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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どう対応していいのか苦慮していることだろう

2023年02月20日 17時58分09秒 | Weblog

 

 大府市のどぶろく祭りを見に行ってきた。私は隣の刈谷市の生まれだが、どぶろく祭りを見たのは初めてだ。長草町の天神社の周りには露天商が並び、子どもたちで賑わっていた。神事が始まると異様な格好の大きな鬼が、笛や太鼓に合わせて踊った。

 天神様は学問の神様、境内には合格祈願の絵馬があり、筆塚(?)もある。いったい何のお祭りなのかと思い、写真を撮っている男性に尋ねた。「赤鬼は猩々と言いまして、無病息災や疫病退治を叶えてくれます。この名古屋南部では、各地で古くからおこなわれているお祭りですよ」と、教えていただいた。

 そうか、鳴海で卒業生が営んでいたデイサービスも、施設名が「猩々」という名だった。真っ赤な顔の大きな鬼の猩々は、子どもたちに追われて大変そうだった。ここで振舞われる「どぶろく」を飲むと、大人は赤い顔の「猩々」になるという訳かと納得して、どぶろくをいただいた。美味しかった。

 晩御飯の時、中1の孫娘が横になって、テレビで「クレヨンしんちゃん」を見ていた。母親が「ポテトを食べるか、しんちゃんは見ないか」と娘に迫った。孫娘は「ポテト」と言ったので、テレビは消された。すると孫娘は、「どっちかと聞かれたから、ポテトと答えたのに、どうして消されるの。納得できない」と言い出した。

 大人は二者選択を迫ったつもりだったが、中1の孫娘はそのように解釈しなかった。自分の都合の良いように考えただけのことだが、この子も理屈を考えるようになったと感心した。ここはハッキリと、「食事中はテレビは見ない!」と言い渡すべきだった。

 母親に文句の矛先がいくのかと思ったら、父親に向かって、「私にスマホを持たせたのはあんなだからね」と言い出す。幼い子を黙らせておくために、私たちの頃はテレビにお守りさせていたが、今の子どもたちはスマホでお守りしてもらっているのだ。学問の神様も、どう対応していいのか苦慮していることだろう。

コメント (1)
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