明日は雨かも知れないので、今日は一日中ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替えをする。腰も手首も疲労困憊である。強い日差しもなく、強い風も吹かない天候は絶好の作業日である。ただひたすら小さなスコップで黙々と作業を繰り返す。こんな時は妄想の世界へと入り込んでいくしかない。いつだったか、40代の時の中学のクラス会で、偶々隣に座った旅館の女将に出世した女性に「女でも性欲はあるわよ」と言われたことを思い出した。
色が白くて透き通るような肌の彼女は、先輩に口説かれて結婚し、旅館の女将になった。彼女が宴席で客に挨拶するのを聞いたけれど、それはもう堂々としていて、中学時代の大人しく引いたところがある人とは思えなかった。そればかりか、彼女は宝くじで1等が当たったことでも有名で、「ウチのクラスの出世頭だね」と言われている。細い身体、白い肌、大きな目、男たちが放っては置かないタイプの女性だが、子どもが父親の後を継いで不動産鑑定士になったと喜んでいた。
2次会のカラオケでは、もっぱら意味深な不倫の歌を歌っていた友だちは、声まで小椋佳に似ている。あんな優しい声で囁くように歌われたら、女性も気持ちよいことだろう。彼のフェイスブックには女性ファンから誕生日祝いのメールが届いていた。それで妄想は、土曜日のファドコンサートへと進んでいく。ポルトガルへ旅した友だちが現地で聞いて虜になり、その魅力を知って欲しいと誘われた。ファドはポルトガルの民族歌謡で、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネに通じていると思う。
コンサートは寺の本堂で行なわれ、150人くらいの人が聞き入った。歌い手はフラメンコのように黒いショールで肩を覆っているが、歌が進むに連れて痩せた肩がむき出しになる。鋭いが悲しげな瞳と出会う。大きな口、低い声、今にも泣き出しそうな表情、以前会ったことがあると思った。そうよ、あなたに会うためにこうしてファドを歌い続けているの。きっといつか、あなたが現れる、そう思って歌い続けてきたのよ。彼女がさらに泣きそうなになり、身体から声を絞り上げる。
ファドは運命という意味のようだ。悲しい恋の歌が多い。もう限界だ。腰が痛い。グーンと背筋を伸ばし、作業を終る。同時に現実の時間となった。