 |
街場の教育論 価格:¥ 1,680(税込) 発売日:2008-11-15 |
街場の中国論、街場のアメリカ論に続く
街場シリーズの最新刊
「街場の教育論」
昨年までは、教育再生や教育改革など
「教育」がブームだったのに
最近はめっきり下火になってしまい、
そんな中で、「教育論」の本を出すのは
「祭りの終わった神社の境内に
ひとりでたこ焼き屋の屋台を出してる感じ」だそうです。
(本人の弁です。)
でも、とても大事なことがことが
たくさん書いてあります。
目指したところは・・・
「学校の先生たちが元気になるような本」!
結局、教育に関わる諸問題を解決するのは
現場の教師しかいないからだそうです・・・。
●教育というのは
「差し出したものとは別のかたちのものが、
別の時間に、別のところで戻ってくる」システム。
(時は金なりの「ビジネス」とは、システムが違う。)
●「義務教育」とは、
子どもたちを親による収奪から守るためのもの。
(PTAというのは、特異な組織で
アメリカと日本以外の国にはない。)
●「学び」とは、「離陸」すること。
「私はこんな人間だ」と規定していた
「決めつけ」の枠組みを上方に離脱すること。
●教師は、言うことなすことが
首尾一貫していてはいけない。
(子どもの成熟は、「葛藤」を通じて果たされる。)
●「親も先生も結局、言っていることは同じく俗だ」
という結論に子どもたちは達する。
達しなければ困る。
それが成熟するということ。
●教師の仕事は、「学び」を起動させること。
そのためには教師自身が
「外部の知」に対する欲望に
灼かれているころが必要。
●「集団を形成すること」と「個体として孤立すること」の
二つの要請を同時に受け、深い混乱のうちにあることが
「いじめ」という病態の根底にあるのではないか。
●消費単位を細分化するために「家族解体」を掲げ、
自己決定できる「消費生活」の素晴らしさを謳いあげ、
「自分らしさ」とは、つまるところ「商品購入のことです」と
20年間にわたって宣伝してきた企業経営者が
「他人と共同して労働できない若者」を
作り出したのではないか。
●日本の教育プログラムに欠けているのは
「他者とコラボレーションする能力」の涵養。
●教育の現状は、私たち日本人全員がコミットして
作り上げたある種の「作品」のようなもの。
われわれ全員が犯人なので
全員が自分の犯した分について
自分の割り前だけ汗をかかなくはならない。