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羊のメスはオスを選ぶのも草食系。強いオスよりも従順でおとなしいオスを選ぶ

2021年06月30日 | 世界びっくりニュース
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羊は草食系男子を好む。強いオスよりおとなしいオスが好き
photo by Pixabay

 動物の世界では強いオスの方がメスにモテるイメージがある。これまでの研究では、家畜として飼われているヒツジの間では、支配的なオスの方がより多くのメスと交尾できると考えられていたが、実際にはそうではなかった。

 『AppliedAnimal Behavior Science』に掲載された研究によると、羊のメスにオスを選ぶ選択権を与えたところ、メスが選んだのは、優位を誇る支配的なオスではなく、順位の低い優しいオスであることがわかったという。草食の羊の好みのタイプも、また草食系ということになる。

支配力の強いオス羊の交尾行動

 
 これまでの研究で、支配的なオスは、その押しの強さでメスにより多くアプローチし、おとなしいオスよりも、荒々しい交尾行動をとる傾向があることがわかっている。

 また、あまりに支配力が強すぎるせいか、旺盛な生殖行為が過剰になりすぎて、精子が不足してしまうオスもいることもわかっている。

 このように強すぎる支配力は、精子不足のせいでなくても群れを危険にさらすこともあると動物科学者は指摘する。

 近親交配が進んで、弱い個体ばかりになってしまう可能性につながるからだ。


羊のメスはおとなしいオスが好き
photo by iStock

羊のメスはおとなしいオスを好むことが判明


 メキシコのエスタド・デ・モレロス自治大学(UAEM)とウルグアイのラ・レプブリカ大学の研究チームは、支配的なオスの精子が足りなくなったとき、メスはあまり支配的でない、つまり羊カーストの低いオスのほうになびく傾向があることに気がついた。

 それを調べるために、囲いの片側に支配的なオスのヒツジを、反対側に従順なオスのヒツジを一頭づつつないでみた。

 そして、発情期のメスのヒツジ7頭を柵の中に入れ、交尾の相手としてどちらのオスを選ぶか観察した。異なるグループのメスを使って、この実験を何度も繰り返してみた。

 すると、実験数の4分の1で、メスが支配的なオスをまったく選ばなかったことがわかった。

 メスが支配的なオスとを選んだ場合でも、おとなしいオスを相手にする場合に比べて、生殖行為数は少なく、実際の交尾の数も遥かに少なかった。

 メスは、おとなしいオスと一緒に過ごすのを楽しんでいるかのように見えたという。支配的なオスと過ごすよりも、おとなしいオスと過ごす時間のほうが平均で3倍も多く、交尾にかける時間も2倍長かったようだ。

メス羊は草食男子が好き
photo by Pixabay

なぜメス羊は強いオスよりおとなしいオスが好き?


 進化の過程で、近親交配を防ぐために、メスはあまり支配的でないおとなしいオスを選ぶようプラグラミングされてきたのではないかと研究者は言う。

 というかなにより、メスたちは、乱暴なオスではなく、より穏やかに優しくアプローチしてくれるオスのほうを好んでいるようにも見えるという。

References:Female sheep found to prefer less dominant males when mating/

☆草食系でも一応アプローチはすんねんなぁ!

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アルゼンチンで珍しい頭蓋骨を持つ新種の肉食恐竜が発掘される

2021年06月28日 | 世界びっくりニュース
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新種の肉食恐竜がアルゼンチンで発見される
credit:Jorge Blanco.

 恐竜がまもなく絶滅しようとしていた白亜紀末期、ゴンドワナ大陸には恐ろしい恐竜が生きていた。

 アルゼンチン、パタゴニア北西部にある化石地帯ラ・インベルナーダのバホ・デ・ラ・カルパ層で発見された新種の肉食恐竜の化石は、「ルカルカン・アリオクラニアヌス(Llukalkan aliocranianus)」と名付けられている。

 ルカルカンはマプチェ語で「恐怖をもたらすもの」、アリオクラニアヌスはラテン語で「珍しい頭蓋骨」という意味だ。

トサカやツノが生えた短い頭蓋骨を持つ肉食恐竜


 今から8000万年前、白亜紀末期に生息していたルカルカン・アリオクラニアヌス(以下L. アリオクラニアヌス)は、大型捕食恐竜アベリサウルス科の仲間で、その姿はあのティラノサウルスを思わせる。

 体長は5メートルでティラノサウルス(13メートル)に比べれば小さいが、極めて強力なアゴや鋭い歯、巨大な爪に鋭い嗅覚といった武器で武装していた。

 その名が示すとおり、特徴的な頭蓋骨をしており、トサカやツノがゴツゴツと生えている。生きていたときは、現代の一部の爬虫類にも似た、膨らんで目立つ頭部を持っていたようだ。

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頭蓋骨の再現図 credit:Gianechini et al., doi: 10.1080/02724634.2020.1877151.

ワニに匹敵する鋭い聴覚を持っていた可能性


 だがパタゴニア地質学・古生物学研究所の古生物学者アリエル・メンデス博士によると、最大の特徴は、中耳のあたりにある小さな空洞であるという。

 これは他のアベリサウルス科の仲間にはない特徴で、これのおかげでL. アリオクラニアヌスは現代のワニと同等か、それより優れた聴覚を持っていた可能性があるという。

アベリサウルス科の恐竜は強い捕食者


 L. アリオクラニアヌスの発掘現場のそばからは、同じくアベリサウルス科に属する「ヴィアヴェナトル・エクソニ(Viavenator exxoni)」も発掘されている。

Viavenator_e0

 このことは白亜紀後期において、アベリサウルス科の恐竜がパタゴニア地域の主要な捕食者だった可能性を示唆しているそうだ。

 この研究は『Journal of Vertebrate Paleontology』(3月30日付)で発表された。

References:New Species of Carnivorous Dinosaur Unearthed in Argentina | Paleontology | Sci-News.com/

☆古生物学研究者が少なすぎるから、こんな新種いくらでも出てくるで!

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ポーランドの都市では8個のムール貝が市民の水の安全を守っている

2021年06月25日 | 世界びっくりニュース
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photo by iStock

 水が豊かな日本にいるとつい忘れがちになるが、人が生きるために欠かせない綺麗な水は国家間紛争の火種になるほど貴重な資源だ。それを維持管理するためには常日頃から厳しいチェックが必要になる。

 ポーランド王国時代は首都でもあった歴史ある都市ポズナン。ここでは水の管理にとてもユニークなシステムが採用されている。8匹のムール貝が水質に問題ないかを常時チェックしてくれているのだ。

ムール貝を使った水質管理システム


 ポーランド西部に位置するポズナン市の人々は、デンビエツ水処理場で処理された水を使って生活している。処理場には水道管を通じて町中から水が集まり、その水質はセンサーによってチェックされる。

 だがこのプロセスにはもう1つ、少々変わっているが信頼性の高い装置が組み込まれている。それは8匹のムール貝を使った「生体インジケーター」だ。

 ポズナン市の主な水源はバルタ川だ。ポーランド王国時代から地域の人々の暮らしを支えてきた豊かな河川だが、皮肉にもそれゆえにその流れはポーランドでも最大の人口密集地域や工業地帯を通過している。

 このために、クロムなどの重金属をはじめ、水質汚染のリスクを無視することができなくなってしまっている。そこで活躍するのがムール貝たちだ。


Clams guard Poland's drinking water

ムール貝は水質に敏感に反応。汚染を感知すると貝殻を閉じる


 ムール貝が生体インジケーターとして導入されたのは、それが水質に対して敏感に反応してくれるからだ。

 ムール貝はたっぷりと酸素を含んだ綺麗な水がなければ生きることができず、汚染に対してはそれほど強くない。水質が適切ならばエサを食べるために貝殻を開くが、汚染を感知すればさっと貝殻を閉じて代謝を低下させる。

 そこで貝殻にバネを接着し、それが閉じたときに検出器が作動するような仕掛けをほどこす。検出器から警報が出されると、コンピューターが通常のセンサーからの情報を調べて、何か問題がないかどうか確認する。

 このシステムのムール貝は全部で8匹いる。閉じたのが1匹だけなら、ただ疲れて休憩しているだけかもしれない。だが8匹中4匹が同時に閉じれば、汚染の疑いは濃厚だ。水処理場は直ちに停止する。

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かつての厄介者が英雄に


 かつてムール貝は水道をつまらせる厄介者と見られてきたが、今やその信頼性の高さはアダム・ミツキェヴィチ大学の研究者のお墨付きだ。

 1994年にデンビエツ水処理場で貝の水質モニタリングシステムが採用されて以来、厄介者だったはずのムール貝が住民の水を守ってきた。

 昨年などは、そのユニークさが注目され、『Fat Kathy』という14分のドキュメンタリー映像作品まで撮影された。


Hot Docs 2020 Trailers: FAT KATHY
References:In Poznan, Poland, eight clams get to decide if people in the city get water or not/

☆この貝のことムール貝言うの初めて知った!

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巨大かつらやお歯黒まで、大昔に流行した奇妙な5つのファッション

2021年06月23日 | 世界びっくりニュース
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古代に流行した奇妙な5つのファッショントレンド
photo by iStock

 太古の昔から、人類は美しくありたい、かっこよくありたいという欲望を持ち、それを追求してきた。ファッション、ヘアスタイル、化粧など、時代によって方向性は違えど、様々な流行が生まれていたのだ。

 当時最先端だった流行も時代が変わると奇妙に見えてくる。ここでは大昔に流行った5つのファッショントレンドを見ていこう。

真っ白な肌を追求した古代ローマ女性の化粧


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古代ローマの女性たち。紀元前20年から紀元20年頃のローマ、セントセレにある邸宅のモザイク画

 ローマの女性の理想は、ずば抜けて白い肌だった。色が白いということは、ほとんど外へ出ることなく屋内で過ごせる、使用人を雇える裕福な身分であることを意味する。

 だが、もともとローマ人の自然な肌色は象牙色というよりオリーブ色に近かった。そこで、不自然に肌を白くする方法がもてはやされた。そこで使われたのが、チョークの粉、ワニの糞、白鉛だった。

 かのエジプト女王クレオパトラも、美白のためにロバのミルクのお風呂に浸かっていたという。エジプトでは、シワ対策には白鳥の脂や豆の食事、紫外線のせいでできてしまったシミにはカタツムリを灰にしたものが使われた。

 傷やにきび隠しのために、よくフェイクのポイントメイクが施され、頬はバラの色素やケシの花びらなどで赤くしたと言われている。

男性のハイヒール


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イアサント・リゴー(1701年)によるルイ14世の肖像。トレードマークのハイヒールを履いている。

 現在ハイヒールの靴は女性の靴とされているが、昔は違ったようだ。歴史においてはさまざまな時代で男性も履いていた。

 kothorniというかかとのついた履物は、紀元前200頃のギリシャの俳優が履いていたもので、8~10センチの高さの木製のコルク底がついたハイヒールだった。

 この高さは、社会的身分や、舞台で演じられるさまざまなキャラクターの重要性によって差がつけられていたと言われている。

 中世ヨーロッパでは、男女ともパッテンと呼ばれる靴を履いていた。当時の町の通りはぬかるんでいて汚く、その頃の履物は壊れやすく高価だったため、通りを歩くときに靴を壊さないよう、地面に直接足がつかないオーバーシューズ、パッテンを履いていたという。

 ハイヒールは、あぶみ代わりにもなるため、ペルシャ騎兵も履いていた。16世紀末から17世紀始めにかけて、ペルシャのシャー、アッバース1世は、共通の敵オスマントルコに対抗するための同盟を求めて、ヨーロッパへ外交官を派遣した。

 外交官が履いていたペルシャのハイヒールを見たヨーロッパの貴族は、乗馬のときの実用性は度外視して、男らしさの象徴、ステータスシンボルとしてすぐにそれを取り入れた。


古代エジプトの巨大なかつらやつけ毛


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ハトル風かつらをつけた女王イアフメス=メリトアメンの胸像(紀元前1550年頃、第18王朝)

 大古の昔から、人々はあらゆる目的のために、さまざまな被りもの、かつら、つけ毛、帽子などで自分のイメージを変化させてきた。

 現存しているかつらは、当時の社会の文化やファッションを反映していて、昔の人たちの日々の生活が垣間見える。

 最古のかつらや被りものの記録は、古代エジプトにさかのぼる。かつらを被る理由はさまざまだが、基本的にはこれらは衣装の一部で、とくにエリート階級にとっては、つけている者の社会的地位の高さを示すためのものだった。

 気温の高いエジプト地域では、かつて人々は頭や顔を剃り、太陽から頭を守ったり、涼しさを保つためにかつらを被ったと言われた。

 そのスタイルはさまざまで、頭を剃るといっても、完全な禿頭ではなくて短い髪を残すこともあった。かつらは単に保護用という意味合いだけではなく、ファッション表現として重要な役割を担い、社会の象徴となったのだ。

 2014年、エジプトのテル・エル・アマルナからたくさんの人間のミイラが見つかった。手の込んだヘアスタイルをしていて保存状態も良く、70以上ものつけ毛をつけていた女性のミイラもあった。

 ヘナで赤く染められたつけ毛が幾重もの層になって、頭の上に高く飾られていたという。この女性の手の込んだヘアスタイルは、日常的に使われていたかつらやつけ毛の典型だが、今では古代の墳墓から見つかることは非常にまれだ。


歯を黒く染める化粧法、お歯黒


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 歯を黒く塗るお歯黒は、東南アジア、太平洋諸島、南米でも見られるが、とくに日本では、美の象徴として行われていた。

 お歯黒の起源は定かでないが、日本では古代から存在したとされ、主に民間では明治時代末期まで、東北など一部地域では昭和初期まで、特に既婚女性の風習として見られた。

 貴族の女性は歯を黒く染め、17~19世紀の江戸時代までは、貴族だけでなくほかの階級にも広がっていった。

 黒い歯にするための伝統的な方法は、鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液の染料を使う。染料を作るには、まず最初に鉄を酢と一緒に茶または酒に浸す。鉄が酸化すると、液体は黒くなる。

 それを口に含むと歯が黒く染まる。黒い色を長持ちさせるためには、一日あるいは数日に一回はこれを繰り返す。

 お歯黒を施した江戸時代の人の遺骨を調べると、その歯はまだ黒かったという。


古代エジプトのビーズネットドレス



 古代エジプトでは、ファショナブルだと思われることは、とくにエリート階級にとって、日常生活の重要な要素だった。そんな上流階級のファッションの代表がビーズネットドレスだ。

 このドレスの芸術性は知られていたが、実物が実際に発見されたのは、1920年代になってからだった。

 その名のとおり、すべてビーズを組み合わせて作られた服飾品で、古代エジプトの女性たちのファッションだと考えられている。

 例えば、女司祭は頭にビーズの被りもの、首にビーズのカラーをつけていた。上流階級の女性たちは、祝いの席でファヤンス焼き(彩色を施した陶器)のビーズネットを上着の中央3分の1くらいのところにつけていた。

 身分の低い女性たちは、腰回りにビーズをつけていたらしい。ビーズネットドレスは、おびただしい数のビーズが菱形模様になるよう配置されて作られていた。

 女性たちはこうしたドレスを日常的に着用していたと思われ、ほとんどは墓から見つかっている。これら貴重な衣装は、極めて珍しいもので、現存するものはわずか20着だという。

References:5 Outrageous Fashion Trends from the Ancient World | Ancient Origins/

☆ルイ14世はハイヒールを履いていたのか!

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墓を掘って遺体を盗み出す死体盗掘人から墓を守る5つの方法(イギリス)

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イギリスの死体盗掘人がら墓を守る方法
死体盗掘人から遺体を守る方法 / iStock

 18世紀から19世紀のイギリスでは、墓から大切な故人の遺体を盗み出す「死体盗掘人(死体泥棒)」が暗躍していた。当時、解剖用の死体が慢性的に不足しており、死んで日が浅い遺体は解剖学者に高値で売買されていたのだ。

 当時のイギリスは完全な土葬文化で、死後お棺に入れられた遺体はそのままお墓の土に埋葬されていた。法的にも死体は誰の財産でもないことになっていたため、犯罪にはあたらなかったようだ。

 墓地のある教会や遺族側は、ターゲットにされやすい埋葬されたばかりの遺体を守るため、斬新な泥棒除けの方法が次々と登場した。

棺から遺体を動かせないようにする死体金庫(モートセーフ)を作ったり、泥棒を撃退するために火薬や罠を仕掛けたりと、愛する故人の遺体が解剖台送りにならないための様々な試みが行われた。

 ここでは特に印象的ものをいくつか見ていこう。

1. 遺体の首に鉄の首輪をつける棺桶カラー


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 遺体の首を棺の底に固定するいたってシンプルな作りのもの。遺体の首に鉄の首輪をつけ、それをボルトで木片に留める。棺に遺体を横たわらせて、釘やネジでその木片を棺の底に固定する。

 こうすれば、泥棒が遺体を棺から取り出そうとしても、頭を切り落とさない限り不可能だ。そうした例がなかったわけでもないが、遺体を動かすことができなければ、そのうち泥棒は諦めて、別の墓を狙うというわけだ。

 棺桶カラーの現物は、エジンバラにあるスコットランド国立博物館で見ることができるが、この特殊なカラーは、スコットランドファイフ州キングスケトル教会区で使われていたものだった。

 同州にある聖アンドリュース大聖堂やモニメール宮殿にも同じようなカラーが残っていたらしいが、行方がわからなくなって久しい。

 グラスゴーのノースウェスト墓地で使われていたものもあり、解剖法が成立して1年もたっていない1833年のものだとわかった。解剖法とは、罪人だけでなく貧困者などの遺体も解剖用に使ってもいいという法律だ。

 当時の新聞には、「遺体の首と足首を固定するためのふたつの半円形の鉄の輪」という記述がある。

 ロンドンのセント・ジェームズ教会墓地で見つかったカラーは、"使用者"を追跡したところ、1819年に55歳で亡くなったサラ・ビートンのものだったことがわかった。その背後にある歴史を研究することも、研究者冥利に尽きるだろう。


2. 棺の中に火薬


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 死体盗掘人に対抗するために二段階の方法があった。まずは、棺の頭の部分を墓の奥深くに固定すること。考えついたのは、ノーザンバーランドの地主で、やはり自分の土地から遺体が略奪されるのに悩まされていた。

 そこで、丈の短い墓穴を掘って、脇のぎっしり固い土に窪みを切り、棺の頭の先端をそこに滑りこませることができるようにした。泥棒はたいてい、棺の頭部分をめがけて土を掘り、蓋が見えてくると、遺体の頭から肩あたりまでの蓋を切り取り、脇の下にフックを入っかけて引っ張り上げるというやり方で素早く遺体を盗み出す。だが上記のような埋葬の仕方だと、これができなくなる。

 これでもダメな場合は、第二のプラン、墓の中に火薬を仕込むという過激な手段が講じられた。棺の蓋がこじあけられたらすぐに爆発するよう細工された、火薬とワイヤが仕掛けられたのだ。

 1823年、ダンディーでの少女の埋葬で実際にこの方法が採用された。少女の父親は、泥棒を怖れて、娘の棺の中に火薬の詰まった小箱を一緒に入れた。だが、遺体も一緒に吹き飛んでしまわなかったのだろうか。


3. 罠と銃


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 墓に悪さをしようとする泥棒に向かって発砲されるよう、引き金にワイヤが仕掛けられた銃を見えない場所に備えつけた。

 だが、プロの死体盗掘人にかかっては、簡単に見破られてしまうことも多かった。偵察隊が気づいて、事前に仲間に知らせてしまうからだ。当然のことながらワイヤは取り外され、使い物にならなくなってしまう。

 だが、泥棒がプロでない場合は違う結果になった。1823年、ロンドンの某教会墓地で、この罠に引っかかった学生が足に銃弾を浴びた。

 セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの寺男が、こうしたセメタリーガンをさらに改良し、複数の銃身をまとめた弾倉を作って、究極の死体泥棒除け銃を考案した。

 1817年大晦日前日の寒い晩、墓地で事件が起こり、この新たな仕掛けはあらゆる人に恐怖を植えつけた。この銃弾で死者は出なかったものの、泥棒が落としていったと思われるひとつだけ穴のあいた帽子が見つかった。弾はおそらくまだ泥棒の頭の中にあると思われた。

 銃だけでなく泥棒を捕える罠も登場した。金属の罠が地中に埋められていて、その上を踏むとバネが跳ね上がって、侵入者の足をばっちり捕えるというわけだ。

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 こうした罠の実物は、イギリス、タインサイドにあるビーミッシュ・オープンエア博物館で見ることができる。

 1817年冬、ランベスにあるセント・メリーズ教会は、たびたび死体の盗難被害にあっていたため、敷地内の墓地を見回る男を募集していた。

 そして雇った男たちが実はデュフィン&マーシャルという熟練の死体泥棒だったのだ。当然のことながら罠は取り除かれ毎晩のように死体が盗まれた。だがまもなく彼らの悪事は知られ、ふたりともお縄になって懲役2年の刑を受けた。


4. そもそも遺体を墓地に埋葬しない


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 墓から遺体が盗まれて困るのなら、墓に埋めなければいい。もっとも単純で効果的な泥棒対策だろう。

 1841年、死体泥棒の脅威が去ってだいぶたった頃、ヘッジという男が自宅の庭の地面の真ん中が少しへこんでいるのに気がついた。なんだろうと思って掘ってみると、手作りの棺が現われ、中には若い女性の遺体があった。

 調べてみると、死体泥棒全盛期にこの女性の父親が遺体を墓ではなく、かつて彼の自宅だったその場所に埋めたことがわかった。

 馬車の御者だった父親は、たくさんの解剖用の死体がロンドン界隈を頻繁に運ばれるのを目の当たりにしてきて、娘を墓地以外のところへ埋葬しようと決めたようだ。地元の教会で嘘の葬式をでっちあげ、誰にも知られないように娘の遺体を自宅の裏庭に埋葬したのだ。

 案の定、娘が埋葬された夜、泥棒が墓に忍び寄りこの偽装が正しかったことがはっきり証明された。

 一方、自分の家の庭で棺を発見したヘッジ氏は、その棺を安全な教会墓地に埋葬し直した。その頃はもう、死体泥棒の脅威はなくなっていたからだ。


5. 遺体に硫酸をかけ使い物にならなくしてしまう


 1830年頃、ヨークシャーでのこと。ヨーク・クロニクル紙に載った小さな記事によると、埋葬する前に遺体に硫酸をかけて、解剖用として使い物にならなくしてしまうという方法がとられたことがあったという。埋葬後に遺体に生石灰をかけることからヒントを得たのではないかと思われる。

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References:5 Ingenious Forms of Body Snatching Prevention – DiggingUp1800/


☆掘り返すの、めちゃ大変そうなのに、それ以上稼げるのやな!

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