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かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

風呂いす

2018-03-21 17:25:01 | わがうちなるつれづれの記

雨の日々。胸に吐き気があり、好きな雨の日も味わえない。

 

物に囲まれて暮らしている。

物なしに、暮らしは成り立たない。

物はただそこにあるわけではない。たくさんの人の気持ちが

かかわって、ここにある。

まわりにある物のなかに、毎日使うもののなかに、とりわけ届く

までの経過やそのときの背景が、心の内に記憶として、刻まれていて

使うたびに何か物として使っているだけでない気持ちが出てくる。

 

ある日、マンションのベランダから、牛丸純子さんが、風呂

イスを差し入れてくれた。

体調崩してから、風呂場のイスが低いので、不如意の身体には

すこしぎこちない感じがしていた。

「これまで使ってきたものだしな」「高いイスは子どもにどう

だろう」「なんか大きいと場所塞ぎになるかな」

しばらく、自分のなかで、なかなか言い出せなくて、なんとなく

日々過ごしていた。こんな習性が身に染まっている。

なんかのキッカケで妻に「風呂イス、高いのがあると、楽かな」と

呟いた。

妻は「そうだね」と反応した。

ぼくは、「でも、いろいろ考えるといいかどうか」とか煮え

切らない。

歩く目的でイオンタウンにある「ニトリ」で広い店内を

ウロウロしていた。

妻が、お風呂用具のコーナーで高い風呂イスを見つけた。

よさそうだったけど、「じゃあ、買おう」とならない。

しばらく、実際に坐ったり、妻と風呂イスについて、その

コーナーでいろいろ話し合った。

二人で一つの買い物でこんなに真剣になるのは面白いと

おもった。

妻は「これなら、近所に持っている人がいるかもしれない」と

行って、そのコーナーを離れた。

その後、妻がどんなふうにして、その風呂イスを探したか、

知らない。

純ちゃんが「今使ってるけどちょっと高くて不便なときもあるから、使うならいいよ」と

届けてくれたのだった。

高い風呂イスは楽だった。あんなにゴチャゴチャ考えていたのは

なんだったんだろう。あちこち探してくれた妻のエネルギー。

純ちゃん、「使ってくれて嬉しい」といような気持ちも伝わって

きた。

毎回、「よっこらしょ」と坐るとき、何かそんな背景が浮かんで

くる。

 脱衣所の椅子も研修所にあった介護用のものを岡部さんと秀ちゃんが届けてくれた。

風呂上がりに座って一息ついて着替えをしている。

 

 毎日使うものに、柄の長い木製の靴べらがある。

これのお世話になっている。

この靴べらについて、ぼくが勘違いしてきたことが分かった。

柄の長い靴べらをむかし、旅行に行った土産として、元同僚の

女性から贈ってもらった。そういうものが、欲しいと言ったか

覚えていない。とても、便利だった。

鈴鹿に引っ越しのときも、その柄の長い靴べらを持ってきた

つもりだったけど、妻がいうには「あれは、もういたんできたんで、

新しいものに替えといたんだよ」

そうだったのか。記憶だけが、一人歩きしていたことになる。

その靴べらを使うときは、そのむかしの気分が浮かんでくる。

 

こんなこと書いていたら、いつまでたっても終わらない。

最後に靴のこと。

10年前、靴の専門店で防寒靴を買った。

例によって、買うかどうか、迷っていたら、店員さんが、

「いい靴ですよ。息子に買ってあげたいくらい」と一言。

そのときは、ドキドキしながら買ったけど、温かいし、

履き心地もいい。気に入って、毎冬、愛用している。

「息子に買ってあげたいくらい」

その靴をはくたび、店員のお母さんが、息子を思う気持ちが

蘇ってくる。なんかそんな物をぼくが履かしてもらっている!

みたいな気持ち・・・

 

物は、人の心とともに、活かされているいるんだろう。

 

 

<吐き気が治まらない。パソコンをやっているときは、少し

気分がまぎれる。そのために、書いている?>

 


残寒や息切れ切れの身われなるか

2018-03-14 16:46:37 | わがうちなるつれづれの記

先週末から、息切れ、むくみ、吐き気で横になっている日が何日か

続いた。

 

日々の食事が気合を入れないと食べられない。

口に運び、嚥下するのに苦労する。楽しいはずの食事が、荒修行のようだ。

その1週間ほど前、週一回の三重大学病院の心臓リハビリに行ったとき、

担当の医師に相談した。

あまり苦しいから食べられるだけにしていたら、脚がヨタヨタするし

声もかすれて力が入らない。

味の濃いものや、食べたいと思っているものなら、喉を通るかも、と

呟いたら、「今は、塩分制限より、先ず食べられるもの食べて、元気を

つけることがいるかも」と担当医。

そのあと、栄養指導室に相談したら、同じことを言われ、カロリーが

足りなくなっているときは、”カロリーメイト”という栄養補給剤を

市販で売っているので、それを飲んだらいいですよ」ということ

でした。

塩分制限で、食べていなかった、ラーメンを妻と食べに行った。

「スープがどんなにおいしいか」と期待していったが、口の中が

乾いているのか、旨さを感じない。翌日、他のラーメン屋さんに

行ったが、やはり同じ感じだった。

味が濃いものを食べたが、喉を通るとき吐き気があり、ただ濃い

だけでは食べにくい。

寿司とか、お稲荷さんとか、酢が滲みているご飯は、まだましだった。

食事の楽しみは、飲みこみ飲み込みして一応ある程度食べ終わったとき

氷の入ったお茶を一気にゴクンと飲み込む。これが愉悦。

ただし、水分制限もあって、ガブガブ飲めないんだけど。

 

一週間ほどそんなことしていたら、身体が重い感じになり、足とか

顔にむくみをかんじるようになつた。

散歩に行っても、少し歩くと息が切れて、すぐに坐リ込む。

10分ぐらいは続けて歩けていたのに、大きな変化だった。

 次の心臓リハビリに行ったときそんな症状を訴えたら、「ある程度食べられて

いたら、塩分を控えめにすることをやったほうがいいでしょう」という

ご意見でした。

たしかに、この一週間、家族の食べるものを食べられる範囲で食べて

いた。スムーズに喉を通ったわけではないが、やってみた。

そうかどうかは定かではないが、塩分はぼくの身体では、微量でも

心臓の負担を生み、すぐ、むくみや息切れとなって現れてくるようだ。

塩分は、水分を心臓にためてしまうらしい。

 

しばらく、妻から「今日は何食べたい」と聞かれて、思いつきで

答えていたが、最近はそう聞かれると返事に窮する。何食べても

そんなに変わらないし、メニューを知っているわけでもないし、

自分が食べたいものが、食べられるものでもない。

妻と話あった。

「しばらく、用意されたものを食べる。食べられるだけ食べる。

残すものも出るかもしれない。それでやってみたい」

妻はいろいろ考えながらやっている。

こんな勝手な話も、一応「そだね」にしてくれた。

 

ここ2,3日は食べるとき以外、吐き気が少ない。

しばらく、パソコンのインターネットがつながらなくなり、体調も

良くないし、開いていなかった。

それが、今日、なんの弾みか動き出した。

 

身体に変調を感じるとき、「ああ、今こんな状態なんだな」と

言い聞かせながら、「なんで、こんなになったんだろう」という

気持ち、正直湧いてくる。

 

梅林に梅を見に行ったときがある。

陽射しは暖かだったけど、風がとても冷たかった。

歩くのも、息切れがはげしく、ままならなかった。

ほうほうのていで、車に戻った。

梅林で一句ひねりたかったがそれどころでなかった。

 

  残寒や息きれぎれの身われなるか

 

 

一日、排便にもてこずっている。おなかが張っていて、出そうで出ない。

前日の夜、下剤を飲んでいるが、ときどき出るが、いまは気張っても

出ないとき多い。あんまり、苦しいと妻に浣腸してもらう。

お尻を出して、浣腸の容器の先端が肛門に差し込まれる。

気持ちの良いものではない。それでも、2,3分して催してきて、トイレに

駆け込み、詰まっていた便が排泄されるのは気持ちいい。

考えてみると、一日食べることと、出すことに明け暮れている。

生きもののはじまりの状態や、生きものたちの姿が身近になっている。

他の、生き物と人間は、どこがちがうんだろう?

 

 

 

 

 

 


友人からの贈り物

2018-03-09 11:31:09 | わがうちなるつれづれの記

東京の友人から詩集と手紙が届いた。

友人は、いま老舗出版社の社長。大学時代の同級生。

ぼくのブログを読んでくれていて、症状を受けとめようと

してくれている。

自身も年来の喘息が酷くなったきて、夜の苦しさに悩まされて

いるようだ。息の出来ない苦しさは言葉に表せない。

 

山折哲雄さんの「私の履歴書」のコピーが同封されていた。

最近のもの。一昨年12月、心臓に不整脈が起こり軽い脳梗塞で

倒れたという。消化器系の病気は重ねてきているが、心臓の

病ははじめてだそうだ。

そのときの感覚を書いている。

「吐く息、吸う息が何となくたよりない。まるで残りすくない

ローソクの火が、少しづつ細くなり、そのまますーっと消えて

いくような感覚である」

たしかに、心臓の機能が終焉を迎え、だんだん食べられなくなり、

死んでいくという姿は、想像できなくない。そうあれば、とも

思っている。

山折さんが、そんなとき「自分はなんと多くの重苦しい荷物を

抱えて生きてきたことか]、と述懐している。

ここは、死に面したときだけのことでないようにちらりと思った。

 

贈ってもらった詩集は久保克児(女性、一昨年亡くなっている)さんの

「ある日 人は鳥になる」(春秋社)という題名。

前にも、同じ著者の「こころ菌」という詩集を贈ってもらっている。

友人はこの人の詩から響くものをずいぶん受けているようだ。

ぼくも、何回か読むうち、こころに残ったことがある。

それぞれの詩に、葉祥明さんが詩が引き立つような情感豊かな

挿絵が描かれていて、これもすばらしい。

 

最近、あれっと気づくことがあった。

人は、「聴こう」とか「聴けない」とか、「聴いてもらえない」

いとか、「聴かなくちゃ」とか忙しいけど、もともと人は

すべてのモノゴトを聴けるように出来ている?

 

詩集に「耳をたてて」という作品がある。

   耳を立てて

   幼な子よ

   君は何を聞く

   ツーイ ツーイ ツーイ

   みそさざいだ

   あの美しい声は

   ルリビタキかな

   友だちが君を呼ぶ声

    

   耳を立てて

   聞こえてくるものみんな

   大人たちのヒソヒソ話も

   何もかも

   聴きとってしまう

   幼な子の耳

   誰にでも幼ない日があった

   母よ

   はるかな日びがおもわれますか

   父よ

   幼な子のやわらかなこころが

   おもわれますか

   十年は

   あっという間です

 

人は、本来、ここからはじまっている。

これを「知ったら」、重荷を背負うこともなく、「人は鳥になり」

空を自由に飛びまわれる。

 

久保克児さんは「法華経」を読み解きながら、神通力の章を

こんな受け取りをしている。

   

   光輝くものって仏よね

   だから つまり これってね

   お釈迦さまと諸仏たちが

   それも短くない時間 語りあったということ

   ではないのかしら

   円くなってお互いの顔を見ながらね

   人間の本来を生きる

   人間の本当を語りあったという   

   そういうことではないかしら

                  (「神力」の章から)

 

作者久保さんは、法華経を経典としてだけでなく、人と人が

日々暮らしている実際の本当の姿を見つめていたのじゃな

かったかなあ。

話し合うには、「聴く」の本来の姿を知ってから。

これは、ぼくの受け取り。

一人では、見出せないもの。

 

 

友人とは、なんだかんだ長い付き合いだ。

どちらが、先に逝くか分からないけど、とても温かい贈りもの

をいただいた。

 


雛祭りの前日

2018-03-03 14:41:06 | わがうちなるつれづれの記

春の明るさだけど、外に出ると寒い風でちぢみあがる。

3月2日は、ぼくの誕生日だと聞かされておおきくなってきた。

2と3について、小さいときからどっちか分からなくて、

どうだったかな、と一呼吸入る。雛まつりの3日とあまり

区別がついていなかったからか。

娘の誕生日は、12月22日だけど、毎年「22だっけ、23じゃ

ないよね」と妻に聞いている。

孫娘は、1月23日で、123と覚えればいいだけど、どこかに

「22日じゃないよな」とたしかめる。

 

2日の朝、地元の病院に出かけた。

これまで、ずっと大学病院一筋だったが、身体の変調があったり、

相談したいというときは、敷居が高い。

最終章をどう暮らすかも含めて、近くにかかり付け医ができればなあ

と、医師と仲良くしたいと、通いはじめた。

吐き気でご飯が飲み込めないとか、便秘で苦労しているというと、

いろいろ症例など説明してくれて、薬を処方してくれる。

大学病院とは違う感じ。きめ細かい。

いわば薬漬けの身体だけど、まあやれることはやってみようと

いう気持ち。

 

診察のあと、梅を見に行った。菅原神社。

車のなかは暑いくらいだけど、降りて歩いて見ると、冷たい風に

あおられて歩けない。

梅は蕾が多く、見ごろはもう少し先だろうな。

早々に車に引き上げた。

 

午後、片山弘子さんが顔を見せてくれた。

なんか、やたら懐かしい気持ちが出てきた。

彼女は、アズワンネットワーク、<世界中のみんなとしあわせに

なろう>という熱い願いで、国内のみならず、世界各地の運動家

や学者さんと親しく交流している。

各地の願いをともにする有志の人たちと出会い、それらさまざまな

活動家とともに、<争いのないしあわせな社会>この世に実現したい

と奔走している。

「最近やっていて、自分が関わる人との間に境をつくっていないか、

振り返りながら暮らしているの。世界が一つになるのには、まず

自分の中にに分け隔てがあってははじまらないものね」

短い時間だったけど、ぼくにできることは少ないけど、自分が世界に

広がっていく、豊かな気持ちになった。

 

 

横になっていると、元気よく後輩の恒太くんが飛び込んできた。

「部屋のなかで筋トレできる自動あし漕ぎ器をもってきた」という。

恒太くんは、自分で実演して、分からぬながら使い方を伝えてくれて、

「お役に立てばいいんだけど」と言って、風のように去っていった。

オークションで探してくれたそうだ。気持ちはありがたい。

おいおい、使えるようになればいいんだけど。

 

 

今日の晩ごはんは、お稲荷さんとのり巻き。

これなら、ぼくの喉を通りそうと、つぶやいたからね。

娘が夕方きて、お稲荷さんの油揚げに酢めしをつめた。

妻は、のり巻きを巻いた。

ぼくは、その二人をぼんやり見ていた。

二人は、手も動かしているが、口もたえず動かしていた。

軽くて、楽しそうに見えた。

 

出来あがって、食卓の上を見たら、ぼくから見たたらやりすぎ

のメニューに思えた。寿司のほかに、茶碗蒸し、サラダ、

はまぐりの吸い物、手羽先のから揚げ、チキンかつ。

茶碗蒸しとチキンかつは娘が用意した。

孫娘風友(高1),弟晴空(小5)、それに40過ぎた次男。

山盛りの食卓を食べ尽くしていった。

ぼくが食べて美味しいということより、孫たちの食べっぷりが、

見ていて、わがことのように心地よかった。

 

食事が落ち着いたころ、娘が花束をもってきて、手渡してくれた。

ピンクと紫の可愛い花の束だった。

それを持って、妻と写真をとってもらった。

何やら、顔が緩んで、心が晴れやかになった感じがした。

ときどきは、ふだんもお洒落もいるかも、と思った。

 

食後の孫たちと娘(ママ)とのやりとり掛け合い漫才のようで、

久しぶりに大笑いした。

孫娘「ママ、タバコすっているでしょ?」

ママ「吸ってないよ」

孫娘「この間、おふくろさんの店の奥で、誰かと吸っているの見たもん」

ママ「そうか、1週間に1本ぐらいかな」

孫たち「そんなじゃ、きかないとおもう」

ママ「それでも、いっしょに吸う人がいるときだけね」

孫たちは納得しなかった。

ママ「そういえば、小学生のころ風友が学校でタバコ吸っていると、

命が危ないと聞いてきて、ママ、タバコやめて!って、泣いたこと

あったなあ」

実に親しみもこもった、息のあった屈託のない掛け合いだった。

 

孫たち同士も学校で様子をしゃべっていた。

孫娘は、3月友だちと二人だけで、泊りがけで京都にいくのだ

そうだ。「楽しみ」というのが、満面にあらわれていた。

 

片付けは、妻と娘でやっていた。

手を動かしながら、おしゃべりが軽妙にとどめるものがない感じで

行き来している。

妻は娘といるときは、何かしら軽い話し方になり、いつも見せない

表情を見せる。娘も、何も気を使わないように、妻との話に

乗っている。楽しげだし、気持ちがほぐれている感じ。

 

雛祭りの前日は、こうして暮れた。

翌日、長男太郎から、ラインで10月に生まれた長男「裕大」の

写真を送ってきた。

めったに、近況はよこしてこない。

娘桃子が、何かいったのかもしれない。

いかにも太郎らしい反応だと思った。

裕大くんは、その頃の太郎を彷彿とさせる。

 

 

 


腹膜透析

2018-02-09 16:41:51 | わがうちなるつれづれの記

腹膜透析は、一日1回、夕方4時に透析用の液を注入し、夜9時

排液する。液は1500ccを入れ、出すときは1900ccぐらい

でる。増えた分は腎臓の老廃物や腎臓が処理できなかった水だ

そうである。

それによって、心臓の機能が極端に低下してくると、全身に血液

がまわる分が少なくなり、各種臓器にもいろいろな障害がおこる

という。

今現れている身体の現象、息切れ、立ちくらみ、吐き気、便秘なども

その影響らしい。

腹膜透析をしたから改善するかと、すこし期待したが、それは

変わらない。やはり、心不全がこれ以上悪化して、再び不整脈が

起きないようにできたら、まず成功という事のようだ。

この一年の間に、歩けていたのが、今は杖が必要となってきた。

吐き気もずっと、胸の当たりにわだかまって食欲もないし、食べもの

を飲み込もうとすると、吐き気が込みあがってくる。

だんだん自分でやれることが少なくなるし、「ああできていたのに

いまはできない」みたいな気持ちがふと、出るくるときがある。

自分では分からないが、心臓の現状というのがあり、それにあわせて

働いているのだろう。

そういう現状を受け入れようとしているが、それはできているかどうか。

吐き気が強くなったりすると、早く治まらないか、とただそれだけに

気持ちがいく。

何日か前、あまりにひどい時があり、たまりかねて近くの内科に

「どんなことが起きてるでしょう?」と聞いたが、それはどうしよう

もないと」と言われた。吐き気止めの薬をもらって飲んだ。少し、ましに

なった。

ぼくの行動は妻小浪がいなくてはできない。病院はもちろん、

部屋のなかでも、不如意なところは、手を貸してくれる。

一日中、ぼくのそばにいてくれる。

腹膜透析の際も、衛生面や管をつなぐ手技の手順など、細かく

注意してくれる。

便が出そうででないときなんぞ、座薬をいれてくれる。

夫婦といえ、はじめは恥ずかしかった。が、そうもいってられない。

これが実際かな。

一日中、ぼくのそばに居てくれるとぼくは思っているけど、妻も

いろいろやっている。孫の世話とか、買い物、書類の申し込みなど。

「ときどき、一日どこかでゆっくり過ごせる日があったらいいんじゃ

ないか?」といったら、「今はそんなことしなくても、いい」と

いうことだった。

もう少し、疾患が進めば、介護の必要になるだろう。

そのときは、妻だけでなく、いろいろな人の世話になるだろう。

いつからとは、いえないが、疾患とともにくらしていくほか

ないのかなあ、これが「言い聞かせているのか?」実際に

そくしていこうと、してるのか、すぐには分からない。