ブルーシャムロック

此処はtomohiroのオリジナル小説サイトです。
小説主体ですので、小説に興味の無い
人は、退出下さい。

住宅地の中の画廊

2016-09-30 10:03:35 | 逆襲の藤隆
「よく来てきてくれたね。」
画伯は、暖かく迎えてくれた。 lccを降りた私は、インターネットの情報を頼りに、電車を乗り換え乗り換えして 名古屋市内を走行する
インターアーバンの路線を降り、 住宅地の駅で降りた。
私、ガリベンは、かつてインターネットで知り合った人間が、現在名古屋にいる 事を発見。彼は名古屋で発信している雑誌でイラストを掲載していて、その他、自分で 絵を描いている事をスマホで知った。
「インターネットの情報でここに来たんだ。」
私はそういう。
「まあ、見てのとおりだ。」
額縁に入った絵は、名古屋の雑誌に掲載されている絵のほか、犬や猫の絵がたくさんある。
彼に尋ねると、よくわからないマニアックな犬や猫の種類の談義になる。
「はぁ。」
私は半信半疑でそれを聞く。
「パロディ精神が薄い。」
私はひとこという。
「昔のように、東北や台湾のことでごちゃごちゃ言われたくないからね。」
彼は口を歪めた。
「だけれども、ユートピアは求めてはいけないかな。」
私は言う。
「確かにね。」
彼も言う。
彼は現地の人と話しているので、お暇しよう。
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初めての朝は

2016-09-23 19:30:16 | 信・どんど晴れ
大学に入学直前。
私は、ひょんな事から神奈川県にある大学に進学し、その神奈川県の釜利谷駅近くの
シェアハウスに他学の女子学生と住むことになった。
一人は秋田出身の人と、もう一人は石川出身の人だ。
聞くところによると、雪国の人は、冬雪が降っていたとしても、時間厳守することが
多いらしい。だから、南国だから時間を守らないって思われたくない。
関東に多い、沖縄の人のやり方だろう。どうも奄美の人は関東には多くないからな。
奄美が雪国の人に違うところを見せてやろうかなと思っている。
基本的に、奄美の人は勉強熱心で、炎天下でも時間を守る傾向があるが、なんでそれが関東では理解されないのか。
秋田出身のROOMMATEが言うように、東北に優しい場所が関東にあるからなのでは。
或いは鹿児島の本土の人や、沖縄の人が器用なのか。
關東について思うけれどもやたらそれが目立つ。大学の近くの酒屋さんには鹿児島の本土の芋焼酎、
パチンコ屋のポスターにはやたらとシーサーが目立つ。
でも、東北の人が関東に多いって、父が出入りしている料理屋で読んだ週刊誌で読んだけれども、
この土地ではそれをあまり感じてはいないようだ。
でも、父が大好きで歌っていた曲が「ああ、上野駅」と言う曲がある。なんで上野駅なんだろう。
ここは、私が個人的に憧れている下町の一部だ。
私はよくわからないけれども、あの曲の内容東北から関東に来た人の話だった。
私が今度住むことになった秋田出身のROOMMATEに関連があるような。
今度彼女に話してみよう。
目覚しをセットして、私はROOMMATEたちより早く起きる。
「ねぇ。明日は八景島シーパラダイスに行くんだっけ。」
そういったメールをROOMMATEたちに送る。
八景島シーパラダイスはどちらかといえば釜利谷駅より泥龜駅のほうが近いという。
「泥亀駅近くに、三浦金沢市立図書館がある。」
石川出身のROOMMATEに秋田出身のROOMMATEに画面を見せていた。
「ふーん。」
秋田出身の女性はそっけないことを言う。
「いろいろ借りたら、面白いからね。」
石川出身の女性は嬉しそうだった。
彼女が上京した時手にしていたのは可児才蔵という武将の本だった。
「この小説の主人公って、確か高校時代のクラスメートが好きだった漫画に出てきた人だったね。」
うろ覚えだが、こういうことを秋田出身の女性がいたのを覚えていた。
次の朝、みんなより30分早く起きた。
「おはよう。」
二人に挨拶した。
「えっ。」
二人はびっくりしていた。
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一路,名古屋へ

2016-09-20 18:29:02 | 逆襲の藤隆
私、作家のガリベンと言われている生物である。小説の取材においてぷりぷり県から、一路帰路につこうと思って
飛行機を探していた。行き当りばったりの旅なので帰る飛行機を決めずにlccで東京・関東に帰ろうと
考えていた。空港の手続きの場所では、「今日の羽田行きも成田行きも出てしまいました。」
と言う。関東で行き当りばったりに電車やバスに乗って移動するとき、何回か這這の体で東京の自宅に
帰ったことがある。ポーン。私のスマホのメールのチャイムがなった。
スマホで読めるようにしたpcのアドレスのほうだ。
「?!画伯が、名古屋で個展を開きます。名古屋を中心とした地域でタウン誌などのイラストを描いている方です。」
そういう説明がなされている。
彼?!は仕事を見つける前は関東に住んでいて、主にインターネットの大規模サイトで著名な画家のパロディとも
パクリともつかないイラストをよく描いていた。ベラスケスをベースにしたパロディ、岸田劉生のベースのパロディ
大丈夫なのかわからない作品紛いがあった。
いつの頃からか、インターネットに作品を投稿しなくなってから、不思議と彼にまともな仕事が来るようになった。
「名古屋で仕事が見つかった。」
オフラインで彼と出会った時ファミレスで人眼にはばからず大声を上げたのを思い出す。
彼のインターネットで最後に見たイラストは国吉康雄の道化師の絵を土台にした絵だった。
何とも不思議な絵だった。壁には両津勘吉と寅さんのラバー素材の仮面がかけられ、
逆の壁には徳川家康と徳川秀忠の
大仰な額縁に入れられた複製画が掲げられている。
道化師は、原作の絵みたいな服を着用し、プロレスのマスクをかぶり、そのマスクには北の玄関口と書かれていた。
「一体どういう意味だ。」
私は彼にメールを送って意見を求めた。
彼はこうレスをした。
「これは私と同じ関東の下町のイメージを描いたものだ。同じ関東でありながら、私が住んでいた厚木の
ことを何も考えずに、みんなが知っている下町のイメージや過去の下町のイメージを客を寄せる
道具に使って、自分たちは目の前の風景に血道を上げていることへの皮肉だ。」
とだ。
ああ、だから両津勘吉と寅さん、徳川家康と徳川秀忠なのだな。と当時の私は理解した。
彼がメールやオフラインで話していたが、両親は福岡の人だと言っていたことも思い出した。
このイラストを描いてから彼はイラストを停止した。
そして数カ月後、
「名古屋で仕事が見つかった。」
と、私のプライベートのメルアドにメッセージが来たのだった。
彼の名古屋に足を運んでからの作品はわからない。
「名古屋に行く、飛行機はありますか。」
インフォメーションセンターの女性が、
「韓国か香港資本のlccがここから中部空港に飛んでいます。」
と言う。
行こう。名古屋に。
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