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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

能の楽しみ

2012年12月15日 18時39分15秒 | Weblog

 能を直に見たのは教師になってからだった。できたばかりの体育館で、生徒に能を見せようという提案があった。工業高校だったから、「生徒が黙って見ているはずがない」と否定的な先生もいた。そこで、先生たちは生徒の席の後に立ち、騒ぐ生徒がいたら注意するようにということになった。ところが能が始まると、がやがやしていた生徒たちがシーンとなった。生徒の顔を見ると、皆、舞台に吸い寄せられている。本物とはかくも違うものかと思い知らされた。

 「がさつな連中には分かるはずがない」と見縊ってはいけない。面白いものは誰が見ても面白いのだ。能の動きは象徴的で、言葉はさらに分かりづらい。にもかかわらず、舞台に吸い寄せられるのは動作の1つひとつに見る者を魅了するものがあるということだろう。もともと能や狂言は、「舞楽や雅楽とともに伝来していた中国の唐時代の雑芸である散楽に由来する」と、今日の大和塾市民講座「能の楽しみ」の講師は説明する。

 平安時代には、神社や寺院で神事や仏事の余興として演じる集団が存在したと「差別の歴史」で学んだ記憶がある。能や狂言が完成していく室町時代末期は、俗に言う戦国時代で、NHKの大河ドラマ「平清盛」の時代から長く戦争が続いた。能の演目に「平家物語」が多いのは、死者を供養する意味があるかもという講師の説は納得できる。そしてまた、底に流れる思いは無常観なのだろう。

 無常観は仏教の教えと中国の思想との相乗の結果として生まれたと思う。これに日本人の自然観とが絡み合って、人はどのような存在なのか、人の世とはどのようなものなのか、と独特の哲学を作り出した。能や狂言は、こうした日本人の感覚に根ざして、「盛者必衰」を演じたのではないだろうか。庶民は強い者が痛めつけられる姿に喜び、為政者は身を引き締めたことだろう。

 能や狂言そして歌舞伎や相撲も、近頃は入場料がべらぼうに高い。庶民の娯楽であったものを、伝承文化と持ち上げ、いかにも高貴なものにしてしまった。これでは庶民は見ることも出来ず、結局は能や狂言や歌舞伎や相撲はすたれていくほかない。思えば、日本的なものはどんどんなくなっていくように思う。自民党の安倍総裁や維新の会の石原代表が、美しい国とか日本人の伝統とか言うその中身も全く日本的ではない、そんな気がしてならない。

 明日は総選挙の投票日、これからの日本はどうなっていくのかが分かるはずだ。何となく、重い気分になっているのは私だけなのだろうか。

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母と娘

2012年12月14日 18時25分13秒 | Weblog

 長女が我が家に来て、年末年始の計画をカミさんと打ち合わせていた。久し振りに母と娘がゆっくりと話し合う姿を見て、やっぱり娘たちの時代になったと思った。以前ならカミさんが圧倒的に主導権を握っていたのに、明らかに長女の方がリードしている。それはよい傾向だと思う。娘たちが子どもの頃は、働くお母さんであったカミさんは強い力で子どもたちを支配していた。

 多分、本人はそのつもりではなく、あくまでも子どもたちのためにと思って注意したり要求したりしていたのだが、私はもっと自主性に任せてもいいのではないかと思っていたので、つい、間に入って「そんなに言わなくてもいいじゃないか」と言ってしまう。「そういうあなたの態度が子どもたちに悪影響を与えているのよ。両親の意見が違っては、子供はよくならない」と、今度は私が叱られることになった。

 子どもたちは伸び伸びといい子に育った。「人には優しく、自分には厳しく」と私はいつも言い聞かせたが、その通りの大人になってくれた。長女とカミさんは、高校生の頃まではよく対立していたけれど、今では長女の言うことをカミさんの方が受け入れている。母から娘へ、こんな風に関係は変わっていくのだろう。父親はどうなのだろう。私は自分の父やカミさんの父を見てきて、男は心の伝え方が下手なのかも知れないなと思う。

 カミさんのお父さんは自分の息子にはなかなか話せないのか、あるいはもう話してきたからか、私に子どもの頃からの「お父ちゃんの物語」を聞かせてくれた。あくまでも自分の半生を語るのであって、私にああせよこうせよということはなかった。けれども聞いていると、何を大事に思っているか、価値観や人生観は何となく分かる。私の思想や心情とは相容れなくても、お父さんの気持ちは理解できた。

 母と娘は、女という同種の何かが作用するのだろうか。近頃のカミさんは、長女や次女とはたまた高3の孫娘ともよく電話で話している。男の私としては、仲間はずれという気持ちよりも、逆に、女たちが仲良いことが気持ちよい。男は、男だからという共通性はないし、阿吽の呼吸もない気がする。女同士は助け合って暮らすように出来ているのに、男同士は戦い合うように出来ているのだろうか。そういえば、私の目標は父を乗り越えることだった。出来たのかなあー?

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北朝鮮のミサイルと角田容疑者の自殺

2012年12月13日 19時03分45秒 | Weblog

 北朝鮮が昨日、ミサイルを発射した。それまで国民には一切知らせていなかったのに、成功を伝えるニュースが流されたそうだ。その時のテレビだろうと思われる画面には、「決めたことは必ずやり遂げる」という勇ましい歌が流されていた。歌詞をしっかり覚えていないけれど、なぜか、まるで「維新の会」のようだと感じた。金正恩第1書記の顔が橋下徹さんとダブって見えた。

 金正恩第1書記は橋下さんほど演説はうまくないだろうけれど、ヤンチャ坊主の雰囲気はある。アメリカが自由と平等を愛する国なら、なぜ他の国のミサイル打ち上げに反対するのか。なぜミサイルを持ってよい国ともってはならない国とがあるのか、これは不平等ではないか。そんなことを言いそうである。ミサイルを持っている国は、いつでもあなたの国に打ち込むぞと相手を脅すことが出来る。石原慎太郎さんや安倍晋三さんの言う「強い国」とは、「いつでもどことでも戦争できる国」ということなのだろう。

 北朝鮮のミサイル技術は、アメリカの主要都市を攻撃できるほど進んだことが明らかになった。これは世界の頂点に立つアメリカとしては脅威だろう。世界中の大国が、お互いの国をミサイル攻撃できる軍事力を備えれば、一発触発で地球そのものの終焉を迎えることになる。核兵器の廃絶が進まないのなら、あらゆる国が核兵器を所持し、互いがにらみ合う人類の危機へ向かうことになるのだろう。

 そして昨日は、尼崎事件の黒幕と言われていた角田美代子容疑者が、県警本部の留置場で自ら首を絞めて自殺した。北朝鮮のミサイル発射と角田容疑者の自殺は全く関係のないことなのに、私には妙味につながって見えた。この2つをつなぐ間にはなぜだか橋下さんが存在する。「決めたことは必ずやり遂げる」強さが持つ恐怖、そして追い詰められた角田容疑者が事件の全貌を語る前に、自らの死を持って闇に葬ろうとする次なる恐怖、なぜなのか分からないけれど、連鎖していくように思った。

 憎しみもない、苦しみもない、病気も災害もない、そんな世界が実現するとは思わないけれど、より平和で穏やかな社会を目指すことは出来るだろう。作り上げた富を分かち合えば、少なくとも貧困を避けることも出来るだろう。「決めたことは必ずやり遂げる」努力を否定することはないけれど、何を決めるかが重大だと思う。そして努力をすることは、強制ではなく、心から参加できるものでなくてはならないはずだ。

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時代に取り残される

2012年12月12日 18時05分26秒 | Weblog

 朝、食事をしながらテレビの政見放送を見ていたが、やはり「維新の会」は元気がいい。やる気に満ちている。橋下さんは持って生まれた才能だろうけれど、演説は抜群にうまい。彼を首相にと思う人が出てきても当然だなと思った。演説は歯切れがいいから、聞きやすい。小さな1つひとつはもっともだと思うものもある。けれども、私は彼のような合理主義者にはなれない。彼のように冷徹な判断が受け入れられない。

 私の基準は、原発をなくすこと、憲法を守ること、弱い立場の人に優しいことの3点である。美容院の若い男の子が心配したように、自民党や維新の会が躍進すれば、軍備力の強化や憲法を変えることになるのかも知れない。「戦争は二度とごめんだ」を知っている世代や、私たちのようにそう聞かされてきた世代が高齢となり、子どもの頃から恵まれた生活を送ってきた新しい世代が社会の中心になり、この世代がどう判断するかである。

 私は家を出る時に、携帯電話を忘れてしまったことがある。それで、アレッと気が付いた時は万事休すで、相手に電話することも出来ず、どうしようかと焦った。とにかく30分は待とう。昔、デートの時は30分でも1時間でも待ったはずだ。そのくらいの辛抱が出来なければ大人じゃーないと決めて待った。やはりその判断は正しく、神様はちゃんと見ていてくれた。そんなことがあったけれど、昔の人は携帯電話など持っていなかったから、連絡の取りようもない訳で、こんな時はどうしていたのだろう。

 世の中はとても便利になった。どこにいても、たとえば海外にいても即座に連絡できる。来年1月12日(土)に行なう大和塾の市民講座の講師は、世界的な天文学者の福井康雄教授である。そのチラシの原稿を直していただいているけれど、パソコンを使えば教授がどこにいても見て修正していただくことが出来る。ところが残念ながら私は、パソコンで文章はかけるけれど、それを何かに転換したり、ポスターやチラシのような画面にして送るという作法が出来ない。

 「画面を添付して送ったけれど、メールボックスが一杯で受け取ってもらえない。メールボックスを整理して」と先日も言われた。メールボックスを整理したのにまだダメだ。「それはメールボックスの容量が小さいからもっと大きいものに契約しなさい」と言う。ところが、どこへどのようにしたらよいのか、分からない。パソコンに精通していないと、ホントに時代に取り残されそうな気がする。

 橋下さんが「このままでは置いていかれますよ」と叫んでいたけれど、諸外国に遅れをとると何がいけないのだろうとまた考えてしまった。

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運がいいとか悪いとか

2012年12月11日 18時00分12秒 | Weblog

 「運がいいとか 悪いとか 人は時々口にするけど そういうことって 確かにあるとあなたを見ててそう思う」。これは私が好きな歌、さだまさしの『無縁坂』の一節である。私の母は、私が高校1年の時に、胃ガンで亡くなった。病室から霊安室に移動する時だと思うけれど、私はベッドの母を抱き上げて、ストレッチャーに乗せた。母は文字通り骨と皮だけになっていて、余りの軽さにビックリした。その時まで、まったく泣くことはなかったのに、母がいなくなった病室にひとり残り、母が寝ていた空っぽの白いベッドを見たら、どういうわけか涙が流れ、声を上げて泣いてしまった。

 母はよく「運が悪かった」と言っていたような気がする。根は先天的な楽天家で、恥ずかしいくらい大声で笑う人だった。涙もろく、すぐ同情した。お金が無いと言っていたのに、見知らぬ物乞いの話を聞いているうちに、涙を流して「頑張ってね」とお金を渡していた。私や2つ下の妹にはとても優しかったけれど、14歳年上の姉は「とっても厳しかった」と言う。姉や兄には期待するものが大きかったのかも知れないし、やはり戦争に負けて、考え方が変わったのかも知れない。

 友人から、「お前はいいよな。オヤジさんもオフクロさんも先生で、教えてもらえてさ」とよく言われたが、父や母から勉強を教えてもらったことはない。また母からも父からも「勉強しなさい」と言われたこともなかった。母が私によく言ったことは、「ジェントルマンになりなさい」だった。「女性に重い物を持たせたらダメ」とか、「ドアはあなたが開けるのよ」といった西洋の作法を身につけなさいということだったが、「優しい男」こそがこれからの日本人だという気持ちがあったのかも知れない。

 母が「運が悪かった」と思っていたとしたら、一体なぜそう思ったのかと考える時がある。母は同じ代用教員の2つ年下の父と結婚した。父は小説家を夢見ていたようで、そのための学費も母が工面したのだと姉は言っていた。父は島崎藤村似の風貌で、姉の言葉では「役者のような面長で色白のいい男だった」。母の方が父を好きになり、愛し尽くしたのだろう。材木屋の跡継ぎに生まれながら、家を飛び出して年上の女に子どもを孕ませ、無理やり結婚を認めることになったのだから、祖父は父と母を嫌っていた。

 母の日々は息苦しいことばかりが続き、とても幸せだったとは思えない。父と母の間は、「いつもお金のことで言い争っていた」と姉は言うが、私はそれを知らない。むしろ父と母と私と妹の4人で、犬山や伊勢にも行った。その話をすると姉は「私たちの時は一度もなかったのにね」と言う。母の実家にも4人でよく出かけた。そんな時の父はいっそう無口で、静かに物思いにふけっていたような気がする。

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「悩みのるつぼ」

2012年12月10日 18時15分20秒 | Weblog

 朝起きたら辺り一面真っ白だった。東の空は朝焼けで赤くなっていたが、まもなく雪がちらついてきた。こりゃーダメだ。今日は井戸掘りが出来ない。神様に頼んでおいたのに無情だなと思ったが、いや神様はいつも正しいのだから、今日の井戸掘りは中止した方が良いということだろうと解釈した。こういう私の前向きな解釈を、人は「本当に身勝手」と言う。

 土曜日の朝日新聞「悩みのるつぼ」に、中学生の男の子が「性欲が強すぎて困る」と相談していた。近頃の中学生はこんなに早熟なのかと思ったが、カミさんは笑い声を上げてその記事を読んでいた。そんな記事に関心があると思われることは癪だったので、私は知らない振りをして、「何が面白いの?」と聞いた。

 「熟女を探しなさいだって。ただし避妊具を忘れないでって、上野さんらしい回答ね」と、笑えたと言うのだ。確かに回答は上野さんらしい。私は山田詠美さんの小説『ぼくは勉強が出来ない』を思い出した。この小説の主人公は17歳の高校生で、彼は上野さんの回答どおり、年上の女性と付き合っている。

 それで自分の高校時代を思い出して、やっぱり今の子どもは「オマセ」だなと思う。私も中学・高校と好きな女の子はいた。中学の時は友人らとエロ本の回し読みもした。『完全なる結婚』も読んで学習できていた。しかし、好きな女の子とセックスしたいとは全く思わなかった。恋の先にあるものと思っていた。

 高校生の時はちょっと悩んだ。好きな女の子とセックスしたいとは思わなかったのに、年上の女体と交わりたいと思うようになった。清純な恋愛に憧れる一方で、肉体の交わりを求めている。矛盾と分裂に悩んだ。私は中学からキリスト教の教会に通い、高校生の頃は牧師が言うように伝道者になろうかとさえ思っていた。そんな自分の中に、年上の女体と交わりたいという欲望があり、否定できない。信仰が足りないのか、それが人間の自然の姿なのか、と悩んだ。

 ベトナム戦争でアメリカ軍が枯葉剤を大量に撒き散らしていた。私は牧師に「なぜ、神はこのような暴挙を許すのか」と問うた。神を全面的に信頼しない自分には伝道者になる資格がない。そう思った。山田さんの小説の主人公は高校時代の私に似ているが、はるかに私よりも人生とは何かに到達している。人と人との関係をよく見ている。私が彼より勝っている点があるとすれば、彼のように達観していなかったことだろう。何でも出来ると夢見ていたから。

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雪雲が近づいて来ている

2012年12月09日 17時12分34秒 | Weblog

 今晩はこの地方でも雪が降るらしい。私の部屋からは真横に伊吹山が、その右手の奥の方には白山連峰が見えるのだが、今日は全く見えない。午後4時を過ぎた頃からは、黒い雲が強い風に乗ってこちらに押し寄せて来ている。嫌だなー、明日は井戸掘りなのに。寒い時が苦手な高齢者集団なのでいつもなら、この辺りから2月末までは活動を休むのに、どうしても年内に掘って欲しいと言われている。「施主さんの要望に応えることが大事」となった以上、頑張らなくてはならないだろう。

 今年の冬は寒さが厳しいようだ。先日は滋賀県の余呉でも大雪になったとニュースで報じていた。白山連峰の麓に当たるこの地域は、昔からの豪雪地帯である。まだ、子どもたちが小さな時だったけれど、私は大雪を見せてやりたくて、余呉湖にあった民宿を予約して年末に出かけたことがある。

 名神高速は通れたけれど、国道8号線に出ると既に雪が積もっていた。チェーンを装着しなければ通行できない。私は車を道路脇に止めて、雪の中でチェーンを巻いた。子どもたちは車の中から私が雪の中で必死になっている姿を不思議そうに見ていた。

 やっと宿に着いたけれど、辺りはもう真っ白で何も見えない。せっかく雪だるま作りか、雪合戦でもと思っていたけれど、吹雪いていてそれどころではなかった。「寒いからお部屋に入ろう」とばかり言う。民宿のお風呂に子どもたちと入ったけれど、昔風の薄明かりで、ホテルや大浴場には慣れている子どもたちには不評だった。

 翌朝、目が覚めるとどこも雪、雪、雪の世界だった。子どもが「ぱぱ、車がないよ」と言う。雪に埋もれてどこにあるのか、見分けがつかないほどの大雪になっていた。雪を掻き出して車を動かすまで随分時間がかかったように思う。

 何年か前に、夏であったが、余呉湖に行ってみた。売店の人に雪のことを尋ねると、「最近は大雪になったことがないね」と言う。なんだかちょっと寂しい気がした。その売店には、大雪の時の余呉湖の写真が何枚も飾ってあったのに。けれども今年は大雪に見舞われてきっと大変な思いをしているだろう。

 雪深い風景を子どもたちに見せてやろうなどという人はいないのだろうか。子どもたちに余呉湖の話を聞いても何も覚えていない。いよいよ黒い雪雲がせり出してきた。寒い。明日は井戸掘りが出来るだろうか。神様、どうか明日は井戸掘りをさせてください。

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ささやかな贅沢が楽しめる社会に

2012年12月08日 19時08分47秒 | Weblog

 寒い。冷たい風が吹き荒れている。午前中、残っている鉢の土の入れ替えをしたが、午前11時を過ぎた頃から風が強くなり、つむじ風となって巻き上がるので、砂が目に入って痛い。どこかで消防車のサイレンの音がけたたましく鳴り続いている。救急車やパトカーの音もうるさいほどに響いている。西の空を見ると煙が上がっている。どこかで火事だろうか。10台くらいの消防車、救急車、パトカーが取り囲んでいるのが見えた。この強風だ、火事が大きくならなければ良いが、そう思いながら、もう限界だからと早めに作業を終えるため黙々と手を動かす。

 街宣車は相変わらずスローガンを並べ立てていく。「維新の会」の街宣車が「戦後67年、この国の制度を変えなければなりません。諸外国にどんどんと引き離されていきます。皆さんの力でこの国を作り変えましょう」と叫んでいた。何が悪かったの、どこをどう変えるの、さっぱり分からないけれど、変えなくてはいけないという決意だけはある。美容院で働いている若者がこんなことを言っていた。「今度の選挙は怖いですよね。もし間違って投票したら、戦争に行かされることになるもの」。

 自民党は景気を良くすると言うけれど、憲法を変えて国防軍を置くとも言う。「維新の会」の石原さんも「核保有こそが強い外交の礎」と言う。戦争に行くことのない世代が、盛んに「強い国」を強調するが、戦争に行くことになる若い世代は冷静に見ているようだ。私には政治で経済を上向かせることが信じられない。戦争でもすれば、戦争はもっとも大きな消費だから、確かに経済は上向くだろうけれど、それでは多くの人が死ぬことになる。自分は死なない位置にある人はいいけれど、殺される人はやりきれない。

 強い国じゃーなくてもいいじゃーないか、景気が悪くてもそこそこに暮らしていければいいじゃーないか、そんなことを言うと、敗北主義だと批判されそうだ。でも、強い国とはどういう国なのか、景気を良くするために何をするのか、そこが私には見えない。どこかの国が良くなるためにはどこかの国が嫌な目に合わなくてはならないのなら、誰かの取り分が多くなるために誰かの取り分を少なくしなければならないのなら、それは人類が目指す幸せとは違うと思う。

 寒さの中でイリミネーションに歓喜したり、暖かな部屋でワインを飲んだり、そんなささやかな贅沢も楽しむべきではないなどと私は思わない。むしろそうした個人の小さな幸せを誰もが得られる社会にしたいと思う。

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忘年会

2012年12月07日 18時05分03秒 | Weblog

 井戸掘り仲間の忘年会は、「楽しくやりましょう」とは逆に激論の場になってしまった。それだけ、みんなの中に鬱積したものがあったということだ。日頃は馬鹿なことばかり言って、「皆さんは本当に仲がよいのですね」と羨ましがられていたけれど、そんな私たちの仲間でも気に入らないことがあり、それが酒の席だけについ爆発してしまったのだ。

 酒を飲んだ時こそ、不満や批判はしない方がいい。言うなら素面の時に堂々とやりあうべきだろう。けれども素面の時では言いにくいという人もいるし、激論になることも、それで本音が出せるなら良いのかも知れない。不満があるのに、これを口に出さずに仕舞い込んでいれば、かえって溝を深くしてしまうことになるかも知れない。

 日頃は矢面に立たされることは少ない私だったけれど、昨夜は面と向かって2点を批判された。「いやー、そうだね」と聞き流しておけばよかったのに、つい弁解と反論をしてしまった。1点は今度の井戸掘りは孫請けの仕事で、元請けはまだ20代の監督であった。井戸を掘る際に隣りの家に挨拶に行っていないと仲間は言う。「若いから、そこまで気が回らないのだろう」と言うと、「だったら、アンタが言ってくればいい」と言うので、「それは逆に彼らのプライドを傷つけることになる」と自己弁護してしまった。

 2点目は、次の井戸掘りの場所について、狭い場所でしかも限られているから、「やってダメなら、すぐにやめよう」と私が発言したことは、「金儲け主義で無責任だ」と言う。「ご近所のためにという井戸を、狭いからとか決まった場所だからとか、アンタの都合で決めてもいいのか。そこがダメなら次の場所を探してでもやるのが誠意だろう」ともっともなことを言われる。「寒い時だから、掘れなかったらやめよまい」と皆さん言っていたのに、どうして私が悪者にされなくてはならないのと合点がいかない。

 仲間のみんなのためにと思ってきたことでも、やはり思いがずれるところがあるようだ。「もうええ、もうええ。適当でええ」「金にもならんのに、そうやることは無い」と言っていた人が急に、「施主さんの要望に応えることが第一だ」と言い出すとは思わなかった。自分の経験から、それを押し付けられても困ることもある。個性豊かな人々だけに本音でぶつかってしまうと空中分解しそうだった。これからはもっと難しくなりそうだ。

 先ほど地震があって、この部屋も大きく長く揺れた。震源地は東北だという。3.11と同じようにこの地方でも揺れるのはなぜなのだろう。

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「こんな怖い選挙はない」

2012年12月06日 17時29分52秒 | Weblog

 昨日の中日新聞に、社会部長の名前で「こんなに怖い選挙はない」という見出しの記事が載っていた。社説とか論説委員とかの形ではなく、社会部長名というのも何かを考えさせられる。記事そのものはとても感銘を受けた。

 記事の内容は、比例で自民党に入れるとした人の3割弱が、憲法9条の改定には反対だと答え、実に半数近くが、将来的な原発ゼロを求めている。自民党は9条を変える、と宣言している。そして原発は維持する立場だ。だから矛盾しているのだが、なぜそうなるのだろうというのが社会部長の視点である。

 理由は、9条や原発以外に自民党を選ぶ決め手の公約がある、自民党の主張をよく「咀嚼せず」(吟味しないで)、「何となく」決めている、この2つである。9条は先の大戦で途方もない犠牲を払って得た教訓で、それを変えるのはとてつもなく重大なことだ。さらに、原発事故では夥しい数の人が故郷を奪われた、そして二度と人の住めない土地にした。この失敗や悲劇から学ばなくてはならないと言うのだ。

 景気が良くなるとか、何となくだけで、選ぶならばこれほど「怖い選挙はない」と言うのである。にもかかわらず、今朝の新聞を見ると、どの新聞も自民党が単独で過半数を制する勢いであると報じている。そうすることで、これではイカンと自民党以外の政党へ支持を変える人はいるのだろうか。

 私の直感では、やはり自民党が第1党で、次に民主と未来が競り合い、3番目に維新の会になるような気がする。橋下・石原さんの維新の会は、当初は2番手くらいの勢いだったけれど、石原さんをトップに据えたことで大きく後退したような気がする。私の周りのジジ・ババは、石原さんの強硬路線が好きな人が多いけれど、橋下ファンの若者は、「あんなジジイと組んではダメだ」と悲観している。

 おっと、今日は井戸掘り仲間との忘年会である。それでは今日はここまで。

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