mirojoan's Blog

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歴史に残るあの1ページを切り取った、興味深い歴史的写真20

2014年02月28日 | 世界びっくりニュース

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 何回かシリーズに分けてお送りしている歴史的写真シリーズ。今回も、普段めったにみることのできない貴重な歴史の一ページを切り取った写真がまとめられていた。

1.ノースダコタの猛吹雪


1966年3月のノースダコタの猛吹雪。写真の見出しは冗談めかしてこうなっていた。“列車はこの下のどこかにいると思う!”

2.くじ引き


 1909年、4月11日、共同で購入した12エーカーの砂丘の地を均等に分割しようと、くじ引きに集まった100人の人たち。のちにここはイスラエルのテルアビブという町になった。

3.宇宙飛行士の死


 1967年、ソユーズ1号の宇宙飛行士ウラジーミル・コマロフは帰還時の事故で死亡。彼の棺のそばに集まるソ連将校たち。

4.アマゾンの半魚人


 1954年、映画『アマゾンの半魚人』の高画質スチール写真

5.ミッキーマウス大増殖


 1930年代初頭のミッキーマウスクラブの会合

6.パラシュート部隊の装備品


 落下傘部隊の通信士が持っていた装備、1940年代頃

7.強制収容所の司令官


 自宅バルコニーからポーランドのプラスザウ強制収容所を見下ろすアモン・ゲーテ。映画『シンドラーのリスト』に出てくる、収容所の悪名高き司令官。1943年から44年頃。

8.人身売買


 1948年シカゴで売りに出される子どもたち。貧困のため子供を売り飛ばす親もいた。

9.クーデター


 1980年、リベリアのクーデター後、処刑のため並ばされる閣僚たち。

10.子どもの郵送


 1913年、子どもの郵送は合法だった。子どもの服にスタンプをつけて列車に乗せ、配達員がつきそって目的まで送り届けているこの写真はあくまでもシニカルな風刺写真として出回ったもので、実際にはこんな郵送方法はされていない。

11.最後まで誇りを忘れない日本軍人


 1944年、沈没前に最後の万歳をする、日本の航空母艦「瑞鶴」の乗組員たち。

12.とある考古学者の探求心


 1924年1月、ツタンカーメンの第二の霊廟のドアから覗き込むハワード・カーター。

13.ホワイトハウスの厨房


 1909年頃に撮影されたもの。

14.既に頭角を現していた未来の独裁者


 1899年、4年生のアドルフ・ヒトラー。未来の総統は最後列の列のど真ん中に君臨している。

15.屈しない


1963年、ミシシッピー州のカフェでのジェシー・ジャクソンとその支持者。公民権運動のストライキで、ケチャップや砂糖まみれになりながらも、あざけりや嫌がらせに耐える人たち。

16.ベニート・ムッソリーニとイタリアファシスト党本部


 ムッソーニの巨大な顔のオブジェが際立つイタリアのファシスト党本部(1934年)
 
17.アポロと宇宙飛行士


 1967年1月27日、アクセスアームを横切って指令室へ向かうアポロ1号のクルーたち。

18.歴史の一ページ


 1919年、フランスでベルサイユ条約が調印されるのをひと目見ようとテーブルや椅子にの上に立つ見物人たち。

19.北朝鮮の女性ににっこりするチェ・ゲバラ。


20.カモフラージュ



 1944年、第二次大戦中、カモフラージュするアメリカの製造工場

via:acidcow

☆このシリーズ好きや!

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国によってこんなに違う。ハリーポッターの表紙絵一覧

2014年02月26日 | 世界びっくりニュース

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 世界的大ヒットとなった、英国作家J・K・ローリングによるファンタジー小説「ハリー・ポッターシリーズ」。第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』がロンドンのブルームズベリー出版社から1997年に刊行されると、全く無名の新人による初作であるにもかかわらず、瞬く間に世界的ベストセラーになった。子供のみならず多数の大人にも愛読され、児童文学の枠を越えた人気作品として世界的な社会現象となった。

 当初から全7巻の構想であり、最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原書が2007年7月21日に発売され、完結したわけだが、世界各国で出版されたそのカバー絵も、お国柄が現れているというか、こうやって一覧で見てみると、かなり違いをみせていることがわかる。

1.英国(子供向け)


2.英国(大人向け)


3.スウェーデン


4.米国(オリジナル)


5.米国(ニューエディション)


6.ウクライナ


7.ロシア(ニューエディション)


8.ドイツ


9.ドイツ(大人向け)


10.日本


11.フランス


12.フランス(ニューエディション)


13.フィンランド


14.イタリア


15.デンマーク


16.オランダ


17.スペイン


18.中国


via:twentytwowords

☆中国はストーリーも違ってたりして!

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見つからなきゃスナイプ!画像の中からドイツ軍の狙撃兵を探せ!

2014年02月24日 | 世界びっくりニュース

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 写真家のサイモン・マナーは、ドイツ軍の兵士たちとの同行を許可された。そこでサイモンは、自然に溶け込みカモフラージュしている狙撃兵の姿を写真に収めた。

 以下の10枚にはどこかに狙撃兵が隠れている。難易度レベルは様々だ。君は全ての狙撃兵を見つけ出すことができたかな?

※文字クリックで拡大表示できるよ。回答は10の画像の下に表示

■1.中央の茶色がかった腐った木材の右上を探せ


■2.小道の右側、茂みの中を探せ


■3.右下の二つの大きな岩の付近に注目


■4.これはノーヒントで


■5.画像右下に注目


■6.画像左中央に注目


■7.左側中央の曲がった木の付近を探せ


■8.左側の草の中をチェック


■9.白樺の木の下に注目


■10.木の下を探せ


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回答はこちら。わかりやすいものもあればわかりずらいものもあったね。画像をクリック拡大してもよくみなきゃわからないものも。これじゃ敵兵も大変だわ。

解答  ■1.


解答  ■2.


解答  ■3.


解答  ■4.


解答  ■5.


解答  ■6.


解答  ■7.


解答  ■8.


解答  ■9.


解答  ■10.


解答 のない動画編もあるんで、もっとやりたい人は要チェック
Can You Find the Sniper?


☆4番以外、判らなんだ!

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一度は行ってみたい。世界10の高級レストランと自慢の料理

2014年02月21日 | 世界びっくりニュース

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 アメリカ人がまとめた世界10の高級レストランが紹介されていた。とは言え日本人の味覚は世界が認める高レベルなので、もしかしたら日本国内でも十分そのレベルのレストランはあるかもしれないが、もし海外旅行に行った場合にはチェックする場所として抑えておくといいだろう。

 ここに紹介されているのは料理の品質のみならず、そのシチュエーションや演出、独特な料理などが楽しめるものだ。

10.フランス アルページュ


もしパリでおいしい野菜を中心にした料理が食べたいときはぜひアルページュに行ってほしい。アルページュのオーナーはアラン・パサール氏である。世界各国からこの店の一流ディナーを味わいに来るお客たちのお目当ては、この店の定番料理ウフ・ア・ラ・コックである。この料理は、半熟の卵にメープルシロップとビネガーと生クリーム、スパイスなどを混ぜ合わせたものである。その他にも、アラン・パサール氏がレストラン専用の畑からとった有機野菜をたっぷり使ったエレガントな料理も楽しめる。

9.ドイツ ヴァンドーム


 ドイツのベルギッシュ・グラートバッハにあるヴァンドームは現代的な料理で名を知らしめている。鹿肉と松葉のゼリー寄せセロリクリーム添えなどアバンギャルドな料理が多い。このレストランは5つ星グランドホテル、シュロース・ベンスベルグ内にあり、オーナーシェフはヨアヒム・ヴィスラー氏である。メニューには、25皿の料理を味わえるコースがあり、目にもお腹にも豪華絢爛なものとなっている。

8.スペイン エルブリ


 厨房のサルバドール・ダリの異名をもつフェラン・アドリア氏の持つスペインでも最高峰のレストランである。このレストランはアドリア氏の味覚や視覚だけではなく食感など食物へのこだわりぬいたメニューで非常に有名である。


映画『エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン』予告編

 ロケーションは、カラ・モンジョイという入り江を見渡すことのできる絶好の場所に位置している。このレストランは限られた時期に限られた人数の食事を提供する。残念なことに現在アドリア氏は新たなる研究に打ち込むためこの店は休業中だ。

7.米ニューヨーク イレブン・マディソン・パーク


 ニューヨーク界隈の非常に独創的な料理を出してくれるレストランのひとつ、イレブン・マディソン・パークは、ダニエル・ハム氏がシェフをするアメリカのコンテンポラリーなレストランである。

 いろいろな仕掛けのあるディナーはおひとり様日本円にしておよそ2万円。たとえば、にんじんのタルタルなどは、実際あなたのテーブルにクラシカルな手動式肉火挽き機を準備してくれるなど、凝った演出をしてくれる。

6.米カリフォルニア フレンチランドリー


 カリフォルニア州ナパバレーの近くにあるフレンチランドリーのオーナーシェフはトーマス・ケラー氏である。ケラー氏はアメリカでも非常に高名なシェフであり、その予測不可能な料理で名を知られている。

 レストランの建物は1900年初期に建てられたもので、国の指定する歴史登録財に指定されている。オイスターとキャビアのお口取りはオイスターとチョウザメキャビアのサバイヨンソースじたて。ソースにはタピオカが入っている。

5.米ロサンゼルス エンカウンターレストラン


 世界の空港にある無数のレストランで最上級のレストランといえば、エンカウンターレストランであろう。銀河系をテーマにしたインテリアと地上20メートルからの空港や街並みを一望しながらのディナーは最高である。このレストランはディズニースタッフがデザインしたことでも有名である。

4.モルジブ イタ―・アンダーシー・レストラン


 このレストランは海の中にある。海中5メートルに設置されたレストランのガラス張りの店内は、海中を180度見渡せる。メニューは6品のコースメニューとなっており、ヨーロッパ風のごちそうが食べられる。皇帝キャビアのブリニ添え、サワークリームを添えて、やブリのリゾットシャンパン風などのメニューが有名である。

3.イタリア オステリアフランチェスカーナ


 モデナにあるこのレストランは非常に斬新なメニューで知られている。オーナーシェフのマッシモ・ボットゥーラ氏のこだわりぬいた斬新な名作を出すオステリアフランチェスカーナのハイライトは「カモフラージュ」である。

 クランチアイスクリームに見立てたフォアグラ料理は、ナッツやハーブなどが周りにまぶしてありデコレーションされていて、中にバルサミコソースが入っている。素敵なカモフラージュである。

2.デンマーク ノーマレストラン


 コペンハーゲンにあるノーマレストランは一言でいうと衝撃である。だが北欧料理の王と呼ばれるハネ・レッゼピ氏がオーナーシェフだと聞けば納得である。彼は森や海岸をテーマに食材を探し求めて料理に取り入れることで有名である。20皿のコースメニューにはしかけや謎がたくさんある。一皿目がテーブルの生け花の中にあると知ったら、みんなさぞ驚くことであろう。

1.スペイン エル・セレール・デ・カン・ロカ


 エル・セレール・デ・カン・ロカは今年「世界のレストラン50選」1位の座を奪還したこともあり、実力はお墨付きである。レストランのオーナーはロカ三兄弟であり、長男が料理長、次男がソムリエ、三男がパティシエを務めている。

 このレストランの料理はモダンスペイン料理であり、独創的かつ調和した料理を食べることができる。炭火あぶり焼きの車エビを使った料理が有名である。

via:the10mostknown

☆貧乏人には、縁のない世界じゃ!

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理想郷を求めて、失敗に終わった10のユートピア都市計画

2014年02月19日 | 世界びっくりニュース

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 かつて人類は、文明という武器を手に自分たちにとっての理想の都市を築き上げようとした。様々な趣旨の元、それぞれの思いを胸に、作られたものの、失敗に終わった10のユートピア都市計画が海外サイトにて特集されていた。

 そこに散りばめられた様々なアイデアは、今日の我々に少なからず影響を与え続けていることだろう。

10.ベジタリアンのためのユートピア、オクタゴンシティ


 1856年、カンザスの移民会社が、カンサス州ハンボルトにベジタリアンだけが住む理想郷オクタゴンシティを作ろうとした。都市のデザインは、有名な骨相学者オルソン・スクワイア・ファウラーの提唱した八角形という“科学的”な考えに基づいている。八角形はたくさんの光を取り込むことができるため、家にとって実用的な形だというのだ。

 都市設計者でベジタリアン活動家のヘンリー・クラブは、中央の八角形の広場から8本の道路が放射状に延びている町のイメージを描いた。その間に広場や公共の建物などが作られる。最終的に世界中から約60家族がここに集まったが、彼らは狭く、窓のない丸太小屋風の住居にがっかりし、さらに、水源が枯れて水不足になったり、蚊が発生して病気の心配があるなど、さまざまな問題に直面した。

 今、町の痕跡はまったく残っていないが、クラブのオクタゴンハウス構想は、アメリカやカナダにほんのひと握り残っている。

9.マシンシティ、ヴィラ・ラデュース


 スイス系フランス人建築家ル・コルヴュジェは理想の町の壮大な計画をもっていた。20世紀始め、彼は純粋主義と呼ぶ考え方を編み出した。建築というものは、近代へ移行していく産業機械として、シンプルで機能的でなくてはならないというものだ。

 この概念をもとに、彼はマシンとしての近代的ユートピアシティ、ヴィラ・ラデュースとヴィラ・コンテンポレンヌの2つを考えた。両方とも、裕福な者もそうでない者も大勢が住める巨大な高層ビルをそなえ、公園や緑地でこの巨大な町を生産エリアとレジャーエリアに分ける。

Radiant City: 24 Hours in the Mind of Le Corbusier


 垂直ガーデンシティの異名をもつラデュースは、ファウラーのオクタゴンシティのように、自然の太陽光や空気をたくさん取り込めるようになっている。建物は社会生活の中心でもあり、屋上ガーデンやビーチ、地下のケータリングシステムや各家庭のための子どものケアなども完備している。コルヴュジェはそれぞれのビルに2700人が住めることを想定して、一日5時間労働、公共交通で家までまっすぐ帰ることができる。両方とも実際に建設はされなかったが、ラデュースはのちの建造物に着想を与えた。

 ル・コルヴュジェはこのマシンシティの原理を応用して、マルセイユにUnite d'Habitationを設計した。この建物は今日でも残っていて、そのユニークなデザインの部屋を見学ツアーのために公開している住人もいる。

8.ガーデンシティ、グリーン・メトロポリス


 1902年、社会改革主義者エベニーザー・ハワードは、“明日のガーデンシティ”という論文を発表し、住民が自然と調和して生活できる町の計画概要を説明した。土地の広さは6000エーカー、1000エーカーの範囲に32000人を収容できる建物を建設し、残りに公共の公園、農場、広い道のある緑地もつくる。

 ハワードは、ロンドンのような中心的な町の周辺に衛星のようにガーデンシティをいくつか配置し、それぞれが道路や鉄道で結ばれているという構想をもっていた。ハワードはイギリスのハートフォードシアに、ウェリンガーデンシティとレッチワースガーデンシティというふたつの町を作り、のちのガーデンシティ動向に影響を与えた。郊外という考えに基盤を置いた、比較的人口の少ない衛星都市の概念をうちたてたのだ。

7.地消地産、ブロードエーカーシティ


 1932年、フランク・ロイド・ライトは、ヴィラ・ラデュース構想を知ったが、これが気に入らず、すぐに自分自身の理想郷をまとめ始めた。これは、彼の愛するアメリカ中西部の田舎の広々とした大草原をベースにしたもので、それから彼は生涯をかけて、このブロードエーカーシティ計画にのめりこんでいく。

ライトは町から工業的な要素を完全に取り除き、開発された都会の空間を田舎のそれに置き換えた。ブロードエーカーシティでは、各家庭は1エーカーの土地を与えられ、一番大きな村でも人口1万人以下におさえる。誰もが必要な水や電力は個人所有にはしない。広々とした美しい風景の見える道路、見事な建築、公共のサービスステーションがあり、農場、工場、道端の市場、学校、住居、レジャーエリアなど多様なユニットに分かれ、これらのユニットがうまく統合されて配置され、生産、分配、自己改善の場、レジャーを家から半径150マイル以内の中でまかなうことができ、車や飛行機で簡単に素早く行き来できる。

 ブロードエーカーシティは、結局建設されなかったが、地元で食料や電力やその他必需品を生産するという地産の考え方は今日でも土地利用計画者たちを刺激している。

6.ナチスのモダニストの夢、世界首都ゲルマニア


 建築家アルバート・シュペーアは、ベルリンを、将来的にナチスの中心にするというヒトラーの都市改造計画を実現させる任務を任された。明らかにル・コルヴュジェの高層ビル住居の影響を受けていて、シュペーアは巨大なビルを建設して、ベルリンを世界の中心地にしようとした。計画の中には、40万人も収容できる巨大なスタジアムや、ベルサイユ宮殿の鏡の間の二倍もある総統官邸などもあった。

 戦争のせいで多くの計画が中止されたが、土地的にもやむをえないものがあった。ベルリンは湿地に位置していたため、シュペーアは試験的に建物(Schwerbelastungskorper)を建設してみて、どれだけ地盤沈下があるかを調べようとした。結局、3年で18センチも沈んでしまい、それ以上工事を進めるわけにはいかず、建物の残骸は金網フェンスの向こうにひっそりと取り残されている。失敗に終わったゲルマニアの町は、ル・コルヴュジェの夢を葬る最後の弔いの鐘だったのかもしれない。

5.不運なアメリカの入植地、フォードランディア


 1930年代、ヘンリー・フォードは、アメリカの一部をブラジルのジャングルに持ち込もうとしたが、うまくいかなかった。フォードランディアは、アマゾンの中心都市の広大なゴム園になる予定だった。

 フォードはアメリカ人従業員をアマゾンに移動させて、そこで現地の従業員も雇った。町には発電所、病院、図書館、ゴルフ場、従業員のための住居があり、“健康的”なアメリカの生活様式を強要して、ハンバーガーを勧め、酒や婚前交渉を禁止した。


暴動で破壊されたタイムカード用の時計。

 従業員たちは、これまでのような早朝と深夜のシフト勤務ではなく、炎天下の中、9時から5時まできっちり働かなくてはならないことに不満をもち、暴動が起こるほど状況が悪くなってしまった。

 こうした文化的な問題のほかに、フォードにはゴム農園を経営するノウハウが完全に欠けていた。技術者たちは手探りでゴム栽培を行っていくしかなかったが、結局は土地がゴムの木には適していないことがわかり、1930年代半ば、フォードはここを見捨てた。フォードランディアの哀れな残骸は、まだジャングルの中に朽ち果てたまま残っている。

4.浮遊都市、クラウド・ナイン


 科学、特にSFは都市設計者に影響を与えることが多い。しかし、20世紀半ばの発明家バックミンスター・フラーほど、こうしたSF的未来のアイデアを真剣に考えた者はいなかっただろう。彼は東京が人口過密だというニュースを聞いて、空に浮かぶ都市を考え出した。

 球形テンセグリティ大気研究所(STARS)で考え出されたクラウドナインは、巨大なジオデシック(測地線)構造の球体でできている。空気を満たすと、その球体の重さは内部の空気の重量の1000分の1の重さになる。フラーは太陽光や人工的に空気を温めて球体を浮かす計画をたてた。この浮遊都市を山を錨にしてつなぎとめたり、世界中を漂わせるイメージをもっていた。

 この浮遊都市は実現しなかったが、フラーのプレハブのアイデアや、ダイマキシオンハウスというジオデシックドーム住居は、いまだに根強いプレハブ建築動向に影響を与えた。

3.耐核兵器のための、国家の土地利用計画アトムラビア
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 ユートピアのほとんどは、人口過密、不健康な生活環境、高価な商品輸入の必要性など、現代の都市の問題を解決するために設計されるが、冷戦時代には別の脅威があった。

 1947年、ライフ誌が核攻撃からアメリカ市民を守るための新しい都市計画を募集する記事を載せた。その裏には、アメリカ市民を都心に集中させるのではなく、国中に散らばって住まわせるという構想があった。人口を再分配してチェス板のように配置した新しい町を作ろうとしたのだ。

 計画された町には、トータルで2千万戸の新居を建て、新たな社会経済生活構造を作り直し、すべての産業は地下に移動させて、核攻撃から守るというものだった。この構想は実現しなかったが、町の地下に核シェルターを建設しなくてはならないという強迫観念の始まりとなった。

2.完全インドアの町、シュワードの成功


 1968年、アラスカのプルドー湾で石油が見つかった。こうなると、建設ラッシュが始まり、そのまわりに町ができるのが普通だが、タルサにあるタンディ社は、世界初の完全インドアの町、気候をコントロールできる都市を作る計画をたてた。このプランはシュワードの成功と呼ばれた。

 4万の住人はモノレールや上記の絵のようなスカイトラムや歩く歩道を使って、68度の勾配を移動する。オフィスエリア、小売りエリア、スポーツエリアも建設予定だった。トランス・アラスカパイプラインの建設が法廷で認められると、下請け会社は土地のリース代を払うことができなくなり、この都市計画は頓挫した。だが、いまだにドームに覆われた、天候に左右されない完全インドアの都市構想の夢は存在している。

1.スマートシティ、ソンドゥ


 韓国のソンドゥは、完璧なスマートシティとして韓国の都市設計家やIT企業のシスコを魅了している。ここでは気象から通信・輸送まで、すべてがネットワークコンピュータで管理され、二酸化炭素排出量を最小限におさえるよう設計されている。

 この発想は、ル・コルヴュジェの純粋マシンシティやハワードのガーデンシティから出てきていて、学校、商店、オフィスから公園、美術館、病院にいたるまで、ル・コルヴュジェの摩天楼ビルによく似ている。持続性はガーデンシティ感覚だが、それは機械によるハイテクインフラ構造により可能になっている。すぐにできる箱の町とも呼ばれ、バックミンスター・フラーのプレハブシティの理想も見ることができる。

Songdo City - Cisco Connected City


 このスマートシティ構想は、現代の都市設計者の間では広く一般的な考え方で、似たような開発技術がたくさん出てきている。ソンドゥは2015年までに完成する予定だが、すでにこの地域にビジネスを取り込む問題が発生している。実現に失敗したほかのユートピアと同じの運命をたどる可能性もあるが、私たちが都市生活をどのように考えるかを変えていくアイデアをもたらしてくれるだろう。

番外編::酔っ払いの町、ブーズタウン


 1952年、メル・ジョンソンは、投資家たちに自分の考えた完璧な都市計画を披露した。それは酒飲みのために作られた町だった。

 あらゆる通りにアルコール関連の店が並び、町の人間はブーズバックスという独自の通貨をもつ。パーティポリスというこれまた地元独自の警察システムがあり、警官は民生委員のように町を歩き回って、前後不覚になっている酔っ払いにアスピリンを与え、家まで優しく送っていき、逮捕者を出すことはない。子どもはこの町には入れず、子連れの訪問者は、デイケア施設や郊外のサマーキャンプに子どもをあずけなくてはならない。町にはもちろん醸造所、蒸留所も完備されている。

 ここはアルコール文化の中心地になる。バーやクラブなど飲む場所が充実し、酒屋は閉まることがなく、酒飲みにとっての天国になる。警察は酔っ払いをぶちこむためにいるのではなく、介助するために存在し、嫌がらせをすることもない。通りの名前もジン・ライム、バーボン・ブルバード、スコッチ・ストリートなど、酒にちなんだ名がつけられている。ほかには決してない、大人の遊び場だ。とジョンソンは投資家たちに説明する。

 当然のことながら、ジョンソンはブーズタウン建設のための資金を集めることはできなかったが、1960年まではこの構想を温めていた。

via:io9

☆もっと、宣伝してたら成功してた場所もあるんとちがうかな?

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