのは、分からないし、

言えないだろう。

 

楽しみは、サイエンズスクールのブログやサイエンズ研究所の

ゼミやサロンのレポートをみることだ。

読んでいて、どういうことだろう、と立ち止まったり、しばらく

考えてたりするけど、どうも頭の世界でウロウロしているようだ。

 

心臓リハビリとして、一日20分ほど、散歩している。

ビヴァホームやベルシテイで、寒さを避けて歩いている。

足を使わないと、心機能も衰えていくらしい。

この先どうなるか分からないけど、しばらくは妻の世話に

なりながら、こんな暮らしかなあ。

 

これまでは人が訪ねてくれると、とても細胞が活発に働く

感じだったけど、今回は1時間も経つと、身体がえらく

感じる。

それでも、ときには話ししたいというのが気持ちだ。いろいろな

人と。

 

いま、感じていることをまとまりなく書きました。

いまは、こんな自分です。

 

 

 

 


振り出しに戻る

2018-01-15 12:28:16 | わがうちなるつれづれの記

今日は、小春日和のような日。

昨年12月はじめ、不整脈がひどくなり、三重大病院に入院した。

2週間ほど、薬の調整・除細動器やペーシングの設定の変更など

して、なんとか治まった。

以前から、主治医から薦められていた腹膜透析をすることにした。

12月後半は、お腹にチューブを入れる手術をして、経過を見て、

退院まで透析のやり方の練習をしてきた。

腹膜透析は、透析液を注入して、5時間ほどたったら、その液を

身体の外に出す。1500cc注入して、1600とか1800とか排液

できる。1500cc以上は体内の老廃物や水分が排出されたことに

なる。

それによって、心臓の心不全の負担が軽くなり、不整脈が起こり

難くなる。

いまの、ぼくの心臓は肥大型心筋症という原病があり、歳とともに

心臓の働きが落ちてきている。これは、止めようがない。

ガンとはちがうけど、心臓の働きが限界までくるか、突然、不整脈

など起こったら、そこで寿命を終えることになる。

それが、いつとは言えない。でも、どうも、あと数年というのが

主治医の見立てである。腹膜透析によって、どれだけ寿命を延ばせるか

である。

1月14日退院して、以前と同じ部屋だけど、何か新しい一歩を踏み出す

気持ちだ。

心不全の伴い、むかつきや便秘は日常のことになりそう。

スッカとした身体の状態ではない。

それにいつも気を使っていたら、そんな人生になるだろう。

どんな人生にしていくか、振り出しにもどって、はじめよう。

  世界中のみんなでしあわせになろう。

これから、はじめよう。

 

 


師走だよね

2017-12-01 17:55:19 | わがうちなるつれづれの記

わが家の南側の居間は陽射しが暖かい。

カレンダー見ていたら、なんか変。

昨日が木曜日・・・、ということは今日は金曜。

それは、11月にはない。

「おーい、きょうから12月かい?」と妻にことさら確かめる。

「そーよ」

「そうなんだあ」

 

昨年の今頃は息が出来なくなって、三重大病院に入院した。

カテーテルによる心筋のアブレーション手術が必要という

診断だった。

それから、一年、2017年は4ヶ月病院で暮らし、そのあとは

息切れや動悸、立ちくらみがふつうの状態になる暮らしを

してきた。

ほとんど、暖房の効いた部屋にいる。

一日1回の散歩も、いまは大型のハンターやベルシテイに

妻に車で連れていってもらい、休み休み20分ほど歩いている。

部屋にいるのが、楽だけど、動かなければ、ドンドン身体が

衰弱していく感じがしている。

 

ぼんやり部屋で過ごしていても、少ないなりに髪は伸びて

くる。耳もとにかかるようになると、落ち着かなくなる。

理容は、豪さん美容院。

午後3時、息子に車で送ってもらい、行ってきた。

部屋に入っていったら、娘桃子が鏡の前に坐っている。

毛染めに来たという。

たしか、いつかもバッタリ遭ったことがあった。

 

豪さんに娘と並んだ写真を撮ってもらった。

撮ってもらった写真の出来具合を見ていた。

「なんか、やっぱりお父さんに似ている。不思議な感じが

する」と娘。

「そりゃ、そうじゃないの?」と豪さん。

これまで、娘と出会った人が、そのあとでぼくが父だと

分かったとき、とても信じられないという反応をする。

ぼくが、「娘です」と紹介したときにも、「へえー」という

リアクションがあるときが多い。

自分でも、「そうかもしれないよな」と思ってきた。

娘のひとことは、意外だった。

すこし、むずがゆいような、すこし嬉しいといえばいいのか、

なにか慈しみのような気持ちといえばいいか、湧いてきた。

遠い生命の彼方からくる懐かしさのような。

 

最近、これで最後かもしれない、というものが、不意打ちの

ようにでてくるんだよね。