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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

そんな政治家ばかりが目に付く

2024年09月08日 18時15分49秒 | Weblog

 朝、ゴルフの練習に出かけるカミさんは、「パンも玉子もベーコンもあるから、フレンチトーストで食べるといいわよ」と言い残して出かけて行った。ひとりで食べる貴重な時間だから、いつもの喫茶店に行ってゆっくりしようと思っていたのを見抜かれた。

 けれど、外に出たら余りにも蒸し暑い。やっぱりカミさんの言う通りにしよう、外に出たら何かの禍に巻き込まれる予言かも知れないから。それにしても何という暑さだ、何もする気がしない。フレンチトーストを作り、NHK『のど自慢』を観る。

 車イスで登場した女性がいた。テロップに2児の母とある。澄んだいい声だった。なぜか涙が溢れてきた。画面を見ると、ゲストの「純烈」のひとりも涙をぬぐっていた。苦労してきたのだろうと、私も彼も勝手に想像してしまったのだろう。

 昨日は立憲民主党の代表選挙の告示日で、野田・枝野・泉・吉田氏が立候補した。東京で記者クラブ討論会が行われ、この日の夕方には4人が揃って、名古屋栄で街頭演説を行ったことが中日新聞に載っていた。

 「候補乱立で注目が集まる自民党総裁選に埋没しないよう、初日は名古屋市内で声を張り上げた」「ただ、足を止めて熱心に聞き入る聴衆はそれほど多くはない」「立憲所属の地方議員は『事前に党員やサポーターに街頭演説を告知していない』と苦々しそうだった」。

 4人の主張を聞いても相変わらずで、「政権交代の千載一遇のチャンス」(野田氏)と言うだけでその先が見えてこない。野田氏は維新まで含めた野党共闘、枝野氏は人間中心の経済、泉氏は政権を担う決意、吉田氏は教育の充実を訴えていた。

 投票権を持たない一般市民に向けた、街頭演説はいったい何のためなのだろう。来るべき総選挙への準備であれば、まずもって党員や支持者との論議を重ね、立憲が目指す国のあり方を明らかにしていくことでは無いのか。

 自民党が大きく変わろうとしているとの宣伝に呑み込まれ、自分たちの立ち位置を見失っているように見える。議員になりたいだけの議員はいいらない。それでは兵庫県の斎藤知事と同じだ。そんな政治家ばかりが目に付くのはどうしてだろう。

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まだまだ勉強しなくてはいけないのか

2024年09月07日 17時37分13秒 | Weblog

 日差しは強いが、吹いて来る風は爽やかに感じる。台風10号の影響でこの地方も雨降りが続いたが、雨が上がった夜から、リンリンリーと虫の声が聞こえて来た。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うから、この暑さも後もう少しの辛抱だ。

 私の右の肘の内側は相変わらず赤く痒みがある。朝起きると、パジャマの胸の辺りがびっしょりと濡れている。気候の変化とともに、体調はよくなっていくものと期待しているが、まだまだ先のようだ。

 今朝の中日新聞に、三重県菰野高校の野球部の監督が処分された記事が載っていた。練習試合でミスをした部員に昼食を取らせなかったり、胸ぐらをつかんで叱りつけたりしたとある。「バカか」「へたくそ」「殴らせろ」などと怒鳴りつけたりしているが、「体罰という認識はなく、指導の範囲だと思っていた」とあった。

 運動部の顧問にありがちなことだが、殴ったり、バカかと声を上げて、生徒が本当に上手くなると思っているところが恐ろしい。教師自身もそうやって鍛えられてきたのだろうが、もっと上手に指導することを考えることが教師の務めである。

 兵庫県知事の百条委員会での答弁をテレビで見て、この人も野球部顧問と同じだなと思った。「きつい言葉であったかも知れない」と認めつつも、県政全体のためであり、あくまでも「指導」だったと主張していた。

 知事は「指導」だったかも知れないが、「指導」を受けた職員がどんな気持ちだったのかを配慮していない。そこには「俺は知事だ」「俺はおまえらの顧問だぞ」という、優位性が働いている。本当に県政や部員たちのことを考えるなら、権力を駆使せずに、一緒に考える人でなければならないだろう。

 夫婦はどうだろう。オレがワタシがと我を張れば、行先は見えている。我慢であり、譲歩であり、相手を思いやることだ。そう分かっていても、実際は難しい。「人生は死ぬまで勉強である」と誰かが言っていたけど、まだまだ勉強しなくてはいけないのかと思うと、行先は暗い。

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充実した一日でなによりでした

2024年09月06日 17時28分49秒 | Weblog

 大学の同期会から帰ったカミさんは、5年ぶりの再会が余程嬉しかったのか、話しぶりがいつも以上に饒舌だった。ランチの写真が送られてきていたので、「あれで会費6千円は高いね」と言うと、「違うのよ」と笑いながらビニールの子袋に入った101円を見せてくれた。

 「(幹事が)個室代の3千円を、1人分と思い違いしてしまったからと、出席者の人数で割って、会費3千円から差し引いて、袋に入れて返してくれたの。これがその会計報告」と1枚の紙を見せてくれた。ノートに手書きしたものがコピーしてある。コピー代金は書いてなかったから、きっと自腹なのだろう。

 「手は震えているし、言葉はスムーズに出てこないし、パーキンソン病かも知れないわねって、女性群は話していたわ」と、そちらが気になったようだ。幹事の彼は会費を間違えたことを謝り、「『今日の会で最後にしたい。本当にすまない、申し訳ない』と言うから、いつも幹事を押し付けて、こちらが申し訳なくなって、泣けてきちゃった」と話す。

 また、相方を亡くした男が「相思相愛で結婚し、何十年も一緒に暮らしてきた。好きで好きで、あまりに好き過ぎたから、今は居ないことが寂しくてたまらない」と言われ、それにも「胸がキュンと締め付けられた」と話す。これで会を終わりにするは嫌とみんな言うのに、誰か幹事を引き受けるかとなると誰も手を上げない。

 元気な80代は地元でやることがいっぱいあるようだ。朗読のボランティア活動をしていたり、障がい者団体の世話をしていたり、庭や畑で花や野菜を育てたり、孫や曾孫の面倒をみたり、まだまだ必要とされている。「そう、必要とされているうちが華。頑張らなくちゃーね」とみんなで笑ったと話す。

 充実した一日でなりよりでした。ご苦労様、お疲れのようですね。

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いいのだろうかと思いながら

2024年09月05日 18時00分41秒 | Weblog

 カミさんは大学の時の、教室の同期の集まりに出席するからと電車の時刻を調べていた。よく長く続いていると感心する。「暑いし、送って行くよ。どうせ本屋に行くつもりだったから」と言い、一緒に部屋を出て車に乗り込んだ。

 書店に行くのも久しぶりだ。店には何人かの客がいたが、やっぱり高齢者が多い。若い女性客がひとり入って来たが、近くにある大学の学生のようだ。私は並べてある本を眺めて回る。大人の男性向け写真本のコーナーがまた増えていた。

 眺めるだけで、手にするのも気が引ける。買って行く人は、どこで読むのだろう。家に持ち帰ることも、捨てることも出来ないだろうから、どうしているのだろう。雑誌『Hanada』や『Will』が、うず高く積まれていた。

 昼食はいつも行く喫茶店で、いつもと同じコーヒーと玉子サンドにする。この店は近くの高齢者のたまり場になっていたが、今日はバラバラに座って週刊誌を読んでいる。夫婦と思われる高齢のふたりも、ランチを食べながら別々の週刊誌を見ている。

 この店にはスラっとした中年の女性が働いていて、その細くて長い足を眺めるのが楽しみだったが、今日は店主のカミさんしか居なかった。カミさんもなかなかの美人だが、スカートが長くて足までは見えない。

 こんなバカなことを書いていると、ウチのカミさんに叱られそうだ。3日のブログの閲覧数が1668で、訪問者数が505と出ていてビックリした。何を書いたのだろうと3日のブログを見ると、フジテレビのドラマ『海のはじまり』についてだった。

 閲覧数や訪問者数を気にしたことは無い。コメントをくれる人も卒業生が多いので、返信もせずにいる。何かを発信したくてアップしているというより、中学からの友だちとの約束だから続けている。こんなどうしようもない内容でいいのだろうかと思いながら。

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「運転ご苦労様でした」

2024年09月04日 18時10分01秒 | Weblog

 水曜日はデートの日、今日は豊田市美術館で開催中の『エッシャー 不思議のヒミツ』展を観に行って来た。ナビが高速へと誘導するのに逆らって、下道で行こうとしてかなり大回りしてしまったが、ドライブを楽しんだのだからヨシとした。

 でも、山がちな緑の道路はダンプカーも多く、ちょっと怖かった。朝のテレビ番組で、高速道路を逆走する車が映し出され、運転者は80代の高齢者と聞くと他人事ではない気がした。そんなこともあって、高速を利用したくなかったのかも知れない。

 平日だから入場者は少ないだろうと思っていたが、駐車場に車は多いし、中に入ってみるとさらに多くの人数だった。エッシャーってそんなに人気があったのか、周りを見ると若い人から年寄りまで、年齢の幅は広い。

 写真撮影がOKなのもちょっと珍しい。でも、中に入ってその理由がよく分かった。作品は木口版画やリトグラフが多く、エッシャーの特徴である「だまし絵」なので、アレッと思って観直すから、写真に収めたくなるのだ。

 そればかりか、実際に「だまし」を体験できるコーナーもある。展覧会を観て回るうちに、何だか足が地に着いていない気までしてきた。鏡の部屋や逆さまに見える部屋を体験した後は、平らなところを歩いているのか、坂になっているのか、分からなくなった。

 美術館の中のレストランで昼食をいただいたが、午後1時を過ぎていてもまだ混んでいた。中年女性の3人組は、食事が終わってもまだまだ会話に夢中で、店員は決して何も言わず、立派だったが、外で待つ人が気の毒になる。

 帰りは「ナビの指示通りにするね」とカミさんに伝えた。豊田インターから東名高速に上がり、上社から名2環で戻ってきた。思った以上にスムーズで、「ナビを買い替えしなくても、まだいいみたいだね」と笑った。

 カミさんが「運転ご苦労様でした」と言ってくれた。

 

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ふたりで生活出来るのかと心配

2024年09月03日 17時30分40秒 | Weblog

 昨夜、フジテレビのドラマ『海のはじまり』を観ていて、エッ、こんな結論になるの?とビックリした。私が予想していた展開とは、全く違っていたからだ。主人公の男、「夏」は煮え切らない性格で、「あー」とか「うん」とかしか言わない。

 大学時代に付き合っていた女性に「堕胎するから署名して」と言われて、署名してしまうが、彼女は気が変わって女の子を産み育てた。ところが彼女は急死してしまい、女の子は母親の実家で育てられる。葬儀の知らせを受けて、夏は葬儀場で女の子に出会う。

 女の子は「海」という名で、夏に懐いた。夏は海が自分の子であると確信するが、夏には3年も付き合っている女性がいる。その女性は弥生というキャリアウーマンで、夏に魅かれて生活も共にするし、海とも仲良しになっていく。

 いろいろあったようだけど、夏は弥生と結婚し、海と3人で暮らす物語だと勝手に思っていた。ところが弥生は、海の母親の手紙「夏くんの恋人へ」を読んで、海の母親への嫉妬を抱えたまま、3人での生活に踏み切ることは「私の幸せ」では無いと考え、別れを告げる。

 それは考え過ぎだろう。戸惑いはあるかも知れないが、好きな男と、母親になって欲しいと言う娘と、3人で生活していくうちに、わだかまりも解けていくはずだ。人はそんなにも厳格な存在ではない、日常に追いまくられていけば忘れてしまうことばかりだ。

 夏と弥生の最後の別れの場面は、愛し合っているふたりなのにどうして別れを選択してしまうのか、涙が流れた。まだ、最終回では無いからドラマは続くのだろうけれど、どんな展開になるのか不安だ。

 NHKの朝ドラ『オードリー』(BSで再放送)は、愛することが何かを描いていた。尽くすことも奪うことも、相手の気持ちを知っても、どうすることも出来ない。悲劇なのか喜劇なのか、その綿密な描き方に感心する。

 夏は海とふたりで暮らすというが、本当にふたりで生活が出来るのかと心配になる。

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人が許し合って生きていく

2024年09月02日 17時50分58秒 | Weblog

 兵庫県の斎藤知事が、百条委員会で答弁する様子をテレビで見た。こういう人を上司にした部下職員は大変だと思う。自分の言動は、相手のことそして県政のことを「思う」からだと力説していた。その気持ちに偽りは無いだろうが、言動は余りにも幼稚だ。

 目的が正しければ、どんな言動も許されるのか。そうでは無いことに気が付いてこそ、上に立つことの出来る人である。首長は選挙で選ばれるから、その地位を得ると「殿様」になってしまう人は結構多い。

 部下を共に市民のために働く仲間とは見ることが出来ずに、何でも自分の言うことを聞く部下としか思わない。だから、「バカか」と怒鳴り、「クビにするぞ」と脅す。女性職員には平気で身体を触るし、卑猥な言葉をかける。

 私は幸いにもそうした職場に遭遇しなかったけれど、教師だった時に「おまえのためだ」と、生徒をメチャクチャ怒る教師はいた。口で言うだけでなく、頭や身体を叩く時もあって、「それは違うでしょう」と言いたかったが、言えなかった。

 学校はこうでなければ、生徒はこうしなければならない、そういう思い込みが強い先生だった。でもそれは、その人の思い込みで教師全体の思いでは無い。そういうことが話し合える、雰囲気も機会も無かった。

 あれから学校も随分変わったと聞くが、「9月病」はまだあるようだ。不登校の児童・生徒は増えていると新聞報道されている。私が子どもの頃は学校が遊びの場だったので、学校へ行きたくない子はいなかったと思うが、不登校はなぜ起きるのだろう。

 私の知り合いにも不登校になった子がいたが、学校が子どもにあれこれと求め過ぎたことが要因の気がする。学校は常に全体のことを考えるから、個性は後回しになる。いろんな子どもがいることは分かっていても、全体の秩序が優先されてしまう。

 人が許し合って生きていくのは難しいのだろうか。

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秋晴れの日はやってくるのだろうか

2024年09月01日 17時23分55秒 | Weblog

 9月になったから爽やかな日がやってくる、そう思ってはいなかったが、それでも涼しい日を期待していた。台風10号は熱帯低気圧となったが、空はどんよりしていて蒸し暑い。近頃の気候は、私の子どもの頃とは全く違っている。

 自民党の総裁選挙が、テレビで盛んに取り上げられている。総裁選挙に10人も名乗り上げているのは、これまでに無いことだと報じている。たくさんの人が立候補を表明していることで、自民党は本気で変わろうとしている印象を与えているから凄い。

 野党第一党の立憲民主も、党首選挙に複数の人が名乗り上げている。全くアホだなーと思う、これでは自民党の総裁選を応援しているのと変わらない。しかも、以前の党首だった人が、選挙での敗北の責任を取って辞めた人が、なぜ名乗り出ているのだろう。

 「過去のことは水に流し、新しく出直す」という、最も日本的な発想である。過去の失敗をトコトン分析し、反省することから出発しなければ、過去の失敗はいつも繰り返されてしまう。自民党も立憲民主も同じ体質なのだと思い知らされた。

 自民党で最初に名乗り出た小林さんは、自民党のイメージを変える役割を果たした。小林さんや外務大臣で女性の上川さんは、総裁には決してなれないがその役割は評価されることだろう。石破さんは自民党内で評価されていないから、総裁になる見込みは無い。

 誰がどんなに出ても、最後はトップふたりの決選投票という仕組みだから、仲間の多い人つまりは派閥の人数で決まるだろう。政党内にグループが出来るのは当然だが、グループが利益を求めるから裏金問題が生まれたのだろうに。

 清廉潔白な政治家を選び、監視してこなかった有権者の責任も大きい。システムが出来上がると誰も口を挟まなくなる。大きな力に流されていく。党内の各所で、どういう国を目指すのか、論議を重ねている政党があるのだろうか。

 共産党の地方議員は一生懸命働いているが、上意下達の体質は変わらず、役員の公選は実施されていない。共産党だけでなく、公明も維新もそうなのかも知れない。日本の政治に秋晴れの日はやって来るのだろうか。

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