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世界滅亡後の未来はどうなるのか?SFが勘違いしている10の事案

2015年05月29日 | 世界びっくりニュース
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 終末、人類滅亡、世界の終わり。これらのテーマはSF作品において多様されているほどに、人々の興味はそこに惹きつけられている。世紀末覇者とかもう好き過ぎて困る。

 荒廃した世界で生き延びる1匹狼や小グループという設定が、中二心をくすぐるのだろう。だが、生き残りをかけたヒーローの奮闘を描くSF映画がたくさんある一方で、そうした作品では語られないリスクが存在する。本当のは脅威は別にあるのだ。

 ここではSFが描く滅亡後の描写をそのまま現実に置き換えた場合の矛盾点について見ていくことにしよう。

10. 拳を交えた戦いはあまりにも危険


 滅亡後の世界を扱った数多くの作品では、新世界は力が全ての野蛮な場所として描かれている。男も女も拳で自らの主張を貫き通す。だが、医者のいない世界でこれはあまり賢い解決方法とは言えない。

 総合格闘技において、最もよくある怪我は手と手首の骨折だ。こうした怪我はプロの格闘家にでさえ起きる。手や手首を骨折すると、治るまでに6週間以上かかるうえ、手術が必要となる可能性もかなり高い。しかも、治った後でさえ、何年も後遺症に悩まされることがある。

 だが、これはあくまできちんと医療を受けた場合の話だ。医師のいない世界では適切な処置を受けれる可能性は極めて低い。そのため、食料を確保するために狩りやゴミ漁りをしなければならない生存者は、大きな問題に直面するだろう。

 顔面へのパンチも危険極まりない。歯科医がいないのだから、口に負った怪我は一生物の傷となる。歯を失えば食べられるものも限られてしまう。顎の怪我も同様であることは言うまでもないだろう。拳を交えた戦いは、簡単に致命傷へとつながるのだ。

9. 人間は協力する生き物である


 滅亡後の世界において、最大の危険は自分以外の人間だ。テレビドラマ『ウォーキング・デッド』では、主人公たちが遭遇する人間の半分は邪悪な存在だ。だが、こうしたことは理屈に合わない。人間は性質的にも生物学的にも協力し合う生き物なのだ。

 苦境に陥った人たちが一致団結したという話はいくつもある。もちろん、酷いことを行う人間もいるが、傷つけ合うよりも、助け合いたい人間の方が多く存在するのだ。災害に見舞われた被災地を観察すれば、人を騙して自分だけが助かろうとした人間の話よりも、助け合ったという例の方が多く見られるだろう。それならば、滅亡後の世界だって同じはずではないか。数千年間人類がそうしてきたように、大抵の人間なら団結するという自然な欲求に従うことだろう。

8. 災害と感染症


 生存者はきちんとワクチンを接種しておいた方がいい。ちょっとしたことでも命取りになるからだ。例えば、軽い切り傷が破傷風につながることもある。きちんとワクチンを接種し、適切な処置を受けない場合、破傷風によって命を落としかねない。運良く十分な抗生物質を入手できた生存者であっても、それは気軽に医師から処方箋をもらうような簡単な話ではない。何と言っても、薬は棚に置かれた期間が長ければ、それだけ効果も落ちてしまうのだから。

 大勢の人が子供の頃にワクチン接種を受けているかもしれないが、大人になってから追加の接種を受ける人は多くはない。例えば、破傷風は10年に一度は追加のワクチンを受けなければならない。だが、そうした定期的な接種を受けていなければ、破局を生き延びた生存者が、細い木の枝や猫の一噛みによって倒れることだってあるのだ。

7. 栄養失調にならないわけがない


 作品の中で不健康にやつれた生存者は少ない。ゾンビとのバトルや狩猟採集で常日頃から身体を動かしているからだろうか?

 だが、問題は、人体とは複雑なシステムで、様々な栄養を必要としていることだ。一体我々がどれほどのビタミンAを必要としているのかご存じだろうか? 身体が必要とする栄養素をきちんと把握している人などほとんどいないだろうし、単純に野生動物だけを食べていつまでも生きていける人もいない。そのような食事では、壊血病や免疫系の弱体化を引き起こす。

 栄養失調はさまざまな症状となって現れる。身体の回復にかかる時間が長くなり、感染症の危険も高くなる。疲れやすくなり、鬱になる可能性もある。痛ましい皮膚損傷の恐れもある。それゆえに、生存者が野菜やフルーツがたわわに実った菜園でも営んでいない限りは、活力にあふれた健康体であるわけがないのだ。

6. 実際に危険なのは犬の群れ


 フィクションの世界では、生存者の最大の敵は人間やクリーチャーの集団である。だが、実際には、最大の危険は犬の群れだろう。元来、犬は群れを作って狩りをする動物だ。この本能はあっという間に目を覚ます。例えば、ハリケーン・カトリーナの影響で出現した犬の群れは、10年経った今でも問題であり続けている。また、人口が激減するデトロイトにおいても犬の群れが大問題になりつつある。

 滅亡後の世界で生存者が遭遇するのは、獲物を求める飢えた犬の大集団だ。とても太刀打ちできる相手ではない。とりわけ、狂犬病にかかっていたりした日には…

5. 狂犬病


 狂犬病と名がついているものの、この病気は犬だけではない。狂犬病にかかった動物は、命を落とす前に攻撃的なる。これは噛まれたときなど、唾液を媒介して人間にも容易に感染する。人口が激減すれば、野生動物は急増するだろう。また、家畜が野生化すれば、狂犬病に罹患する可能性も上がる。これがアウトブレイクのきっかけとなるだろう。

 人類にとっては極めてまずいことだ。まず、攻撃的な動物が増える。生存者は、発症すれば100パーセントの致死率を誇る狂犬病に感染するリスクに曝される。狂犬病の犠牲者は毎年55000人いるが、ワクチン未接種の人が生き残ったケースは3件しかない。ワクチン接種も家畜も、滅亡後の世界で状況の好転は望めない。さらに、主要な食料源を汚染する。狂犬病にかかった動物を食べることは、致命的な病気に感染する効果テキメンな方法だ。

4. ガソリンは保存期間が短い


 唯一の生き残りともなれば、好きな車に乗って、誰もいない道路をぶっ飛ばせるという利点がある。だが、楽しめる間に楽しんでおこう。ガソリンは保存できる期間が短いのだ。未処理のガソリンなら90~100日で劣化する。精製されない限りは、3ヶ月もすれば車や発電機は役に立たなくなってしまう。

3. 多くの都市が水没するはず


 ”地球上の最後の1人” の物語は、ロサンゼルスやニューヨークなどの大都市を舞台とすることが多い。舞台装置としては優れているが、実際に大都市で生きることは非常に難しいだろう。なぜなら、維持管理する人間がいなければ大洪水が起きるからだ。

 こうした洪水はまず、水をポンプで汲み上げている地下鉄で起きるだろう。このポンプを操作する者なしでは、ニューヨークの地下鉄網は36時間以内に水で満たされてしまう。これが洪水の主な原因だが、コンクリートで覆われた都市は、水を吸収する土壌がないために、事態はさらに悪化する。

 次に、下水からの汚水が通りに溢れ出す。汚水には、アンモニア、メタン、硫化水素などの有毒物質が含まれているほか、可燃性ガスによって爆発の危険もある。

 トドメは、人間が管理している運河やダムからの洪水だ。例えば、シカゴ川にはいくつもの運河が存在し、これによって水の流れを管理している。こうした管理がなされなければ、流量以上の水が流れ込み、アメリカ中西部一帯を水浸しにしてしまうことだろう。水の管理システムが機能しない大都市は、もれなく壊滅状態となる。

2. 地球はよく燃える


 下水の可燃性ガス以外にも、揮発性ガスが都市に充満する。例えば、アメリカの電力の27パーセントは天然ガスによって賄われている。ガス管の管理が滞れば、大爆発を目撃できるはずだ。そして、一度爆発してしまえば、それを消火する手立てはない。悪いことに、郊外には住宅というよく燃える薪がある。さらに森林にまで燃え広がれば、もうお手上げだ。

1. メルトダウン


 他の問題を霞ませてしまう最大の問題は、世界には437基の原子炉があり、さらに71基が建造中であることだ。滅亡後の世界では、致命的な核災害の連鎖が世界で広まることだろう。ごく簡単に説明すると、原子炉とはヤカンのようなものだ。水を沸かして、蒸気の力でタービンを回し、発電する。管理されずにオーバーヒートしてしまえば、メルトダウンが起こる。

 さらにメルトダウンが進み、核燃料が溶け落ちると、高熱により圧力容器や格納容器の壁を溶かして貫通して放射性物質が外に溢れ出すメルトスルー、俗にいうチャイナシンドロームの状態を引き起こす。また、溶融した核燃料によって格納容器の水が急激に沸騰し、水蒸気爆発を起こして放射性物質が大気中に飛散する。さらには、溶融した核燃料が容器の底部に集まるなどし、再臨界により暴走して核爆発に至る。いずれの事態であっても、環境中に重大な核汚染を招くことになる。

 それは人が姿を消しておよそ10日後のことだ。世界中で起きるメルトダウンによって、大気中に放射性物性が撒き散らされ、地球は猛毒の雲で覆われる。北アメリカ、アジア、南アメリカ、ヨーロッパは普通に住めなくなる。狂犬病の動物を処理してくれることが、唯一の慰めだろうか。 

via:toptenz

☆滅亡した後なんか、どうなってもええわい!

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現在注目されている6つの不老不死技術

2015年05月27日 | 世界びっくりニュース
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 「人間の寿命は500歳まで伸ばすことが可能である」。巨額の資金を有するグーグルの投資部門がそう発表したというニュース(関連記事)をお伝えしたが、その続編となる

 では実際に今、どんな不老不死の技術が注目されているのか?大富豪やIT企業はどの研究に巨万の富を投じているのか?開発が進められている6つの不老不死のテクニックを見ていくことにしよう。

1. DNAの書き換え


  グーグル傘下のカリフォルニア・ライフ・カンパニーのシンシア・ケニオン女史は、遺伝子工学によって、通常の10倍の寿命を持つ回虫を作り上げた。これはdaf-2という遺伝子の働きを部分的に停止させることで実現された。面白いことに、100歳まで生きる人は、この遺伝子が突然変異を起こしていることが多い。ケニオン女史は「これがいつの日か若さの泉となる」ことを信じている。

 さらに同社は、投薬によっても寿命を伸ばすことができると考えている。人間には成長を制限する遺伝子があるが、実はこれは長寿とも関連している。そこで、この遺伝子を模倣する薬を開発しようというのだ。

 アフリカで発見されたハダカデバネズミというネズミの遺伝子の秘密を解き明かすことも、加齢の謎を解明するうえで重要な課題である。この変わった風貌のネズミは癌に対して免疫があり、一般的な地中で暮らすネズミの10倍以上の寿命(30年以上)を持つからだ。専門家の見解では、これは地下のトンネルには呼吸する酸素がほとんどないことと関係しているという。このため、代謝が非常に遅く、細胞の加齢と死の確率を大幅に低下させているようなのだ。

2. ナノロボット


 グーグルの技術部門のディレクター、レイ・カーツワイル氏によれば、2030年までには無数の超小型ロボットが登場するという。このナノロボットを含んだ錠剤を飲むと、血流に乗って人体に行き渡り、内部から補い始める。免疫系を加速し、化学療法の副作用を抑えたりと、分子レベルで健康を維持してくれるのだ。動物実験ではナノロボットによる糖尿病の治療に成功している。

3. ペトリ皿の永遠の生命


 幹細胞を使った可能性を追求するのは、カナダの大富豪ピーター・ナイガード氏だ。幹細胞は様々な人体繊維へと変化するため、劣化した細胞や器官のスペアとなる可能性がある。ナイガード氏は、年に4度ペトリ皿で培養した自分の幹細胞を注射している。「これは状況を一変させ、あらゆる病気を根絶する可能性を秘めています」とうそぶく同氏によれば、寿命を伸ばすだけでなく、若返りの効果も有しているそうだ。

4. 新たな血液の研究


 新鮮で若い血液こそが長生きの秘訣と考える者もいる。マウスの実験では、若いマウスの血漿によって年老いたマウスの精神活動が回復することが証明された。これは元々は並体結合という手法で実現したことだ。その手法では、年老いたマウスと若く健康なマウスの脇腹を縫い合わせ、年老いたネズミを健康にし、反対に若いネズミの老化を進ませている。スタンフォード大学の実験では、アルツハイマー病患者が若い人から輸血を受けると、類似した効果が得られることが判明した。

5. クローン技術


 薄気味悪さを感じさせる別のアプローチとして、衰える人体組織をクローンや機械に交換するというものがある。ディストピア的未来を描いたカズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』は、自分が金持ちの体の交換部品として、やがて殺されることに気がつく若者たちを描いているが、現実はそこまで残酷ではない。科学者が既に実現しているのは、3Dプリンターで腎臓や肝臓を作り出すことだ。死にかけた人がいれば、新しい臓器が”食塩冷水蘇生法(cold saline resuscitation)と呼ばれる手法で移植される。

6. 半人間、半機械


 ロシアの大富豪ドミトリー・イツコフ氏は、人間の脳とその意識を機械の”アバター”に移植するプロジェクトに巨額の資産を投じている。彼の予定では1万年間多様な趣味を堪能するのだとか。グーグルのフューチャリスト、レイ・カーツワイル氏も「不死は手に届くところにある」と確信する1人で、2045年までにはコンピューターに意識をアップロードできるようになると予測している。そのときにはカーツワイル氏は97歳となっているが、人類進化の新しい段階が訪れるその日まで絶対に生きると決意しているようだ。

via:dailymail

☆どれでもいいから、はよう実施してくれ!

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いつか蘇ることを信じて・・・人体冷凍保存に関する8つのストーリー

2015年05月25日 | 世界びっくりニュース
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 ”死”は絶対に逃れられない唯一のものである。だが、どうしても死を受け入れられずに、新たなる技術にその身を託す人は後を絶たない。人体冷凍保存もその1つである。現在の医療技術で蘇生が不可能とされた人体を冷凍保存し、未来に技術が発展することを期待して、蘇生が可能になったころに解凍して治療しようという考え方である。

 ここでは実際に冷凍保存された8つのケースをサイドストーリーと共にみていこう。

1. 最年少の冷凍保存ケースとなった2歳の少女


 脳に出来た腫瘍が原因で亡くなった2歳の女の子が、いつの日か進歩した科学の力で蘇生させられる時が来ることを願って、冷凍保存された。

 タイ人のマセリン・ナオバラトポンちゃんは、冷凍保存された人類の中でも、最年少であろう。ある朝突然、マセリンちゃんは自分で目を覚ます事が出来なくなった。活発な動きを見せる癌細胞が原因だったようだ。彼女は、とても若い世代に多い、特殊な脳癌である上衣腫と診断された。

 集中治療を始めてから一月が経ち、脳外科手術を12回、化学療法を20回、放射線治療を20回など、現代医学を駆使したあらゆる治療が行われたが、どうにもならなかった。

 2015年1月8日、彼女の両親が延命装置を切ると、彼女は息を引き取った。亡くなるまでに左脳の80パーセントを失っていた彼女は、実質右半身がマヒした状態だった。どうしても諦められない家族はマセリンちゃんの体を冷凍保存してもらおうと、その業界で一番知られている会社にお願いした。

 マセリンちゃんの遺体は現在、アリゾナに本拠地を置くアルコーという冷凍保存施設で管理されている。凍らされた脳と体は、マイナス196度で別々に保管してある。

 いつか科学が進歩し、彼女の命を取り戻せる日が来て欲しい、と言うのが彼女の家族の希望である。また、彼女の両親は、彼女の脳細胞や体の他の部分を保管することによって、いつか彼女の命を奪ったこの病気についての研究が進む事も望んでいる。

 ちなみに、冷凍保存施設、アルコーの会員になるためには毎年770ドル(約9万円)支払う必要がある。その他、マセリンちゃんが行った「神経」の処理には8万ドル(約950万円)の費用が掛かっている。また、全身を保存するには20万ドル(約2400万円)かかるそうだ。

2. 詐欺を行ってまで、自分の妻を冷凍保存させたかった夫


 出資金詐欺師として訴えられた人物が、出資者のお金を個人的かつ奇妙な目的で使用していた事を、検察官が明らかにした。自分の妻の体を冷凍保存する為だったのだ。

 ワイルオン・チェイは、出資者たちに金融商品、外国為替・貴金属への投資を持ち掛け、15万ドル(約1800万円)を集めると、2009年に死亡した彼の妻の冷凍保存の為に利用した。

 チェイがやり取りに使っていた銀行口座はまだ見つかっていない。検察官によると、2011年に取り調べが行われている最中に、当時38歳の彼はニューヨークからペルーへ飛び立ち、それ以来行方不明となっている。昨年、州の商品先物取引委員会が彼に対して提出したこの件に関する民事訴訟への回答は、彼からも、彼の弁護士からも得られていないと言う。

 チェイは、毎年約24パーセントの利益を還元することを約束し、「この取引にはリスクが無い」と言い500万ドル(約6億円)以上の出資金を募った。集めたうちの200万ドルの一部を妻の冷凍保存を含む個人的な目的の為に使用していたとそうだ。投資家の一人が、チェイと会う度に彼が運転している車種が違うのに気づいた事で、ようやく発覚したそうだ。

 検察は、チェイが偽の口座情報を提示することによって出資者たちを欺き、新株の投資者たちの出資金を使いまわして、古株の投資者達に偽の配当金を工面していたと見ている。

3. 掲示板への投稿がきっかけで、冷凍保存された末期がん女性


 SF映画でしばしば見かける人体冷凍保存。この方法に望みを託す人は増え始めている。23歳の脳神経科学を専攻している学生は、末期の脳癌と診断された。そこで治療法が見つかる日がくるまで自分を冷凍保存しておくため、インターネット上で資金を募った。その努力が実り、キム・スオッジは現在、冷凍保存されている。

 あと数か月の命だと悟ったスオッジは、海外投稿掲示板 ”Reddit” 上に残りの日々をどう過ごすべきかという質問を投げかけたところ、冷凍保存に関する話題が持ち上がった。そこでスオッジはネット上で助けを求める発言を発信してみたところ、”ベントゥーリズム・ソサエティ” の有志含む未来信者たちが、慈善活動を立ち上げ、この冷凍保存というアイディアを実現するために必要な大金を集めるのに協力してくれたようだ。

 このグループは、非営利的なボランティアで構成された集団であり、このような案件は扱い慣れている。というのも、以前にも2件の冷凍保存の資金調達を成功させており、現在ももう一つの緊急の案件について取り組んでいるのだという。スオッジは2013年1月17日にその生涯を閉じたが、今現在、臨床的に亡くなった状態で保存されている。彼女の病は、反回性膠芽腫と診断されている。

4. 冷凍保存された夫との再会を夢見て、自身の冷凍保存を希望する未亡人


 ブリッジタウンに住むマルタとヘルマーのサンドバーグ夫婦は、二人仲睦まじく暮らしていたが、1994年に脳腫瘍でヘルマーが先立った。元アメリカ海軍隊員のヘルマーの希望で、彼の遺体は20万ドル(約2400万円)をかけ、冷凍保存され、デトロイトを本拠地とする低温保存協会で人間が蘇生可能になる日を待ち望んでいる。

 サンドバーグ夫人の方も、自分が死んだ場合は冷凍保存してもらう事に決めている。「まだヘルマーが恋しいのです。」と彼女は言う。「今も彼を愛しています。20年以上も一緒に過ごしましたが、毎日が楽しくて幸せでした。生き返ってまた2人で暮らしたいの」。サンドバーグ夫人は、いつの日か二人揃って蘇れる事を望んでいる。こんな約束はしていなかったのだけれども。

5. 高名な研究者3名が ”死” を否定するために冷凍保存化プランをたてる


人生において確かな物は”死”だけである。オックスフォード大学の学会上級研究者達はこの事実に抗いたかった。そこで彼らは、冷凍保存技術に投資し、将来自らが生き返る事によって、それを証明しようと考えている。

 ニック・ボストロムは、FHI(フューチャー・オブ・ヒューマニティ学会)の心理学の教授であるが、助手であるアンダーズ・サンドバーグと共にアメリカの冷凍保存会社との契約にサインし、自分たちに死が訪れた際、彼らの頭部を切り離し冷凍保存する為の費用を支払う事にした。同僚のスチュアート・アームストロングもまた、冷凍保存される事を望んでいるが、彼の場合は全身保存を希望しているそうだ。

 ボストロム、アームストロング、サンドバーグの3人は、地球温暖化などの世界的な問題についての研究を行っている、かの有名なオックスフォード・マーティン・スクールに属している学会、FHIの指導研究員である。

 しかしながら、今のところ大学レベルで人間の低温保存法についての研究を行っている学者はいない。そこで彼らのグループは、月々45ポンド(約8000円)の保険料を収めなければならない生命保険を組み、将来自分たちが亡くなった際、保存するのに必要なだけの費用を賄えるように備えている。

 もしも彼らが不治の病と診断された場合、低温保存を担当するチームが彼の死に備えて医師の近くで待機することになっている。そして、遺体が冷たくなっていく中、特殊な装置を使って血液の循環を促すそうだ。その血液の流れに乗せて、体の組織を保護するための保存料や凍結防止剤が注入されるらしい。

 仮に頭部だけが冷凍保存される場合、窒素ガスを使って温度をマイナス124度まで下げる前に、まず胴体から切り離される。そして患者の遺体は、最終的にマイナス196度まで温度を下げられ、専用の施設の倉庫で、窒素液で満たされた容器の中で保管される。

6. 遺族により冷凍保存された大リーグプレーヤー


 2002年7月、ボストン・レッドソックスの英雄テッド・ウィリアムズが83歳にして亡くなった。彼の遺体は家族の希望により、フロリダ州インヴァネスから、アリゾナ州の真ん中へと運ばれ、いつかの未来にまた蘇生させられるようにと、冷凍保存されることになった。

 彼は生前に、火葬してフロリダ・キーズに散骨して欲しいと意思表明していたが、ウィリアムズの息子であるジョン・ヘンリ(とそれより年の若い娘のクラウディア)は彼を冷凍保存する道を選んだ。

 テッドの年上の娘であるボビー・ジョー・フェレルは、亡き父の意志を尊重する為に裁判を起こした。ジョン・ヘンリの弁護士は、テッド、クラウディア、ジョン・ヘンリのサインのついた非公式の「家族間協定」を持ち出し、彼ら三人は死後「仮死状態」になり、「見込みがほとんどなかったとしても、将来また一緒に暮らす」事に賛成していると説明した。

 ボビー・ジョーと彼女の弁護士であるスパイク・フィッツパトリック(テッド・ウィリアムズの元弁護士)は、彼らの示すインクが滲む布になぐり書きされたような協定が捏造であると主張した。しかしながら、分析の結果でそのサインが本物だという事が証明された。ジョン・ヘンリは、彼の父が科学の力を信仰するタイプの人物だった事、そして、家族を取り戻せる可能性があるならば低温保存法も試したがっていた事、などを語った。

 なお、ジョン・ヘンリは2004年3月6日に白血病で亡くなった。彼は、あの布に書かれた協定の通り、アリゾナ州のスコッツデールの施設で冷凍保存がなされ、父の遺体と合流したそうだ。

7.人類初の蘇生目的の冷凍保存となった人物


 それ以前に少なくとも一件は未完に終わったケースがあったようだが、一般的に、人類で初めて将来的な蘇生を目的に冷凍保存された人物とされているのは、73歳で亡くなった心理学の教授、ジェームス・ベッドフォードである。彼は1967年1月12日に、CSC(カリフォルニア低温保存会)によってなかなか粗雑な状態で保存された。

 低温保存のコミュニティの中では、彼の冷凍保存の記念日を「ベッドフォードの日」としてお祝いしている。この話は、アポロ1号の火事で3人の宇宙飛行士の死を報道するまで、ライフ誌の限定版の表紙も飾っていた。

 ベッドフォードの遺体は、家族によって液体窒素につけられ、1982年までカリフォルニア南部で保管されていたが、その後アルコー延命財団へと移動され、今現在も大事に保管されている。

8.冷凍保存を望んだ、ビット・コイン(暗号通貨)の先駆者


 2014年、ビット・コインの先駆者であるハル・フィニーは、世界で最も価値の高い暗号通貨の生みの親、ナカモト・サトシの片腕となり、第二の開発者として広く知られている。彼は、58歳に筋萎縮性側索硬化症(ALS)に侵され、5年の闘病生活ののち、この世を去った。

 2008年、ALSと診断される1年前、オンライン掲示板上の暗号化技術はどんどん展開を進め、ついにフィニーが世界で初めて、ビット・コイン取引の受領者となった。

 彼は亡くなる前、自分の遺体をアルコーで冷凍保存して欲しいと希望していた。彼の遺体は、現在450リットルもの液体窒素で満たされた304センチはあるタンクの中で保管されており、体内の血液やその他の体液を抜かれた状態になっている。

via:oddee

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中世に発明され歴史を変えた、世界13の武器

2015年05月22日 | 世界びっくりニュース
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 ここで言う中世とは、西ローマ帝国が滅亡した後の5世紀から15世紀の時代のことである。征服、疫病、破壊が続く長く暗い戦争の時代で、最終的にルネサンスや大航海時代へとつながった。

 この時代にたくさんの優れたものが発明された。風車、水車、メガネ、機械時計、三圃制、強化建築技術、煙突など、新たなる文明が芽生えていったのだ。

 だが、中でも最も重要なのは、より強力な武器も数多く発明されたことだ。死と侵略と破壊の時代においては、敵を倒すための新たな方法を考え出すことは、司令官にとって必要不可欠だった。こうした武器の工夫が、結果的に重要な発明や発見につながった。ここでは、中世に発明された重要な武器13点をあげてみよう。

13. フレイル(1419年頃)


 もともとは穀物を脱穀するために使われていた竿状の農耕道具で、1400年代までは武器ではなかった。対象にぶつけるためのヘッドがロープや鎖で柄についている。両手で振り回して使う武器で、軍隊や暴動に関わった農民に人気だった。剣や槍と違って、もともと農民は皆こうした竿を持っていたので、扱いにも慣れていたからだ。

 フレイルが武器として使われた有名な例としては、1420年から1497年にかけてのフス(キリスト教一派)戦争のときの大規模な農民歩兵部隊と、16世紀始めのドイツ農民戦争である。フレイルのおもな特徴は、甲冑を破り、盾を破壊できること。正確性に欠けるので、接近戦や隊列組んで使うのには向かないため、100年もたたないうちにこの戦闘スタイルはすたれた。のちに、大釘のついた鉄球を鎖の先につないだ、片手で使える武器に改良された。

12. ギリシャ火薬(672年頃)


 ビザンティン帝国が海戦で使った焼夷兵器。海の上でずっと火力を発することができるため、効果的な武器で、ビザンティン帝国の勝利に欠かせないものだった。アラブの包囲からコンスタンティノープルを奪還するのに使われた。

 ギリシア火薬はアラブ、中国、モンゴルが使っていたが、最強の製法を編み出したのはギリシア軍だった。その方式は国家機密として守られ、正確な扱い方は現在ではわからない。松脂、硫黄、生石灰にノズルで圧力をかけ、敵に向けて液状火炎を噴射するやり方ではないかという。

 ビザンティン海軍は無敵というわけではなかったが、この兵器のおかげで数多くの勝利を得た。しかし、兵器として認められたのは、何世紀も後になってからだった。さらに、射程距離に限度があり、安全に使用するには、都合のいい風の条件が整わないとだめだった。

11. 火槍(10世紀頃)


 中国で使われた世界初の火薬兵器。初期のものは、火薬や投射物の入った竹の筒をつなげた槍のような形をしていた。発射すると、吹き矢のように発射物が押し出されて、数フィート離れたところに飛ぶ。火薬を発射する槍型の武器として、接近戦で使われた。

 最初に現れたのは10世紀だが、1260年頃さらに改良され、宋王朝の歩兵や騎兵によって定常的に使われるようになった。かなりの距離を飛んで敵を殺傷できるようになったことで、飛び道具式武器の発達に大きく貢献した。火槍の原理はのちの大砲、ロケットを生み、最終的に銃が出現することになった。

10. 鉄製クロスボウ(1370年頃)


 鉄製のクロスボウは、じかに持って使うクロスボウとしては比較的新しい。従来のクロスボウよりも格段に威力があり、進歩した安価で手ごろな飛び道具として生まれた。

 このもっとも強い弓は、2267kgもの力で、確実に300メートルまで飛ばすことができた。熟練した射手は1分間に2本の弓を放つことができたという。

 世界初のクロスボウは、紀元前5世紀前の古代中国で発明されたが、より威力を引き出す目的でヨーロッパで鉄製のクロスボウが開発された。クロスボウは狩りの道具だったが、1066年のヘイスティングスの戦いから1500年頃まで、戦いの兵器としてとして使われているのがわかっている。1370年の戦場で姉妹品である鉄製のものが初めてお目見えした。

 従来の弓よりもクロスボウのほうが威力があるのは、より強い衝撃を生み出す運動エネルギーのせいだ。ほとんどの鎧を貫くことができるし、1週間程度の訓練でうまく使うことができるようになる。逆に単発式のロングボウは熟練するには、数年の訓練が必要だ。中世ヨーロッパでは、クロスボウ部隊の司令官は、軍の中でも最高位のランクに入っていたという。

9. オルガン砲(1339年ごろ)


 リボドゥカン、リボーとも呼ばれるこの兵器は、中世後期の一斉射撃銃。見るも恐ろしい兵器で、迫撃砲やその他の一斉射撃兵器の先駆けとなった。砲座にたくさんの鉄の銃身が平行に並んでいて、発射すると弾丸が雨あられとそそぐようになっている。対人兵器として使われた。

 フランスとの100年戦争中、1339年にイングランドのエドワード三世によって初めて使われたことが知られている。エドワード王のオルガン砲は12の銃身がついていて一斉に12発発射することができた。バラ戦争でも使われ、大勝利をおさめた。レオナルド・ダ・ヴィンチによって設計され、多くの火器兵器の先駆となったものがあることは有名である。

8. マンゴネル(1224年ごろ)


 中世では、多くの投石兵器が作られたが、その性能はさまざまだった。初期のタイプのひとつにマンゴネルという投石器があるが、この言葉はギリシア語の戦いの原動力という意味からきている。城壁に石をぶち当てて破壊するために使われた。投石の威力とその速さは、のちに出てくるトレバシェット(平衡錘投石器)よりも優れているが、弾道は低いし、精度も劣っている。

 マンゴネルはパチンコ方式で石を壁に当てて破壊するための兵器で、壁を乗り越えて投げることはできず、野戦では対人兵器として使われた。石や火のついたもの、腐敗した動物や人間の死骸などを敵陣に投げ込んで、威嚇したり病気を広めたりした。ときに20人もの男たちで投石していたが、こうした労働力はのちに錘を落としてその反動で発射する方法にとって代わった。しかし、熟練した人間の手でやると、投石の強さ、弾道、速さなどを微調整することができた。

7. アーチ型の鞍(11世紀ごろ)


 紀元前4000年頃、馬が家畜化されて以降、鞍は存在していたことがわかっている。年月とともに鞍製作の技術は進み、11世紀には独創的なアーチ型の鞍が導入された。中世では、騎士はより丈夫で、支えのしっかりした鞍を必要としていた。その結果、鞍の前側と鞍尾が高くなり、戦闘中に乗り手が馬から投げ出されないようになった。

 アーチ型の鞍だと、騎士が槍を頭上ではなく腕の下に抱えられ、棒高跳びのように前につんのめって落馬する危険性を防ぐことができる。このため、全速力で馬を走らせることができて、敵に衝撃を与えられ、最高に機能的な恐ろしい機動部隊となれる。このアーチ型の鞍は武器ではないが、確実に戦闘の形を新しいものに変えたのだ。

6. イングランド軍のロングボウ(1250年ごろ)


 イングランドやウェールズのロングボウは、狩りに使われていた6フィート(1.8m)もの長さの大弓。1250年から1450年の中世時代にはおもに武器として使われた。100年戦争中の1346年のクレシーの戦いや1415年のアジャンクールの戦いでは、この弓が数々のめざましい勝利の立役者となった。

 ロングボウはイングランドで紀元前2665年には見つかっているが、この弓がおもに活躍するようになったのはずっと後の紀元1250年ごろのこと。熟練の射手ならば、集中的に矢を浴びせることができ、攻撃力が増して、敵を倒すことができる。

 ロングボウは1066年のヘイスティングスの戦いでのノルマンディの勝利、1138年のスタンダードの戦いのアングロノーマンの勝利に大いに貢献した。のちに、もっと短くてコンパクトな、耳のあたりではなく胸で引いて撃つショートボウにとって代わられた。ロングボウは火薬兵器よりも速く正確だが、熟練するのに何年もかかり、最終的にはもっと簡単に使えるようになる銃にとって代わられた。

5. パイク(13世紀ごろ)


 歩兵が使っていた長く突き出した槍。長さ18フィート(5.4m)もあるため、ほかの槍型兵器と違って投げる仕様ではない。中世初期から1700年ごろにかけて歩兵によって使われた。ドイツのランツクネヒト(歩兵)やスイスの傭兵のパイク編成部隊は、もっとも恐ろしい軍隊のひとつとなった。

 似たような武器は、マケドニアのアレクサンダー大王の時代にさかのぼっても使われていた。大王が破れてのち、1000年ほどすたれていたが、中世に入ってスコットランド人が復活させた。パイクは両手で使うと確かに扱いにくく、至近戦での防御か攻撃どちらかで使われる。熟練したパイク部隊は、槍を構える歩兵が4~5層になって、一斉に敵を攻撃することができる。敵を馬から引きずりおろし、馬は右往左往して逃げ惑い、混乱させる。中世では歩兵の主要な武器のひとつとなり、広く普及した。

4. ロング・ソード(1260年ごろ)


 中世といえばこの剣をイメージするほど、代表的な武器。短い刃の古代のスパタ剣が発展して戦闘用の剣になったもの。ロング・ソードはその長い刃以外の特徴はあまり知られていないが、つかも長く両手で扱うのに都合がいい。

 ロング・ソードは、ドイツのツヴァイ・ヘンデルやスイスのバスタード・ソード、スコットランドのクライモアを含めた総称的な名称で、すべて大刀の仲間。中世後半に甲鉄の鎧をつけた歩兵たちが使用した。

 まっすぐなもろ刃の剣で、切り込んで攻撃するが、のちに甲冑が導入されてから突き刺す攻撃も可能になった。鍔も特徴的。当時は鉄は高価だったため、ほとんどはロング・ソードは持つことができなかった。騎士だけが持つことのできる褒章で、地位を表わすステイタスシンボルでもあった。

3. 平衡錘トレバシェット(12世紀ごろ)


 中世に登場した最強の破壊力のある包囲戦用投石兵器。錘のメカニズムではなく、人力で引いて投石するトレバシェットから発展した。12世紀に地中海周辺のキリスト国とイスラム国に導入された。

 160kgもの投石物を遠心力の力で敵の要塞に投げ入れる兵器で、錘の重力の力を利用する、投石のスピードを増すために錘のアームより長い投石アームを回転させる、投石アームについているスリングをもうひとつのてことして、さらに威力アップするという特徴がある。

 トレバシェットは中世時代の包囲戦において、決定的に兵器に革命を起こした武器のひとつだった。この兵器の出現で、城主は自分の砦の壁の強化を考え直さなくてはならなくなった。それほど、トレバシェットの威力は強靭で、火薬が出現するようになっても、この兵器は15世紀の包囲戦で重要な役割を果たした。

2. 大砲(1324年ごろ)


 火薬の威力で砲弾に推進力を与えて飛ばす兵器の総称。火薬の発明の到来とともに、最初に中国で発明された。大砲の出現で、包囲攻撃兵器の新時代の幕開けとなった。大砲は火槍の子孫でもある。

 もっとも古い大砲の絵が描かれたのは1326年で、ヨーロッパで使用された最初の記録は、ムーア人によるコルドバの包囲戦。大砲は包囲戦技術の先駆となり、中世の戦闘の形を変えた。100年戦争のクレシーの戦いでも採用された。

 イタリアの歴史家、フローレンティン・ジョバンニ・ヴィラーニは、大砲の破壊力について詳しく述べている。戦闘の終わりには人間でいっぱいの平原が、矢と砲弾で壊滅状態になり、1453年のオスマントルコによるコンスタンティノープルの55日間の砲撃では、68門の大砲がいたるところで炸裂し、近くにいた人を殺したという。火薬は前述のギリシア火薬をすたれさせ、ヨーロッパ最強と言われていたコンスタンティノープルを1453年についに陥落させた。ここにひとつの時代が終わった。

1. 火薬(9世紀ごろ)


 中世の戦争、もしくは戦闘の歴史において、火薬はもっともすぐれた発明品であることは間違いない。1000年以上に渡って、世界の兵器の成長は火薬の発見にかかっていたといっても過言ではない。中国で道教の信者が不死の薬を作ろうとしたときに発明された。結局、彼らは不死の対極のものを生み出してしまったというわけだ。

 中国人はモンゴルに対抗するために火薬をベースにした火器、爆薬や大砲を作り始めた。そしてモンゴルが中国の火薬を広めた。初めてヨーロッパに持ち込まれたのは、1241年のモンゴルとハンガリーの間で行われたモヒの戦いである。

 大型の剣や盾、甲冑の時代の兵器は、神の兵器なのかもしれない。時代とともにすたれてしまった投石器や従来型の包囲兵器と違って、火薬の発明はあらゆる軍事の発達につながってきた。そして、衰えすたれる気配はない。(頼りになるレーザーが出現するようになるまでは)

via:therichest

☆こんな武器で、戦ってたのが信じられへん!

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怖いよ。怖すぎるよ。第一次世界大戦前後に撮影された心霊写真(イギリス)

2015年05月20日 | 世界びっくりニュース
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 時代は第一次世界大戦前後、イギリス人の最大の関心ごとは、今は亡き親族の姿を写真で蘇らせることだった。

 当時、心霊写真家として活躍していたウィリアム・ホープ(1863 - 1933)は、死んだ人だけではなく、写真に映った霊魂とも交流できる霊媒師として人気を博していた。信じない人にとっては詐欺師認定されるわけだが、どんな時代にあっても信じちゃう人はいるようで、彼に心霊写真を撮ってもらいたいという人からの依頼が絶えなかったという。


 最近、ホープのいわゆる「心霊写真」のコレクションがイギリスで発見された。これらの写真は幽霊めいたものが映し出されており、当時の人々は先祖の霊はすぐそばにいて、写真を撮ることでその姿を見ることができると信じていた裏付けとなっている。

以下の写真はホープによって撮影されたものである。

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 ウィリアム・ホープは高校を卒業後、大工として働き始め、その後、写真に興味を持ち始めた。ホープの人生が劇的に変化するのは1905年のことである。友人の写真を撮影している時に、そこにないものが写りこんでいたのだ。ホープはこれは霊であると確信した。すぐさま彼は、「クルー・サークル」という名前の霊魂の撮影を行う写真家グループを作った。

 ロンドンを基盤にしたこのグループは、第一次世界大戦後に名をはせた。戦争で亡くなった愛する人々を悼み、深い悲しみにひたる家族が多く、ホープの心霊写真スタジオは、「亡くなった身内と一緒に写真が撮れる」として大人気となった。

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 1920年代、ホープはロンドンで有名な霊媒写真家となった。しかし同時に批判も殺到する。ホープと「クルー・サークル」は1922年に「心霊現象研究協会」から調査を受け、詐欺師認定された。協会は、ホープが撮影した写真は、実際の霊魂ではなく、加工した偽物であると主張したのだ。

 このようなホープに対する批判にも関わらず、熱烈な支持者たちは彼から離れなかったと言う。ホープと「クルー・サークル」は1933年に彼が死ぬまで、「霊魂の撮影」を続けた。

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 ホープが一部の人々に強く信じられていた理由は、愛する人を失った人々の深い悲しみと密接に関わっている。ぽっかりと空いてしまった心の隙間を埋めるには、その存在を認識できる確証が欲しかったのだ。愛する人は常にそばにいる。そう信じたかった彼等の願いを責めることができようか?

 その需要の一旦を担ったのがホープと 「クルー・サークル」だったのである。

via:viralnova

☆昔のカメラは信用できん!

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