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かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

ツバメの巣立ち

2018-07-01 17:03:57 | わがうちなるつれづれの記

7月1日、わが家の軒下で親ツバメが子育てしたが、

どうも子ツバメ6羽と親ツバメたちは巣立ったようだ。

巣をつくるときも”挨拶”なかった。

巣立つときも、「出かけるよ」とは言わなかった。

 

5月の15日ごろ、わが家の軒下の排気口の上に、巣をつくり

はじめた。妻がどうしよう、と言っていたが、ツバメはもう

ここだと決めているようだった。

 

その日からその居候はわが家の一員になった。

巣は1週間程度で完成した。

夫婦のツバメは、昼間はほとんど巣には居なかった。

空をみあげてもそのツバメが探せなかった。

夜は、夫婦でかえってきているようだった。

 

5月末、卵を産んだようだった。

息子が軒下と排気口の狭い巣にスマホを差し込んで写真を

撮った。なんと6個の卵があった。

依然として親ツバメは昼は巣に帰って来ない。

夜は、どうも卵を温めているようだ。その様子は分からない。

親ツバメが巣のまわりを回っているのが分かるようになってきた。

 

20日間ほどたったころ、ヒナが大きな口を開けて、親にエサを

求めているのが、はっきり見えた。

卵が孵ったのだ。

毎日、玄関を出入りするときは顎上げて、上を見た。

正直、いまのぼくにはつらい姿勢だ。息が苦しい。

親ツバメは、巣のまわりを繁く旋回する。

エサを与えるところ見たかったが、人が近くにいるときは巣の

そばまでいくが、与えるところは見せてくれない。

 

夜は、親ツバメは巣が小さいためか、隣の排気口の上に一羽ずつ

止まって、子ツバメに寄り添っていた。

6羽いるヒナたちにどうやってエサを、万遍なく給餌しているの

だろう。

聞いた話では、腹を空かせたヒナは前面に出て、口を開けるのだ

という。

また、ある観察では、ツバメの親は一羽一羽の育ち具合を見てエサの

加減をしているとか。

そうとすれば、かなりのものである。

 

ヒナがずいぶん大きくなってきた。

巣の上にのっているやつもいる。

「もう、巣立ちかな」と思っていたら、その様子を息子がスマホで

撮影しようとしたら、一斉に巣から飛だしたという。

あっけないものだなあ、と思っていたら、いつまでも親ツバメが

巣のまわりを旋回して、離れない。

巣の中をみたら、一羽飛べないやつがいた。

 

隣のアパートのご主人、ふだん顔を合わせても、ほとんど反応が

ない、コワモテに感じていたんだけど、そのときばかりは「まだ、

ヒナがいるんだろう!」とフェンス越しに声をかけてきた。

びっくりした。ご主人、人知れず、ツバメの巣立ちを見守っていた

らしい。ほっこりした。

 

残された子ツバメは何日か親ツバメに見守られていた。

夜には親ツバメがつねにそばにいた。

そのうち、その子ツバメ、巣の淵につかまって、飛びたつ

姿勢になっていた。

「巣立ちかな」思っていたら、今日の午後は巣は静まりかえって

いた。親ツバメも旋回しなくなった。

「後れている人(ヒナ)は吾が子です。吾子に与える喜びの自分を

発見するのです。私の持っているなけなしのものも、はやくもらっ

ほしいです」

そんな一節を思い出した。

 

わが家の住人はすべて巣立った。

あとは、どこかの電線に家族で

寄り添い、エサが自分でとれるようになるまで親の世話に

なるらしい。

 

なにか、心にポッカリ穴が開いたようだった。

毎日、ツバメたちと暮らしていたのかなあ。

 

 

 


眠られぬ夜

2018-06-25 17:50:23 | わがうちなるつれづれの記

梅雨に入ってから、かれこれ20日ばかり、夜3時過ぎまで眠れない。

5時ごろまでというときもある。

ある日、足の小指からふくらはぎにかけて、ピクピクと痙攣が

起きた。両足でおきる。

起きると、寝ていられない。坐る、痙攣は止まる。

ベットに坐って、ふくらはぎをマッサージをする。それでも止まらない。

3時過ぎると、坐っていても、睡魔に襲われ、そのままベットに横に

なるが、またヒクヒクとふくらはぎのあたりが痙攣して、眠れない。

寝たり起きたりを繰り返しているうちに明け方になる。

 

午前中がつらい。ボーッとしている。1時間ほど、眠ってみるが、

起きても、何かできる状態ではない。

近所を歩く。歩いても、息がきれる、

 

大学病院のリハビリ部に毎週月曜日通っている。

医師に相談したら、漢方薬を処方してくれた。

1週間飲んでみたが、効果なかった。

 

たまりかねて、近所の接骨院に行ってみた。

「この症状はここでは見れない」とあつさり、宣告された。

「こういうことは、誰かにやってもらうのではなく、自分が

良くなっていこう気持ちがなければ、直らない」と言われた。

「そうだな」と思った。

歩き方も、下向いて、のそのそ歩くでは、ふくらはぎに筋肉が

付かない。もっと、大きく足を踏み出して、歩いてみるといい

とアドバイス。

 

そんな簡単に改善するものではないらしい。

地域のかかりつけ医の玉田さんに相談した。

「あなたのは、”こぶらがえり”ではない。不安や緊張をゆめる薬を

飲んでみて様子を見ましょう」

もう、これ以上薬は勘弁してほしい」と思った。

2週間ほど、様子見てみましょうということで、納得した。

 

6月23日、梅雨らしい雨が降っていた。

この日の午後「介護は新しい文化を創造する」という公開講座が

あった。

講師は水谷裕哉さん。小山田記念病院で理学療法士をしている。

30代の青年。

 理学療法士といっても、守備範囲は広い。

予防、回復、維持、緩和ケアとあるという。

緩和ケアに理学療法士がかかわっていること、はじめて知った。

「理学療法といっても、まず患者さん自身が、飛行機の操縦管をにぎっている

主役は自分だという意識が欠かせない」とした。

このような話はあちこちで聞いてきたが、水谷さんの話には

現場の体験からにじみ出る実感があった。

 

今回は、緩和ケアの理学療法の体験談をいくつか話してくれた。

どの実例でも、死期を目前にした人の、その生き方に触れている。

「患者さんは、もう何も出来ることはなくなる。

それでも、身体や気持ち、意思、生き方はそこに現れる。

そのとき、そのときの生き方が出て来る」

 

患者に寄り添うということは、いつも聞く言葉だ。

水谷さんの体験談には、一人ひとりのその人の内的時間にまで

寄り添ったという実感に裏打ちされていた。

水谷さんは、話しながら、一人ひとりの看取りが再現されてくるようで

思わずこみ上げてくるものを止められなかった。

彼はそのようなを体験を淡々と語ってくれた。

それだけに心に響くものがあった。

 

「介護は文化を創造する」というタイトルそのものかなと思った。

介護は、人に、その人の時間に寄り添うことである。

医療や看護、関わった人たちも、それを願っている。

そこに焦点を合わすということは、死期を迎えた人たちにたいする

ことというより、われら人間社会の基盤となるものではないか。

 理学療法という枠を越えて、周囲の人たちにそのような気風が届き、

そしてそこに患者さんとの共鳴を生み出されるのか。

 

どんな死に方をするかと、つい一人で考えている。

こんなこと、人に話してもどうなるものでもない。

どこかで、こんな身体の状態になってしまったから、どうしよう

もない、という気分がありそうだと気づいた。

死期をを知った人は、水谷さんの体験では、必ず周囲の人たちの

幸せを願っている。

自分の、死に向かう生き方をもっとその時、その時、真剣に考えて

いきたいと思った。

自分の人生なんだから

 

途中で退席した。

雨は振り続いていた。

 

翌日、妻の兄上が来訪された。

岐阜で鍼灸院を開設している。その日は、ぼくの状態を見に来てくれた。

いろいろな手技を伝えてくれたが、いっぱい話してくれたなかの

趣旨は「自分で、いまをよく生きたいと思わなかったら、なにをやっても

効果はない」

耳が痛かったが、そうだなとおもった。

 

足のピクピクはこれからどうなるか分からない。

 

今朝、スクールブログで野尻四郎さんのいまの心境が書かれていた。

全身にがんが転移して、何年も抗がん剤治療をしてきたが、最近

癌の進行が止まったようだ。71歳。

散歩も出来る。

田んぼを歩きながら、湧いてくること。

「私の田んぼの広さに驚いた」

「安心、安定の境地が私の住まいです。完璧な暮らし」

 

野尻さんの語り口は、達観した人からでてくる、言葉のように

読めた。

それが、実際出来るかどうかは別にして、そういう境地が死の

目前に現れてくるのだけでなく、日々そのように観えるかどうか。

今にかかっているんだろうな。

 

(今日は少し体調がいい。なんとか書いてみた)

 

 

 

 


軒の燕 つづき

2018-05-17 11:04:51 | わがうちなるつれづれの記

一日中、巣を留守にしていた番の燕は、夕食時には帰って

きていた。

一羽は完成した巣にすっぽり入り、もう一羽は隣の換気口の

上に留まっている。

お互い、顔は差し向かいである。

 

一日どこで、なにをしているのだろう。

子どものころは、街でも燕が飛び交っていた。

地面すれすれに低空飛行したかと思うと、次の瞬間は空に

舞い上がっていた。

カッコいいと思ったんだろう。燕のように飛ぶ紙飛行機を

好んで作っていた。

 

最近は街では燕、とんと見かけない。

わが家からすこし離れているが、伊勢湾に向かって水田が

広がっている。

もしかしたら、そこで食料の虫とりをしているのか。

巣で卵を抱く、気配はない。

 

昨日も巣から早朝にでかけて、一日もどってこない。

夕餉を終えて、軒を見に行くと、番の燕がそれぞれ、所定の

場所にいる。

「ここで、産卵するかなあ」楽しみにしている。

やさしい気持ちになる。

 

    晴天や日がな留守居の燕かな

    いくたびも見上げて見るや燕の巣

    夕餉どき番で帰宅燕かな


軒の燕

2018-05-15 16:42:51 | わがうちなるつれづれの記

 

 

ここのところ、新緑のころとはいえ、夏日のような日が

つづいている。

散歩コースの川俣公園の樫や椎も少しづつ若葉に変わり、

枯れ葉を落としている。

落ち葉を集める軽トラックがあって、おじさんが集めていた。

そこまでするのかあ。落ち葉のない公園。

 

散歩以外はほとんど部屋のなかで暮らしている。

テレビの脇に、薄紫と白い可憐な花が、可愛い花瓶に二輪差しで

置かれてあった。

妻は、偶に洒落たことをする。気持ちがやわらぐ。

二輪差しがあるのと、無いのとではそこの世界がちがって見える。

そこに、在るというだけで、世界が変わるんだとおもった。

 

 

今度は、「ねえねえ、玄関に燕が巣をつくりはじめた。どうしよう」

聞いてきた。

「へえ」と懐かしい気持ちになった。

それも、わが家の軒下に、かあ。

妻は、巣の周りがフンで汚れることを心配したのか、出入りする

燕を追い払おうとした。

「燕ほもう、ここと決めているらしく、巣作りをやめないのよね」

 

玄関にでて、換気扇の上を見たら、確かに2羽が出たり、入ったり。

つがいの燕。

人を危険視してないんだよなあ。

どこかで、人のそばにいたら、安全・安心という認識が代々

伝わっているのか。

人が人を危険視する世界とは異なるようだ。

ある夜、妻が「居るわよ、いるわよ。巣の中に」とレポートしてくれた。

「写真とっておくか」

妻は、夜中に燕の巣に、自撮り棒につけたスマホで燕を撮った。

少し巣が小さく窮屈そうである。

子どもができたら、どんな感じになるのか、心配している。

 

翌日、巣を見に行ったら、もぬけのから。

留守が気になるのである。何度も見上げた。その度に、目まいに

おそわれる。

それでも、家族の一員を受け入れたような感覚でいるらしい。

そこで暮らしてくれることに親しい気持ちが湧いている。

 

    巣をつくりわがもの顔の燕かな

 


新緑の季節を迎えて

2018-04-29 11:02:58 | わがうちなるつれづれの記

1ヶ月ぶりに退院した。

入院した3月30日ころは、陽射し春の暖かさなのに、風がつめたっか

かった。パッチもはいていた。

これからは、新緑が映えていくことになるだろう。

 

ほじめは、心房粗動を植え込まれた除細動器を人為的に電気ショックを

起させて、粗動が止められないか、4,5泊の入院の予定だった。

電気ショックでは止まらないことが分かった。

「粗動とは、付き合っていくしかないね」という結論だった。

 

この間に腎臓透析の排出液に細菌があることがわかった。

「腹膜炎に罹った」と告げられた。

3週間、抗生剤を透析液に入れ、錠剤の抗生剤をのむことに

なった。

「わあ、3週間か!」ちょっとたじろいだ。

 

病院の腎臓患者用の食事がどうも合わなかった。

つねに吐き気があって、喉のとおりが悪く食道をとおっても、

胃に下りたものが、吐きはしないがまた戻ってくるような

苦しさがあった。

「食べなかったら、衰弱していく」やっと、食べていた。

あるとき、食べたものが胃から吐き出すことがあった。

 

そのあと、ご飯を5分粥からはじめて、7分粥にした。

特別食になり、味があまり感じられないおかずや副菜が

出てきて、毎食食べるのに苦労した。

これぞ病人食じゃないか思った。

よかったのは体重が59.9~60.5ぐらいで推移しはじめた。

身体はすこしフラフだけど、つねにあった吐き気が、気がついて

みると無くなっていた。

吐き気がないことは、自分にとって平和だ。

本が読めるし、何か出来るという気持ちも出てきた。


腹膜炎は、菌が無くなったというので、ひとまず治療終了。

退院できた。

 

退院の日の昼、お蕎麦を食べに行った。

病院食から、いきなりお蕎麦なんて食べられるだろうか。

麺つゆは、つゆの入れ物の3ミリぐらいにした。

蕎麦はさっきぽにすこしつゆを付けて、食べた。

蕎麦の喉をとおった。蕎麦のほのかな味。

天ぷらはエビだった。「いけるかな?」

食べてみると、サクサクでつゆをつけなくともエビの甘みが

感じられた。こんな感触はいままで、あったかな。

 

夜は仙台の友人たちが作った餃子を食べた。

美味しいと思う。

この餃子は入院中、友人の寄せ書きとともに贈られてきた。

 

塩っ気がほとんど感じられない病院食から、少し開放された

感触があった。

 

翌朝、体重を測ると60,75になっていた。増えている。

昨日は60,40だった。

担当医から、ぼくの場合、心臓、腎臓の働きからみて、体重は

60,0~61,0の間で調整するのがいいかな。許容範囲がせばまって

しまうけど」と聞いている。

 

新緑の5月を迎えようとしている。新緑の季節が好きだ。

少しは、ゆったりとこの時期くらしたいなあ。

できれば、平和に・・・

 

(入院は、3/3ではなく3/30でした)