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地球外知的生物の存在についての論争はもういいかげん飽きた感はある。証明できる、できないにかかわらず、宇宙人がやってきたというもっともらしい奇妙な話はいたるところに転がっている。ただし、そのうちのいくつかは、長く語り継がれていて、不可解だが真実ではないかと思えるものもある。
ここでは、淡い期待を膨らませてしまいがちになる10の目撃談を見てみることにしよう。
10.マクミンヴィル事件 / アメリカ
1950年5月、米オレゴン州マクミンヴィルでのこと。農家を営むポール・トレントと妻のイヴリンがUFOを目撃した。夕刻早い時間にイヴリンが外でウサギに餌をやっていると、それは現れたという。イヴインは夫を呼び、ふたりでしばらくUFOを見つめていた。ポールがカメラを取りにいって写真を2枚撮ると、UFOは西の方へ飛び去ったと
いう。
夫妻はこの写真で金儲けをしようとは考えなかったが、結局は地元の記者に説得されてこの写真を発表せざるをえなくなってしまった。
写真の信憑性については疑問があったが、コロラド大によって行われたUFO現象の研究調査をまとめた1967年のコンドンレポートで、写真濃度からUFOがかなり遠くにあることがわかり、本物らしいと結論づけられた。しかし、最近の研究ではこの写真のUFOは、ワイアで吊るされた小さな物体だとされた。とはいえ、両方の写真にワイアは見えないし、イヴリンもポールも、それぞれ1997年、1998年に亡くなるまで本物だという主張を曲げなかった。
9.マリアナ事件 / アメリカ
1950年8月15日、米モンタナ州グレートフォールズのマイナーリーグの監督、ニック・マリアナは、UFOのフィルム映像を撮影した最初の人間になった。マリアナが試合前にグランドを点検していたとき、UFOが現れた。それ以来、米空軍基地に近いこの地はUFO目撃が頻発するようになった。
マリアナはいつも車の中に持参していた16ミリムービーカメラで、空を横切る明るいふたつの物体を撮影し、空軍にフィルムを送って、調べてもらうよう頼んだ。
マリアナがUFOを目撃した頃、マルムストーム空軍基地に二機の戦闘機が着陸した記録があったため、空軍はその航空機を見間違えたのではないかと結論づけ、そのまま話をお蔵入りにした。マリアナは自分が見たのは違う方向だったと主張し、フィルムを返してくれるよう要求すると、戻ってきたフィルムからははっきり映っていた円盤が消されていたという。フィルムの真贋についての論争は決着がつかず、その後グレートフォールズでは100以上の目撃情報が寄せられることになった。マイナーリーグのチームもすぐに球団名をグレートフォールズ・ボイジャーズに変えたという。
8.シカゴ・オヘア事件 / アメリカ
UFO目撃証言は、航空機のことなどよく知らない人によるものが多いが、2006年、シカゴ、オヘア国際空港でのUFOの目撃者たちのほとんどは、パイロットを含め、ユナイテッド航空の従業員たちだった。
空港の職員も、管制官も、レーダーもなにも異常なものはとらえていなかったのに、ユナイテッド航空のパイロットから管制塔に、円盤のようなものが近くにいると連絡があった。FAA(連邦航空局)は、気球か、目の錯覚か、説明のつく気象現象だろうといってとりあわなかった。
目撃者たちはこの遭遇の説明がつくはずはないと反論。ライトや標識もないダークグレイの飛行物体が、素早く上昇して雲を突き抜けてきて、しばらく同じ位置に漂っていたかと思うと消えてしまったという。
7.エドワーズ空軍基地の目撃 / アメリカ
1957年にエドワーズ空軍基地に着陸したというUFO事件に、空軍が神経質になるのも無理もない。UFOの映像が撮影され、しかも、報告したのがアメリカ初の有人宇宙計画のテストパイロット兼宇宙飛行士だったゴードン・クーパーだったからだ。
当時、クーパーは着陸システム装置の監督をしていて、彼の証言はかなり信憑性が高い。円盤を目撃したとき、クーパーはカメラクルーにフィルムを回すよう指示した。円盤は頭上にやってくると、着陸用の三本の足を伸ばし、干上がった湖底にゆっくりと降りてきたという。プロのカメラマンが撮った写真はとても鮮明で、常に18~27メートル以内で対象をとらえていた。直径9メートルほどの円盤は銀色ですべすべと光っており、地球上の乗り物でないことは明らかだった。カメラマンが近づくと、それは飛び去ったという。
クーパーがこれを上官に報告すると、フィルムをワシントンに送るよう言われたが、その後フィルムは消えてしまい、UFO調査機関であるプロジェクト・ブルーブックが設立されても日の目を見なかったという。クーパーはブルーブックが完璧にもみ消しの隠れ蓑になったと言っていた。
6.ソコロの遭遇 / アメリカ
1964年4月24日、ニューメキシコのソコロのさまざまな場所で、低空飛行をする物体を見た、大きな航空機が離着陸するような大きな音を聞いたというような証言が相次いだ。中でもロニー・ザモラという警官が勤務中に、実際に着陸するところを目撃し、エイリアンの宇宙船に違いないと断言した。
ザモラの証言によると、巨大な円錐形の青い光が空中高く昇っていって炎に包まれたという。それが墜落したらしい峡谷にかけつけてみると、飛行船らしきものがいて、一瞬、ふたりの小さな人型生物がジャンプして消えたように見えた。ザモラがパトカーを止めて外に出ると、ガチャンガチャンと金属音が聞こえた。音をたてていたのは、足のついた巨大な丸い金属の物体で、それはすぐに底部から青い炎を発して静かに飛び去ったという。ザモラは無線で自分が見たものを報告した。
駆けつけた仲間の警官がザモラの目撃を裏づける証拠を発見した。その物体の着陸していた場所にぎざぎざのへこみ跡がついていたし、離陸のときに燃えたらしい草木が残っていたのだ。卵型の飛行物体や、青い炎の目撃証言はほかにもあり、ザモラから話を聞いたジャーナリスト、空軍職員、前述のプロジェクト・ブルーブックの元ヘッド、ヘクター・クインタニラ・ジュニアも、ザモラはまじめな警官であり、付近の航空機についても精通しているので、証言の信憑性については疑う余地がないという同じ結論に達したという。
5.ウェスタールのUFO / オーストラリア
1966年4月6日、オーストラリア、メルボルンで、銀色のディスク型の飛行船が高校の近くに着陸し、また飛び立ったのを大勢の人が目撃した。いたずらや誤認と思われる証言が多い中、真昼間に200人以上の人に目撃されたこの事件は別格で、どうにも説明がつかなかった。
体育の授業を終えた高校の生徒のうち何人かが、車の二倍の大きさの銀色、もしくは緑がかった銀色の飛行船が学校の裏の松の木の上に浮いているのを指差したのが始まりだった。さらに生徒たちが外に出てくると、その飛行船は大勢の前で上昇し、45度の角度に傾いたまま、普通の自家用機ではとても太刀打ちできないようなスピードで、空の彼方へ消えていったという。
近くの空港によると、その時間に付近で自家用機の発着はなく、軍の演習もなかった。20分以上もの間、大勢の人に目撃された、飛行機でも気象観測気球でもない物体の説明はつかなかったが、写真も映像もなく、追跡調査したパイロットもいない。この事件はオーストラリアのもっとも不可解なUFO事件のうちの1つである。
4.ポーテジ郡の追跡 / アメリカ
1966年4月17日夜明け前のこと、米オハイオ州ポーテジ郡で6人ほどの警官が通信衛星のような物体を追いかけて見失ったという事件が起こった。最初に問題の物体を発見したのは、保安官代理のデール・スパー。アトウォーターとランドルフの間を走る224号線の法面に車が乗り捨てられているのを発見し、パトカーを降りて調べにいくと、その斜面の隣の丘の木の上に光が見えたという。
同僚のネフと共に見ていると、その光源が近づいてきて、ふたりの頭上に浮かび上がり、目がくらむほどの眩さで上から彼らを照らしたという。
ふたりはパトカーの中に戻って応援を呼び、5人の警官がかけつけて、それから30分ほどその物体を追跡したが、見失ったという。この事件の直前に、警察署長のジェラルド・ブチャートも自宅の庭近くに円盤のような光る物体が浮遊しているのを目撃し、写真を撮った。彼は説得されて、そのネガをブルーブックに送ったが、不備があるとして却下され、ネガそのものもなくなってしまったという。スパーたちの追跡も金星と見間違えたのだろうと一蹴されてしまった。
3.トランス・アン・プロヴァンス事件 / フランス
1981年1月、フランスのトランス・アン・プロヴァンスで起きたUFO目撃事件は、史上もっとも慎重に扱われたケースと言われている。
引退した元農夫のレナート・ニコライが昼に庭で作業していると、突然、笛が鳴るような音が聞こえ、エイリアンの宇宙船のようなものが現れた。直径1.5~1.8メートルほどの皿のような形をした物体が、空から降りてきて地面から2メートルほどのところに浮いて、30秒ほどでまた空へ戻ったという。ニコライは30メートルほど離れたところでこれを目撃した。
フランス政府の調査によると、その物体が現れた付近の土が固められ熱を帯びていて、まわりの植物の葉緑素が激減していたという。付着していた黒い物質は、オイルや燃焼による残滓ではなく、金属性のものだったという。例えば電磁気のようなもののせいで、なにか異常なことが起こったのかもしれないとしか言えなかった。
2.ウォーレン空軍基地 / アメリカ
米ワイオミング州シャイアンにあるウォーレン空軍基地は、1965年以降、UFOが多数飛来する場所とされている。ここで赤やグリーンの点滅光が住民に目撃されるときは、ミサイル発射基地のあるウォーレンが非常事態であることを示している。ウォーレンの核ミサイルの兵器庫が説明のつかない物体に頻繁にアプローチされていることが大きな問題なのだ。
有名な事件は、かつてミニットマンミサイル発射に携わっていたブルース・フェンスターマッハーの1976年の目撃報告。赤と青の光を放つ明るく白い物体が北の方面に見えたという。基地の警備員は20メートル弱のシガータイプの飛行船がミサイル格納庫のそばを飛んでいるのを見た。軍と警察が慌てて基地に集結したが、そのときはすでに飛行船は姿を消していた。しかし、飛行船は場所を変えてまた現れ、近づこうとするとパトカーが動かなくなった。事件発生から2時間以上たって、飛行船は目もくらむような速さで地平線の彼方へ去って行ったという。
また2010年には、基地にある50の大陸間核弾頭ミサイルの電源になんらかの原因で異常が生じ、一時間近くも通信不能になったという。
1.ピネイ・ウッド事件 / アメリカ
1980年12月の夜、ベティ・キャッシュと友人のヴィッキー・ランドラム、ヴィッキーの孫コルビーがテキサス州ピネイ・ウッドの寂しい高速を走っていたとき、生涯忘れられないものを目撃した。それは三人に、精神的、感情的、肉体的に強烈な刻印を残していった。
給水塔ほどの高さの光るダイヤモンドのような形をした物体が、高速の真ん中に鎮座していて、行く手をふさいでいたのだ。時折、下部から炎があがり、少し上昇したかと思うと、また道路に戻ってきて、強い光と熱を放出していた。ベティとヴィッキーは車から出て調べにいこうとしたが、ドアハンドルは直接触れないほど熱く、プラスチックのダッシュボードは熱で手形が残るほど柔らかくなってしまっていた。その物体が上昇するのを見ていると、軍用タイプのヘリが頭上にやってきて周りを取り囲み、その物体と共に遠くへ飛んでいったという。
その後、3人はそのUFOの放射性中毒か化学的な汚染のせいか、虚脱感、吐き気、ひどい日焼けの感覚といった奇妙な症状に悩まされた。ベティは入院するほど重症で、彼らのUFOとの遭遇は訴訟問題になるほどの極めてまれな事件となった。ヘリの存在を巡って、家族がアメリカ政府相手に2000万ドルの賠償金を要求する訴えを起こして負けた。軍はその地域にヘリを出動させたことはない、巨大なダイヤ型のUFOなど知らないと主張し、裁判官がそれを認めた形だ。
via:
10 Strange And Plausible UFO Sightings
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