大学で教えている先輩から時々電話が入る。彼が集めたコレクションは膨大で、確かに歴史を語るものとして価値があり、何らかの形で残すことは意味があると思う。彼は集めたコレクションを展示する博物館をつくりたいという。私は賛成した。彼から学芸員の資格を取って欲しいと言われ、通信教育を受けた。勉強を始めて気が付いた。ちょっとやそっとでは単位は取れない。猛烈に勉強しなければムリだ。ところが、義理で始めたからやり切るだけの情熱がない。
1年、2年と続けて、とうとう3年目で諦めた。よく考えてみれば、そもそも私には彼が集めたコレクションに大して興味を抱いていない。見た限りでは大いに価値があるだろう、けれどもそれを私が学芸員となって守り続けていきたいというパトスも使命感もない。歴史的な価値を認めるも、誰もがそうであろう域から出るものでもない。「私ではムリです」と断っているが、なかなか通じなくて困っている。
彼は私よりも先輩だから、もうそんなに悠長に構えていられないはずだが、もう10年近くも開所する場所を探している。「先は長くありませんよ」と言っても通じない。今日はよい天気だったから、ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替えをしていた。ところが午前10時を過ぎた頃から、風が強く吹くようになり、作業は続けられなくなった。急いで後片付けをしながら、フト、こんなことをいつまでやっているのだろうと思った。春にチューリップが咲き揃うのを楽しむ。そのために何も考えずに続けてきたけれど、いったい何の意味があるのだろう。
先日、古い井戸に手押しポンプを取り付けて欲しいと言われて、武豊の現場まで見に行った。どのように設置するか、いろいろ図面を描いていた時、フト、いつまで続けるのだろうと思った。私と先輩たち3人しかいなくて、何ができるのだろう。私は左親指の付け根が痛むし、先輩のふたりも身体のあちこちが痛むと言う。残るもうひとりはまだ働いているから土日しか動けない。いろんなことが限界になってきている。手を広げずに、できるだけ整理していこうと思う。