mirojoan's Blog

世界びっくりニュースへのコメントだよ!
HPは http://salvadordali.jp です。コピペしてね!

中世に発明され歴史を変えた、世界13の武器

2015年05月22日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!



 ここで言う中世とは、西ローマ帝国が滅亡した後の5世紀から15世紀の時代のことである。征服、疫病、破壊が続く長く暗い戦争の時代で、最終的にルネサンスや大航海時代へとつながった。

 この時代にたくさんの優れたものが発明された。風車、水車、メガネ、機械時計、三圃制、強化建築技術、煙突など、新たなる文明が芽生えていったのだ。

 だが、中でも最も重要なのは、より強力な武器も数多く発明されたことだ。死と侵略と破壊の時代においては、敵を倒すための新たな方法を考え出すことは、司令官にとって必要不可欠だった。こうした武器の工夫が、結果的に重要な発明や発見につながった。ここでは、中世に発明された重要な武器13点をあげてみよう。

13. フレイル(1419年頃)


 もともとは穀物を脱穀するために使われていた竿状の農耕道具で、1400年代までは武器ではなかった。対象にぶつけるためのヘッドがロープや鎖で柄についている。両手で振り回して使う武器で、軍隊や暴動に関わった農民に人気だった。剣や槍と違って、もともと農民は皆こうした竿を持っていたので、扱いにも慣れていたからだ。

 フレイルが武器として使われた有名な例としては、1420年から1497年にかけてのフス(キリスト教一派)戦争のときの大規模な農民歩兵部隊と、16世紀始めのドイツ農民戦争である。フレイルのおもな特徴は、甲冑を破り、盾を破壊できること。正確性に欠けるので、接近戦や隊列組んで使うのには向かないため、100年もたたないうちにこの戦闘スタイルはすたれた。のちに、大釘のついた鉄球を鎖の先につないだ、片手で使える武器に改良された。

12. ギリシャ火薬(672年頃)


 ビザンティン帝国が海戦で使った焼夷兵器。海の上でずっと火力を発することができるため、効果的な武器で、ビザンティン帝国の勝利に欠かせないものだった。アラブの包囲からコンスタンティノープルを奪還するのに使われた。

 ギリシア火薬はアラブ、中国、モンゴルが使っていたが、最強の製法を編み出したのはギリシア軍だった。その方式は国家機密として守られ、正確な扱い方は現在ではわからない。松脂、硫黄、生石灰にノズルで圧力をかけ、敵に向けて液状火炎を噴射するやり方ではないかという。

 ビザンティン海軍は無敵というわけではなかったが、この兵器のおかげで数多くの勝利を得た。しかし、兵器として認められたのは、何世紀も後になってからだった。さらに、射程距離に限度があり、安全に使用するには、都合のいい風の条件が整わないとだめだった。

11. 火槍(10世紀頃)


 中国で使われた世界初の火薬兵器。初期のものは、火薬や投射物の入った竹の筒をつなげた槍のような形をしていた。発射すると、吹き矢のように発射物が押し出されて、数フィート離れたところに飛ぶ。火薬を発射する槍型の武器として、接近戦で使われた。

 最初に現れたのは10世紀だが、1260年頃さらに改良され、宋王朝の歩兵や騎兵によって定常的に使われるようになった。かなりの距離を飛んで敵を殺傷できるようになったことで、飛び道具式武器の発達に大きく貢献した。火槍の原理はのちの大砲、ロケットを生み、最終的に銃が出現することになった。

10. 鉄製クロスボウ(1370年頃)


 鉄製のクロスボウは、じかに持って使うクロスボウとしては比較的新しい。従来のクロスボウよりも格段に威力があり、進歩した安価で手ごろな飛び道具として生まれた。

 このもっとも強い弓は、2267kgもの力で、確実に300メートルまで飛ばすことができた。熟練した射手は1分間に2本の弓を放つことができたという。

 世界初のクロスボウは、紀元前5世紀前の古代中国で発明されたが、より威力を引き出す目的でヨーロッパで鉄製のクロスボウが開発された。クロスボウは狩りの道具だったが、1066年のヘイスティングスの戦いから1500年頃まで、戦いの兵器としてとして使われているのがわかっている。1370年の戦場で姉妹品である鉄製のものが初めてお目見えした。

 従来の弓よりもクロスボウのほうが威力があるのは、より強い衝撃を生み出す運動エネルギーのせいだ。ほとんどの鎧を貫くことができるし、1週間程度の訓練でうまく使うことができるようになる。逆に単発式のロングボウは熟練するには、数年の訓練が必要だ。中世ヨーロッパでは、クロスボウ部隊の司令官は、軍の中でも最高位のランクに入っていたという。

9. オルガン砲(1339年ごろ)


 リボドゥカン、リボーとも呼ばれるこの兵器は、中世後期の一斉射撃銃。見るも恐ろしい兵器で、迫撃砲やその他の一斉射撃兵器の先駆けとなった。砲座にたくさんの鉄の銃身が平行に並んでいて、発射すると弾丸が雨あられとそそぐようになっている。対人兵器として使われた。

 フランスとの100年戦争中、1339年にイングランドのエドワード三世によって初めて使われたことが知られている。エドワード王のオルガン砲は12の銃身がついていて一斉に12発発射することができた。バラ戦争でも使われ、大勝利をおさめた。レオナルド・ダ・ヴィンチによって設計され、多くの火器兵器の先駆となったものがあることは有名である。

8. マンゴネル(1224年ごろ)


 中世では、多くの投石兵器が作られたが、その性能はさまざまだった。初期のタイプのひとつにマンゴネルという投石器があるが、この言葉はギリシア語の戦いの原動力という意味からきている。城壁に石をぶち当てて破壊するために使われた。投石の威力とその速さは、のちに出てくるトレバシェット(平衡錘投石器)よりも優れているが、弾道は低いし、精度も劣っている。

 マンゴネルはパチンコ方式で石を壁に当てて破壊するための兵器で、壁を乗り越えて投げることはできず、野戦では対人兵器として使われた。石や火のついたもの、腐敗した動物や人間の死骸などを敵陣に投げ込んで、威嚇したり病気を広めたりした。ときに20人もの男たちで投石していたが、こうした労働力はのちに錘を落としてその反動で発射する方法にとって代わった。しかし、熟練した人間の手でやると、投石の強さ、弾道、速さなどを微調整することができた。

7. アーチ型の鞍(11世紀ごろ)


 紀元前4000年頃、馬が家畜化されて以降、鞍は存在していたことがわかっている。年月とともに鞍製作の技術は進み、11世紀には独創的なアーチ型の鞍が導入された。中世では、騎士はより丈夫で、支えのしっかりした鞍を必要としていた。その結果、鞍の前側と鞍尾が高くなり、戦闘中に乗り手が馬から投げ出されないようになった。

 アーチ型の鞍だと、騎士が槍を頭上ではなく腕の下に抱えられ、棒高跳びのように前につんのめって落馬する危険性を防ぐことができる。このため、全速力で馬を走らせることができて、敵に衝撃を与えられ、最高に機能的な恐ろしい機動部隊となれる。このアーチ型の鞍は武器ではないが、確実に戦闘の形を新しいものに変えたのだ。

6. イングランド軍のロングボウ(1250年ごろ)


 イングランドやウェールズのロングボウは、狩りに使われていた6フィート(1.8m)もの長さの大弓。1250年から1450年の中世時代にはおもに武器として使われた。100年戦争中の1346年のクレシーの戦いや1415年のアジャンクールの戦いでは、この弓が数々のめざましい勝利の立役者となった。

 ロングボウはイングランドで紀元前2665年には見つかっているが、この弓がおもに活躍するようになったのはずっと後の紀元1250年ごろのこと。熟練の射手ならば、集中的に矢を浴びせることができ、攻撃力が増して、敵を倒すことができる。

 ロングボウは1066年のヘイスティングスの戦いでのノルマンディの勝利、1138年のスタンダードの戦いのアングロノーマンの勝利に大いに貢献した。のちに、もっと短くてコンパクトな、耳のあたりではなく胸で引いて撃つショートボウにとって代わられた。ロングボウは火薬兵器よりも速く正確だが、熟練するのに何年もかかり、最終的にはもっと簡単に使えるようになる銃にとって代わられた。

5. パイク(13世紀ごろ)


 歩兵が使っていた長く突き出した槍。長さ18フィート(5.4m)もあるため、ほかの槍型兵器と違って投げる仕様ではない。中世初期から1700年ごろにかけて歩兵によって使われた。ドイツのランツクネヒト(歩兵)やスイスの傭兵のパイク編成部隊は、もっとも恐ろしい軍隊のひとつとなった。

 似たような武器は、マケドニアのアレクサンダー大王の時代にさかのぼっても使われていた。大王が破れてのち、1000年ほどすたれていたが、中世に入ってスコットランド人が復活させた。パイクは両手で使うと確かに扱いにくく、至近戦での防御か攻撃どちらかで使われる。熟練したパイク部隊は、槍を構える歩兵が4~5層になって、一斉に敵を攻撃することができる。敵を馬から引きずりおろし、馬は右往左往して逃げ惑い、混乱させる。中世では歩兵の主要な武器のひとつとなり、広く普及した。

4. ロング・ソード(1260年ごろ)


 中世といえばこの剣をイメージするほど、代表的な武器。短い刃の古代のスパタ剣が発展して戦闘用の剣になったもの。ロング・ソードはその長い刃以外の特徴はあまり知られていないが、つかも長く両手で扱うのに都合がいい。

 ロング・ソードは、ドイツのツヴァイ・ヘンデルやスイスのバスタード・ソード、スコットランドのクライモアを含めた総称的な名称で、すべて大刀の仲間。中世後半に甲鉄の鎧をつけた歩兵たちが使用した。

 まっすぐなもろ刃の剣で、切り込んで攻撃するが、のちに甲冑が導入されてから突き刺す攻撃も可能になった。鍔も特徴的。当時は鉄は高価だったため、ほとんどはロング・ソードは持つことができなかった。騎士だけが持つことのできる褒章で、地位を表わすステイタスシンボルでもあった。

3. 平衡錘トレバシェット(12世紀ごろ)


 中世に登場した最強の破壊力のある包囲戦用投石兵器。錘のメカニズムではなく、人力で引いて投石するトレバシェットから発展した。12世紀に地中海周辺のキリスト国とイスラム国に導入された。

 160kgもの投石物を遠心力の力で敵の要塞に投げ入れる兵器で、錘の重力の力を利用する、投石のスピードを増すために錘のアームより長い投石アームを回転させる、投石アームについているスリングをもうひとつのてことして、さらに威力アップするという特徴がある。

 トレバシェットは中世時代の包囲戦において、決定的に兵器に革命を起こした武器のひとつだった。この兵器の出現で、城主は自分の砦の壁の強化を考え直さなくてはならなくなった。それほど、トレバシェットの威力は強靭で、火薬が出現するようになっても、この兵器は15世紀の包囲戦で重要な役割を果たした。

2. 大砲(1324年ごろ)


 火薬の威力で砲弾に推進力を与えて飛ばす兵器の総称。火薬の発明の到来とともに、最初に中国で発明された。大砲の出現で、包囲攻撃兵器の新時代の幕開けとなった。大砲は火槍の子孫でもある。

 もっとも古い大砲の絵が描かれたのは1326年で、ヨーロッパで使用された最初の記録は、ムーア人によるコルドバの包囲戦。大砲は包囲戦技術の先駆となり、中世の戦闘の形を変えた。100年戦争のクレシーの戦いでも採用された。

 イタリアの歴史家、フローレンティン・ジョバンニ・ヴィラーニは、大砲の破壊力について詳しく述べている。戦闘の終わりには人間でいっぱいの平原が、矢と砲弾で壊滅状態になり、1453年のオスマントルコによるコンスタンティノープルの55日間の砲撃では、68門の大砲がいたるところで炸裂し、近くにいた人を殺したという。火薬は前述のギリシア火薬をすたれさせ、ヨーロッパ最強と言われていたコンスタンティノープルを1453年についに陥落させた。ここにひとつの時代が終わった。

1. 火薬(9世紀ごろ)


 中世の戦争、もしくは戦闘の歴史において、火薬はもっともすぐれた発明品であることは間違いない。1000年以上に渡って、世界の兵器の成長は火薬の発見にかかっていたといっても過言ではない。中国で道教の信者が不死の薬を作ろうとしたときに発明された。結局、彼らは不死の対極のものを生み出してしまったというわけだ。

 中国人はモンゴルに対抗するために火薬をベースにした火器、爆薬や大砲を作り始めた。そしてモンゴルが中国の火薬を広めた。初めてヨーロッパに持ち込まれたのは、1241年のモンゴルとハンガリーの間で行われたモヒの戦いである。

 大型の剣や盾、甲冑の時代の兵器は、神の兵器なのかもしれない。時代とともにすたれてしまった投石器や従来型の包囲兵器と違って、火薬の発明はあらゆる軍事の発達につながってきた。そして、衰えすたれる気配はない。(頼りになるレーザーが出現するようになるまでは)

via:therichest

☆こんな武器で、戦ってたのが信じられへん!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

最新の画像もっと見る