友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

忘年会

2012年12月07日 18時05分03秒 | Weblog

 井戸掘り仲間の忘年会は、「楽しくやりましょう」とは逆に激論の場になってしまった。それだけ、みんなの中に鬱積したものがあったということだ。日頃は馬鹿なことばかり言って、「皆さんは本当に仲がよいのですね」と羨ましがられていたけれど、そんな私たちの仲間でも気に入らないことがあり、それが酒の席だけについ爆発してしまったのだ。

 酒を飲んだ時こそ、不満や批判はしない方がいい。言うなら素面の時に堂々とやりあうべきだろう。けれども素面の時では言いにくいという人もいるし、激論になることも、それで本音が出せるなら良いのかも知れない。不満があるのに、これを口に出さずに仕舞い込んでいれば、かえって溝を深くしてしまうことになるかも知れない。

 日頃は矢面に立たされることは少ない私だったけれど、昨夜は面と向かって2点を批判された。「いやー、そうだね」と聞き流しておけばよかったのに、つい弁解と反論をしてしまった。1点は今度の井戸掘りは孫請けの仕事で、元請けはまだ20代の監督であった。井戸を掘る際に隣りの家に挨拶に行っていないと仲間は言う。「若いから、そこまで気が回らないのだろう」と言うと、「だったら、アンタが言ってくればいい」と言うので、「それは逆に彼らのプライドを傷つけることになる」と自己弁護してしまった。

 2点目は、次の井戸掘りの場所について、狭い場所でしかも限られているから、「やってダメなら、すぐにやめよう」と私が発言したことは、「金儲け主義で無責任だ」と言う。「ご近所のためにという井戸を、狭いからとか決まった場所だからとか、アンタの都合で決めてもいいのか。そこがダメなら次の場所を探してでもやるのが誠意だろう」ともっともなことを言われる。「寒い時だから、掘れなかったらやめよまい」と皆さん言っていたのに、どうして私が悪者にされなくてはならないのと合点がいかない。

 仲間のみんなのためにと思ってきたことでも、やはり思いがずれるところがあるようだ。「もうええ、もうええ。適当でええ」「金にもならんのに、そうやることは無い」と言っていた人が急に、「施主さんの要望に応えることが第一だ」と言い出すとは思わなかった。自分の経験から、それを押し付けられても困ることもある。個性豊かな人々だけに本音でぶつかってしまうと空中分解しそうだった。これからはもっと難しくなりそうだ。

 先ほど地震があって、この部屋も大きく長く揺れた。震源地は東北だという。3.11と同じようにこの地方でも揺れるのはなぜなのだろう。

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