ブルーシャムロック

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一路,名古屋へ

2016-09-20 18:29:02 | 逆襲の藤隆
私、作家のガリベンと言われている生物である。小説の取材においてぷりぷり県から、一路帰路につこうと思って
飛行機を探していた。行き当りばったりの旅なので帰る飛行機を決めずにlccで東京・関東に帰ろうと
考えていた。空港の手続きの場所では、「今日の羽田行きも成田行きも出てしまいました。」
と言う。関東で行き当りばったりに電車やバスに乗って移動するとき、何回か這這の体で東京の自宅に
帰ったことがある。ポーン。私のスマホのメールのチャイムがなった。
スマホで読めるようにしたpcのアドレスのほうだ。
「?!画伯が、名古屋で個展を開きます。名古屋を中心とした地域でタウン誌などのイラストを描いている方です。」
そういう説明がなされている。
彼?!は仕事を見つける前は関東に住んでいて、主にインターネットの大規模サイトで著名な画家のパロディとも
パクリともつかないイラストをよく描いていた。ベラスケスをベースにしたパロディ、岸田劉生のベースのパロディ
大丈夫なのかわからない作品紛いがあった。
いつの頃からか、インターネットに作品を投稿しなくなってから、不思議と彼にまともな仕事が来るようになった。
「名古屋で仕事が見つかった。」
オフラインで彼と出会った時ファミレスで人眼にはばからず大声を上げたのを思い出す。
彼のインターネットで最後に見たイラストは国吉康雄の道化師の絵を土台にした絵だった。
何とも不思議な絵だった。壁には両津勘吉と寅さんのラバー素材の仮面がかけられ、
逆の壁には徳川家康と徳川秀忠の
大仰な額縁に入れられた複製画が掲げられている。
道化師は、原作の絵みたいな服を着用し、プロレスのマスクをかぶり、そのマスクには北の玄関口と書かれていた。
「一体どういう意味だ。」
私は彼にメールを送って意見を求めた。
彼はこうレスをした。
「これは私と同じ関東の下町のイメージを描いたものだ。同じ関東でありながら、私が住んでいた厚木の
ことを何も考えずに、みんなが知っている下町のイメージや過去の下町のイメージを客を寄せる
道具に使って、自分たちは目の前の風景に血道を上げていることへの皮肉だ。」
とだ。
ああ、だから両津勘吉と寅さん、徳川家康と徳川秀忠なのだな。と当時の私は理解した。
彼がメールやオフラインで話していたが、両親は福岡の人だと言っていたことも思い出した。
このイラストを描いてから彼はイラストを停止した。
そして数カ月後、
「名古屋で仕事が見つかった。」
と、私のプライベートのメルアドにメッセージが来たのだった。
彼の名古屋に足を運んでからの作品はわからない。
「名古屋に行く、飛行機はありますか。」
インフォメーションセンターの女性が、
「韓国か香港資本のlccがここから中部空港に飛んでいます。」
と言う。
行こう。名古屋に。

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