風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

永遠の舟歌

2024-01-12 03:01:12 | スポーツ・芸能好き

 演歌歌手の八代亜紀さんが急逝された。享年73。

 今日の日経新聞・春秋は、「特殊な声帯をお持ちです」との引用文で始まり、「喉を酷使してのガラガラ声ではない。生来ハスキーボイスになる声帯の形なのだという。医師にそう告げられ、驚いたと八代亜紀さんは自伝で語っている。」と続けた。経済新聞が一人の演歌歌手の死を惜しむのは異例である。そして、こうも書く。

(引用はじめ)

 「〽雨雨ふれふれ」ときたら「かあさんが」と続く。そんな常識を「もっとふれ」に塗りかえたといわれた大ヒットが「雨の慕情」だ。海鳴りのごとく響く「舟歌」も世代を超える人気曲に。

(引用おわり)

 会社の同僚の一人は、子供の頃、「おさけはぬるめのかんがいい~」「しみじみのめばしみじみと~」などと大声で歌っていたらしい。「舟歌」は1979年発売だから、計算すると3歳!?だったことになる(微笑)

 斯く言う私は、演歌に興味はないし、八代亜紀さんのファンでもない。そう意識したことはないし、子供心にNHK紅白歌合戦で見た(注目した)記憶もない。しかし、この若さで亡くなったという事実を突きつけられると、世代は違えど同時代を生きてきたご縁という言葉では片づけられないほどの喪失感がある。振り返ると、デビュー作はともかく、出世作の「なみだ恋」(1973年)、代表作の「舟歌」、日本レコード大賞受賞作の「雨の慕情」(1980年)くらいは、歌詞を見なくても一番だけなら歌える。それだけ1970年代は(演歌を含む)歌謡曲の全盛期で、テレビやラジオで流れる曲をいつの間にか口ずさめるほど、音楽が身近にあり、八代亜紀さんはその代表的な歌姫だったということだろう(ついでに言うと、すぐに覚えるほど子供は記憶力が良いということでもあるのだろう、今なら絶対無理だけど)。それもそのはず、Wikipediaによると「演歌歌手では珍しく全盛期の楽曲全てが連続ヒットし、女性演歌歌手の中では総売上枚数がトップ」だそうだ。また、「熊本県八代市出身。地元のバスガイドを経て、上京して銀座のクラブで歌ううち、スカウトされた」(1月9日付 朝日新聞)くらいのプロフィールなら私でも知っている。

 その銀座のクラブで歌うようになると、ホステスたちから「あきちゃんの歌には哀愁がある」と好評を得たそうだ(Wikipedia)。学生時代には、音楽の授業で教師から「そんな声出しちゃいけない」などと言われ、ハスキーな声にコンプレックスを感じていたそうだが、銀座のホステスや客たちから褒められたことで、「自分の声はいい声だったんだ」と気づき、自分の声を好きになったという(同)。確かに、いわゆる演歌歌手として、こぶしが回って歌がうまい、という感じではなく、ハスキーでドスが利いて、それでいて艶があるところが、トラック野郎を中心に受けていたのだろうと、今にして思う。演歌歌手とか演歌の歌姫と言うよりブルースの女王と呼ぶべきかもしれない。

 数ある作品の中で、私が一番好きなのは実は「ともしび」(1975年)である。これも一番だけならソラで歌える。・・・とまあ、結局、私も隠れファンだったのだろうか??? 

 所属事務所は公式サイトで発表した追悼文で、「代弁者として歌を歌い、表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中、常に大切にしていた言葉は『ありがとう』でした」と総括された。「代弁者」の意味は、デビュー当時から、「レコーディングでは、歌っている時の自分の顔を誰にも見せない」ということを決めており、その理由は、「私は辛い人や悲しい人、苦しい人の代弁者のつもりで歌ってきました。歌入れの時はそういう人の表情になっているはずで、それを見られるのは恥ずかしいから」という本人の弁(Wikipediaより)に示される。「表現者」の意味は、画家志望だった父親の影響で、小学生の頃は将来画家になるつもりだったそうで、40歳頃に油絵の質感に惚れ込んで人に師事し、その後フランスの由緒ある「ル・サロン」展に1998年から5年連続入選し、日本の芸能人として初の正会員(永久会員)になるなど活躍された(同)ところに表れる。歌と絵について本人は、「歌うことも絵を描くこともエネルギーがいるけど、私の場合は歌という肉体労働で酷使した自分を、絵を描くことでマッサージしている感じ」と評している(同)そうだ。最後に「ありがとう」については、優しく面倒見の良い両親の影響もあり、若い頃から色々とボランティア活動をしてきた(同)そうで、その一環として、長年、老人ホームや福祉施設、女子刑務所の慰問公演を続けていたり、2011年の東日本大震災や2016年の地元・熊本地震の後、何度も被災地を訪れて様々な支援活動を行っていたり、ということを踏まえると、スポニチが記事で「歌を愛し、人を愛し、常に感謝の思いを大切にしていた八代さん。最後まで周りのスタッフ、そして病院の関係者すべての人に『ありがとう』を伝えていた」と書いたこともよくわかる。結局、心に染み入る歌声と、そんな人柄が滲み出ていたことが、多くの人に愛され、惜しまれる所以だろう。

 感謝の気持ちをお返しに、心よりご冥福をお祈りしつつ、合掌。

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