クラス会に来なかった友だちに、クラス会誌を郵送したが、昨日、「ありがとうね」と電話が入った。誰が不参加だったのか、どうして来なかったのか、来なかった友だちの家には行ったのか、彼女は矢継ぎ早に聞いてくる。不参加でもその理由を返信ハガキに書いてきた人もいるから、知る限りのことは伝えたけれど、来なかった友だちの家を訪ねることまで思い付かなかった。さらに彼女は、「クラス会誌はあなたが作ったの?」と聞くから、「ウン、ボロボロになっていたから印刷屋に頼んで作ってもらった」と答えると、「印刷屋に頼んだの?お金かかるじゃーない」と言う。
私が復刻版を手作りしたと思っていたようだ。「いくらかかったの?」と聞くから、「1冊1千円というところかな」と答えると、「高いね!」と言う。「懇意にしている印刷屋だから安くやってくれたんだけど」と私。「お金持ちだね」とまで言うから、「別に金持ちじゃーないけど、みんなが喜んでくれたからいいさ」と煩わしくなって答える。「ふーん、変わらんねえ」と彼女。「3千円カンパしてくれた友だちもいるよ」とは言えなかった。「変わらん」とは昔からそうだという意味なのだろうが、そんなにお人好しでもない。
だって、クラス会誌の復刻版を作ろうとは思ったけれど、クラス会に来なかった友だちを家に訪ねようとは考えなかった。私は自分本位のおせっかいなだけだ。ビックリするような話を聞いた。嫁の靴を隠してしまう義父がいるという。昔からちょっと寂しがり屋で、周りから持ち上げられることを求めた人だという。話題の中心にいないと気に食わないようで、大声で怒り出すこともあるという。それにしても、嫁の靴を隠すのはどうしてなのだろう。靴は女性を表すという心理学者もいるから、そうなると難しいことになる。
人は老いれば老いるほど、素直な人になるように思っていたけれど、ますます自分本位の頑固者になっていくようだ。どうしたら、仏様のように安らかな人間になれるのだろう。