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巨人は本当に存在したのか?世界10の巨人発見物語

2016年06月29日 | 世界びっくりニュース
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 日本でもここ数年は進撃系の巨人の話が人気であるが、巨人にまつわる話は世界中の神話や伝承に存在する。ほぼあらゆる文化で、かつて巨大な人々がこの地球を闊歩していた話が出てくるのだ。

 この200年、特に20世紀の初頭以来、巨人の骨や化石化したその足跡と言われるものが次々と発見されており、巨人伝説は単なる伝説ではないのでは?という期待が深まるも、それ以上に捏造感も漂わせている為、もはや今は信じる人が少なくなっているのも事実である。

 だがすべてが捏造だと言い捨ててしまっていいのだろうか?もしかしたら1例くらいは本物が混じっていて欲しいという期待を込めて、ここではかつて世界をにぎわせた10の巨人に関する発見などを見ていこう。

10. ウィスコンシン州デラヴァン湖(1912年)

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 1912年5月4日のニューヨークタイムズによると、ウィスコンシン州デラヴァン湖の泥炭から、フィリップ兄弟によって18体の巨人の骨が発見されたという。この骨は未知の種族のものであるとされた。

 確かに人間の骨とよく似ていたが、違いはその巨大なサイズだった。眼窩の上の骨は後ろに傾斜していて、鼻な頬骨よりもかなり高く、顎の骨はサルのものに似ていたという。

 ウィスコンシンで見つかった巨人はこれだけではない。1891年、スミソニアン協会の研究者が、ウィスコンシン州マディソン近くのアズタランの古代都市を調査しているときに、やはり巨人の骨を発見したと報道されている。さらにその6年後の1897年、この近くのメープルクリークから、身長2.7メートルの巨人が発見されたという。さらなる調査研究がなされるだろうという一方で、その続編は届かないままだ。


9. 死の谷(1947年)

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 1931年、シンシナティの元医師F・ブルース・ラッセルが、カリフォルニア州モハーヴェ砂漠の死の谷で、いくつものトンネルや洞窟を発見したと発表した。彼は同僚のダニエル・S・ボヴィーと共に広範囲にわたる調査を行い、そこで彼らは身長2.7メートルの人骨を数体見つけたという。

 1947年に発表された話によると、骨はミイラ化していて、およそ8万年前のものであろうとのこと。さらに、トンネルや洞窟内で、古代の人々が儀式を行ったと思われる広場のような場所があり、そこにフリーメイソンが使っているのとよく似たマークが残されていたという。失われた文明、アトランティスに関連する象形文字とよく似たものも見つかっている。


8. ブルガリア、ヴァルナ(2015年)

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 ブルガリアのヴァルナは、かつて古代ギリシャがおよそ7000年前にひらいた重要な交易所オデッソスという町だった。ここには巨人神話がたくさんあり、2015年1月には実際に巨大な人間の骨と思われるものが見つかっている。

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 この発見は偶然だった。このエリアを掘っているときに、たまたま5世紀のものと思われる壺が見つかり、続いてこれまで知られていなかった要塞の壁が出てきた、壁の基礎を求めてさらに掘り進めると、この驚くべき発見があったというわけだ。

 遺骨は発見されたとき、両手を腰に置き、頭を東に向けていたという。意図的このようなポジションで埋葬されていることから、この人物が死亡時、重要な地位にあった者であることがわかる。発見当時、正確な身長についての発表はなかったが、発掘者のひとりによると、驚くほど背が高かったということだ。

7. エクアドル(1964年)

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 1964年、病院で布教活動をしていた神父カルロス・ヴァカは、地元民に奇妙な骨を発見したので見てほしいと言われた。それは異常なほど大きな骨だった。神父は発見場所の山からいくつか骨を回収してきて、死ぬまで自分の家に置いていたという。

 その後、オーストリアの遺物研究家クラウス・ドナが本国に骨を持ち帰って調査し、「未解決ミステリー」と題した展示会を開いた。複数の専門家に骨を調べてもらったところ、この骨は人間のものらしいことはわかったが、大きさから見積もると、身長が7.6メートルにもなることが判明した。

 残念ながらDNAは採取できなかったが、そこからドナはこの骨が少なくとも1万年以上前のものであると結論づけた。ちなみに、骨が発見された場所は、地元のアヤマラ語で"巨人の墓場"という意味があるという。


6. コロラド川近くのトンネル(1909年)

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 1909年4月のアリゾナガゼット紙によると、探検家のG・E・キンケイドがコロラド川でラフティングをしているときに、1.6キロにわたる地下トンネルを発見したという。

 トンネのどんずまりには要塞のように封印された場所があり、そこでキンケイドは、銅製の武器や道具、大きな像(キンケイドによるとを仏陀のようだったという)、奇妙な象形文字が刻み込まれた古代の石板を見つけた。もっとも驚いたのは、2.7メートルもの高さのある黒い屍衣をまとったミイラだったという。

 あまり話題にならなかったせいか、キンケイドは政府が意図的にこの地域を封印して、これらの存在を隠したと話して、陰謀のにおいをちらつかせた。アリゾナガゼット紙の見出しも、この発見は何千年も前にアジアからアメリカに古代の巨人族が移り住んできたことを示しているというものだった。


5. ネバダ州ラブロック洞窟(1911~1929年)

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 ネバダ州の南約32キロのところに、ラブロック洞窟はある。サンセット・グアノ(糞化石)洞窟、ホースシュー洞窟、インディアン洞窟とも呼ばれていて、人間がアメリカ大陸に定住する遥か以前から存在すると言われている。

 1911年、デイヴィッド・ハートとジェームズ・ピューというふたりの炭坑夫がこの洞窟にあった糞化石に目をつけた。糞化石は当時、火薬の主要成分だったため、採取してひと儲けしようとたくらんだのだ。会社を設立して許可をとりつけ、さっそく掘り出しにかかった。古代のものを探すつもりはなかったが、なにかが出てくることを予感したふたりは、カリフォルニア大学人類学科をたちあげたアルフレッド、クローバーに連絡した。

 最初の考古学プロジェクトが始まったのが翌年、その後1924年と1929年の2回発掘が行われ、おびただしい数の遺物が発見された。その中には、標準的な身長の人間のミイラ60体や、多くの骨や武器があった。さらに、38センチものサンダルのようなもの、洞窟の壁につけられた巨大な足跡、そして身長2.5~3メートルものミイラも出てきた。

 これらが本物だとするなら、この地域に何千年も住んでいたアメリカ原住民のパイユート族の話は興味深い。彼らによると、赤毛で白い肌をしたSi-Te-Chaと呼ばれる巨人族が、発掘されたこの洞窟に住んでいたというのだ。

4. エジプト(2012年)

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 2012年3月、巨人の指のミイラと思われるものがエジプトで発見されたとして、その写真がネットに出回った。38センチもの指で、これが本物ならば、持ち主の身長はものとてつもなく高いことになる。

 しかし、写真があるだけで、この指が本物だとまだ立証されたわけではない。しかも、撮影者が指を所有しているわけではないという。そもそもの発端は、ドイツのタブロイド紙『ビルド』に、グレゴール・シュペリが1988年に撮った写真として掲載された。シュペリは、墓の盗掘グループのひとりであるという名も知らぬ男に300ドル払って、特別に撮影許可を得たという。

 この指が人間のものであることを証明する証として、男はシュペリに1960年代に手に入れたというレントゲン写真を見せた。シュペリは2009年にエジプトに戻って、その男の足取りをつかもうとしたがうまくいかず、今は巨大な指の行方もわからないという。

 おもしろいことにローマの学者フラフィウス・ヨセフスは、古代エジプトに巨人が存在したと信じていたようだ。紀元79年、『ユダヤ戦記』の中で、「巨人がいた。普通の人よりも大きくて、見た目も違う。見るのも恐ろしい!」と書いている。

3. アリューシャン列島(1940年)

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 イワン・T・サンダーソンは、テレビ出演も多い人気の動物学者。そんな彼の元に、第二次大戦中の1940年に、アリューシャン列島のシェミア島で働いていたという技術者からの奇妙な手紙が舞い込んだ。

 アリューシャン列島はアラスカとロシアの東端の間にあり、北太平洋とベーリング海を隔てている。アメリカはこの島々を日本との戦争の拠点にして、基地を作り滑走路を建設していたが、そのさなかに奇妙なものを発見した。ブルドーザーで丘をならしているときに、人間の頭蓋骨や足の骨が埋まった墓地にぶちあたったのだ。その骨は、標準的な人間のものより3倍も大きく、頭蓋骨の頭頂から下部まで、平均20センチに対して56~61センチもあったという。

 サンダーソンは、現場にいたという別の技術者から、この発見は本当だという2通目の手紙を受け取り、最初の手紙が嘘ではないと確信した。おもしろいことに、手紙を送ったふたりとも、スミソニアン協会が骨を回収したと書いていた。サンダーソンによると、スミソニアン協会は発見を公にしなかっただけでなく、そのような骨は持っていないと所有を否定したという。サンダーソンは技術者たちの主張は本当だとし、発見が隠蔽されるのなら、教科書は書き換えられることはないだろうと、推測している。


2. ジョージア、コーカサス山脈(2014年)

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 2014年、テレビ番組『怪事件ファイル』は、古代の巨人文明について放送し、その一部として、ジョージアのコーカサス山脈の話を特集した。

 2008年、地元の牧夫が巨人の墓らしきものを発見し、ジョージアの研究グループが調査に乗り出した。牧夫の話によると、石の地下室の入り口を見つけたので入ってみると、ふたつの巨大な頭蓋骨が大きなテーブルの上に置いてあったという。

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 研究者たちは自分たちの目でそれを見ようと、人里離れた山中、深い森の中に分け入り、現場に向かった。牧夫の言っていた地下室にたどり着くと、そこは崩れ落ちていたが、土や瓦礫の下に骨の山が埋まっていた。人間の骨のようだったが、確かにその大きさは標準よりもかなり大きかったという。

 骨のサンプルは、著名な科学者であるヴェクア教授によって調査された。教授は、これが本当に人間のものならば、その身長は2.5~3メートルもあると言った。しかし、最終的な結論が出る前に、教授は亡くなってしまい、骨も所蔵されているはずの博物館で行方不明になってしまった。

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 その後、例の地下室は完全に崩壊してしまい、『怪事件ファイル』のスタッフは、それ以上の骨を回収することはできなかった。しかし番組は、必ず現場の全面的な発掘調査をして、残りの骨を発見してみせると宣言している。


1. 世界中にある巨大な足跡

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 世界には、化石化した巨大な足跡らしきものがいたるところにある。もっともよく知られているものは、南アフリカのスワジランドとの国境に近い町ムパルジの"ゴリアテの足跡"。長さ1.2メートルで、完璧に人間の足跡と同じように見える。諸説あるが、この足跡は2億年~30億年前のものと見積もられている。

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 1926年には、『オークランド・トリビューン』紙が、カリフォルニア、サンノゼの崖の上の1.5メートルの足跡についての記事を載せた。前年の1925年には、サンノゼ近くのジョン・バンティングの農場で、2.5メートルの足跡が発見された。

 しかし、大きなサイズの足跡と関連して、標準サイズの足跡のほうがもっと魅力的な場合もあるかもしれない。1976年、人類学者のメアリー・リーキーが、タンザニアで普通サイズの化石化した足跡を発見した。これは完全に人間のものだが、その年代は360万年前頃のものとわかった。これは、現生人類が地球に現れたとされている、現代科学の時間枠の主流よりも数百万年も前だ。

 これらの足跡が本物なら、わたしたちが知っている人類の歴史を再評価して書き直さなくてはならない。巨人の足跡だとされているものが本物かどうかという疑問を投げかけることにもなる。もし本物なら、歴史のどこかの地点で、単なる神話や伝説だと思われていた巨人族と人類が共存していたことになるのだ。

via:10 Alleged Discoveries That Suggest Giants Existed

☆恐竜みたいに騒がれないのは、なぜなのだろう?

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古代マヤ文明に関する15の事実

2016年06月27日 | 世界びっくりニュース
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 マヤ文明は、紀元前3000年から16世紀頃まで、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明で2012年12月21日人類滅亡説を予言したことで有名となった。

 マヤ文明は当時では考えられないくらいの高度な技術を持っていたことでも知られているが、ここではマヤ文明に関する15の事実を見ていくことにしよう。

1. 未だにピラミッドや遺跡が新発見される

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 世界中の考古学者が長きに渡って調査対象としているマヤの地から、ピラミッドのような巨大構造物が未だに発見されるのは驚きだが、数年前にメキシコのチアパス州トニナで発見された1000年以上前のピラミッドは、高さ75メートルと、メキシコ最大のものであることが2015年に発表された。天然の丘に隠された状態だったという。また2014年には、やはり鬱蒼とした草木に覆われていた古代マヤ都市の遺跡がメキシコのカンペチェ州で発見されている。


2. チョコレートを食べていた

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 最初にカカオを食用にしたのは、今から約3500年前、マヤ文明より古いオルメカ文明だとされるが、チョコレート作りを形にしたのがマヤ人だと言われている。グアテマラで発掘された、カカオの残滓が検出された壺などから、おそらく2600年前にはカカオの加工を行っていたと思われる。マヤのチョコレートドリンクは、水やハチミツ、唐辛子、コーンミール等をブレンドして泡立てたようなスパイシーな飲み物で、祝祭や儀式の場で飲まれていた。


3. 複雑な象形文字の体系を有していた

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 マヤ文字は先古典期後期(紀元前400年~AD250年)に起源を持ち、建造物や石碑、絵文書や陶器などに残されている。それぞれが単独の音節を表す800以上の異なるヒエログリフ(象形文字)から構成され、メソアメリカで最も高度な文字体系だと考えられている。マヤ研究者がこれら象形文字の大部分をようやく解読できるようになったのは、ここ数十年間のことだ。


4. マヤ文字解読に貢献したのは、建築学を学んだロシア系アメリカ人女性

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 ロシア系アメリカ人のタチアナ・プロスクリアコフは、建築家を目指していたが、大学を卒業した1930年は大恐慌の真っ只中。建築関係の仕事が見つからず、ペンシルバニア大学博物館で遺跡のスケッチをする仕事に就き、グアテマラのマヤ遺跡「ピエドラス・ネグラス」に派遣された。その後、自らもマヤ研究者となり、1960年、暦の日付以外は理解不能だと思われていたマヤ文字解読に関する通説を覆す論文を発表した。

 石碑を検証した結果、プロスクリアコフは「上を向いたイグアナの頭の絵文字」は王の誕生、「鳥の頭の絵文字」は王の即位の日付であるという仮説を立てた。そして、個々の石碑は、それまで考えられていたような、神に捧げられたものではなく、特定の支配者の一生を描いているのではないかと考えた。これにより、王家の歴史の解読が可能になった革命的な発見だった。

5. 焚書により、現存するマヤの書物は4冊しかない

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 マヤ人は、屏風折りになったイチジクの木の樹皮などに絵文書を残した。「コデックス」と呼ばれるこうしたマヤの絵文書のうち、現存するのは「ドレスデン絵文書」「パリ絵文書」「マドリッド絵文書」「グロリア絵文書」(グロリアに関しては真偽に疑問があるとされている)の4冊のみだ。それ以外の絵文書は、メソアメリカの湿気の犠牲になったケースもある。だがその多くは、16世紀にスペインからユカタンに着任したフランシスコ修道会出身の聖職者ディエゴ・デ・ランダの命令で、焼却処分されてしまったのだ。


6. マヤ暦は世界の終わりを予言してはいない

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 マヤ暦がその日で終わることに由来する「2012年12月21日人類滅亡説」は、ネット上などでかなり騒がれたが、実際は何事もなく2016年を迎えている。もっとも、マヤ研究者たちは、最初からマヤ暦が2012年滅亡説を予言などしていないことはわかっていた。マヤ文明では複数の暦が用いられており、2012年12月に区切りを迎えたのは、そのうちの一つの長期暦であった。


7. 過激な美容法を実践していた

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 マヤ人には、男女ともに幼少期に頭部を長く引き伸ばそうとする「頭蓋変形」の風習があった。2枚の板で前と後ろから頭をはさんでひもで縛り、変形させていたと考えられるが、細長い頭部は高貴さの証しとされていたようだ。また、前歯に穴を開け、翡翠やパイライト(黄鉄鉱)、ヘマタイト(赤鉄鉱)、ターコイズをはめ込むなどの装飾を施していたことがわかっている。



8. 儀式として浣腸をしていた

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 マヤ人は、神に近づくために麻薬や酒を摂取していた。飲んでいたのは「バルチェ」と呼ばれる木の樹皮を発酵させてできる液体とハチミツの飲料などだが、早く酩酊するために、肛門から注入していたとされる。実際、壺などに、浣腸が行なわれている儀式の絵が多数残されている。

9. 生贄の体を青く塗っていた

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 遺跡から採取された「マヤブルー」と呼ばれる鮮やかな青色顔料は、メソアメリカの高温多湿な環境でも、長期にわたって風雨や生物的劣化に耐える優れた耐久性を持ち、考古学者を魅了してきた。一方、このマヤブルーは、雨の神に捧げられた人身御供の体を塗るためにも使用されていたことがわかっている。


10. サウナ風呂が存在した

 グアテマラのティカル遺跡やベリーズのクエロ遺跡には、石や日干しレンガ造りのサウナ風呂のような構造物が残されている。クエロ遺跡は3000年の歴史を持ち、浴場としては有名な古代ローマの公衆浴場よりも古いと思われる。


11. エクストリームスポーツの競技があった

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 メキシコのチチェン・イッツァ遺跡には、大きな球技場がある。マヤ人は、この球技場で現在のサッカーに似た「ピッツ」と呼ばれる球技を行っていた。サッカーボール大のゴム製ボールを、手を使わずに高い位置にある輪にくぐらせる競技だが、娯楽ではなく、儀式的な意味合いがあった。負けたチームのキャプテン(勝ったチームという説もある)が、生贄にされたのだ。



12. 七面鳥を家畜化していた可能性がある

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 今ではアメリカ合衆国の感謝祭のシンボルとして知られる七面鳥(ターキー)だが、歴史上最も早い段階で家畜化していたのはマヤ人だったかもしれない。食用のみならず、七面鳥の骨や羽を使って、扇や各種道具、楽器を作っていた痕跡がある。


13. マヤ文明が衰退した理由は現在も論争の対象である

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 古代マヤ文明は古典期前期(AD250年~600年)に全盛期を迎えたが、古典期後期の8世紀から9世紀頃に衰退した。全盛期には7万人が暮らしていた、マヤ南部低地の複数の都市が放棄された。その理由については現在も、干ばつ、都市国家間の紛争や略奪、海岸部への移住、人口過剰などいくつかの説がある。



14. マヤ人の末裔は生きている

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 マヤ文明は何らかの理由で滅び、都市は廃墟となったが、マヤ人がこの世から消滅してしまったわけではない。彼らの末裔は現在も、人口の大多数をマヤ人が占めるグアテマラを中心に、中米で暮らしている。



15. マヤ文明の遺物や遺跡は危険にさらされている

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 マヤ遺跡では、盗掘・略奪行為が横行している。盗まれた壺や彫像などが違法取引されているほか、盗掘者によって遺跡が破壊される例も少なくない。グアテマラのシュルトゥン遺跡では、ピラミッドが半分に切断されるという事件も起きた。

via:15 Facts About the Maya Civilization

☆謎の文明じゃ!

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あのキャラクターの中身が街頭で学べる。ストリートアナトミーアート(美術解剖注意)

2016年06月24日 | 世界びっくりニュース
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 オーストリアのストリートアーティスト、ニーチョスは、壁面に様々なキャラクターやポップカルチャーシンボルの体の中身が見え隠れするアナトミー(解剖)図を描いている。

 それは輪切りでぱっくりだったり、顔がびにょーんと伸びていたりと創意工夫に満ち溢れており、この世のあらゆるもの中身を覗いてみたくなる好奇心に駆られると共に、真っ赤に流れる俺たちの血潮ってやつを再確認できたりできなかったりするもんだ。

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via:ufunk

☆何かが足らん!

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もし世界が終わるなら?2016年最新版、人類終焉10のシナリオ

2016年06月22日 | 世界びっくりニュース
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 このまま何もなければ地球は76億年後、死滅する太陽の道連れとなり、その業火に焼かれ太陽に飲み込まれる形で滅亡することになるわけだが、そう遠くない未来、地球が滅亡する前に人類が滅亡する可能性は大いにある。

 これまでも様々な人類終焉のシナリオが描かれていたが、2016年の最新版がまとめられていたので見ていくことにしよう。

10.全ての抗生物質に耐性のあるスーパー耐性菌

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 指先を軽く切っただけで重度の感染症を起こす時代が来るかも知れない。それこそ骨折や出産が死に直結してしまうかつての時代の再来ということになる。しかもかなり早急で2050年までに来るかも知れないという。

 アレキサンダー・フレミングがペニシリンを発見してから、細菌によって命を失う人の数は激減した。しかしこれは同時に多くの医者や農業関係者が「必要ないにも関わらず」不用意に抗生物質を投与していく時代の幕開けとなった。

 これによって細菌は抗生物質に対して徐々に耐性を持ち始め、可能性の一つとして「全ての細菌が耐性を獲得する日がやってくる」と言われている。耐性菌が蔓延する世界では毎年1千万人が死ぬと言われている。これは毎秒3人の死亡率となる。仮に製薬会社が巨額な資金を投資し新薬を作ったところで耐性菌はまた新たな耐性を持つだけなのだ。

9. ウイルスパンデミック

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 1918年にスペイン風邪が猛威を振るった時、人類の終わりが垣間見えた事だろう。2千万から5千万人の死者を出したこのパンデミックは、第一次世界大戦で亡くなった人間の数を上回っている。それ以来私達は次のパンデミックがいつ来るか、怯えながら生きているのだ。

 SARS、鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどの予備軍は私たちを大いに恐れさせた。エボラもまたその代表格だが、幸いにも西アフリカからその感染範囲が飛び出る事は無かったが、更なる恐怖のウイルスが到来しつつある。

 現在、新たな脳炎ウイルスである「ニパーウイルス」が最も恐れられている。1999年に豚から人間に感染したマレーシアを起源とするこのウイルスは、現在バングラデシュなどで度々アウトブレイクを起こしている。ニパーウイルスに感染すると最悪だ。嘔吐、風邪の諸症状、筋肉痛から始まり、直ぐに昏睡状態や死に至る。致死率は70%を越えており、もしこれがパンデミックとなった場合スペイン風邪を軽く超える出来事になるだろう。

 「リフトバレー熱」も危険性をはらんでいるウイルスの一つだ。1997年からエボラのようにケニヤで9万人の感染者を出している。エボラとリフトバレー熱が違う点は、リフトバレー熱は蚊を媒介とするウイルスだと言う事だ。

 ジカウイルスが猛威を振るっている現在、リフトバレー熱の恐ろしさがより身近に感じるだろう。またMERSのようなウイルスも徐々にパンデミックに近づいているので、どれか一つでも爆発感染した場合の結果は計り知れない。


8.NATO(北大西洋条約機構)とロシアによる核戦争

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 NATO加盟国とロシアによる核戦争の可能性が信憑性を帯びてきた。2016年5月にアレキサンダー・リチャード・シレフ元NATO副指令が「ロシアとNATOによる全面核戦争の可能性」を語った。それによると、彼は早くても2017年にロシアとの核戦争が起きるのではないかと予想している。

 シレフは核戦争の原因について「ウクライナ」、「プーチンのパラノイア」、「NATOの拡大化」の三点が大きな意味を持つと語っている。

 2014年に起きたクリミアとロシアの亀裂は、冷戦時代に落ち着いていた火種をまた燃やし始めた。それ以来ロシアはNATOの拡大化とその行動に強い恐怖心を抱いているのではないかとシレフは予想しているのだ。

 ロシアは今後NATOの力を弱める為に東ウクライナやバルチック海域に支配の手を伸ばす可能性があるという。エストニア、ラトビア、リトアニアがNATOのメンバーになった事で、大規模な大戦が起きるかもしれない。

 簡単なミス一つで戦争は起きてしまう。ロシアもNATOも戦争を望んではいない、しかし例えばNATOが誤って威嚇を行うロシア機を撃ち落としてしまった場合、もしくはロシア機のパイロットがNATOのメンバーを撃ってしまった場合。その報復としての第三次世界大戦の火ぶたが切って落とされるかもしれないのである。

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7.中国との核戦争

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 中国との核戦争も出来れば避けたい出来事だ。

 核戦争の火種となるのは恐らく南シナ海の領土争いだろう。中国は南シナ海の島国を全て自分の物と主張しているが、アジア諸国はそれに反対している。この中にはアメリカ合衆国と交友関係を結んでいる国々もある。もし中国が強硬手段に出たらアメリカはそこに割って入る必要性が出てくるのだ。

 勿論中国もロシア同様に戦争を望んでいる訳ではないのだが、こういった緊張状態にある国々が第三次世界大戦を引き起こしてしまうのは簡単なミス一つなのだ。つい最近も中国がアメリカのスパイ機を妨害した。過去数ヶ月に幾つものニアミスが存在している。最悪なケースを想定した場合、2018年にでも全面核戦争が起こるのではないかと言われる理由はここにある。


6.人工知能の台頭

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 世界中で多くの知識人たちはAI(人工知能)が人間の知能を大きく凌駕する事を恐れている。スティーブン・ホーキングはその内の一人であり、人類はAIにより消し去られてしまうと考えている。スペースX社のCEOであるイーアン・マスクはホーキング博士に同意見ながらも、AIがなるべく友好的であるように人工知能研究に投資を行っている。

 AI研究の問題は結末が予測不可能な点にある。最高のAIを作ったところで、我々の思い通りに物事が運ぶとは限らないのだ。仮にAIが人間以上の知能を持った場合、彼らが自らの手で更に上の知能を持つ機械を作ってしまう可能性がある。そうなった場合、AIから見て私たちはカタツムリ程度の知能を持つ生物にしか思えなくなってくるだろう。

 私たちがAIの思考回路を理解しようにも、彼らの知能の方が上であれば、そういった事も出来なくなってしまうのだ。

 AIが仮に「共感」という物を手に入れたとしても、何が起こるのかは予測がつかない。もしかしたらAIロボットは我々の脳が培養液に付けられたタンクの中に入り、そこで生き続ける事こそを幸せだと解釈するかもしれないのである。なんという銃夢の世界。

 2016年にGoogleが作ったロボットがチェスよりも難解なゲームである「Go」において、人間のチャンピオンを負かした事を考えると、Xデーは近いのかも知れない。


5.生物兵器:大量殺戮ウイルス

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 大量殺戮を行う生物兵器は扱いが最も難しい兵器の一つだろう。これまで歴史上に記録されている生物兵器は2001年のアメリカ炭疽菌事件、1984年のラジニーシによるバイオテロ、そしてオウム真理教地下鉄サリン事件と、数える程しかない。

 そう考えると現状では生物兵器が人類を消し去ってしまう事はないだろう。しかし近い未来、そういった生物兵器をより安全に、より凶悪に作れるとしたらどうだろうか。2012年、カンブリッジ大学のヒュー・プライス教授はこういった事が将来的に起こるのではないかと警報を鳴らしている。彼によると近年そういった兵器が毎年「単純化」されてきているようで、兵器制作が容易になっているという。

 もしこういった兵器をISISなどが手にし、オウム真理教のような宗教団体がウイルスを彼らに提供したとしたら・・・そしてその制作に必要なのが小さなラボだとしたら・・・それこそが本当に恐ろしい事なのだ。


4.世界規模のテロ活動

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 ISISは世界中を恐怖に陥れ、トルコはクルドとの紛争に血を流し、アフリカは内戦による殺し合いが起き、イギリスはつい最近「アイルランドによる本土爆撃が行われる可能性が有る」と発表した。

 もしここにサウジアラビアが入って来た場合どうなるだろうか。誰もが旅客機などに乗る事が出来なくなるだろう。サウジアラビアは現在、シリア政権に介入しようとしている。そこで彼らは反政権派に数百の対空砲などを提供しているのだ。

 問題はこの対空砲を手渡した人物たちがただの反政権派ではなく、非ISISのテロ集団、例えばアル=ヌスラ戦線だった場合だ。ジハード主義の彼らが武器を手にした場合、マレーシア航空17便やウクライナで2015年に起きた旅客機撃墜事件などが珍しい話ではなくなってしまうのだ。そして最も重要なのは、これが事故ではなく、故意に起こされるテロ活動という点にある。彼らは中東からヨーロッパまで、様々な国を標的に入れていく事だろう。

 アメリカは現状、サウジアラビアがこういった行動に出る事は有り得ないとしているが、シリアでの紛争が激化する現在、そういった行動に出る人物が居てもおかしくないと言えるだろう。


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3.パキスタン・インド間での核戦争

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 パキスタンとインドの闇は深い。両国は戦争、意見の食い違い、テロ行為など、お互い血みどろの戦いを繰り返してきた歴史がある。そして両国は核兵器を持っているのだ。

 ロシアや中国も脅威ではあるが、この両国も侮ってはいけない。近年まで両国の核開発レベルは互角であったが、インドが多くの資金を潜水艦等のつぎ込んだ時、パキスタンは負けじと軍事費用を拡大させた。現在では両国はせめぎ合うように軍用兵器の開発に没頭しており、それはまるでキューバ危機のようだ。

 更に最悪な事にパキスタンとインド間の戦争は芋づる式に中国をも巻き込む可能性がある。それは中国がインドと長い間敵対しているからであり、仮に戦争が始まった場合、中国がパキスタン側に着く事も十分考えられるのだ。核兵器を持った三国の戦いになってしまい、その結果は絶望的と言えるだろう。


2.異常気象

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 次の100年の間に世界の気温は最低でも摂氏2度上がると言われている。この変化が世界中に大きな影響を及ぼすのだ。

 イギリスを例にあげると、2度気温が上がるだけで「真夏日」が圧倒的に多くなる。イギリスでは毎年2000人が熱中症で亡くなっているが、この気温変化で3倍の6000人になると考えられている。西アメリカでは山火事の件数が爆発的に増え、竜巻や台風も世界中で多発するだろう。

 もし20世紀が戦争による時代であるとしたら、21世紀は自然災害による死を招く時代と言えるかもしれない。


1.宇宙人の侵略

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 宇宙人による侵略は最も有り得ないと一笑するかもしれない。だがスティーブン・ホーキングなどは100年、200年の内に宇宙人と何らかの接触をする時代が来るだろうと考えている。そしてそういった事態になった場合、起きる事はただ一つ:殺戮である。

 こういった話の例題にあげられるのがコロンブスとアメリカの成り立ちである。この場合、原住民は私達で宇宙人はコロンブスなのだ。

 仮に知的生命体が私たち以外にいたと過程しよう。彼らはそこで地球人の進化を観察している。最近の地球人の知能や技術が発達する様子を見た宇宙人はどう思うだろうか?彼らは我々を脅威と見なし攻撃してくる可能性があるのだ。

 地球外生命体が存在する確率を現す「フェルミのパラドックス」によると、彼らから攻撃されない唯一の方法は小さく、静かに、ほそぼその宇宙の隅で暮らす事だけなのだ。

 ただ残念な事に私たちはこれと真逆の事をしている。色々な人々が積極的に地球外生命体と接触を試み、機械を宇宙に向けて放っている。火星を自らの物にしようとする今世紀、もしかしたら彼らはすぐそこまで来ているのかも知れない。

via:10 Terrifying Ways The Future Is Plotting To Kill Us All

☆宇宙人の世界は、なぜ終わらないのか?

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それどんなルパン三世?失われたまま未だ行方不明となっている10の超貴重な宝飾品

2016年06月20日 | 世界びっくりニュース
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 貴重な宝石類の盗難事件は小説や映画の中だけの話ではない。ここで紹介する宝飾品には3つの共通点がある。超貴重な代物であること、唯一無二の存在であること、行方知らずであることである。その行方について様々な憶測が流れているが、いずれも今日に至るまで発見されていない。

10. 消失、発見、またも消失:タッカーの十字架

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 テディ・タッカーはバミューダで最も著名な海洋冒険家で、100隻もの難破船を発見した実績を誇る。バミューダ諸島の首相マイケル・ダンクリーは彼の死に際して、「当代一流の偉大なバミューダ人」と称えた。

 89年の生涯で数多くの財宝を引き上げたタッカーだが、最も有名なものは1955年に発見した7つの大きなエメラルドで飾られた黄金の十字架だろう。スペインの難破船サン・ペドロ号の残骸の中で見つかったタッカーの十字架は、当時世界中で大きく報道された。タッカーはさらなる調査資金を確保するため、1959年に十字架を政府に売却し、十字架は国の博物館が所蔵することになった。

 1975年、エリザベス2世がバミューダを訪れる少し前のこと、タッカーの十字架が盗難され、レプリカにすり替えられていることが判明した。その鮮やかな手口からプロの犯行が疑われ、大規模な国際的な捜査が行われたが、犯人やその行方に関する手がかりは一切見つからなかった。


9. 輸送中に消えた未加工のピンクダイヤ

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 なぜ天然のピンクダイヤが特徴的な色合いを呈するのか確かなことは分かっていない。いずれにせよ、他の色付きダイヤと同じく、ピンクダイヤは非常に稀な宝石で、コレクター垂涎の的である。2014年10月には、ある8カラット以上ものピンクダイヤがオークションに出品され、破格の17億7,700万円(1,777万ドル) の値がつけられている。

 しかし、コレクターの熱い目が注がれる天然の美には泥棒も注目している。2001年1月、警備会社ブリンクの厳重な監視の下にあった162.5カラットという巨大ピンクダイヤの原石が、ヨハネスブルグからジュネーブかへの搬送途中に消失してしまった。ある専門家が「信じられないほどの純度で、激レア」と評したこのダイヤは、消失当時7億2,000万円(600万ドル)の価値があると推定されており、一度カットされればその価格は2倍にもなると言われていた。産地は不明であるが、オーストラリアと推測されている。ブリンク社は3,000万円の懸賞金をかけて目撃情報を募ったが、ダイヤは依然として消えたままだ。すでにカットされてブラックマーケットに流されてしまったとの説もある。


8. アメリカの財宝と強盗:イーグルダイヤ

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 1876年の発見当時、イーグルダイヤはアメリカで見つかったダイヤとしては2番目に大きなものだった。だが、この「透明で、ワインイエローの小石」を見つけたチャールズ・ウッドはその価値に気がつかず、妻のクラリッサに贈っている。それから7年間、イーグルダイヤはウッド家のテーブルの上に飾られていたが、ある宝石商で鑑定を頼んだところトパーズであると告げられ、そのまま1ドルで売却された。のちに16カラットのダイヤであることが判明し、クラリッサはその宝石商を訴えるが時すでに遅かった。ダイヤはティファニーに850ドルで売却された後であり、さらにJ. P. モルガンの手に渡り、結局アメリカ自然史博物館に寄贈された。

 以降イーグルダイヤは同博物館でJ. P. モルガン宝石コレクションとして展示されていたが、1964年にマーフ・ザ・サーフ、アラン・クーン、ロジャー・クラークの三人組によって強奪されてしまった。そのとき盗難された品には、スター・オブ・インディアやデ・ロング・スタールビーといった貴重な宝石も含まれていた。盗難された品の大半が無事回収されているが、イーグルダイヤはまだ発見されておらず、すでにカットされ売り払われた恐れがある。


7. コートジボワール(アイボリーコースト)王室の至宝

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 2011年にコートジボワールで行われた疑惑の選挙は、新大統領派と前大統領派の激しい対立を生み出し、やがてコートジボワール最大の都市アビジャンにまで飛び火するようになった。この衝突により失われた人命に加えて、混乱の中でコートジボワールの住民は国宝まで失うことになった。

 フランス植民地時代まで遡る同国の文明博物館の周辺には、かつてここの守りの役も果たしていた基地があり、皮肉にも両派間で繰り広げられた激しい戦闘の中心となってしまった。戦闘が激化をたどると、窃盗犯はそのどさくさに紛れて80点以上もの貴重な歴史的国宝を奪い去っていった。その被害総額はおよそ6億円(600万ドル)と推定されている。被害にあった品には17世紀の王家が所有していたとされる黄金の宝飾品、マスク、王冠、ハエ叩きなどがあった。博物館の館長は「歴史のピースが一掃されてしまった」と嘆いている。

 博物館の展示ケースが壊されていなかったことから、犯行には内部の関係者が関与していたと睨まれている。盗難品はすぐさまインターポールの盗難美術品データベースに登録され、容易に売却することはできなくなっているが、これはまた別の危険性をも孕んでいる。すわなち黄金細工を溶かし、金として換金されてしまっている恐れがあるということだ。

6. 数奇な歴史:フィレンツェのダイヤ○

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 フィレンツェのダイヤには長く複雑な歴史がある。明らかなことは、9角形126面ファセットに ダブルローズカットされ、緑を帯びた濃い黄色を持つ137カラットのダイヤだったということだ。フィレンツェのダイヤの他にも、ザ・タスカンやオーストリア・イエローダイヤなど様々な異名で知られている。

 ブルゴーニュ公、ローマ教皇ユリウス2世、インドのヴィジャヤナガル国王などが所有していたと伝えられている。しかしきちんとした形で残る最初の記録は、1657年にフランスの宝石商がフェルディナンド1世・デ・メディチの宝物の中にあるのを目撃したというものだ。その後も数多くの王侯貴族の手に渡り、やがてはオーストリアのハプスブルク家の宝飾品の飾りとなり、最終的にウィーンの美術史美術館に所蔵され1918年まで展示された。そして第一次世界大戦敗戦によってオーストリア帝国が滅亡すると、カール1世とともにスイスへと渡った。

 だが、そこから先の消息は杳としてしれない。噂では盗まれて南アメリカへ持ち込まれた後、さらにアメリカに渡り、そこで再カットされたと囁かれる。その真偽は定かではないが、ジェム・スルースという組織が既知の70カラット以上のイエローダイヤ全てを調査したところ、唯一80カラットのダイヤが1981年にオークションに出品されていたことが判明した。これがフィレンツェのダイヤの名残であるのかもしれない。


5. 大スキャンダルを巻き起こしたアイルランド王室の至宝

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 王家の至宝が消えてしまったのはアイボリーコーストだけではない。アイルランドでも王室の装飾品が1907年に盗まれている。この384点の貴重な装飾品が盗まれた事件はスキャンダルとなり、メロドラマのような展開を見せた。被害総額は今の金額で17億円近いと推定されている。コレクションの目玉とも言えるのが、スター・オブ・セント・パトリックと呼ばれていたエメラルド、ルビーの十字架、ピンクのブラジリアンダイヤで飾られた手ほどの大きさがあるブローチと、バッジ・オブ・セント・パトリックの2点であった。

 1903年、銀行の金庫で保管されていた装飾品は未だイギリスの統治下にあったアイルランド、ダブリン城へ運ばれることになった。ダブリン城には財宝用の保管室があったのだが、金庫が城に運ばれた当時、大きすぎて保管室に搬入することができなかった。そこで紋章官アーサー・ヴィカーズの指示で、金庫は人の出入りがある城の書庫に設置されることになった。そしてイギリス王エドワード7世とアレクサンドラ女王が訪問する4日前の1907年7月6日の盗難が発覚する。
 
 その後流れた噂では、あるパーティで泥酔したヴィカーズから友人が金庫の鍵を手に入れ、財宝を持ち出すとそれをヴィカーズに被せ、目を覚ました彼が驚いたことがあったという。しかしヴィカーズは無実を主張し、書庫に頻繁に出入りしていたフランシス・シャクルトンという男を指名した。彼の遺言状の中には自分をスケープゴートにしようとしたエドワード7世とアイルランド政府を非難する言葉が並べられ、シャクルトンを弁護する文面もあった(これは公的な取り調べが行われ、シャクルトンの同性愛や王宮でのスキャンダルが暴露されることを恐れたためだと思われる)。遺言状の内容は避難を恐れて1976年まで公開されなかった。


4. 半分の卵の謎:グレートムガル

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 グレートムガルは1600年代初頭にインド南部で見つかったダイヤだ。原石は驚異の787カラットだった。なんとも気前がいいことに、このダイヤはジェムラ首長がムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンに献上されたと伝えられている。彼はこれをカットするためにヴェネチアの職人へ送るが、280カラットにまで小さくされてしまったことに怒り、むち打ちの刑を言い渡している。それでも特大のダイヤであることには変わりなく、その形状とサイズは「2つに切った卵のよう」と評された。

 この半分に切った卵のようなダイヤには特徴的な青みがかかっており、インドへ侵攻したペルシャ王ナーディル・シャーの手に渡った言われている。しかし1747年にナーディル・シャーが暗殺されるとグレートムガルは完全に歴史の舞台から姿を消してしまった。小さくカットされた、あるいは現存するいつかの大型ダイヤの正体がグレートムガルであるなど諸説あるが、多くの専門家は190カラット程度にカットされた同じような形状を持つオルロフダイヤ(ロシアの博物館所蔵)がそれだと考えている。

3. 世界中が大騒ぎしたブルーダイヤ事件

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 この50カラットのブルーダイヤの盗難事件では犯罪組織が関与し数人の死者まで出たほか、サウジアラビアとタイの外交関係にも影響を与えている。

 発端は簡単な話だった。サウジアラビアの王宮に勤務していたタイ人の庭師が一攫千金を狙って宝石の窃盗を計画した。この男は王宮の壁をよじ登り2回の窓から侵入すると、ドライバーで金庫を破り、90kgもの財宝を持ち出した。その中の1つに世界最大級のブルーダイヤがあった。男はDHLで盗難品をタイの自宅へ送り、それから間もなく自身も帰国し、地元の宝石商で売り払った。

 サウジ側はすぐに真相を突き止め、犯人の逮捕と盗難品の回収に乗り出す。いずれも迅速に実施され、タイ警察は盗難品をサウジ側に返却し、事件は収束するはずだった。ところがサウジ側は返却されたものは大半が偽造品であり、ブルーダイヤも未返却のままであると主張した。さらに消えたブルーダイヤにそっくりな品をタイの官僚の妻が身につけていたという噂まで流れ、サウジ側はこの人物を自ら調査するために、外交官3名とタイ王室とつながりのあるビジネスマンを送り込んだ。
 
 ところが外交官は殺害され、ビジネスマンまで行方不明になってしまった。サウジ側はタイ政府内の汚職を非難し、タイ大使を召還すると、さらにサウジアラビア国内にいた20万人ものタイ人労働者を国外退去させた。その後、盗難品を購入した宝石商の妻と息子まで誘拐や殺害の犠牲者となり、最初の捜査を担当した捜査官は共謀罪で有罪判決を受けている。


2. 怪盗ピンクパンサーに盗まれたコンテス・デ・ヴァンドーム

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 コンテス・デ・ヴァンドームと呼ばれたネックレスは、中央に奢られた125カラットのダイヤなど、116個のダイヤをちりばた豪華な一品である。2004年当時、33億円(3,000万ドル)以上の価値があるとされたが、東京の宝石店から盗まれてしまっている。

 厳重に警備されたこの場所からネックレスを盗み出した犯人は一体何者であろうか? 警察の捜査によって浮かび上がったのは数百人で構成されるセルビア系の窃盗団ピンクパンサーであった。この窃盗団はヨーロッパからアジアにかけて犯罪ネットワークを張り巡らせていることで悪名が高い。東京ではカップルに扮した2名のメンバーが、買い物をする振りをしながら警備体制やネックレスの位置を偵察していたという。目的の品が3階のショーウィンドーの中にあることを確認した2人組は、2004年3月5日犯行に及ぶ。唐辛子スプレーを店員に吹き付け、ショーケースを叩き割ると、20点以上の宝飾品を盗み、バイクで逃走した。

 のちの犯人は逮捕されているが、被害にあった宝石店は1,000万円程度の保険が入ってきただけで、ネックレスは帰ってきていない。


1. 一瞬で消えたマールバラダイヤ

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 45カラットのマールバラダイヤはかつてマールバラ公爵夫人サラのブローチペンダントを飾っていたダイヤだ。彼女の死後、ペンダントは売却され、新たにいくつものダイヤをちりばめたネックレスに取り付けられた。1980年当時の価格は2億円(90万ドル)ほどであった。

 1980年9月11日、きちんとした身なりの男が警備員としてロンドンの店舗に入店を許可された。しかしその直後、男は銃を取り出し、店内にいた者に床に伏せるよう命じた。さらにもう1人が現れ手榴弾をチラつかせると、そのままマールバラダイヤを含む3億1,000相当(140万ドル)の品々を奪って逃走した。犯行時間は1分にも満たなかったという。犯行に及んだジョセフ・スカリーズとアーサー・レイチェルはシカゴのギャングとつながりがあるとされ、ロンドンからの帰還の飛行機で逮捕された。マールバラダイヤは発見されていないが、ロンドンのタクシー運転手がアメリカに送る荷物を投函してほしいと頼まれたことを証言している。

 70歳を過ぎて釈放された2人組は、死んだ元ボスの自宅へ侵入しようとして2010年に再度逮捕された。このことから、消えたダイヤは元ボスの自宅にあるのではないかと推測されたが、FBIの捜査からは何も見つかっていない。

via:10 Fabulous, Priceless (and Missing) Jewels

☆盗まれる前の存在すら、知らんがな!

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