風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

白鵬の休場

2020-01-17 01:06:01 | スポーツ・芸能好き
 実のところ、白鵬が休場しようがどうしようがお構いなしのところだが、今回は二日目に遠藤に、外掛けからの切り返しで背中から土俵に叩きつけられ、金星を献上した後のことだったので(さらに三日目には妙義龍にも敗れて、二日連続で金星配給)、些か感慨深い。その遠藤との取組みについては、YouTubeでためつすがめつ繰り返し眺めて、爽快感に浸った。なんとさもしい根性だろう(笑)
 もちろん、先場所の対戦のことが伏線としてある。あのとき白鵬は、すっかり悪名高くなった「かちあげ」と言うよりプロレス技の「エルボー・スマッシュ」のように右肘で遠藤の顔面を打ち抜き、更に左右から荒々しく張って、土俵に沈めた遠藤から鼻血が滴り落ちたほどだった。大の横綱が、いくら勝負へのこだわりがあるとは言え、格下相手にむごい仕打ちをするものだと、すっかり興醒めてしまった。むろん、それは白鵬にとって初めてのことではなく、何度指摘されても言うことを聞かない、またか、という話である。それだけに、今場所の遠藤の奮闘には拍手喝さいを送ったのだった。
 白鵬の「かちあげ」は議論があるところだ。特にスポーツ評論家と名の付く方は、反則技ではない以上、横綱が正当な技を繰り出してどこが悪い、使わせたくないなら禁止にしろ、それを横綱の品格などと前近代的なことを言って否定する大相撲に将来はない、モンゴル力士は大相撲の救世主であり恩人なのに、などと言いたい放題である。しかし、このブログで何度も言ってきたように、大相撲はスポーツでも格闘技でもなく、神前で行われるがごとく、様式美を尊ぶ伝統芸能だ。白鵬の「かちあげ」と称される技は、相手の身を起こす相撲技ではなく、打撃目的のプロレス技であって、似て非なるもの。最高位の横綱が格下相手においそれと使うものでは毛頭ない。それはモンゴル人であろうが日本人であろうが関係ない。横綱は横綱らしく、相手に技をかけさせるくらいの余裕をもって、どーんと受け止め、それでも美しく勝つ勝ちっぷり、あるいは潔い負けっぷりの、品格ある相撲が求められる。前近代的で結構、それで廃れるなら仕方ないとも思う。
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