友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ささやかな贅沢が楽しめる社会に

2012年12月08日 19時08分47秒 | Weblog

 寒い。冷たい風が吹き荒れている。午前中、残っている鉢の土の入れ替えをしたが、午前11時を過ぎた頃から風が強くなり、つむじ風となって巻き上がるので、砂が目に入って痛い。どこかで消防車のサイレンの音がけたたましく鳴り続いている。救急車やパトカーの音もうるさいほどに響いている。西の空を見ると煙が上がっている。どこかで火事だろうか。10台くらいの消防車、救急車、パトカーが取り囲んでいるのが見えた。この強風だ、火事が大きくならなければ良いが、そう思いながら、もう限界だからと早めに作業を終えるため黙々と手を動かす。

 街宣車は相変わらずスローガンを並べ立てていく。「維新の会」の街宣車が「戦後67年、この国の制度を変えなければなりません。諸外国にどんどんと引き離されていきます。皆さんの力でこの国を作り変えましょう」と叫んでいた。何が悪かったの、どこをどう変えるの、さっぱり分からないけれど、変えなくてはいけないという決意だけはある。美容院で働いている若者がこんなことを言っていた。「今度の選挙は怖いですよね。もし間違って投票したら、戦争に行かされることになるもの」。

 自民党は景気を良くすると言うけれど、憲法を変えて国防軍を置くとも言う。「維新の会」の石原さんも「核保有こそが強い外交の礎」と言う。戦争に行くことのない世代が、盛んに「強い国」を強調するが、戦争に行くことになる若い世代は冷静に見ているようだ。私には政治で経済を上向かせることが信じられない。戦争でもすれば、戦争はもっとも大きな消費だから、確かに経済は上向くだろうけれど、それでは多くの人が死ぬことになる。自分は死なない位置にある人はいいけれど、殺される人はやりきれない。

 強い国じゃーなくてもいいじゃーないか、景気が悪くてもそこそこに暮らしていければいいじゃーないか、そんなことを言うと、敗北主義だと批判されそうだ。でも、強い国とはどういう国なのか、景気を良くするために何をするのか、そこが私には見えない。どこかの国が良くなるためにはどこかの国が嫌な目に合わなくてはならないのなら、誰かの取り分が多くなるために誰かの取り分を少なくしなければならないのなら、それは人類が目指す幸せとは違うと思う。

 寒さの中でイリミネーションに歓喜したり、暖かな部屋でワインを飲んだり、そんなささやかな贅沢も楽しむべきではないなどと私は思わない。むしろそうした個人の小さな幸せを誰もが得られる社会にしたいと思う。

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