友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男女共同参画運動がめざすもの

2014年11月04日 18時07分21秒 | Weblog

 当市と小牧市の男女共同参画連絡会の交流会があった。メンバーになっているのに不参加はよくない、生真面目な私は腰が引けている友だちを誘って参加した。彼女は民間会社で働いてきたバリバリのキャリアウーマンだったから、地域や行政について疎い部分もあり、現実を知ってもらうつもりもあった。私と彼女との付き合いはもう35年くらいになる。私が社会に向けて何か働きかける時、いつも右腕になって助けてもらってきた同士のような存在だ。考え方も似ていて、気心もツーカーと通じ合う。

 小牧市からは12団体が、当市からは8団体が参加し、それぞれのグループの自己紹介などが行なわれた。小牧市からの団体には2人の男性がいたが、ふたりとも男性の料理教室のメンバーだった。当市からの参加した男性は私だけだったので、食事会では何となく男3人が集まる形になった。私はインターネットで偶然見つけた「こまき無答塾ブログ」について聞いてみた。やはり有名人のようで、「行政に物申す人だと思います」と答えが返ってきた。

 私に話しかけてきた女性にも聞いてみたけれど、同じような答えだった。ブログを読む限りではとてもいろんなことをよく知っている知性派である。議会などの傍聴にも行っているから、行政には煙たい存在だろう。けれど、ブログで指摘していることは正当だと思う。桃花台に住んでみえて地域の活動もされているようだから、単なる「イチャモン屋」ではないようだ。小牧市に優れた人物が多いのは、やはり全国から多くの人がやって来たからだろう。家庭と職場を往復するだけで、地域に関心のなかった人たちがやっと自治体を見るようになったのだ。

 男女共同参画というと、どうして女性の団体が多いのかも不思議だ。それにやっていることも似ていて、年に1回はお祭りをしている。これは「男女共同参画という文字を見るだけでイヤという人が多い」ので、フェスティバルなら見に来てくれるという発想のようだ。「行政と一体となって」進めるという手法とも関係している。本来なら、「男女平等の社会なのに、これはおかしいよ」という事例を見つけ、行政に直させる活動が中心となるはずだ。

 男女共同参画運動がめざすものは、社会的な制度や仕組みを変えていくことで、フェスティバルが目的ではないように思うのだが、それを言うと、「まず集まって、仲間になろうから始めないと出来ませんよ」と連絡会のトップは言うだろう。待つことも大事だとは思うけれど、本末転倒のことをしていないかと危惧してしまう。

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