平成22年7月、歌人河野裕子さんは、、ガンが進行し、緩和ケア
を在宅ですることを選んだ。
その頃、詠んだ永田和宏さんの歌
相槌を打つ声のなきこの家に気難しく老いていくか
(平成22年7月31日)
<相槌>
エッセイ読んで痛切に感じたのは次の一節です。
「テレビなどで、伴侶の病気を「共に背負う」と言う言い方をするが
私にはよくわからない。病人の無念さ、寂しさを当人と同じように
担うなんて、到底できないと思う。河野が泣いて泣いて、私の
知らないところで繰り返し泣きながら、今の自分の状況に折り合いを
つけてきたのはよく知っている。そんな時にも、何にもしてやれ
なかった。苦しみや悲しみを、一緒に頒かちもったなんて、とうてい
言えない」
ドッキとした。自分の感覚からしたら、どういうことだろう?と、
出てきた。
何回か読んでみた。だんだん伝わってきたのは、伴侶の死はおそかれ
早かれやってくる、それは現実で、病院などで手を尽くし、すべて
やりきったあとの現実。それに周囲の人たちはどうにもできない。
永田さんは、正直に自分の心を見つめて、それを受容するしかない
状況をありのままに表現をしたのかな。
どう見てみても、そう言わずおれないもの。
事実なんだから。
そのことと同時に、そのような気持ちが「実は河野を失い、一人残される
<私のその後>への不安だと気づいて愕然とする。
ご夫婦はよく話したという。
裕子さんは、そのたびに「よかったわね」「それはすごいは」
と永田に相槌うってくれた。それが永田を安心させてくれ、それが
励みだった。
相槌の言葉のやりとりは、ただそれだけのことかもしれないが、
その間に通う愛情の発露を感じた。
事実はある。
そして、それとは別に関わった人たちの心情がある。
この発露は止めて止まるもはではない。
事実をはっきり見て、その上での気持ちは悲しみは一時は深くとも、
後には生きる力となって、その人のなかで生きつづけるのではないか。
今回は永田さんと裕子さんの夫婦のつながりの深さを感じさせて
もらった。
わが夫婦は、こんなつながりが、実際あるのかどうか、今は
語るべくもない感じがする。
とはいえ、普段のわが夫婦のやりとりが、いかにギクシャク
することがおおいといっても、実際の世界はどうなっているか、
「どうなんだろう?」と二人して、後になって自分を見ている
感じだ。
夫婦って、なんだろう?