名古屋市に入ると急に道路が明るくなった。街路樹のイチョウが黄色く輝き、それが道路を明るくしている。私の住む市では9月のまだ日差しの暑い最中に、イチョウは刈り取られてしまう。ナンキンハゼやトウカエデもこれから紅葉を迎える頃になると、坊主頭にされてしまう。街路樹は延焼を防ぐためであったり、暑さを凌ぐ木陰作りのためであったり、役割はいろいろあるが、何よりも景観のためだろう。それがこれからきれいになろうとする時に、刈り取ってしまうのだから不思議だ。
落ち葉で滑る人がいるとか、掃除が大変とか、「市民からの苦情があるので早めに刈り込んでいる」と行政は説明するけれど、同じ街道でありながら名古屋市はなぜ刈り込みをしないのか。刈り込みをすればそれだけ費用もかかる。名古屋市はそれを節約するためだろうか。市民からの苦情であれば、当市も名古屋市もそんなに変わりはないはずだが、名古屋市は市民の苦情を無視しているのだろうか。景観を保ちながら市民も納得する方策を考えるあるいはそのための考え方を提案することも大事だろう。
考え方といえば、関西で高齢の男性が亡くなり、その財産を受け取っていた67歳の女性が話題になっている。「後妻業」と言うらしい。男は寂しがり屋なので一緒にいてくれる女性がいれば、それだけで優しい人だと思ってしまう。優しくしてくれた女性に「自分が死んだら残った財産はあげる」と考えるのは当たり前のことだ。「殺人」が絡んでくるからややこやしいけれど、女性の側からみても、お世話してあげたのだから財産で愛を返してもらってどこが悪いのか、ということになる。
お金が絡むと不純と考えてしまうが、お金なくしては生きていけないから、お金のプレゼントは愛の証になるだろう。「後妻業」をビジネスにしたらどうかとか、男性が女性に仕えるビジネスもあっていいから、「高齢業」と名前を付けたらいいとか言う人までいる。人はどうしてこんなに寂しいのだろう。JKビジネスとは異なり、厚労省も推進役となるのではないか。これはちょっと考え方がヒネクレているかも知れない。
明日は夏祭りの仲間の「忘年会」のため、明後日は「第九の発表会」のため、ブログを休みます。