mirojoan's Blog

世界びっくりニュースへのコメントだよ!
HPは http://salvadordali.jp です。コピペしてね!

1900年代に撮影された、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の写真

2017年01月30日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

top

 1900年代に撮影された、アメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)、通称インディアンの肖像写真が海外サイトにて紹介され、話題となっている。これらは現代の私たちから見ると単なる昔のポートレートに見える。だが実は民族の記録写真のあり方に一石を投じた歴史的な作品なのだ。

 当時のアメリカではインディアンたちのネガティブな印象を与える情報が流布しており、彼らに偏見を抱いていた人々も大勢いた。彼らの誇り高い姿をとらえたこれらの写真は、野蛮で攻撃的な部族といった極端な偏見を改めるきっかけにもなった。

 白人との戦いや政策に翻弄され、滅亡が危ぶまれたインディアンの人々。彼らの本来の姿を後世に伝えようとした写真家たちの希少な記録がこちらだ。

インディアンへの関心と名刺写真の流行


 これらの写真は1900年代のアメリカにおいてインディアンの生活に関心が集まったことを反映している。これらは19世紀半ばに人気を博した名刺サイズの小さな写真で、アメリカの各家庭が著名人の顔を知るのにも役立った。

 従来の肖像写真に比べ大量生産が容易で、均一サイズである上に安価な名刺写真はコレクションの対象となった。また一部は政治や社交行事、それらを推進する人々の記録にもなったという。
 
1. ウォルピ(米アリゾナ州)の少女。綿製の衣服をまとい金属のビーズと鈴のチョーカーをつけている (1900年頃)
1_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


2. ホピ族の蛇の司祭 (1900年頃)
2_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


3. ネズ・パース族の男性 (1904年頃)
3_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


4. チーフ・レッドクラウドの息子ジャック・レッドクラウド(1822-1909年)
 ヘッドドレスをつけ、彼らの領土にボーズマン・トレイルという道を設けた白人たちと戦ったスー族の男性 (1904年)
4_e
image credit:Gerhardt Sisters/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images


5. ナバホ族の神、ハスコガンの姿を具現化したもの。エドワード・S・カーティスが1907年に出版した「 The North American Indian」の第1巻に掲載された
5_e
image credit:Edward S. Curtis/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images


6. シャイアン族の女性 (1905年頃)
6_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


7. ハッシュバードという名の慈悲深い女性神のマスクをかぶったナバホ族の男性 (1905年頃)
7_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


8. カウ・クラーという名のトリンキット族の女性。ポトラッチという祭事の舞踏衣装を着ている (1906年)
8_e
image credit:Case & Draper/Buyenlarge/Getty Images


9. 2つのホイッスルという名の男性。エドワード・カーティスの著書「Two Whistles - Apsaroke」に掲載された(1900年代後半)
9_e
image credit:Field Museum Library/Getty Images


10. スー族の戦士のヘッドドレスをつけた少年 (1907年1月1日)
10_e
image credit:MPI/Getty Images


11. 3人の老人。毛織物を羽織ったり、鳥形のヘッドドレスや骨のネックレスをつけている (1907年)
11_e
image credit:Case & Draper/Buyenlarge/Getty Images


12. メディシン・クロウという名のクロウ族の男性。鷹のヘッドドレスやイヤリング、貝のビーズなどの装飾品をつけている (1908年頃)
12_e
image credit:Buyenlarge/Getty Images


13. クロウ族の戦士。1909年に出版されたエドワード・S・カーティスの著書「The North American Indian」に掲載された
13_e
image credit:Edward S. Curtis/Library of Congress/Corbis/VCG via Getty Images

時代に影響を与えたインディアンの記録写真


 こうした写真は19世紀の後半から20世紀初めにかけ、先住民をテーマにした肖像写真に変化をもたらした。

 彼らの衰退の様子を残す目的で写真家が記録したこれらの作品は、アメリカ政府と部族間の紛争期間を示す役割も果たした。そして20世紀半ばになると当時"消えゆく人種"とみなされていたインディアンへの政治的な同情を引き起こすきっかけにもなったという。

☆インディアンって、今どうなってるの?

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

ラスベガスのきらびやかな世界の裏側にひっそりと点在するネバダ州6つのゴーストタウン

2017年01月27日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

0_e13

 アメリカ、ネバダ州と言えば南部に、大人のディズニーランドとも言うべききらびやかなラスベガスが存在する。アメリカの内陸州としては最大の面積をほこるネバダ州は見どころが盛りだくさんだ。まるで地球内異世界の砂漠地帯があるかと思えば、こんな場所もある。

 19世紀の鉱物ラッシュのとき、ネバダ州は銀の州というニックネームで呼ばれるようになり、砂漠のあちこちに新たな町が出現した。

 しかし、残念なことに現在も残っている町はわずかで、ほとんどがゴーストタウンと化している。民家、学校、バー、ホテル、雑貨店、鉱山がことごとく衰退し、廃墟の間を回転草がコロコロと転がっていく。

 しかし、たとえ多少崩れていても、こうしたゴーストタウンが21世紀になっても残っていることは、冒険家にとってはラッキーだ。ネバダ州であなたが探索してくれるのを待っている、6つの不気味なゴーストタウンを見てみよう。

1. ベルモント ネバダ州ナイ郡


1_e17
廃墟となったベルモント裁判所 image credit:Famartin/CC BY-SA 4.0

 ネバダ州のほかのゴーストタウンと同様、ベルモントも銀の新興都市だった。1866年に町ができてから急速に発展し、20年もたたないうちに本格的な町になった。

 ナイ郡に位置するこの町には、ミュージックホール、コスモポリタンというホテルがあった。しかし、ベルモントの栄華は長くは続かなかった。銀を掘り尽くし、銀の価格が変動したこともあって、町の財政が立ち行かなくなった。1900年代始めには、町はすでに廃墟への一途をたどっていた。

 急激に発展したものの、短命な栄華だったせいか、ベルモントの建物は驚くほどきれいに残っている。ほかの建物が半分瓦礫になっているのに比べて、裁判所、バー、いくつかの工場はまだしっかり全体が残っている。

 トクィマ山脈の懐にひっそりとたたずむこの小さなゴーストタウンには、ファンも多い。復興グループが町の保存活動をしていて、メインストリートだった場所に当時の時代に即した宿がオープンしている。町の憩いの場で初めてのバーだった、ダーティ・ディックのバーも復活している。


2. セント・トーマス ネバダ州クラーク郡


2_e
セント・トーマスの廃墟 image credit:Jkotto/Public Domain

 1860年代、少人数のモルモン教徒のグループが入植して創設された町。行政が前年の税金も含めて住民に減税して人を集めた。しかし、州が要求していたゴールドを採掘することができなくなり、町は1871年に廃墟と化した。

 その後何十年かは人が住んだり住まなかったりしていたが、フーバーダムの建設に伴い、コロラド川の水位が上昇して新たな湖が出現し、セント・トーマスは完全に水の底に沈んだ。

 今日、急激な水の消費のせいで湖の水位が下がって、再びセント・トーマスの廃墟が姿をあらわしつつある。建物の基礎や煙突が水面に現われ、訪れる者にかつての町の面影を思い起こさせている。


3. ネルソン ネバダ州ネルソン


3_e12
image credit:wikipedia

 ネルソンはかつてなにかと問題の多かったテチャティカップ鉱山があった場所。ここはゴールド、銀、銅、鉛の宝庫で、南北戦争の脱走兵が住みついていた、ネバダ州でもっとも活気のあった町のひとつだ。

 いかがわしい連中に加え、土地をめぐる争いのせいで、暴力沙汰が絶えず、多くは殺人にまで発展した。さらに、エルドラド・キャニオンからの頻繁な鉄砲水のせいで、まもなくネルソンから人の姿が消えた。

 ネルソンの廃墟は、そんな洪水跡に建っている。ランチハウス(屋根の傾斜の緩い平屋)、テキサコのガソリンスタンド、風雨にさらされた建物や機械が点在している。ここは、写真撮影やミュージックビデオ、いくつかの映画などで使われ、砂丘に頭から突っ込んだように見える小型飛行機を珍しい呼び物にしている。この飛行機は本物ではなく、2001年の犯罪映画『スコーピオン』で使われた残骸だ。


4. ストークス城 ネバダ州オースティン


4_e12
ストークス城の遺跡 image credit:Famartin/CC BY-SA 4.0

 アンソン・フェルプス・ストークスは裕福な鉄道王で、オースティン郊外の砂漠の開発とインフラ整備に私財をつぎ込んだ。その中でこのストークス城は、もっとも長く残っている彼の遺産だ。3階建てのこの城は、1896年にストークスが建設を依頼した。

 イタリア様式の塔をモデルにして、地元の花崗岩を使って建設された。華やかなりしころは、塔は豪華に装飾され、各フロアに暖炉がついていて、ストークスの家族はバルコニーや屋上の銃眼つきのテラスからまわりの土地を眺めることができた。

 だが、ストークスの権勢は長くは続かなかった。1897年、家族がここで約1ヶ月間過ごしたのが最初で最後になった。それから1年もたたないうちに、横領スキャンダルに巻き込まれたり、銀鉱山が衰退して、ストークスは鉱山も新しい城も売らざるを得なくなった。

 1956年にストークスの遠い親戚が買い取るまで長いこと打ち捨てられていたが、現在は米国国家歴史登録材に登録されている。この独特なタワー型の城は、現在も生き残っていて、アメリカの沿道で見られるどんな建物とも違っている。

5. ユニオンヴィル ネバダ州フンボルト郡


5_e8
ユニオンヴィルの学校校舎 image credit:Ken Lund/CC BY-SA 2.0

 ユニオンヴィルの歴史も、ほかの新興都市とそれほど変わらない。南北戦争後のシルバーラッシュのときに急速に発展し、鉱山が干上がると急速に廃れた。ここの多くの建物は時間が止まっているようで、1870年代と80年代に廃墟になって以来、なにも変わっていない。

 ここを訪れる者は、マーク・トウェインがかつて住んでいて、去っていった小屋を見にやってくる。わずか20人ほどいる住民は、驚くほど緑豊かな谷にはもっとたくさんの見どころがあると自信をもっている。町にはホテルもあり、魚の種類も豊富で、住民も優しいという。


6. ゴールド・ポイント ネバダ州エスメラルダ郡


6_e7
人里離れたゴールド・ポイントの廃墟 image credit:Vivaverdi/CC BY 3.0

 歴史のその時々によって、ライム・ポイント、ホーンシルバーとしても知られるゴールド・ポイントは、ほかの鉱山町よりも成功した町だ。

 大恐慌から第二次世界大戦まで、重要性の低い鉱山が閉鎖を求められていた時期でさえ、産出量は多かったからだ。だがこの後、町の大部分が放棄され、もしラスベガスの壁紙屋のハーブ・ロビンスが、ゴールド・ポイントを訪ねて、その魅力にぞっこんにならなかったら、ここは永久に埋もれてしまっていただろう。

 ロビンスと友人は、この町で売りに出ていた家をそれぞれ買い(のちにほかの人もこれに追従することになった)、ラスベガスで大きく当てて、ゴールド・ポイントを丸ごと買ったのだ。彼は一般に公開するために、廃墟の修復に取りかかり、同時に消防署長と保安官も兼任した。

 訪れる者は、ゴールド・ポイントで足を止め、しばらく滞在する。長らく風雨にさらされていた小屋も美しくよみがえり、中には貴重なアンティーク家具がしつらえられている。保安官は、ここの鉱山の歴史を物語る9000枚もの写真を見せながらさまざまな話をして、訪れる者を歓待してくれるだろう。正統派"坑夫の朝食"が提供され、運が良ければ滞在中に決闘シーンを見られるかもしれない。もちろん、ステージでだが。

GHOST TOWNS OF NEVADA PART 1


☆なかなか、ええとこやんけ!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

世界6の家に憑く精霊とそれをなだめる方法

2017年01月25日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

0_e0

 家には人ならざらぬ超自然的なモノが住み着いているという概念は世界各地に伝わっているようだ。その精霊たちは、幸運を約束してくれる半面、機嫌を損ねると災いを運んでくると言われている。彼らの要求をちゃんときいてあげないと、物がなくなったり、皿が壊れたり、不幸な未来が待ちうけるという結果になりかねない。

 古代ギリシャのかまどの女神ヘスティアから、イングランド北部のホブまで、古今東西、人間と家に憑く精霊の関係が歴史に残されている。

 年末年始の準備をしているこの時期、家を守ってくれる精霊たちを怒らせないためのコツを知っておこう。

ドモヴォーイ(スラブ地方)


1_e

 スラブ地方の伝説が起源で、毛むくじゃらの小さな精霊。それぞれの家には特定のドモヴォーイがいて、たいてい戸口やストーブの下、かまどの中に棲んでいるという。もともとは家を守る家長の精霊と考えられていた。

 子どもくらいの背丈で、長く白い髭を生やした小さな老人の姿をしていて、その家族の先祖、または現在の家長の姿を映しているという。ネコやイヌ、ヘビなどの動物の姿をしていることもある。

 ドモヴォーイを怒らせないためには、皿を洗い、片付けて、食べかすを残さないなど、家の中をきれいにしておかなくてはならない。さもなければ、彼のために小さなテーブルを用意する。

 ドモヴォーイが満足すれば、夜に出てきて家や庭の雑事をやってくれる。しかし、ドモヴォーイが家の状態や待遇に不満をもったら、疫病神に変わってしまう。些細な物を盗んだり、家にある物を壊したり、家族の眠りを妨げたり、あらゆる困ったことをしでかす。


コチハルチア(フィンランド)


4_e

 ハルチアとしても知られる精霊で、人や物を守る。特に家のケアをする。小さなエルフの姿をしていて、その気質によって、協力者になったり、いたずら者になったりする。

 屋根裏や納屋に棲んでいると言われていて、そこに住む家族を守る。家のほかの場所、例えばサウナを守るほかのハルチアとも密接に関係している。


トラスグ(スペイン)


2_e0

 スペイン北部地方が発祥。家の雑用をやってくれるが、いたずら好きな精霊。もっと暴力的で悪意のあるイングランドの悪鬼レッドキャップと似ているが、トラスグはほかの家憑き精霊よりも茶目っ気がある。

 赤いマントを着て、赤い帽子をかぶった小さく華奢なエルフで、足をひきずっていて、左手に穴があいている。角が生えていることもある。

 トラスグには、少量の食べ物と煙突のそばなどの温かい寝床を与えてあげなくてはならない。満足すれば、洗濯などの家の雑事をやってくれるが、放っておかれると、物を動かして隠したり、皿を割ったり、散らかしたりするという。

 トラスグを追い払うには、穴のあいた手で穀物を拾わせるなど、不可能な仕事を与えることだ。やる気をなくして出ていくという。


ホブゴブリン(イングランド北部)


5_e

 もっともよく知られるタイプの家憑き精霊。ハリーポッターに出てくるドビーはまさにこのホブゴブリン。さまざまなタイプがいて、店舗や農場に棲みついて仕事を手伝ったり、特に家や家族と関わりをもたない者もいる。

 ハリポタのドビーのように、見た目は発育不良のエルフのようで、おもに夜に現れて雑用を手伝うが、その場面を見られるのを嫌う。

 家に憑くホブゴブリンはおおむね善良な存在だが、彼らが嫌がることは、仕事の報酬をもらうことだ。家の主人が彼らに衣服を与えようとすると、怒って出て行ってしまい、どんな褒め言葉も侮辱と受け取り、姿を消してしまう。黙って仕事をさせておけば、すべてがうまく収まるという。


座敷童(日本)


3_e0

 主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。

 たいていは、座敷童の姿は見えない。現われるときは小さな子どもの姿だが、子どもの前にしか出てこないという説もある。大人や家の主人の前に現われるときは、その家を去ろうとしているときで、それは、その家に悲運と破壊が迫っている兆しだと言われている。彼らに出ていかれて悲運に身をさらさないためにも、そのいたずらには目をつぶるのが一番いい。

 座敷童は、古くて立派な家に棲みつく傾向がある。誰もいない部屋で音をたてたり、きちんとひいてある布団を乱したりといったいたずらをするのが好きだ。こうした悪ふざけをしても、基本的に彼らは邪悪な霊ではない。座敷童がその家に棲みついていることは、たいていは幸運の証なのだ。


ガヴィージャ(リトアニア)


6_e

 リトアニアの伝説から生まれたガヴィージャは破壊的な家憑き精霊だ。かまどの女神であるガヴィージャは、善行を行うかまどの神よりも、火の化身に近い。

 ガヴィージャは、赤い服を着た女性の姿で現れるが、ネコや雄鶏の場合もある。ガヴィージャに敬意を払うには、家の火種を適切に維持すればいい。完全に火を消したければ、純水を使って消すのが賢明で、それ以外の液体では女神の怒りをかうかもしれない。

 ガヴィージャを怒らせると、あちこち徘徊するといわれている。つまり、自分の家から火が燃え広がるということだ。彼女をうまく宥めることは、家が焼け落ちないようにするということなのだ。

via:How to Appease Household Spirits Across the World

☆なだめる方法があったとは、知らなんだ!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

70年以上を経た今でも海や森の中にひっそりと横たわる、第二次世界大戦中の爪痕

2017年01月23日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

11_e8

 1945年に終戦となった第二次世界大戦だが、今でも世界各地にその爪痕が残されている。陸地の森の奥深く、密林の中、海の浜辺、そして海底にも、当時使用されていた軍用機、兵器、施設などの残骸が眠っているのだ。

 海外サイトにて、北マリアナ諸島、ソロモン島、パラオ共和国のロックアイランドなどで撮影された第二次世界大戦の爪痕がわかる航空写真などが特集されていた。

1.北マリアナ諸島サイパンのチャラン・カノアビーチの浅瀬に沈むアメリカ軍のM4シャーマン戦車
1_e42
image credit:dailymail


2.ソロモン諸島のンゲラ島に取り残されたアメリカ海軍の輸送船
2_e38
image credit:dailymail


3.ソロモン諸島のンゲラ島、トウキョウ・ベイ(Tokyo Bay) でマングローブに絡まり廃船となった大日本帝国軍の睦月型駆逐艦・菊月
3_e39
image credit:dailymail


4.ソロモン諸島のガダルカナル島の森の中には大日本帝国軍の零戦の残骸が今も残されている。
4_e32
image credit:dailymail

5_e32
image credit:dailymail

9_e18
image credit:dailymail

16_e7
image credit:dailymail


5.ガダルカナル島、タサファロンガ・ビーチに沈んだ状態の大日本帝国軍輸送船・鬼怒川丸と、その浜辺で遊ぶ地元の子どもたち
6_e24
image credit:dailymail


6.北マリアナ諸島のパガン島の草原にて墜落した大日本帝国軍A6M零戦の残骸
7_e19
image credit:dailymail


7.ガダルカナル島で大日本帝国軍によって使われたタイプ96、15センチメートルの榴弾砲
11_e8
image credit:dailymail


8.ガダルカナル島にはいたるところに第二次世界大戦の爪痕が
12_e10
image credit:dailymail

13_e9
image credit:dailymail


9.ソロモン諸島ガヴツ島に残る大日本帝国軍が使った桟橋
14_e7
image credit:dailymail


10.北マリアナ諸島サイパン島のガラパンにある大日本帝国軍の収容所跡地
15_e8
image credit:dailymail


11.北マリアナ諸島パガン島に墜落したA6M零戦
19_e4
image credit:dailymail


12.ソロモン諸島ンゲラ島に浮かぶ菊月
20_e6
image credit:dailymail

25_e1
image credit:dailymail


13.北マリアナ諸島サイパン島にある大日本帝国軍最後の司令塔跡地
21_e4
image credit:dailymail


14.ガダルカナル島に残るアメリカ海軍水陸両用トラクターの残骸
22_e3
image credit:dailymail


15.鬼怒川丸の航空写真
23_e2
image credit:dailymail


16.ソロモン諸島の浅瀬に沈む零戦
24_e1
image credit:dailymail


17.ガダルカナル島、米国海兵隊の水陸両用車両
26_e1
image credit:dailymail

30_e1
image credit:dailymail


18.菊月から育つ小さなマングローブの木
31_e1
image credit:dailymail


19.ガダルカナル島のバラナ・ジャングル奥地で撮影された写真には、岩の上に日本兵と思われる人物のヘルメットが残っている。
32_e
image credit:dailymail

20.ガダルカナル島に残されたタイプ96、15センチの榴弾砲
33_e
image credit:dailymail
via:From rusting ships in lush green jungle to tanks in crystal clear ocean: Amazing aerial photos show WWII wrecks in watery graves off remote Pacific Ocean tropical islands

☆売れそうな気がするが・・・!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

神に近づくには地下深く潜るべし。地下につくられた世界10の宗教的・歴史的建造物

2017年01月20日 | 世界びっくりニュース
おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!

1_e1

 信仰を捧げるうえで相応しい場所と言えば、神々しい光をふんだんに取り入れるよう設計された高台の建築を想像する人が多いだろう。だがかつては違う発想をする人たちもいた。

 古代では神に近づくために地中深くへ降りることが一般的だったという。アンダーグラウンドな怪しさ漂う世界10の地下にある教会、寺院、神殿などの建造物とやらを見ていこう。

10. ラリベラの岩窟教会群 ― エチオピア


1_e1
image credit:Jialiang Gao

 通常、建物を建てるなら部品を積み上げるのが楽だ。その反対に岩を削って建物を削り出すという方法もある。それがこのラリベラの岩窟教会群である。各教会は岩を掘って作られたモノ構造だ。

 ラリベラには12世紀にラリベラ王が着手した一枚岩の教会が11棟ある。イスラム教が中東を支配したことで、エチオピアのキリスト教徒にとって聖地巡礼は危険なものとなった。そこでラリベラは自身のエルサレムを作ることにしたのだ。教会群の1つにはアダムの墓、イエスの墓、キリスト降誕の小屋まである。伝説によると、教会群の建設は昼は数千の労働者が、夜は天使が行なったという。

 現在も使用されているが、一部は観光用に公開されている。


9. 莫高窟 ― 中国


2_e0
image credit: Wikimedia

 敦煌はかつてシルクロードの主要な中継地であった。数世紀をかけて街が発展し、街があるところには寺院が築かれる。莫高窟を掘って寺院を作ったのは中国最初期の仏教徒だ。

 建設は4世紀に始まり、現在492の豊かに装飾された石窟がある。壁は宗教的、世俗的場面の両方が鮮やかに描かれ、その様々な様式はシルクロードを行き交う人々に由来するものだ。ベゼクリク千仏洞の壁全体にはブッダのミニチュア彫刻が並んでいる。仏教芸術のほかにもユダヤ教、キリスト教、マニ教との影響も見られる。

 1900年、900年以上も封印されていた石窟が発見され、大量の写本が出土した。この敦煌文献と呼ばれる写本の中には、これまで発見されたものとしては世界最古の印刷された文献もあった。


8. ハル・サフリエニの地下墳墓 ― マルタ


3_e0
image credit:Wikimedia

 地下に墓地を作ることにしたとしよう。それには岩石を掘り進む必要がある。近代的な道具があったとしても容易な作業ではない。ここハル・サフリエニの地下墳墓を作った人たちは紀元前2500年にそれを行なった。道具は石と黒曜石と鹿のツノだ。

 数層に広がる墳墓は地上の寺院をモデルにしたようだ。周囲には見せかけの窓や扉が刻まれている。天井は寺院の木製のそれを模して掘られている。遺体は掘って作ったくぼみに安置されていたようだ。そして骨になるまで待ってから取り出して埋葬された。


7. ミトラの神殿 ― イタリア


4_e0
image credit:Michelle Touton

 ローマは多神教だったために、新しい神々や複数の神々を信仰することが許されていた。1世紀、兵士たちの間で東方の神であるミトラ信仰が広まる。その教義や儀式についてはほとんど知られていないが、ミトラの神殿という地下寺院が残されている。

 最も保存状態が良いものの1つは、ローマにあるキルクス・マクシムスという戦車競技場跡の下にある。浮き彫りのフリーズは、ミトラが牡牛を殺す場面を表している。同じような表現はローマ世界の至る所で見つかる。ミトラ信仰では牡牛供犠が行われていた可能性を示唆するものだ。


6. シンカ・ベシェの寺院窟 ― ルーマニア


5_e0
image credit: Wikimedia

 シンカ・ベシェの地下施設には寺院窟、修道院、運命の寺院といったいくつかの呼び名がある。建設された時期や建設者、その目的ははっきりとは分かっていない。9つの部屋があり、うち2つは教会として利用されていたが、壁にはダビデの星や太極図といったキリスト教のものではないシンボルがある。

 シンボルを掘るために使われた道具の調査からは、寺院が2世紀に作られたことが判明している。だがその目的についてはいまだ推測の域を出ない。

5. ヴィエリチカ岩塩坑:聖キンガ礼拝堂 ― ポーランド


6_e0
image credit: Wikimedia

 13世紀、過酷な環境で働く鉱夫たちは藁にもすがる思いだった。神に救いを求めるようになったのも当然だろう。そしてヴィエリチカ岩塩坑の鉱夫は岩塩から礼拝堂を作り上げた。岩塩は少なくとも柔らかいという利点があったのだ。

 岩塩坑を掘り進めるうちに礼拝堂は破壊されたので、正確にいくつ存在したのかは不明だ。だが聖キンガ礼拝堂という素晴らしいものが残されている。

 伝説によると、政略結婚に気乗りしない聖キンガはハンガリーで婚約指輪を岩塩坑の中に投げ捨てた。しかし結局ポーランドへ王妃として嫁ぐことになる。ある日、予感を感じて井戸を掘るように命じた。すると水ではなく塩が発見され、その中に捨てたはずの指輪が見つかったのだという。その場所こそがヴィエリチカ岩塩坑である。


4. シパキラの塩の大聖堂 ― コロンビア


7_e
image credit: Wikimedia

 シパキラの岩塩坑は紀元前5世紀から掘り続けられてきた。そこにある礼拝堂はヴィエリチカと同じような理由で作られた。だが塩から削り出した大聖堂ははるかにモダンだ。1990年代に改築されたからだ。

 地下150メートルまで潜り大聖堂へ行くと、いまだ塩を掘り続ける鉱夫たちの姿がある。14ある礼拝堂それぞれには、十字架の道行きを表す塩の像がある。彫刻や壁はLEDライトで照らされ、光は塩の中に吸い込まれる。現在も使用されているが、大聖堂は主に観光向けとなっている。


3. ダマヌールの寺院 ― イタリア


8_e0
image credit: Wikimedia

 ダマヌールとはアルプスの麓にあるエコビレッジ共同体だ。似たような場所は世界中にあるが、”人類の神殿”はここにしかない。
 
 ダマヌールの設立者リベルト・アイラウドは子どもの頃から幻視をするようになった。寺院である。大人になって、それを現実にする場所を探し始めた。1978年、賛同者と一緒に地下寺院の建設を着工する。しかし工事は正式な認可を得ることもなく極秘裏に行われていたため、90年代にこれを察知した当局によって禁止されたこともあった。現在では鏡の部屋、金属の部屋、球体の部屋といった瞑想に使われるいくつもの部屋が存在する。


2. バトゥ洞窟 ― マレーシア


9_e0
image credit: Wikimedia

 バトゥの寺院を訪れる巡礼者は272段の階段を登らねばならない。山頂にある聖堂として使われる洞窟内部は天井まで30メートルもある。

 ヒンドゥー教最大の祭り”タイプーサム”では、クアラルンプールからスカンダを信仰する者が巡礼に集まる。信者はカヴァディという供物を担いで運ぶ。印象的なのは、頰、鼻、耳といった部分に針を通した苦行姿だ。皮膚にフックを引っ掛けている信者もいる。頂上では僧侶が聖灰で巡礼者を祝福し、それから色彩鮮やかな洞窟内へと入って行く。


1. ネアンデルタール人の洞窟 ― フランス


10_e0
image credit:Wikimedia

 17万5,000年前、何者かがフランスのとある洞窟に足を踏み入れ、暗闇の中を300メートルも奥へと進んだ。そこで鍾乳石や石筍を壊し、環状に並べた。そのうち400個は同じような長さに砕かれている。何者の仕業であろうと、その正体は人間ではない。

 この構造物が置かれたのは、ヨーロッパに現代人が到達する10万年も前のことなのだ。最も有力な説は、ネアンデルタール人が作ったとするものだ。

 サークルの場所や限られた規模から、生活スペースであったとは考え難い。燃やされた骨の破片といった火が使われていた証拠は、人工的に着火させたものであることを示している。

via:10 Amazing Underground Temples

☆わしゃ神道じゃ!

おもしろ雑貨をお探しの方はここをクリックしてね!