友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

天候に恵まれた草津温泉の旅

2023年02月16日 17時25分54秒 | Weblog

 草津温泉への旅は、傘が必要だったのは出発した名古屋駅までだった。途中で雪がちらつく所もあったが、大雪にはならずに天候に恵まれた旅だった。それでもいくつかの峠を越えて進むから、山には雪が残り、雪で真っ白な田畑を見ることも出来た。

 私は子どもの頃、三河の平野から北の山々を眺め、山を上るとどんどん険しくなっていくものだと想像していた。だから頂上は、三角に尖っていると思い込んでいた。けれど草津までバスで行くと、途中に大きく開けた土地がいくつもあった。

 海岸端からは見えない、広い盆地が各所にあり、○○平と名前が付けられていた。どのようにしてこんな山の上の盆地に、人々が住み着いたのかは分からないが、人々は川から水を引き、土を耕し、農地を広げていったのだろう。

 草津には、カミさんの両親を連れて、家族で来たことがある。友だちから借りた6人乗りのワンボックスカーを私が運転して来たのだが、どの道を通ったのか覚えていない。湯畑の近くの旅館に泊まり、湯畑を見て、湯もみを見学した。

 火口が緑色の白根山を見たり、軽井沢の街も散策した。今回も軽井沢へ回るコースだったが、私と先輩は買い物は女性軍に任せて、カフェでコーヒーを飲んでいた。女店員に「軽井沢に来て、見ておくべき所はどこ?」と聞いてみた。

 教えてくれた聖パウロカトリック教会に行くと、扉も開いていたので中に入り、手を合わせてお参りさせてもらった。前日の善光寺は、私くらいの歳の案内人が熱心過ぎて、自由に見学する時間が無かったが、軽井沢の雰囲気はゆっくりカフで味合うことが出来た。

 泊まったホテルも、2回の昼食会場も、私は物足りなかったが、コロナ禍でホテルや飲食業が大変な痛手を受けていることがよく分かった。帰りに憂さ晴らしと称して、居酒屋で反省会を行った。先輩は日本酒を、私はビールを飲んだ。ここで頼んだイワシの丸焼きがとっても美味しかった。

 ブログは昨日から再開する予定だったが、なまけ癖がついたのか、「もう一日休もう」という気になって、孫娘からもらったバレンタインチョコを並べ、ワインで「ありがとう」と言いながら乾杯した。

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気遣いが足りなくなっている

2023年02月12日 17時29分34秒 | Weblog

 風も無く、陽も射して、穏やかな一日だった。明日の天候が悪くなるとは思えない。こんな時期に、マンションの友だち3家族で草津温泉に出かけるのは、「雪の草津を見てみたい」と九州男子が言うからだ。

 「露天風呂で雪見」としゃれてみたい気持ちはよく分かる。温泉に浸かりながら、深々と降る雪を眺めるのは、この上ない贅沢の極みである。温泉があり、雪が降る他国では、こうした文化はあるのだろうか。

 マンションの友だちが集まる誕生日会は、6家族から始まったが今では3家族になってしまった。そろそろ解散時だと思うけれど、誰もがなかなか言い出せないようなので、今度の旅行中に機会があれば、私から言い出そう。

 いくら仲の良い友だちでも、ホンのちょっとしたことから絶縁を招くことがある。口にした方は悪気からではなく、むしろ迷惑をかけないようにとの心遣いから言ったことが、相手には深く傷つくことがある。

 夏祭りのイベントに参加していた時、みんなから出資金を集めた時もそうだった。新しく参加した人が、「オレも払う」と言ったが、プールしていた金もあったので、「アンタは出さなくてもいい」と口にした一言がその人を傷つけた。

 彼は怒って出て行ってしまった。みんなで井戸掘りをしていた時、「危ないから気を付けて」と何度も言うのに、梯子から落ちて胸を打って痛がっている友を、「言わんこっちゃない」とみんなで笑ってしまい、以来、彼は井戸掘りから去っていった。

 井戸掘りの仲間で、仕事を持っていて忙しい友に対して、決まったことだけ伝えていたから、「組織になっていない。気配りが出来ていない」と叱られてしまった。「気分が悪い」と言って以来、顔を見せない。

 友だちが少なくなるのは寂しい。私たちも歳を取り、年々頑固になっている。友を思いやる優しさが無くなっている訳ではないが、気遣いが足りなくなっている。明日と明後日はブログを休みます。

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それを幸せと感じてはいけないのか

2023年02月11日 17時55分39秒 | Weblog

 3年ぶりに開かれた北名古屋市国際交流協会のイベントに参加した。今回の企画はフィルムフェスティバルで、第1部がウクライナを扱った『ピアノ』、第2部がアフガニスタンで孤軍奮闘した中村哲さんを描いた『荒野に希望の灯をともす』だった。時期を得た作品のためか、観客は多かった。

 2本ともドキュメンタリーで、その出来栄えには感心した。第1部の『ピアノ』は、ゼレンスキー大統領が登場する前のウクライナのキエフが舞台だった。ソ連の崩壊でウクライナが独立したのは1991年、親欧米と親ロシアの政権が交代を繰り返していたが、2014年親ロシア政権に抗議して大規模なデモがキエフの広場を埋め尽くした。

 この時、バリケードのために持ち出されたピアノがあった。「ピアノをもとに戻して」と少女は叫ぶが、願いは聞き入れられない。少女はピアノの前に座り演奏を始める。ピアニストも現れて、ショパンを弾く。ある時はデモ隊の人々との大合唱となる。けれど、デモは鎮圧され、ピアノはどこかへ運ばれてしまう。

 第2部の『荒野に希望の灯をよもす』は、中村医師の奮闘を追ったもので、無医村で治療に当たった中村医師は、餓えを無くすことが根本だと気付く。無医村を無くすとともに、人々が村で生活できるために農業用水を引こうと、土木工事に心血を注ぐ。日本の灌漑用水をヒントに手作りで工事を進める。

 「人は必ず死ぬ」と中村医師は言う。だからどう生きるか、何のために生きるかを常に考える。「平和とは命を大切にすること」で、戦いがなければいいというものではない。アフガニスタンでは米軍が、ウクライナではロシア軍が、兵士ばかりか一般の人々をも殺戮している。

 殺されるより殺した方がいい。そんな風潮が広がるが、中村医師が引いてきた用水のおかげで、砂漠だったところが緑豊かな農地になり、人々は笑顔で収穫に精を出していた。殺し合っていったい誰が得をするのか。花を眺めながらピアノに合わせて歌を歌う。それを幸せと感じてはいけないのか。そう思った。

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なぜか寂しい思いだけが残る

2023年02月10日 17時41分13秒 | Weblog

 名古屋市東区は、中区や名古屋駅前のような繁華街が見当たらなくて、昔から寺が残り何となく文化の香りが漂う気がする。北の黒川から真っ直ぐに南に下ると、実は丘陵地になっているから上るとが正しいが、外堀通りとの交差点の東に、名古屋では1・2を争う書店の正文館書店本店がある。

 ここに行けば「無い本はない」と言われる大きな書店だ。新聞報道によると、正文館書店本店が今年6月末で閉店するとあった。教員の時は時々覗いたが、もう何十年と行ったことが無い。閉店とは誠に寂しい気がする。本の売り上げは大きく減ってしまい、店の維持が難しいようだ。

 正文館書店本店から更に南に下り、錦通りに面した南側に、よく見ないと分からないようなビルに名演小劇場があるが、ここも来月23日で休館する。ここでは商業主義的な映画では無い、知られざる名作が上映された。演劇や落語、音楽などにも使われていた。名古屋でもこうした名作映画が上映される小さな映画館がいくつかあったが、今は名古屋駅西に1館あるだけかな?

 大須にあった前衛劇場「七つ寺」は、まだ存在しているのだろうか。演劇や映画、音楽などの芸術に、流行り廃れがあるのは仕方ない。そうやって人は新しいものを創り出してきた。それにしても、書店まで無くなっていくのはなぜなのだろう。街に映画館が1館も無いことがニュースになっていたが、今は書店も無くなっている。

 人々は何を見聞きして、芸術的な欲求を満たしているのだろう。いや、芸術に対する欲求そのものが減退しているのだろうか。芸術に対する最初の欲求は、裸婦だと私は思う。ギリシア彫刻をモデルに、彫刻師は裸婦像を芸術の域にまで高めた。裸婦を見たいという欲求は今も人々にはある。

 芸術的な欲求は無くならないかも知れないが、書物や映画ではない媒体に変わりつつあるのだろうか。昔の人間である私にはよくわからないが、なぜか寂しい思いだけが残る。

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そっちが先かと思った

2023年02月09日 17時58分18秒 | Weblog

 馴染みの床屋へ行くために歩いていたら、7メートル程先の家から出て来た男が手招きをする。黒のダウンジャケットを着た大柄な若い男だ。黒の自転車にノボリを立て、大きな箱を荷台に乗せている。初めて見る顔なので、「エッ、私に用事なの?」と自分を指さすと大きくうなずく。

 近づくと、荷台の箱にはソフトクリームの写真が張り付けてある。「こういうスイーツを販売しているのですが、ちょっと見て行きませんか?」と言う。床屋へ行く途中だからと断って、「寒いのに大変だね。自転車で回っていて、売れるの?」と聞いてみた。「なんとか、食う分くらいは」と答える。「頑張ってね」と言って別れた。

 こういう商売があることを、初めて知った。テレビでは「闇バイト事件」が、連日取り上げられている。黒づくめの男が、「ごめんください。スイーツはいかがですか」と言って、家の中を見回すなら、下見に来たのかと思われてしまう。こんな時期だから誰もが、懐疑な目で見てしまうだろう。

 彼は真面目な、自転車のスイーツ売りなのかも知れないが、なぜか怪しい連中の仲間ではないかと思ってしまう。嫌な世の中になったものだ。人が人を信用しない。見たことの無い顔を見れば、絶対に怪しいと警戒してしまう。若い高校生が、転んで痛がっている年寄りを助けたという、善意の話は報道されない。

 スシローで回転すしにツバをつけた高校生が自主退学したという。在学していた高校に電話が殺到し、学校は対応を警察に相談している。軽い気持ちの悪ふざけだろうが、何がいけないことなのか、判断できなかったのだろうか。SNSで流されるような情報に、どうして人はこんなに一喜一憂してしまうのだろう。

 床屋からの帰りなら、スイーツを買ってもよかったが、申し訳なかった。「クソッ、じじい」と彼がやけにならないことを願う。若い人が考えた新しい仕事なら、少しは応援したい。おっとその前に、知り合いのトルコ人が義援金の募集を始めたので、そっちが先かと思った。じじいは気が多いのが欠点だ。

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夫婦で家族で話し合いが必要なのだ

2023年02月08日 18時27分49秒 | Weblog

 トルコの地震を心配した先輩が、「おたくのマンションは地震は大丈夫かね?」と電話をくれた。地震についてはいつも話題になる。先日の臨時総会でも議題になった。私は建設した清水建設が震度5に耐えられると保障した建物であり、専門家の調査でも「耐震補強工事は必要ない」と見解だったことを話す。

 マンションには自治会の下に「防災委員会」が組織され、必要な備品を備蓄している。私たちが掘った井戸が2基あり、いざと言う時は簡易便器に水を流せる。市内の各町内の倉庫にも、地震に備えた器具や備品があるのだが、新旧役員の伝達がうまくいっていないところもある。

 年に1度は地震に備えて、器具や備品を取り出して、使い方などの訓練をして欲しいと思うが、地区の役員のなり手が無い現状では、訓練はさらに荷が重いようだ。働く世代は忙しいし、退職した世代は足腰が弱くなっている。後期高齢者は動員対象から外して欲しいと思うけれど、そうばっかり言っていられない。

 日本人は昔、「講」という隣り同士で助け合う相互扶助があった。相互監視の役割も担っていたから、いいことばかりではないが、助けられたことは多かっただろう。農業が中心だったから、水を引いたり耕したり収穫したり、農作業は共同で行う方が効率的だったのだろう。

 けれど、工場ができ労働者が生まれると、共同は様変わりした。工場も共同作業なのに個々の範囲に限られ、機械が止まるまで働き続けなくてはならない。農作業の共同性は必要がなくなり、家族も大家族から夫婦単位へと変わった。家族が寄って食事したりおしゃべりしたり、そんな機会も減ってしまった。

 友だちのいない子どもたちが増え、孤独になっている。子どもだけでなく、大人も同じかも知れない。夫婦でありながらおしゃべりもないケースもあるという。地震に備えて、まず夫婦で、それから家族で、話し合いが必要なのだ。

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北川景子さん主演の『女神の教室』を観た

2023年02月07日 17時24分26秒 | Weblog

 北川景子さん主演の『女神の教室』を観た。裁判官にしろ、検事にしろ、弁護士にしろ、「正義の人であるから、オレは目指す」と、高校時代に決意し、法学部に進学した友だちがいる。しかし、司法試験は合格しなかった。

 あの頃、ドラマのようなスクールがあったら、彼は受講していただろうか。司法試験は法律を隅から隅まで暗記しないと合格しないと聞いた。暗記出来れば試験に合格できるなら、暗記が得意な私にもチャンスがあったかも知れないなどと、夢を見る。

 北川さんの役は、法科大学院に派遣された地裁の裁判官で、彼女は法律を暗記する前に、「人を知らないといい法律家にはなれない」と考えるユニークな教員である。昨夜のテーマは小学生を写真撮りする高齢者の行為だった。学生たちはジイジは不起訴が妥当と結論した。

 そこからなぜ痴漢の問題になったのかよく分からないが、北川さんは被害者と加害者の立場から学生たちに討論させる。弁護士になれば被害者からも加害者からも弁護を依頼されるからだ。痴漢行為は許されないが、満員電車に乗ったことがある人なら、状況がよく理解できる。

 私が電車通勤していた頃は、息も出来ないくらいのスシ詰めだった。電車の扉が閉まらなくて、駅員が何人かで乗客のお尻を押し込んでいた。男性客は痴漢だと言われないように、両手を上にあげよと教えられたが、カバンなど持っていたらそれも出来ない。

 何事も無いようにと願うばかりだったが、偶に若い女性と真正面で向き合ったり、女性のお尻に手がいってしまうことがある。男はちょっと興奮するが、女は嫌らしいと思うようだ。痴漢防止の決定打は、車両をスシ詰めにしないこと。スシ詰めでなければ、痴漢行為をする人はいないだろう。

 ドラマの狙いがどこになるのか分からないが、法律の解釈を巡っていろいろ意見が出て面白い。実際の裁判官や検事や弁護士が、あんな風にやり取りするとは思えないが、ドラマがどう展開するのか興味深い。

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先輩の話に付き合うことで精いっぱい

2023年02月06日 17時32分50秒 | Weblog

 とっても前向きな先輩がいる。80歳超えているが、頭はしっかりしているので、時々前向き過ぎて行政とぶつかってしまう。特に音響については長く携わってきたこともあり、普通の人には分からない音の違いが気になって、行政の担当者とモメてしまう。

 これまでお手伝いをしてきた団体が主催するイベントに、会場主である行政の担当課長から、「もう来なくてもいい」と言われたと憤慨していた。音楽でも落語でも朗読でも、マイクやアンプで音が変わってしまうので、「一番良い音で聞いてもらいたい」と言う。

 そのために、先輩は自腹で幾本ものマイクを持参し、イベントの内容に合わせて無償提供してきた。「市のため、市民のためと思ってやって来たのに、行政はいいものを提供しようという気が無い。やればいいというだけの姿勢だ」と腹を立てる。

 先輩の市への思いは強いものがある。登校する児童の集まる公園に緑が少ないと樹を植えたり、公園がゴミの集積場になっていて、住民が分別作業をするのに街灯を設置して欲しいなど、当然と思われる要求を行政に提言している。

 知事選の前に先輩から、「新聞を見ても、選挙公報を読んでも、誰に入れていいのかわからん。誰か推す人はいる?」と聞かれた。「高校の時の友だちが緑の党にいるので、応援している」と話した。今日会うと、「けっこう善戦したね」と満足そうだった。

 けれど、「市議が一番身近な存在なのに、何をしているのか全然見えない」と不満を言う。確かに当選してしまうと回ってこないし、議会ニュースも発行しない人もいる。地域推薦の人は地域の有力者のご機嫌取りが仕事になっているようだ。

 市のために一言ある人はうるさがられてしまうが、こういう人が尊重されるようにするにはどうすればいいのか。先輩は私に、「もう一度議員になってよ」と言うが、今の私は先輩の話に付き合うことで精いっぱいだ。

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先輩である私たちに大きな責任があるのかも知れない

2023年02月05日 17時39分05秒 | Weblog

 イギリスで50万人の公務員のストライキがあり、学校は休校し大英博物館も休館となったニュースがあった。10%とに及ぶ記録的なインフレに、賃金アップを求めたストライキである。

 フランスでも政府の年金改革案に反対し、100万人のストライキが行われた。労働者のストライキは沈静化にあったが、ここに至って我慢の限界を迎えたようだ。同じような状況にある日本だが、まだストライキの声は聴かない。

 今日の中日新聞サンデー版を見たら、日本の労働者の組織率は低く、欧州のような産別の労使交渉は無いようだ。大企業で働く労働者には組合があるが、労使交渉で妥協してしまう。過酷な労働を強いられている労働者は組合も無い。

 労働は細分化され、正規労働者は減らされ、パートのような非正規労働者が増えている。こんなに労働者を使用する側に有利な状況になっているのに、不満を抱いたとしても、それを変革するだけのパトスは見当たら無い。

 私が高校の教員になったのは1967年(昭和42)だった。組合の先生が入会の手続きに回って来られ、教員になれば組合員になるのが当たり前とサインした。賃上げストもあり、参加するのは労働者として当然だと思ったが、不参加の教員がいることも知った。

 ストに参加した教員と不参加の教員が不仲だとは感じなかった。人にはそれぞれに価値も生き方も違う。だからと言って非難し合うことは無いと思っていた。工業高校だったので、専科には助手が何人かいた。

 彼らは組合には入れなかったので、私は30歳以下の教員と助手の親睦会「青年会」を立ち上げ、ハイキングなどを計画した。労働環境や賃金の改善につながると思ったが、何よりも若い人たちの結束を目指した。

 日本の労働者がストライキを忘れてしまったのは、何をやっても無駄と諦めてしまったからなのか。もしそうなら、先輩である私たちに大きな責任があるのかも知れない。

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ケイコさんとイトウ君

2023年02月04日 17時29分44秒 | Weblog

 昨日は中学時代の話で盛り上がったが、どうしても引っかかる点があったので、帰宅してから中学校と小学校の卒業アルバムを引っ張り出してみた。私たちのクラスで成績がトップだったケイコさんが、好きだという男子生徒のことだ。

 「野球部のイトウ君」とケイコさんは言ったという。中学校のアルバムを見ると、確かにイトウ君がいた。背が高く、筋肉質で、日本人には見えない、とても彫りの深い顔だ。陽焼けを苦にせず野球に夢中に打ち込んでいる姿が、ケイコさんのハートを射たのだろう。

 彼と私は縁が深い。小学校の5年の時も同じクラスだった。前にも書いたが、5年生の初め頃、男子の多くでストライキをした。場所を移動する度に学校へ帰る者が出たが、私はみんなで決めたことだからと最後まで残った。

 イトウ君も最後まで一緒だった。その後のことはよく分からなかったが、ある時、突然、彼は大阪に引っ越していった。彼の家は鉄工業で、スプリングを生産していた。私は彼の家に遊びに行き、工場も見せてもらった。

 突然の引っ越しは彼がストライキ事件の首謀者と見なされ、学校に居られなくなったのかも知れない。リーダーの素質は確かにあったが、遊びの延長でしかなかったから、彼には責任は無い。あるとすれば、学級委員の私が責められるべきだった。

 中学校に復帰してきたのに、私は全く知らずにいた。1クラスが55人もいるし、クラスは8つもあった。クラスが違うと顔を合わせることも無かった。ケイコさんは彼と同じクラスになったことがあったのだろうか。

 小学校のアルバムを見ると、彼の姿は無い。同じクラスになったと思ったのは間違いだったのかと思いながら見ていたら、最後のページの準会員のところに名前があった。住所は大阪府となっていた。

 高校の時だと思うが、彼に誘われて集会に参加したことがある。信者を伸ばしていた創価学会の青年部の集まりだった。10人くらいの青年が、入信の体験を熱心に語った。けれど、私の求めていたものでは無かった。

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