風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ロンドン五輪・ボルトは強かった

2012-08-11 00:50:05 | スポーツ・芸能好き
 陸上男子100メートルと200メートルで、下馬評どおりウサイン・ボルト選手が金メダルを獲得しました。下馬評・・・と言っても、今年7月、オリンピック代表選考会を兼ねたジャマイカ選手権の100メートル決勝では、もともと上手くないスタートで輪をかけて出遅れ、昨年の世界陸上100メートル決勝でフライングを犯したとして失格となった記憶が蘇り、フライング恐怖症に苦しんでいるのではないかと噂されましたし、200メートル決勝ではスタート自体は悪くなかったものの後半に逆転を許すという、見ようによっては更に悪い内容で、2種目とも若手のヨハン・ブレークに敗れる波乱があり、「五輪で伝説を作る」と宣言していたボルトを本命とすることを疑問視する声が出始めていたのもまた事実でした。ところが、ロンドン入りしたジャマイカのある陸上関係者がインタビューで「ボルトは怪物だから」と、格の違いを強調していた通り、圧倒的な強さを見せつけました。
 そんな無敵に見えるボルトにも泣き所があるようで、脊柱側湾症という、背骨がS字状に湾曲する障害を抱えていることが北京五輪後に発覚したそうです。トレーニングが度を超すと膝や腰を痛めやすいのはそのせいだとされていますし、肩を交互に大きく上下させて進む規格外のフォームは、右側の骨盤と肩が下がっている体の“骨格”に起因する可能性が高いとされており、背骨を補正する努力を重ね、片側のシューズにクッションを入れているのも左右差の矯正が狙いとされています(産経新聞)。ジャマイカ選手権の不振はこの障害のせいのようですし、今回の200メートル決勝でも、最後に力を抜いて流さなければ好記録が出ただろうに・・・とがっかりした人が多かったと思いますが、実際に自身の世界記録(19秒19)更新の予感もあったようですが、「直線に入った時に少し背中が痛んだから、抑え気味にした」と安全レースを選択し、終盤はあえて減速したのだそうです(毎日新聞)。
 それにしても、ジャマイカ勢は、100メートルでは男子が金と銀、女子は金と銅、200メートルでは男子が3つのメダルを独占、女子は銀、というように、北京大会あたりから、男女ともに短距離や4X100メートル・リレーでジャマイカ選手の強さが目立つようになりました。確かに最近になって目立ちますが、ジャマイカ人はもともと短距離には強いようで、男子100メートルの世界記録は、2005年6月に9秒77を出したアサファ・パウエル以降ウサイン・ボルトとのジャマイカ人二人が独占していますし、もっと言うと、1996年7月に9秒84の世界新記録(当時)をマークしたドノバン・ベイリーも、また、1988年のソウル五輪で9秒79の驚異的な世界新記録(当時)を出してあのカール・ルイスを破ったのも束の間、競技後のドーピング検査で陽性反応が出たことで世界記録と金メダルを剥奪され、ギネスブックには「薬物の助けを得たにせよ、人類が到達した最速記録」として但し書き付きで記録が掲載されたベン・ジョンソンも、カナダ国籍を取得していたジャマイカ人でした。ボルト自身も、練習環境の整った米国の大学からスカウトがあったそうですし、これまで米国やカナダ国籍を取得したジャマイカ人は他にも大勢いたことでしょう。最近のジャマイカ人の躍進は、ジャマイカ政府が自国の陸上選手の国外流出を防ぐ対策をようやく講じ始めた成果のようです。
 さて、この陸上短距離二種目での五輪二大会連覇は、あのカール・ルイスですら達成出来なかった、史上初めての快挙です。カール・ルイスと言えば、私の世代にとってはスポーツ界の伝説的存在ですが、四半世紀を経て、ウサイン・ボルトもまた本人が言う通り伝説への道を着実に歩んでいるようです。因みにカール・ルイスは、走り幅跳びで五輪4連覇の偉業を達成しました。100メートルや200メートルほど注目されない周辺種目で競争は相対的に乏しいからか、あるいは走り幅跳びにこそ彼の本領が発揮できたからかは分かりません。ウサイン・ボルトも、走り幅跳びや更にはサッカー(マンUのファンらしい)に興味を持っていることを隠そうとしません。先ずは明日、4X100メートル・リレー決勝で五輪通算6個目の金メダルを狙います。

(追記 2012.08.12)
 4X100メートル・リレー決勝では、前回、日本が銅メダルを獲得したのは僥倖であったことを如実に示すかのように、ジャマイカと米国の一騎打ちの様相で、最後はボルトが逃げ切り、世界新記録で優勝しました。ボルトにとっては、三種目で大会連覇という偉業です(ほとんど想定通りですが)。
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ロンドン五輪・遠かった金

2012-08-09 21:53:41 | スポーツ・芸能好き
 うっちーの個人総合・金メダルから丸一週間が経ち、日本人にとっては、随分、首を長くして待った金メダルが、ようやく女子レスリングの2階級でもたらされました。63キロ級の伊調馨さんと、48キロ級の小原日登美さんです。日本として3・4個目は、イランや北朝鮮に並ぶ体たらくで、このたびのオリンピックで、金メダルは、実に遠い。
 伊調は、ポイントを取られることなく圧倒的な強さを見せつけ、順当に勝ち進みました。北京オリンピック以降は、自衛隊や代表合宿の男子にまみれて、相手選手の崩し方や技のかけ方を論理的に組み立てる男子選手から刺激を受け、かつての天才的な感性のレスリングから、新たな極みに達し、伊調らしさを追求したレスリングで金メダルを掴みました。現地入りしてから左足首靭帯を損傷して丸一日寝込んだと言われていますが、その影響を(素人の私たちには微塵も)感じさせない完璧な戦いでした。素晴らしいの一言です。
 しかし、今日のブログの主役はむしろ小原の方です。既にいろいろなテレビ番組で報道され、波瀾万丈の半生が感動を呼んでいますが、簡単に振り返ります。もともと51キロ級の世界選手権で四連覇し、日本を代表する有力選手でありながら、2004年のアテネ五輪から正式採用されたオリンピック種目で51キロ級が外されたため、48キロ級を妹さんに譲ったばかりに、吉田沙保里のいる55キロ級で、アテネ、北京の二度のオリンピックに挑戦しながら、吉田という不世出の天才が君臨する巡りあわせの悪さで、二度ともに挫折し、一度は(報道によっては二度も)、引退に追い込まれました。しかし妹の引退を機に、三年前に48キロ級に舞い戻ると、人並み外れた練習量に裏打ちされたと言われる安定した実力で、日本代表の座を掴み、足掛け10年、ついに金メダルを獲得しました。世界の一線で活躍しながら、金メダルまで遠かった。レスリング選手だった旦那さんの内助の功が称えられていますが、私のように涙腺が緩み切ったオヤジには、涙なくして語れません(笑)。
 金メダルの獲得枚数を数えるのは、オリンピックの本意ではありませんが、タテマエはともかく、四年に一度の代理戦争が本質ですから、本音のところで気になってしまうのは何処も同じでしょう。
 中国のネット上では、「金メダルを獲ったのは(重量挙げや卓球などの)マイナースポーツばかりで自慢にならない」「(サッカー、バスケットボール、陸上などの)人気スポーツで勝たなければ、スポーツ大国と言えない」といった冷静な意見や、国が莫大な予算を投じ、選手を育成しスケジュールまで厳しく管理する「挙国体制」あってこそ、金メダル量産につながっている現実を批判して、「スポーツをもっと楽しむべきだ」とする意見まで出ているそうです。中国でも、随分、さばけた議論が出て来るようになりました。更には、「4年前の北京五輪で金メダルの数が世界一となったとき、中国が強国になったと思ったが、私たちの生活は良くならなかった。」「金メダルの数よりも国民生活の改善を優先すべきだ」といった不満まで寄せられているそうです。まあ、アメリカを押さえて、金メダル獲得数トップを突っ走る余裕だと、言えなくもありませんが・・・僅か4個の日本は、何とも言いようがありません。

(追記 2012.08.10)
55キロ級の吉田沙保里さんも、1ポイントも奪われることのない圧倒的な強さで、五輪三連覇を達成し、日本に五個目の金メダルをもたらしました。世界の誰もが彼女をマークし、5月のW杯ではまさかの敗戦を喫すると、接近してのタックルを習得し磨きをかけ準決勝・決勝で威力を発揮するなど、なお進化を続ける彼女を世界は止めることが出来なかったということでしょう。素晴らしいことです。金メダルをかじる迫力は、まさしく野獣のようで、怖いくらいでした・・・
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ロンドン五輪・水泳ニッポンの活躍

2012-08-06 20:17:10 | スポーツ・芸能好き
 ロンドン・オリンピックで、日本の競泳陣はよう頑張りましたね。異口同音に、27人のチーム力という言葉を聞かされて、個人の技能の寄せ集めでしかないと思われる競泳の選手団でも、チームとして、相互に技術的な刺激を与えながら、他方で精神的な絆を強め、個々の技能を最大限に引き出す、いわゆる切磋琢磨の良い循環が生まれていたことが察せられます。金メダルこそなかったものの、銀メダル3、銅メダル8、計11個と、アテネの8個を超える史上最多の、堂々たる戦績です。
 特に競泳陣の頑張りを象徴したのが、選手層の厚さを競うとも言うべき400メドレーリレーで、男子は銀メダル、女子は銅メダルを獲得したことでしょう。そもそもリレーや駅伝といったチーム・プレーは、水泳にせよ陸上にせよ個人戦が中心のため、却って盛り上がるものです。個性が強い北島康介ですら、みんなのおかげ、自分の役割を果たして次につなぐことができた、と語り、松田丈志に至っては、(北島)康介さんには言ってなかったが、と断りながら、3人で、康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかないと言っていた、と語りました。泣かせますね。まさにその言葉通りに、第一泳者の入江陵介(100メートル背泳ぎ銅メダル)から順当に2位で引き継いだ北島康介は、100メートルで後塵を拝した銅メダリストのハンセンに競り勝ち、1位で次に引き継ぐ会心の泳ぎを見せました。第三泳者の松田丈志は、怪物フェルプスに逆転を許しましたが、第四泳者の藤井拓郎は、100メートル自由形の金メダリスト(米・エイドリアン)と銀メダリスト(豪・マグヌッセン)に挟まれ、豪州の追い上げを受けながら、よくその位置をキープしました。
 女子も、第一泳者の寺川綾は、100メートル背泳ぎで銀メダリストに競り勝つ会心の泳ぎを見せ、第二泳者の鈴木聡美は、ロシアに抜かれるハプニング?があったものの想定通り豪州を突き放し、第三泳者の加藤ゆかは、ロシアを抜き返したものの、体育会系の国・豪州に抜かれ、第四泳者の上田春佳は、よくその位置をキープしました。
 こうした水泳ニッポンの活躍の最大の功労者として、やはり北島康介を挙げたいと思います。体力では劣る日本人でも、水の抵抗を抑えた美しい泳ぎを実現する技術によって、世界に伍することが出来ることを示したこと、それによって日本人に自信を植え付けた功績は、極めて大きかったと思います。北島は平泳ぎの歴史を変えた、とまで言った人もいました。今回のオリンピックは、10年以上、世界に君臨した北島康介を見て育った若い日本人競泳選手が日本の活躍を支えると同時に、北島自身は、ノルウェーのダーレ・オーエン亡きあと今年度世界最高記録で金メダル最有力と言われながら、北島の背中を追いかけてきた世界の若手有力選手によって敗れ去りました。世代交代という以上に、一つの時代が終わったような寂しさを感じます。
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ロンドン五輪・二つ目の金

2012-08-04 11:39:19 | スポーツ・芸能好き
 鮮やかな感動もほとぼとりが覚めるほどの時間が経ちましたが、今回は、体操の個人総合の話です。
 世界選手権で三連覇している内村航平、うっちーにとっても、四年に一度しか巡って来ないオリンピックには違う重みがあったようです。蓋を開ければ、唯一人、全種目で15点以上をマークし、2位に1.659点差を付ける予想通りの圧倒的な強さで金メダルを獲得したのですが、抑制気味ながらも得意満面の笑みと、何度も金メダルをさわってしげしげと眺める姿が印象的でした。深夜過ぎに始まった演技を見始めると、なかなか目が離せなくて、明け方3時過ぎの表彰台まで見入ってしまって、その後の二日間は老体にはこたえて、へろへろでした。
 まだ前半戦のオリンピックですが、一番、印象的な競技だったので、その感動を反芻するために、ちょっと長くなりますが解説記事風に・・・
 最初のあん馬は、北京五輪では二度落下し、先だっての団体決勝では崩れ落ちるように着地が大きく乱れて、うっちーらしくなかったために、鬼門とまで評されていました。途中、バランスを崩したらしいのですが(解説者の声に思わず不安になってしまいましたが)、それをそうとは見せない(少なくとも私のような素人にはよく分からない)無難な演技で、15.066点とまずまずのスタートを切りました。続く、つり輪も15.333点と安定した演技で波に乗ると、圧巻の跳馬を迎えます。Dスコア6.6点の「シューフェルト」(伸身ユルチェンコ飛び2回半ひねりと言うらしい)に挑み、前向きに降りるために着地点がつかみにくい大技とされますが、そこでぴたりと着地を決める完璧な演技で、16・266の高得点をマークして、両手を突き上げた本人から思わず笑みがこぼれたのが印象的で、見ている方の私も、これは行ける・・・かも、と意を強くしました。奇跡的な着地を「磁石のように止まる」と形容した人(アテネ五輪体操金メダリスト・中野大輔氏)もいましたし、「人類史上究極の動き」との賛辞を送った人(立花泰則監督)もいました。
 後半、4種目目の平行棒では、「屈伸ベーレ」を「抱え込みベーレ」にする安全策を採ってなお15.325点を挙げて首位をキープし、5種目目の鉄棒でも、F難度の離れ技の「コールマン」(コバチ1回ひねりと言うらしい)を抜いたと解説されて、一瞬、最高の演技を見せることばかりに拘ってきたはずの、うっちーらしくなくて大丈夫か!?と訝りましたが、難易度を落としたDスコアの構成でも15.600の高得点をはじき出せるあたりが、今のうっちーの並外れた実力の表れでしょう。コールマンを抜く作戦は、前の夜にコーチから言われたそうですが、朝、怪我で個人総合を断念した山室の背中を見て、心が決まったそうです。うっちーらしくない勝ちに拘るところが、オリンピックのオリンピックたる所以であり、その晴れ舞台で日本人の、ひいてはうっちーのように金メダル確実と期待される選手の置かれた立場の重さを感じさせます。最後の種目は得意の床だったので、油断も出て来るだろう、それでもここまで来ればもう大丈夫・・・かな、とようやく落ち着いて見ていたら、案の定、2つ目の「前宙返り2回半ひねり」の着地でバランスを崩して右手を床につくミスを犯し、本人をして「やっぱり五輪には魔物がいるんだと、再度わからされた気持ちです」と言わしめましたし、最後の「後方宙返り3回ひねり」の着地でも少し動いて、演技後に両手を目の前で合わせて、一瞬、謝ったような表情を見せましたが、それでも15.100という高得点で締め括りました。
 うっちーが子供の頃に合宿に通ったと言われる「塚原体操センター」の塚原直也氏は、「史上最強の体操選手と言ってもいい」と絶賛しました。当時、トランポリンで休まずに5~6時間も跳んでいたのを思い出し、そのトランポリンで類い稀な「空中感覚」が身についたのかも知れないと語っています。また、元・体操選手らしい視点で、力で演技してしまう選手が多い中で、うっちーは最低限の力でピンポイントまで待って瞬間的に最大の力の入れ方で「省エネの体操」に繋がること、基礎も完璧だから高難度の技を寸分の狂いもなく、余裕をもって何回でも同じように演技できること、演技中に出る音も、器具と一体化して演技するから最小限になる、体操はやはり静かな方がいいし、見ている人に「簡単そうに演技している」と思えた方がいい、彼にはそれが出来る、とも語っています。私たちが彼の体操になんとなく感じる「軽さ」(それは決して軽薄の「軽さ」ではなく、軽快の「軽さ」とでも言うべきものです)について、語って余りあるものと言えます。
 しかし、うっちー自身は、私たちの思いなど及びもつかないほどに底知れない。彼がインタビューで語っていたことを、家族がたまたま見て、面白おかしく語って聞かせてくれるものの一つに、彼はおでこのあたりにもう一人の(小人のように小さな)自分がいて、自分の演技を冷静に見ているのだと言います。高速で動きながらでも常に自分の位置を認識できる感覚、塚原氏が読んだ「空中感覚」を、うっちー流に表現したものでしょう。うちの子は、うっちーは人間じゃなくてマジンガーZだったんだと大喜びでした。今回の五輪が終われば、またルールが変えられて、大物選手には試練が与えられるのでしょうが、人間離れしたうっちーには蠅が止まっている程度に、大して痛痒を感じないのかも知れません。

(過去の関連ブログ)
「うっちーとブラックサンダー」(2011-10-15 12:30:15)
  http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/467feecbe056d7d60de6bcc179dae126
「スポーツの秋」(2011-10-17 00:20:30)
  http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/591b757159fb4a2cc902c255e270ed3a
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