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少なくとも3人以上の殺人の被害者がいる場合、その殺人者はシリアルキラー(連続殺人犯)と呼ばれる。犯行に及ぶ動機は様々だが、多くの場合、異常心理に基づく欲望を満たす為の一種の快楽殺人である場合が多い。
何人もの人を殺めるという行為自体、猟奇的で常軌を逸しているが、彼らは殺害した遺体の処理にまでこだわりを見せる。
ここで紹介する10人の連続殺人鬼たちは、犠牲者の遺体を血も凍るような、独自の方法で処理した者たちだ。
10. ワニの餌に:ジョー・ボール(アメリカ)
Serial Killers Joe Ball The Butcher Of Elmendorf Documentary
20人の女性を殺したとされるジョー・ボールは、彼がテキサス州エレメンドルフで経営していた酒場でワニに食われた犠牲者が発見されてから、「アリゲーターマン」と呼ばれるようになった。
禁酒法が廃止されてからボールが開いた酒場の敷地内には、コンクリート製の池があり、そこで5匹のワニが飼われていた。
ボールはこれを見世物にして、酔っ払っては犬や猫といった動物を放り込んでいたという。が、やがてここに近隣の女性までが放り込まれるようになる。
1938年、保安官が尋問に訪れると、ボールは銃を手に取り、自らの心臓目掛けて発砲し絶命。家宅捜査では腐った肉に囲まれたワニの他、血や髪の毛がこびりついた斧が発見された。
9. 流酸風呂で溶かす:ジョン・ヘイグ(イギリス)
Acid Bath Murders (1949)
1944~49年にかけて6人を殺害したイギリスの連続殺人犯。ジョン・ヘイグは犠牲者の遺体を硫酸で溶かして処理しては、それを庭に撒いていた。その血を飲んだとも自供している。
偽の法律事務所を設立して詐欺で4年間服役したのにも懲りず、ヘイグは釈放後さらに邪悪な金儲けを思いつく。犠牲者をロンドンの地下室に誘い込み、ここで彼らが所有する財産を譲るよう書類を偽造させるのだ。
最初の犠牲者は若い男性とその両親だった。次の犠牲者は裕福な夫婦で、同様に書類を偽造し、銃で殺害。最後の犠牲者は、老婦人で殺害後、宝石や毛皮のコートなどの貴重品を奪った。
逮捕されたとき、この男はぬけぬけとこう言ったのである――「酸で跡形もなく溶かしちまいましたよ。遺体もないのにどうやって殺人を立件するんです?」と。
狡猾な詐欺師のくせして、死体が見つからない限りは殺人罪には問われないと、法律を誤解していたのだ。結局、死刑が宣告され、1949年に処刑された。
8. 遺体を挽肉にして売る:ロバート・ピックトン(カナダ)
The Pig Farm of HORRORS (Part 1) | Serial Killer Files #39
親から相続した養豚場で働いていたロバート・ピックトンは1983~2002年にかけて、バンクーバーで6人を殺害。おぞましいことに、その遺体をひき肉にして売っていた。
1997年、刺し傷のある裸の女性が養豚場から逃げ出したことがある。だが彼女は薬物依存の娼婦だったために、警察はその証言を信憑性なしとして、ピックトンを起訴しなかった。ここでピックトンが刑務所に入っていれば、多くの犠牲者の生命は助かっていただろう。
後にピックトンは同じ房に入れられた犯罪者を装った捜査官にこのように話している。一番いい死体の処理法を問われて、「動物飼料精製工場だね」と――つまり動物の組織をラードのような製品に加工する工場のことだ。
なお彼は変装した捜査官に「50の大台」を目指していたとも証言している。今では彼の犠牲者は49名に達していると見られている。ピックトンには終身刑が宣告された。
7. 遺体を食用肉に:張永明(中国)
Zhang yongming el Canibal que Vendia Carne Humana en su Local
2012年に逮捕された張永明は、犠牲者の遺体を食ったり、犬の餌にしたりしていた。それどころか、ダチョウの肉と称して、人肉を市場で売り捌いてすらいたのだ。
1979年に殺人罪で逮捕されていたのだが、97年に釈放。それから張の自宅付近で少年の失踪が多発するようになった。ベルトで首を縛られたが命からがら逃げ出したという少年もおり、親たちの間では張が子供たちを奴隷にしているのではないかと噂になっていた。
警察が彼の自宅を捜査すると、吊るされた人間の太腿や薬酒に漬けられた眼球が何10個も発見されたという。さらに50足以上の男性の靴も見つかっており、彼の犠牲者は20人では済まないとも伝えられている。2013年、死刑に処せられた。
6. 喉を切り裂き湿地に埋める:ルイス・ガラビート(コロンビア)
LUIS ALFREDO GARAVITO - documentales de asesinos en serie en espanol
1992~1999年にかけてコロンビアを震撼させ、「ラ・ベスティア(獣)」との異名があるルイス・ガラビートは、世界最悪の殺人鬼とも言われている。
国内を放浪しながら、行く先々で8歳から16歳までの少年に性的暴行を加え、喉を切り裂いて殺害し大量の遺体を投棄した。その多くには拷問を受けた形跡があり、性器を切断されているものもあった。
少年たちは主に浮浪児で、家族とも交流がないために犯行はなかなか発覚しなかった。しかし1997年、ペレイラ周辺の湿地から数十体の遺体が発見されたことで事件が明るみに。当初はカルト教団の仕業と睨まれていたが、遺体から見つかった珍しいメガネが手がかりとなり、逮捕にいたった。
ガラビートのアパートからは犠牲者の写真やその数を数えた日記が発見。実際に確認された犠牲者は138人だが、ガラビートは300人以上殺したと自白している。この男には終身刑が言い渡された。
5. 庭や壁の中に埋める:ジョン・クリスティ(イギリス)
10 Rillington Place
1940年代から50年代にかけて、妻を含む6人の女性を殺害したジョン・クリスティ。遺体を自宅の地面に埋めて隠したが、中には壁に隠されていたものもあったという。
クリスティが最初に手をかけた2人は自宅の庭に埋められた。次の20歳の女性ベリル・エヴァンスは下水道に投棄。この事件では喧嘩の絶えなかった彼女の夫が起訴され、結局イギリスの死刑制度廃止のきっかけにまでなっている(エヴァンス事件)。
庭に埋める場所がなくなってしまうと、クリスティは今度はキッチンの壁に遺体を隠すようになった。
だが、壁から漂う腐臭は耐え難かったようで、やがてクリスティは引っ越すことに。後から入居した住人がキッチンのリフォームをしているときに、知りたくもなかった悪臭の発生源を突き止めてしまった。
壁の中から女性3人の遺体が発見されたのだ。さらに居間の床下からは、クリスティの妻までが見つかった。クリスティは1953年、絞首刑に処された。
4. 水をため電流を流し遺体は挽肉に:ゲイリー・ハイドニック(アメリカ)
Serial Killer - Gary Heidnik
史上最悪のグロテスクな連続殺人鬼の1人。「女たちを閉じ込めて、僕の子供を産ませるんだ。大家族を作るんだ」と語るゲイリー・ハイドニックは、1986年と87年に女性6人を誘拐し、地下室に監禁。拷問を加えて、うち2人を殺害した。
ハイドニックの拷問方法はこうだ。地下の穴に人間の首あたりの深さまで水をためる。そこに監禁していた女性を入れて、電線で電流を流すのだ。
これによって女性の1人が死んでしまったとき、ハイドニックはその遺体を挽肉にして、他の監禁中の女性に食わせている。
FBIの元プロファイラーであるジョン・ダグラスは、映画『羊たちの沈黙』に登場する連続殺人鬼バッファロー・ビルよりもタチが悪いと証言している。
それもそのはずだ。地下の穴の中に女性を監禁したバッファロー・ビルの犯行は、ハイドニックもモデルの1人となっているのだから。
監禁されていた女性の1人は、ハイドニックのお気に入りで、外出許可を得るほどにまで信頼を得ていた。ある日、彼女は子供に会いたいとハイドニックに懇願し許しを得る。
だが、もちろんこれは逃げ出すための方便だ。彼女は元恋人の住むアパートに駆け込み、警察に通報。こうして事件が発覚した。1999年、ハイドニックに対して薬物注射による死刑が執行された。
3. 肉料理としてメインディッシュに:アルバート・フィッシュ(アメリカ)
Albert Fish Serial Killer Documentary
400人を殺したと自白している児童を狙った連続殺人犯。1910~1934年にかけて犯行を重ねたアルバート・フィッシュは、殺した子たちの肉を料理して食っていた。
フィッシュは、犠牲者の1人、当時10歳の女の子だったグレース・バッドを手にかけた後、その犯行の様子を詳しく手紙にしたため、両親に送りつけている。
「彼女を小さくコマ切りにして、そのお肉を私の部屋に運び入れました。料理して食べるためです。オーブンで焼いた彼女の小さなお尻の、なんと甘美で柔らかだったことか。彼女を全部を食べるのに9日間要しました。」
この手紙が入っていた封筒に部屋の住所が書かれており、逮捕の決め手となった。裁判でフィッシュは精神異常を主張したが、有罪との判決が下され、1936年に電気椅子で処刑された。
なお、フィッシュには自傷によって快感を得る性癖があった。
2. バラバラにして医学校に献体:H・H・ホームズ(アメリカ)
The Truth About HH Holmes, America's First Serial Killer | Random Thursday
27人の殺害を自供(立証されたのは9件)し、アメリカで最初に「シリアルキラー(連続殺人鬼)」と言及されたH・H・ホームズ。彼がホテルと称した建物には、拷問部屋が設えられており、ここで血も凍る惨劇が繰り広げられた。
1893年、ホームズはシカゴ万博の会場付近にあった薬局の向かい側の空き地を買い取り、ここに雑居ビルを建設し始めた。
この「殺人の城」に薬局の仕事を餌に被害者を誘い出し、自分を受取人にした生命保険に加入させると殺害。さらに薬局との伝手を利用して、犠牲者の内臓や骨をシカゴの医学校に献体として売却した。
後にホームズはこのように供述している。
「俺の中には、生まれたときから悪魔がいるんだ。俺は人殺しという本性を抑えられなかった。詩人が湧き上がる旋律を抑えられないようにね。」
1896年、絞首刑に処せられた。
1. プレインフィールドの肉屋:エド・ゲイン(アメリカ)
Ed Gein (The Real Leatherface) - Serial killer documentary
『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビル、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイス、『サイコ』のノーマン・ベイツ――これら架空の連続殺人鬼のモデルの1人となったのが、アメリカ殺人史上においても類を見ない異常性と猟奇性で知られるエド・ゲインである。
実際に手をかけたのは2人だが、他にも墓地から女性の遺体を掘り起こし、「戦利品」や「記念品」と彼が称するものを作り出していたのだ。
家宅捜査では、女性15人の遺体が発見され、その骨や皮で作ったベスト、靴下、ランプシェード、食器、家具など、諸々のおぞましい品々が押収された。
現場に赴いた警官が最初に目撃したのは、行方不明になっていた近所の雑貨店店主バーニス・ウォーデンの逆さに吊るされた首なし死体だ。胸部は開かれて、「整えられたシカ」のように空っぽだった。
ゲインの証言によれば、母親に似た女性を探すために、墓場から中年女性の遺体を掘り起こしていたという。ゲインは精神病院に送られ、77歳で死ぬまでそこで一生を過ごした。
☆佐川君がおらんがな!