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1000年でこんなに変化した。兵士の装備品の歴史(11世紀から20世紀)

2014年09月29日 | 世界びっくりニュース
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 人類の歴史は争いの歴史でもある。人間同士が戦うための武器や装備品は時代を重ねるごとにどんどん進化していった。ここでは11世紀から20世紀にかけてのイギリス(イングランド)兵の装備品を見ていくことにしよう。

1.1066年 ヘイスティングスの戦い ハスカール(傭兵)


 この戦いの戦士は、イギリスの塹壕兵士のようなもの。これら写真を撮ったカメラマンのトム・アトキンソンは、彼らの武器の種類は広範に渡っているという。

2.1244年 エルサレム攻囲戦 馬上の騎士


 再現劇グループや、収集家、歴史家、現役の兵士が、アトキンソンがそれぞれの戦いの装備を集めるのに協力してくれた。正しい装備の知識を持っている人を見つけ出すのに苦労したという。これらの写真は、協力者の知識と経験の賜物だ。

3.1415年 アジャンクールの戦い 弓の射手


 アトキンソンは、イギリスのウェルカム・トラストや自然史博物館と共にこのプロジェクトを進め、イギリスの戦争との関係を取り巻く神話として表現するのに注力した。

4.1485年 ボスワースの戦い ヨーク党員兵


 どの写真の中にもスプーンが写っている。食べることの欲求は1000年たっても変わっていない。暖をとること、水、保護するもの、娯楽も同じだ。

5.1588年 ティルブリーの戦い 小銃民兵


 今も昔も装備が似通っているのにびっくりすると同時に、その形態の違いにも同じように驚かされる。メモ帳はiPadになり、18世紀の碗は現代の飯盒に相当する。チェスやカードのようなゲームもやはり同じように持参したようだ。

6.1645年 ネーズビーの戦い 新式軍のマスケット銃兵


 この1000年の間のイギリスの歴史的なポイントとなる重要な戦い(ヘイスティングス、ボスワース、ネーズビー、ウォータルー、ソンム、アーネム、フォークランド、ヘルマンド)で、イギリス人兵士が観念として共通に携帯していた代表的な個人の装備。

7.1709年 マルプラケットの戦い 歩兵


 このプロジェクトを進めていた9ヶ月は勉強の連続だったという。アトキンソンは兵役の経験がなかったため、ちょっとやそっとかじったくらいでは、完全に理解するのはとても難しかったという。だが、これら基本的な戦いの必需品を実際に使っていたのは今も昔も同じ人間なのだ。

8.1815年 ウォータールーの戦い 歩兵


 この戦いで兵士に支給された装備の中には、ジョッキなどビールセットが含まれていた。

9.1854年 アルマの戦い ライフル旅団兵


 それぞれの写真には、包帯、銃剣、弾丸が見られる。人間らしいものといえば、便箋、祈祷書、聖書だ。

10.1916年 ソンムの戦い 歩兵


 第一次世界大戦は初めての近代戦争だった。激戦地ソンムでの基本的な装備。ガスマスクがあるかと思うと、中世の武器とほとんど変わらないスパイクのついた塹壕用棍棒なども支給された。

さて現在の兵士たちの装備品はどのようになっているのだろう?下記の写真は2014年、アフガニスタンのヘルマンド州にいる近接工作部隊の装備品である。



via:acidcow

☆ものすごい荷物やなぁ、これ背負って戦うの俺には無理じゃ!

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元犯罪者たちがひっそりと暮らすアメリカの小さな村「ミラクル・ビレッジ」

2014年09月26日 | 世界びっくりニュース
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 アメリカの写真家、ノア・ラビノウィッツは、フロリダ州マイアミから約120km離れた「ミラクル・ビレッジ」を訪れた。ここは周りをサトウキビ畑に囲まれた小さなキリスト教系のコミュニティだが、住民の半数が性犯罪経験者でもある。

 ここは1960年代、サトウキビ畑で働く農夫たちの為に作られた場所だが、作業の機械化とともに荒廃していった。その後2009年、あるキリスト教の牧師は、この場所を元性犯罪者たちに開放した。

 フロリダ州では、性犯罪で捕まった者はインターネットで情報を公開され、スーパーマーケットなどにも顔写真を貼り出され、様々な制約を受ける。

 たとえ刑期を終えても、仕事はおろか住む家すら見つけられない。一度性犯罪を犯してしまうと、社会復帰が非常に難しいのが現状だ。牧師は、ここを開放することで、彼らを罪と向き合わせながら、社会生活を営ませることができると考えたのだ。









 現在、ミラクル・ビレッジの人口は約200人である。その半数が性犯罪者であり、残りはその配偶者や家族、友達などだ。

 彼らの罪状は児童ポルノの閲覧や、恋に落ちて合意の上で未成年と関係を持ってしまったなどの比較的軽い罪で、暴行や暴力的な犯罪を犯した者や凶悪犯罪者はこの町に居住することはできない。入居に関しては厳しい基準があるのだ。ここは信仰の場所であり、悔い改めながら厳格なコミュニティーを築いているのだ。





 上空から見るとこのコミュニティーだけがポツンと孤立しているのがわかる。


 コミュニティーとして機能しているこの村には、当然この村の代表者である村長がいる。写真家のノア・ラビノウィッツは、まず村長にコンタクトをとった。村長もかつての性犯罪の1人である。彼に今回のプロジェクトの趣旨を伝えると、快く住民たちを紹介してくれ、みんな暖かく迎えてくれたという。

 彼は3日間の撮影で、住民たちと打ち解けることができたという。犯罪を犯す前の生活や、彼らが一個人として、またはコミュニティとして何を望んでいるのかを詳しく聞くことができたそうだ。ただ、彼らの起こした事件の詳細について聞くことは避けたという。









 多くの犯罪者がここで生活したいと連絡してくるそうだ。だが、犯罪者なら誰でも入居できるわけではない。ミラクル・ビレッジの住人となるには少々敷居が高く、住民たちの投票によって決められる。また、ミラクル・ビレッジでは再び犯罪を犯すとここに住むことは二度と叶わなくなる。

 フロリダ州では性犯罪者が住める場所は限られている。ここから少し離れた橋の下には、ミラクル・ビレッジに居住を許されなかった性犯罪者たちが住んでいるそうだ。

 住人たちは、法と社会が許す範囲での小さな夢を持っている。ほとんどの人はこの村で生涯を過ごしたいと考えているそうだ。







via:featureshoot

☆児童ポルノの閲覧で捕まんのかいな!

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あなたが死ぬ前に消滅してしまうかもしれない、失われつつある10の歴史的遺産

2014年09月24日 | 世界びっくりニュース
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 世界には数百年、数千年の歴史を持つ文化的遺産とも言うべき場所や建造物が存在している。人類が発見するずっと前から存在し、時を刻みながらその美しさを今に伝えている。

 だが地球環境はめまぐるしく変わる。自然災害などに人為的な問題が加わり、今世紀が終わるころには消滅してしまうかもしれないものもある。

 ここで上げる10の素晴らしい場所は、近い将来消える可能性の高いものである。

10. グレイシャー国立公園の氷河 :アメリカ・モンタナ州


 約1万年前、グレイシャー国立公園エリアの氷は1.6kmの深さを誇っていた。1910年にこの公園が発見された時には約150の氷河が残っていたが、現在は25の氷河しか残っていない、そして今残っている氷河も2030年までにはなくなるだろうといわれている。

 公園の中心にあるグリネル氷河は過去数世紀の間にその90%以上を失った。地球温暖化の影響によるものだと言われているが、他の場所と比べてみてもその影響は大きく、この地の温度上昇幅は、他の場所と比べ、約1.8倍も大きいという。

 消失の危機にあるのは氷河だけではない。氷河の雪解け水により生態系を維持しているオオカミ、エルク、クマなどにも影響を及ぼす。もしもこの氷河が消失したら、氷河期から残存する貴重な遺産が失われるだけではなく、そこに住む生物たちも住処を失うこととなるだろう。

9. 王家の谷 :エジプト・テーベ


 エジプト、テーベのナイル川西岸の岩山にある岩窟墓群は王家の谷と呼ばれている。ここには、ラムセス2世や若くして王座に就いたツタンカーメンなど、エジプトを代表するファラオたちが眠っている。

 かつてはトレジャーハンターたちの格好のターゲットとなっていたが、現在、王家の谷は別の脅威に直面している。それはこれらの歴史的建造物を一目見ようと訪れる観光客たちによって引き起こされている。墓内部の換気システムが充分でないことや、数千人もの観光客の呼気により寄生虫が猛繁殖しているのだ。そのため150年以内に墓はなくなるだろうといわれている。

 墓内にある版画や壁画も消え始めている。この問題に対処するため墓の内部では人数制限を設け、いくつかの展示物は完全に人の目につかないところにしまわれてしまった。これらの規制や墓内部の新たな換気システムが墓を救うことになることを期待したい。

8. セーシェルの島々


 アフリカ大陸から1,300kmほど離れたインド洋に浮かぶ115の島々からなる国家、セーシェルはマダガスカル諸島の近くに位置している。

 東インド会社が1600年代に発見した後、この地は海賊たちの憩いの場となり、今日では世界最大級のサメ、ジンベイザメを見ることができる地として知られている。セーシェルに住む動物たちは厳重に保護されていて、その生物の多様性や自然の雄大さに対し科学的にも重要な地としてみなされている。

 しかしながら半世紀以内にこの島々はサンゴ礁の破壊により海の底に沈むといわれている。セーシェルにおけるサンゴ礁の破壊というのは世界的に見てもかなりひど
いものだ。海水温度の上昇が原因とみられているが、サンゴが死んだ残骸が生態系を破壊している。サンゴ礁により、島はハリケーンなどの自然災害に守られてきたが、それを失うことにより、住人が災害に対し脆い状態になってきている。

7. オリンピア :ギリシャ


 オリンピアは、ギリシアのペロポネソス半島西部に位置する古代ギリシアの都市である。長い間オリンピアの王であるゼウスを崇める集団がこの地に住んでいた。都市のほぼすべてはゼウスに対する敬意を表すためにデザインされていて、その中には現在は失われてしまったが象牙と金で覆われた13mに及ぶゼノス像や、ゼウスへの敬意を表するためのオリンピック場も作られた。オリンピックの聖火は今でもこの地で点火されゲームが開催される地へと運ばれていく。

 皮肉なことにこの地の脅威となっているものは火である。2007年に放火魔から始まったいくつかの火事がものすごいスピードで広がり、60人以上の人々がなくなった。炎はかろうじて有志の消防団によりオリンピック発祥の地から遠ざけることができた。地球温暖化の影響により火事が起きやすくなりまた炎はその破壊力を増した。その炎は皮肉にも、遺跡保存のために行われた努力が無駄になってしまうような脅威を与えようとしている。

6. チャンチャン遺跡:ペルー


 チャンチャンはペルーにある遺跡でアメリカ先史以前、日干し煉瓦の家が特徴の、最大の都市と知られている。この地はもともとチム族の土地で、彼らはこの都市を9つに分け、それぞれに自治権をもった要塞に作り上げた。

 チャンチャンはまた、“新世界における最初の本物の工学技術を持つ都市”としても知られている。都市全体を網羅する灌漑システムや、80km北に位置するチカマ川から水を引いて大規模な川を作る計画はこの時代の“文明化された”ヨーロッパでも見つけることはできない。チャンチャンはインカ帝国の侵略に会うまで600年もの間に渡り繁栄し続けた。

 チャンチャンは今日、エルニーニョ現象による嵐の被害に晒されている。さらに巨大な地震が都市を崩壊の危機に陥れている。

5.ガラパゴス諸島 :エクアドル


 東太平洋上の赤道下にあるエクアドル領の諸島、ガラパゴス諸島は、チャールズダーウィンが進化論を確立したのが場所としても知られている。

 9000種近くもの生物がいて、その大多数が他のどの場所でも見つけることができない。だが現在、ガラパゴス諸島の生態系は深刻な危機に陥っている。

 島に移住してくる労働者や観光客の増加に伴い、直接的な環境汚染や撹乱、外来生物の繁殖、横行する密漁など、多くの問題を抱えた結果、ガラパゴスの動物たちは急速に脅かされた。特に外来生物が増えたことで、島の生態系を壊しはじめたのだ。

 2007年6月、危機遺産リストに登録されたが、その後のエクアドル当局の取り組みが評価され、2010年の第34回世界遺産委員会で危機遺産リストから除去された。

4. ヘルソネス遺跡 :ロシア(ウクライナ)


 クリミア半島南西に位置するヘルソネス遺跡は、紀元前200~300年に作られて以来、古代ギリシャ遺跡の様相を色濃く残している。

 しかしながらこの地では争いが絶えなかった。歴史的記録によるとこの都市国家はスキタイ人やローマ帝国との戦いを常に行っていたようだ。最終的にはローマ帝国にその独立性を奪われることとなった。

 5世紀にはキリスト教が勢力を広めるにつれ、ほとんどのギリシャ建築や寺院が破壊されていった。ビザンチン帝国の一部となった後も、ギリシャ建築や寺院が充分に保護されることなく、その後は遊牧民族たちの手によって燃やされ、破壊されてしまった。

 1800年代に入りこの地は、クリミア統合の際にソ連によって発見された。その後厳重に保護され、修復工事が行われ、ロシアの歴史、そして考古学的見地から見ても大切なものとなった。今日では自然と人間両方の力による脅威を受けている。海岸の浸食や汚染問題、都市化などその脅威は多岐に渡っている。

3. イントラムロス :フィリピン


 フィリピンで2番目の大きさを誇るマニラの一画にイントラムロスという地区がある。この”イントラムロス(Intramurostra)”とは“壁の内側で”という意味があり、16世紀作られたこの壁はずっと町を守ってきた。ここはもともとスペイン帝国が領土として所有していた時代、首都として機能していた。

 第二次世界大戦中、日本帝国軍はフィリピンに侵攻した。サントドミンゴ教会や、サントトモス大学(再建前)などの歴史的建築物が破壊された。その後アメリカ軍が日本軍から町を奪還するために行った作戦において95%の建物が破壊され、40%の外壁はただの石の塊となった。

 1951年インストラムロスは歴史的モニュメントであると宣言され、ゆっくりだが復元が進められたが都市化の波がそれを阻んだ。スターバックスやマクドナルドなどの外資系ファストフード店がが城壁内に作られた。砦の周りの堀は埋め立てられゴルフコースに変わってしまった。歴史研究家たちは次に何が起こるのかとビクビクしながら行く末を見守っている。

2.ヒシャムパレス :パレスチナ


 紀元前747年、地下へと埋められたイスラム時代の宮殿遺跡、ヒシャムパレスは、パレスチナ人考古学者、DC バラムキ氏が1934年に発掘するまで人の目に触れることはなかった。だがそれも束の間。歴史家たちはこの光景をあと100年も維持することはできないだろうと悲観している。

 ヒシャムパレスに関しては謎が多く、いったい誰が何のために作った宮殿なのかもわかっていない。考古学者が持っている唯一のヒントは陶器に書かれた”Hisham”という記述のみだ。バラムキ氏の同僚のロバートW ハミルトン氏はこれはワリード2世の遺産なのではないかと主張している。現在わかっている事実は、これが8世紀に建てられたものであり、巨大な地震によって破壊されたということだけだ。

 だが残念なことにパレスの秘密を解き明かすことはできないだろう。この地もまた近代化の波に逆らうことはできそうもないからだ。

1. ラム :ケニア


 ケニアにあるラムという都市は、2001年に世界遺産として登録された。ラムはもともとスワヒリ人の居住地で14世紀頃からここで人々が生活していた。最盛期には芸術、政治、文学の分野でとても栄えた地でもあった。のちにドイツとイギリスにとって重要な戦略的地域とになり占領されたが、1960年になりやっと独立することができた。

 数世紀の間繁栄していたラムだが、住民は流出を続けている。2011年ラムへ旅行することは禁止された。アルシャバブというテロリストグループが暗躍しており、ムスリムの土地を奪われた恨みを晴らすという名目で、数々の誘拐事件を起こしたり、容赦ない攻撃を行っているのだ。死者が続出し、テロ攻撃によりラム港などの歴史的な場所を守ることはほぼ不可能となった。

タージ・マハル :インド
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 インド・イスラーム文化の代表的建築であるタージ・マハルも例外ではない。古代インドを彷彿とさせる、息を呑むような素晴らしい建築物だが、5年以内には一般公開を完全に終了するそうだ。

 十数年前、建物に関する調査が行われた結果、空気と水の汚染により美しい白い壁が黄色く濁ってきたという。これを受けインド最高裁判所は修復を命令した。この問題は世界的な関心を集めたが2014年現在、なんの進展もしていない。

 また、信憑性のほどは定かでないが、近年、建物周辺の窒素酸化物の値が急激に上がっているという。車がタージ。マハルの500m以内に近づくことは許されていない。アグラの街が近代化されていくにつれ、交通量も自然と増える。この先に待っているタージマハルの運命は明るいものとは言い難い。

via:listverse

☆全部、観光客用の偽者を作ればええんじゃ!

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うつ病の人を理解するための8つのこと

2014年09月22日 | 世界びっくりニュース
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 全世界でうつ病に苦しむ人の数は3億5000万人にのぼると言われている。日本では、2008年が104万人とピークに達し、その後徐々に減少し、2011年では95.8万人となった。(図録▽うつ病・躁うつ病の総患者数)。それでも1996年の43.3万人と比べると、倍以上もの数値である。

 うつ病は患者にどのような影響をあたえるのか?全第三者がその作用を理解し、はっきりさせるのは困難だとされている。世界保健機関(WHO)によると、うつ病になると、普通の気分の変動とは異なり、自分の力で自分を立ち直らせることが困難となり、持続的な悲しみの感情を2週以上にわたり誘発し、仕事や学校や家で支障のない生活を送ることを遅延させているという。

 まわりにいる人がうつ病を見分け、早期に援助の手を差し伸べることが回復の助けになるという。ここではうつ病を抱える人の9つの症状を見ていくことにしよう。少しでも彼らの苦しみを和らげてあげられるかもしれない。

1. 元気になったようなそぶりをみせた時は、逆に限界が近い証拠。


 辛いことだが、うつ病はある朝、目覚めたらすっかりよくなっているといったようなものではない。もし、うつ病の人が「すっかり良くなった」というようなことを言い出したら、"もう耐えられない"というメッセージを送っている証拠かもしれない。

 ミシガン大学のうつセンターの事務局長、ジョン・F・グレデンによると、こうした言葉は精神疾患を理解してもらえないことから出てくることが多いという。なにが起こっているのか愛する人にも理解してもらえないと、ぼやくのをやめ、落ち込む様子を見せないようになるようだ。病気なのだということを理解してもらえないから、「もううつ病は治った」というような言葉を使ってしまう。それはもどかしくてイライラしている証拠なのだ。

2. うつ病で落ち込んでいる症状は、悲しみの状態と混同されることが多い。


 人々は深い悲しんでいる状態をうつ病と勘違いしてしまうことが多い。米国カウンセリング協会のデイヴィッド・カプラン博士によると、"悲しみ"と"うつ"はまったく同一のものではないという。

 人はやたらと「うつ」という言葉を多用するが、「あの人はうつ病だ」と言うときはたいてい、"悲しみに苛まれている"という意味で使っている。"うつ"というのは臨床用語なので、はっきり区別する必要がある。

3. 普通の暮らしを営むことの困難さと常に戦っている。


 慢性的にうつ病に苦しんでいる人にとって、ささやかな勝利などない。何かをすることはすべて"成し遂げる"という大きな勝利になるだからだ。

 「ほとんどの人にとって毎日は同じことの繰り返しだ。だがそれは彼らにとってとても大変なことなのだ。」こう語るのは、サウス・フロリダ大学の心理学准教授、ジョナサン・ロッテンバーグ氏。うつ病の人がベッドでゴロゴロしているのは、毛布の中でぬくもりを惜しんでいるわけではなく、本当にベッドから出ることができないからだ。彼らにとって、シャワーを浴びたり、着替えたりするという単純なことが、大変な苦労を伴うのだから。

4. うつ病の喪失感による疲労は、一般的な疲れの比ではない。


 会社で働いている人にとって、午後3時は、一番疲れを感じ、3杯目のコーヒーが欲しくなる頃だが、そんなものはうつ状態のときのエネルギーの喪失ぶりとは比べものにならない。うつ病でやる気が出ない場合、本当に筋肉が動かない状態であることがある。仕事に行ったり、集中したり、笑ったりすることが物理的にできなくなってしまうのだ。

5. 身体的な障害がいくつも出る。これは精神の障害と同じくらい辛い


 うつは気分の問題だと考えられていたことがあるが、これは大きな誤解だ。うつ病のほとんどの人に、実際に体の具合が悪くなる身体的な症状が出る。そうなると、これはうつ病ではなく、どこか体が悪いのだと思われてしまう。

 うつ病になると、消化不良、吐き気、頭痛、耳鳴り、関節や筋肉の痛みなどの症状が出る。また、もともとあった身体的な病気が悪化することがある。こうした体の不調は、気分の不調と同じように、毎日の生活に影響を与える。心と体はつながっているのだ。

6. かつてはおもしろいと思っていたものを楽しめなくなる


 うつは人生のささやかな喜びでさえ打ち砕いてしまう。友人と出歩いたり、ゴルフをしたり、恋人と過ごしたりすることが、以前ほど楽しくなくなってしまう。うつはその人の人生を大きく変えてしまうのだ。

 こうした興味の喪失は、体の不調と一緒になって、危険信号を発する。こうした人を助けるためには、まわりが心を大きくもって、継続的に支えてあげることが大切だ。

7. 自分の感情をうまく伝えることが困難になる


 うつになると、自分の心の中を言葉にするのが難しくなり、"まわりの人は誰も自分のこの気持ちをわかってくれない"と感じるようになる。精神疾患をもつ人の25%が、まわりは同情的な目を向けるだけだと感じているという。

 うつとは、自分や世界や将来を否定的に見ることだ。すべてが暗く見え、"誰にも理解されない"と感じる辛い状態なのだ。

8. うつの症状は人それぞれ違う


 うつによる不調の症状は人によってさまざまだ。ネットでその症状を調べたところで、必ず該当するとは限らない。症状も、原因も、治療法も人それぞれ違うのだ。

 ある人にとっては、薬がベストでも、ほかの人にとっては長期のセラピーのほうが効果があるかもしれない。その治療法が自分に効いたからといって、万人に効くわけではない。

 だが、すべての人に治療の道がある。大切なのは、諦めずに治療法を探すことだ。うつ病の人の苦しみをひもとく助けになる方法はいくつもある。うつ病についての偏見や誤解を捨てるのもそのひとつだ。病気としてのうつについて、もっとオープンに話しあう必要があることを知ろう。

 うつは弱さでも甘えでもない。モラルの欠如でも、誰か他人がもたらしたものでもない。うつを理解することは、愛する人を助けるための力強い一歩なのだ。

via:lockerdome

☆酒の飲み過ぎでなった、うつ症状には該当するのだろうか?

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「なぜ一定確率で存在する?」左利きに関する驚くべき10の知識と研究

2014年09月19日 | 世界びっくりニュース
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 世界的に見てもその多くは右利きであり、ハサミから机まで、世の中は右利き用に作られている。左利きの人は不便を強いられていることだろう。左利きの人の割合は10分の1(8%~15%)とされている。また、男女別にみると女性より男性の方が圧倒的に左利きが多い。

 この割合は古今東西を問わずほぼ一定しており、左利きが生まれるのは文化・教育・食事など後天的要因によるものではないことが分かっている。しかし、何なぜ左利きが少数なのか、何故10%前後という一定した確率で左利きが存在するのか?そのはっきりとした理由はまだ分かっていない。

 ここでは、左利きにまつわる奇妙な事実を紹介しよう。雑学めいたものから、科学的根拠に基づいたものなど様々だ。

1. 左利きの人は精神疾患にかかりやすい?


 これまで左利きの人は大いに肩身の狭い思いをしてきた。最近の研究によれば、実はそこには理由があるのかもしれない。2013年、イェール大学の研究者ジェイドン・ウェブが精神病患者を対象としたアンケート調査を実施した。すると驚くべきことに、患者の40%が左利きだったのだ。人口全体の左利きの割合が10%程度でしかないことを考えると、相当な割合である。但し、別の研究ではそうした相関が見られなかったので、この件に関しては更なる研究が必要となってくる。

2. 大昔も左利きは少数派だった


 右利きが優勢になったのは割と最近になってからと思われがちだが、そうした傾向は50万年前の祖先にもあった。ネアンデルタール人が使用した道具で付けられた傷跡の向きを研究した結果、大多数が右利きの人間が使用していたことが判明した。

 この結果は、ネアンデルタール人はこれまで考えられてきたよりも我々人類に近いという理論を裏付けている。実は、近類と見られるゴリラやチンパンジーでは、右利きは5%でしかないのだ。

3. 左利きと言語の関係


 これほどまで極端に左利きが少ない動物は人間以外に存在しない。実はそれは言語に関係があると考えられている。大抵の人間の場合、言語機能が発達しているのは左脳である。ここでは考えを生み出すほか、それを他人が理解できるコミュニケーション可能な形に変換する機能を担う。同時に左脳は右半身の運動も司っている。つまり右利き派が優勢なのは、左脳優位を示しているのだ。しかし中には右脳において言語を発達させる人間もいる。こうした人間は左利きになる可能性が非常に高くなる。

4. 反時計回りの螺旋階段


 中世の城の内部にある螺旋階段は、守備しやすいよう時計回りに作られている。時計回りなら、守備兵は左手で中央の柱を掴み、身体を支えながら右手を自由に動かすことができる。

 ところが、スコットランドにある”カー”一族が治めたファーニーハースト城は一風変わっている。この一族は代々左利きの家系だったと言われている。そのためこの城にある螺旋階段は画像のように反時計回りに作られているのだ。このことから、左手が好きな人間を「カーハンド」と呼ぶようになった。

5. 人類は左利きに対して潜在的恐怖を持っていた?


 歴史は左利きの人に優しくなかった。左利きの人は利き腕を矯正されたり、「間違った」手を使ったという理由で罰せられることもあった。こうしたことは、単純にあるスタンダードに従わせたいという欲求に起因するものではなく、先天的な恐怖に根ざしたものなのかもしれない。

 ユタ大学で行われた実験では、被験者に地図上にある左右の町どちらかで地震が発生するから、避難するかどうか尋ねた。すると被験者は左の町で発生する地震の方により強い恐怖心を抱き、避難すると答えることが多かった。一説によれば、右側の脅威はより強い利き腕によって守りやすいため、右の脅威からは恐怖を感じにくいのだという。

6. 戦いに有利?聖書にある左利きの戦士の謎


 左利きの人間は戦いにおいて有利になる場合がある。これは歴史的にも知られてきたことで、例えば聖書にはベニヤミン族という左利きの戦士の一族の記載がある。彼らは投石具や弓に無双の腕前を誇っていた。

 そのような彼らが、なぜ左腕を主体とした戦いをするようになったのかについては諸説ある。一説では先天的に左利きが多い部族だったとい割れているが、この説は翻訳に問題があるとされている。つまり左利きの直訳「左手使い」とは、単純に”左利き”を意味するのではなく、戦いを有利にするため、文字通り右手を使わないよう訓練されていたことを意味するというのだ。さらには「ベニヤミン」とは「神の右手の息子」を意味するため、左利きのベニヤミン族を皮肉まじりに記したのだという説もある。

7. イギリス王ジョージ6世と左利きの子供の矯正


 左利きの子供に対する偏見によって、極端な躾がなされることがある。ズールー族の子供は左手でお粥を食べると、熱く熱したお粥でその手を焼かれることがあったという。20世紀のイギリスでも子供の左手を縛り付け、右手の使用を強要することがあった。何しろ左手の子供は傲慢になると考える心理学者がいたほどだ。

 王室においても例外ではなく、ジョージ6世は子供の頃、厳しく左利きを治された1人だ。しかし、これと同時に”どもり癖”まで対応しなければならなくなった。このことから、吃音と利き腕の矯正には関係があると見られるようになった。

 当時の説では、利き腕を矯正すると、右脳と左脳の優位性において混乱を引き起こし、ひいては吃音が発症すると考えられた。この理論によって利き腕の矯正は下火となって行く。今日では利き手の矯正によるストレスが吃音の原因だと考えられている。

8. チェザーレ・ロンブローゾのとんでも左利き理論


 ロンブローゾは犯罪学の父と呼ばれるほど高名な精神科医である。しかし、そのような人物でも偏見は捨てられなかったようだ。何しろ「男性は常に右利きであり文明や文化の担い手である。だが女性や野蛮人は左手の種族である。」と公言していたのだから。

 ロンブローゾの説では、脳には理論や理性を司る高次の部分と、より基本的な衝動や感情を司る低位の部分があり、犯罪者や狂人など左利きの人たちはこの低次の脳に支配されていると唱えた。さらに左利きの人が必ずしも悪人というわけではないが、左利き自体は「人類における最悪の特性」だとも述べている。

 彼は歴史的に左利きが少数派であることを指摘し、これは当時目新しかった進化論に基づく医学的な事実だと見なされた。そして驚くべきことに彼の考えは現代においても消えていない。1990年代になると、ロンブローゾの学説を基に、左利きの人は遺伝的疾患を持っている傾向にあり、寿命も短いと主張され始めたのだ。

9. 左利きの人の寿命が短いというのは迷信か?


 果たして左利きの人は本当に寿命が短いのだろうか? それを知るためにしばしば取り上げられる統計を見てみよう。

 1980年代後半から90年代前半にかけて2,000人を対象に実施された研究によれば、左利きの人は右利きの人よりも平均9歳若く死ぬそうだ。この調査を行った研究者は、これは世の中が右利き用にデザインされているからだと考えた。例えば左利きのドライバーが自動車事故で死亡する確率は、右利きドライバーよりも5倍も高く、その見解を支持しているかのように見える。彼らはさらにそれ以外の事故も検証し、左利きの人たちは右利き向けの世界の中で日頃から困難に立ち向かっていると結論付けた。

 しかし問題は、歴史的に見ると、左利きは右利きに矯正されてきており、そうした習慣が変わったのはごく最近のことだということだ。この研究では、亡くなった人がいる家族を調べ、その死亡時の年齢と利き腕を尋ねた。しかし調査対象となった人を考えれば、左利きはよくないものと考えられ、矯正されていた時代に育った人たちが大勢いたことは間違いない。

 したがって自分たちが左利き家系であってもそれを隠す可能性があったほか、そうした家系でも右利きと認識していた可能性がある。自身が左利きであると認める人は、利き腕を気にしなくなった若い世代に多い。そのため、そうした若い世代の死が全体を代表しているかのように見せているのだ。

10. 左利きは北斗の拳のような世紀末無法世界で生き残りやすい


 世界情勢は混沌としており、無法の世もすぐそこに迫っているかのように見える。人々は生き残るために、必死になって物を奪い合う。しかしここで、これまでさんざん言われた左利きの人に朗報だ。そのような無法の世の中で生き残りやすいのは、実は左利きの人なのかもしれないのだ。

 現在、総人口に占める左利きの割合は10%ほどだ。しかし一部の社会ではその割合は遥かに大きい。例えばベネズエラのヤノマミ族は1,000人中5人が殺害されるが、そこでの左利きの割合は23%だ。1,000人中3人が殺されるインドネシアのエイポ族では、27%が左利きだ。パプアニューギニアのジミ・バレーは1,000人中5.4人が殺され、13%が左利きだ。反対に西アフリカのジュラでの殺人発生率は1,000人中0.013人だが、左利きは3%でしかない。研究者によれば、こうした危険な社会における結果は生存率だけでなく、自然淘汰の結果でもあるそうだ。

via:listverse

☆俺も、幼稚園まで左利きだったのに、親に無理やり右利きにされてもた!

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