ブルーシャムロック

此処はtomohiroのオリジナル小説サイトです。
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人は、退出下さい。

あ・れーべるわるつ

2012-02-16 18:28:44 | 信・どんど晴れ
私が加計呂麻島の実家でゴロゴロしていたのをやめて、
徳之島の加賀美屋なる旅館で働き始めて1~2年ぐらいが過ぎた頃だろうか?
おそらくは旅館の跡取りである新一さんが聞いていたfmラジオから流れてくる番組に
私は着目した。
スクラマサックスという、hr/hmとパンクを合わせたようなラウド路線のバンドに在籍していた
前山元(さきやま・はじめ)というギタリストのニューアルバムに関する問題
であった。
パーソナリティが前山に聞く。
「今回のソロファーストアルバムですが、日本本土の民謡を前山さん自ら編曲して
三線を片手に歌ったと言うことですが、どうしてでしょうか?」
前山はさらりと答えた。
「そうですね。私が日本本土出身なので、その本土出身の根っこを掘り下げてみたいと思った
のです。アルバムの第一曲目の”野毛山節”は、以前jb風のr&b見たくして歌った
アーティストがいますが、何か変だと思って、私は琉球三線に韓国のコムンゴを入れて
レゲエ風に仕上げました。」
それに、パーソナリティは聞きいっている。
日本本土の民謡というものは、私のRoommateも、同級の宇品もそこまで関心がない
ようだった。
やはり親もジャズやロックポップスを聴いている家の人はあまり聞かないのかな
と考えている。
野毛山節って昔本を借りに行った横濱市立中央圖書館が存在する場所か・・・。
でも、なんでそこの民謡なんだろう。
「野毛山節ってのは、例のjb風のr&b見たくして歌ったアーティストは、そこの
民謡保存会に睨まれたみたいなんですよね。であるならば、自分はアンプラグトにして
インドや韓国などの日本以外の亞細亞の伝統楽器を入れてみようと思いまして・・。」
前山さんはRadioを使ってそう述べる。
アンプラグト・・。奄美ではあまり使わないけれどもこういった洋楽的なApplroachから
奄美の島唄を聴く人間はまあ、存在する。本土では居ないのかな・・。
「アルバム名のあ・れーべるわるつという題名は、どういう意味なのですか?」
パーソナリティは、怪訝そうだった。
「ええと、この題名は私が敬愛するバンドのCrushの曲からとったのですが、
前述の民謡保存会、あるいは奄美や沖繩といった存在への反抗、これまでの
エレキギターを使ったぎんぎんのラウドな音楽を作っていた自分への反抗でしょうか。」
前山さんは自信満々だった。
そのときは、ただ聞き流すだけだった。
後年、downloadでアルバムの曲を聴く機会に恵まれた。
他にシタールをフィーチャーした「岡崎五万石」、
亞細亞の胡弓をいれた「祖谷の粉挽き唄」が渋いRock的な歌唱で、趣があった。
彼は、その後も反抗を続けている
おわり

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マジだめだった。

2012-02-09 18:24:18 | 信・どんど晴れ
雪。生まれ育った札幌も、父方の実家の小樽も、母方の実家の弘前も雪である。
ご覧の通り、北国育ちだ。
冬うっとうしいと思ながらも、それに慣れきってきた。
現在青森市内に住んでいるいとこが言う。
「雪の振らない沖繩が羨ましい。」
と、当時小学生だった私自身いとこの話を鵜呑みにして、沖繩にほのかなあこがれを
いだいたのだ。
そして、私は進学は札幌か青森の大学に進学したかったけれども、ひょんなことに
神奈川縣の大学に進学した。
札幌の最寄り空港から飛行機に乗って、羽田に向かう。
「なんで神奈川縣なんだ?」
羽田から神奈川縣の大学の最寄り駅に向かう電車に乗っていて考えた。
まあ、いいか・・・。
そして、Campusで出会った友人。
なんとか島とかいういかにもウチナーグチって感じの出身らしい。
「マジ、沖繩の近くの出身かよ。」
私はチト感動した。
彼女は面倒くさそうに私に聞く。
「あんた、出身どっちだよ。」
札幌で母方の実家が弘前って言うと、
「北国か。實は關東での住処は、ルームシェアしているけれどもルームメイトが
秋田と石川の人間なんだよ。」
と彼女は弱った顔をした。
「なんか面白いね。CultureGapとかありそうで・・・。」
本心を言うと秋田も石川も私にとって明後日の方向。
でもあるていど、自分の生まれ育った環境に類似している。
「彼女たちがよく食べる食べ物、本心分からないよ。」
琉球のシマ出身の女性は、言う。
顔に複雑な表情を見せていた。
「今度よってみようかな・・・。」
私は好奇心で、友人のApartとそのルームメイトに合いたいと思った。
直ぐにアポが取れた。
なぜだか、自分になじみのある食べ物・・・。北海道や弘前でよく出てくるようなものが
存在した。
「お前さんのことを思って作ったらしいぜ。」
加計呂麻の友人が述る。
 さて、私は避寒をかねて沖繩に行こうと友人に言うが。
「やめておけよ。北国の人間が行く所ではない。魚がまずい。」
と友人は私にRESをつける。
まあ、物は試しだ。
私は羽田から沖縄行きの飛行機に乗っていた。
そして、満喫した。
面白かったが、私にとって面食らったのは肉しかない印象が強い土地だった。
関東に帰ってから、友人に話す。
「であるか・・・。私のシマでも、魚は唐揚げにする。青森や北海道みたく焼き魚にしたり
その他のバリエーションの食べ方はない。」
と友人は淡々と語る。彼女は学食のフィッシュアンドチップスを淡淡と食べていた。
いつもこのなんとか島出身の友人は、いつも覺めた感じだ。
関東に来ても楽しい筈なのに。先週は渋谷に足を運んでいたようなのに、
感想が何もないようだった。
今何か言いたいけれども言葉が詰まってしまう。
おわり
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