友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

それならここに残ろうと思う

2011年03月21日 20時04分20秒 | Weblog
 大和塾の市民講座『ピカソはやっぱり北名古屋人!』に参加してくれたご婦人からこんな手紙をいただいた。「久しぶりの参加です。あの方は本当に生徒さん相手の先生なのかと思うくらい軽やかな話をされました。しかも少しエッチな話も軽いタッチで話されるのでビックリしました。見た目は硬い感じでしたので、どんなピカソの話をしてくれるのかと半分身構えていた私でした。でも安心して聞くことができた講座でした。あまり参加できない私ですが、また誘っていただきたいと思います。幅広い層の方がみえるのですね。私は参加して聞くことしか出来ませんが、みんなにも声をかけて呼びかけたいと思います。ありがとうございます」。

 こんな風に言ってもらえるのはとても嬉しい。「松下村塾のような、このまちの未来をつくっていく人づくりになる塾を立ち上げたい」と頼まれて始めたけれど、そんな大きな夢の実現にはほど遠くても、参加してくださった人が元気になれる「市民講座」を続けようと思い、事務方を引き受けてきた。「どうせまた選挙にでも出るつもりだろう」とか「あいつがやるようなものには協力するな」とか、いろいろと言われていることも知っている。私は、呼びかけてくださった故人の意思を大事に思っているだけで、選挙に出る気持ちは全く無い。大和塾の市民講座も4年間続いてきて、塾生の皆さんからは「まちづくりに提言できるような活動もすべきだ」と言われている。

 私はあくまでも事務方であり、大和塾の活動の方向は塾生の皆さんの総意に従ってその段取りを行なうことだと思っている。強いリーダーのもとに進んでいくのは気持ちの高揚があってよいのかも知れない。しかし、みんなの気持ちを大事にしたいと思うけれど、強い力で引っ張っていくことは気が思い。やはり歳を取ったと思う。先頭に立って頑張ろうというパトスが無くなっているし、若い人に譲らなくてはいけないのではないかという気持ちが働いてしまう。

 今朝、テレビを見ていたら、「私たち国民は心をひとつにして、この難局を乗り越えましょう」(正確にはもっと違う表現だったかも知れません)といったキャンペーンテロップが流され、ビックリした。もちろん、みんなそんな気持ちになっている。各地で自主的に募金が集められているし、節電や倹約も積極的に取り組まれている。「私も何かしたい」と思っている人がたくさんいる。日本人の優しさと連帯感と正義感は素晴らしいと思う。

 けれど私はちょっと不安になる。「国民は心をひとつにして」と呼びかけられると、どこかで嫌だなという気持ちが生まれてしまうのだ。善意の気持ちが大きく強いほど、協力できない人を非難してしまうことになり兼ねないのではないだろうか。ボランティアに熱心な人もいるけれど、そうでない人もいる。いろんな人がいていいし、助けたい気持ちがあってもみんなと同じようにできない人だっているかも知れない。それを認める心の余裕こそが大事なのではないだろうか。

 ノアの箱舟に全員が乗れるわけではない。私が乗らなければ、誰かが乗れる。それなら私はここに残ろうと思う。
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そんなことは当たり前のこと

2011年03月20日 21時57分36秒 | Weblog
 元中日ドラゴンズの投手だった坂東英二さんはゆで卵が好きだと言う。1940年生まれだから私よりも4つ歳上である。満州で生まれ、終戦で父親の故郷へ帰って来たが、家は捕虜収容所の1室だったとか、随分苦労したようだ。私たちの時代もそうだったけれど、病気にでもならないと卵やバナナは食べられなかった。遠足があるとキャラメルだったかチョコレートだったかを持たせてもらえるのが嬉しかった。そんな話を子どもたちに聞かせても全く理解できない。何でも買える時代になったのに、今は大地震で物が買えない、これでよいと思う。

 今朝の朝日新聞を見ていたら、投書欄に「素人議員だからこそ期待」が掲載されていた。16日の同蘭に載った「素人議員は自覚と勉強を」に反論したものだが、実に的を射た文章だった。16日の投書は、「本当に素人でいいのか」という感覚で書かれていた。そして、「しっかりと勉強し、重要政策を実施してもらいたい。でないと無知と無責任が市民を不幸にする」と結論付けていた。これに対して今日の反論は、素人議員というならば反対語の玄人議員はあるのかと疑問を挙げ、1期目の議員は誰もが素人議員のはずだと言う。それが当選を重ねる度に「行政との癒着、顔つなぎ、既得権の確保など市民のための政治から離れて」いく。「自覚と勉強が必要なのは新人議員に限られたことではなく、全議員に必要なこと」と指摘する。

 私も全く同感だ。政治にプロがどうして必要なのか、そもそも政治のプロとは何を指すのか、感覚だけで出てきた言葉に過ぎないと思う。そんなことよりも、今日の投書の方が言うように「素人の市民も玄人の市民もいない」のだから、みんなで考えるというのが基本であろう。名古屋市議会は議長の選出に当たって、最大会派の減税日本から出すと会派の話し合いで決まったと新聞は書いていたけれど、やはり減税日本は河村さんの保守政党だなと思った。なぜ、議員全員の選挙で選ばなかったのか。私たち無党派市民派の議員がいる議会では選挙を行っているのが、そんなことも考えられないのであれば、「期待」できないかも知れない。

 同じ朝日新聞の隣のページに吉本隆明氏が載っていた。私たちの時代では神様のように言われていた人だ。しかし写真を見るとまるで認知症の年寄りだ。その隆明氏が「絶えずいつでも考えています」と言って話したのはレーニンとスターリンの違いで、レーニンは「共産主義の相互扶助、それが成就したら党を解散しよう」と考えていたのに、スターリンはレーニンに「おまえの妻は党の公事をないがしろにしている」と非難していると。そして隆明氏は「マルクスは肉親が死んだときの寂しさ、闘病のつらさといった切実なことは、公の利益のよさとは別のものだ」と書いていると言う。

 神様も歳を取ると普通の人と変わらなくなるのだろうか。レーニンとスターリンのどこに違いがあるというのだろう。また、マルクスは妻の付き添いの女中に子どもを孕ませたような人で、生活の意識は決して労働者ではない。マルクスの言うのは誠に当たり前のことだろう。革命のために全てを犠牲にしなさいという発想は彼にはない。マルクスはただ現実社会を分析し、次なる社会はこうなるだろうと予想して見せたに過ぎないだろう。それでもやはり、歴史が動いていることだけは確かだ。
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『ピカソはやっぱり北名古屋人!』

2011年03月19日 19時47分43秒 | Weblog
 「ピカソはどうして巨匠になれたか」と講師の山田彊一先生は話す。「ド助平であったこと。助平でない男は有名人にはなれない」と自論に熱が入る。大和塾の第20回市民講座『ピカソはやっぱり北名古屋人』はこんな話から始まった。確かにピカソが愛した女性は知られているだけでも5人はいる。70歳代でも子どもを生ませていたのではなかっただろうか。性的な力がある男は生活力というか、生きる力というか、存在力が旺盛である。性的な力は生まれながらに持っているものかと言えば、そうとも言えるしそうではないとも言える。自らが欲して培われるものであるようだ。

 ピカソは次々とたくさんの女性を愛していくけれど、そうすることでさらに自分をもっと上へと高めていく力を作り出す。山田先生の話では、ピカソは女性に振られたことがないことになっているけれど、実際は何度も呆れられて逃げられているそうだ。山田先生は「そこがピカソの凄いところで、すぐに次の女性を見つけてしまう。ピカソの下を去った女性が戻ってきた時には女性のいる場所はないので、ピカソが振ったことになってしまう。冷たい男なんですよ」と言う。会場の男たちはゲラゲラと笑ってはいるが、一生に一度の女性しか知らない人が大半だろうから、心の中では羨ましがっていたのではないだろうか。

 ピカソを有名にしたのは、『アヴィニョンの娘たち』という作品だ。5人の女性が描かれているけれど右の二人だけが顔の表情が違う。これはピカソがマチスのアトリエを訪ねた時、アフリカ人の作った人形を見て、面白いとヒントに描き直したが納得できなくて放ってあった作品であった。立体派の画家のブラックが子の作品を「素晴らしい」と言って褒めた。3次元絵画を切り開いた最初の作品といわれている。さらに有名な『ゲルニカ』は絵画で始めて反戦を描いたものだ。この作品でピカソは不動の地位を得たわけだけれど、この時も女性が大いに関係している。また母国スペインがナチスに空爆されその怒りと悲しみが、パリ万博に出品されるというタイミングも良かった。

 身長155センチのピカソは、スペインの田舎育ちで、人がビックリするような写実力があった人とは言えない。たまたま友だちに誘われてパリに出かけ、食えない画家であったのが、女性を愛することでエネルギーを蓄積していった。パリの多くの画家たちと同じように、新しい絵を見つけ出そうしていたけれど、多分それだけなら普通の画家で終わったであろう。人にはタイミングというものがあるし、タイミングを捉えるというか、自分に引き寄せる力とか努力とかが運命を切り開いていくのだろう。

 山田先生は言う。「人に見られることで人は活性化する。大勢の人に見られることはより大きな力となるが、一人だけでもいい。自分を認めてくれる人がいれば、人は元気になれる。自分がブランドになる。自分をブランドにしていく。それこそがピカソが教えてくれた生き方である」。先生の話は迫力がある。説得力がある。さすがに実年齢は70歳にありながら、アフリカでは40歳と言ってきた先生である。また惚れてしまった。
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地震の先に未来が見える、そんな気がした

2011年03月18日 19時58分02秒 | Weblog
 今日は小学校の卒業式。式典を終えた子どもたちが運動場で大きな声を上げている。お父さんやお母さんの姿もある。おじいさんやおばあさんもいるのかも知れない。お父さんは背広姿であるが、お母さんは和服の人もいれば洋服の人もいる。きっと近くで見れば華やかであろう。昔のように黒っぽいフォーマルウェアではなく、洋服も和服も色鮮やかでちょっとしたパーティーの雰囲気である。お父さんはカメラにビデオにと忙しい。いろんなグループが次々と出来て、カメラやビデオの前でいろんなポーズを取っている。

 私の娘たちの頃から、こんな風にみんなで写真を撮り合っていた気がする。豊かで幸せな時代だ。もうかなりの時間が経っているのに、子どもたちはなかなか帰ろうとしない。男の子は運動場を走り回り、女の子はあちらこちらとグループを変えて撮影に忙しい。着物姿のお母さんが子どもたちばかりかお母さんたちも呼び集めて、仕切っていた。先生もここに入ってとでも言われたのだろう、若い男の先生が呼び出されて一緒に写真を取られていた。子どもたちは色々な思い出を胸にというより、4月から始まる中学生活を考えていることだろう。

 テレビは東日本大地震の被災地での卒業式も取り上げていた。中には卒業式が延期になっているところもあるようだが、画面を見る限りではみんな真新しい洋服を着てきれいにしていた。彼らにとっては一生忘れることの出来ない卒業式だろう。被災地は大変な生活を強いられているが、子どもたちは元気だ。中学生や高校生は進んで働いている。お年寄りや小さな子の世話をしたり、掃除や食事作りや配膳など、活き活きとしている。きっと勉強している時よりも楽しいのだろう。自分が求められていることほど人は嬉しいことはない。人の役に立っている充実感を味わっていることだろう。

 そういえば、電力の節約にみんなが協力している。鉄道も間引き運転だから、会社員は仕事を早めに終えて帰宅している。自動車を止めて、自転車で通う人もいる。苦しい時なのだからみんなで分かち合おうという雰囲気が圧倒的だ。ひょっとしたら、これは人類の未来社会なのだろうかと思った。欲望を抑えなさいと言っても抑えられるものではない。消費こそが夢であり生き甲斐になっていた。それは止まらないと思っていたけれど、こうして電力が来なければ仕方がないと耐えることができる。みんなで助け合わないと生きていけない状態に置かれれば、そうすることが出来るし、助け合うことがこんなにも気持ちがいいと味合うことも出来た。

 そうか、未来社会は設計されたものではなく、そうならざるを得ないのだろう。人々はそんなに働かずに、家庭に早く帰ったり、好きなことをしたりして、仕事とは別の楽しみを見つけるのだろう。好景気ではないのかも知れないが飢えて死ぬこともなく、そこそこに暮らして、もっと大きな喜びを見出すのではないだろうか。地震の先に未来が見える、そんな気がした。
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「恥」を知らない人のようだ

2011年03月17日 18時42分10秒 | Weblog
 「小松左京の『日本沈没』そのままだ」と友だちが、東日本大震災を言う。私はSF小説を読まないので知らなかったが、確か映画にもなったので言葉だけは知っていた。千葉県沖で大地震が発生し、日本列島が沈んでいくという物語だと教えてもらう。なるほど、今回の地震は宮城県沖で発生したけれど、日本海溝では北から大きな地震が起きていて、次はエネルギーが放出されていない南だろうと学者も予想していた。一度にみんなが飲み込まれて死ぬのであればそれも仕方ないかと思う。小説ではどうなのかわからないが、旧約聖書ではノアの一族だけが神に助けられるから、きっとそういう恵まれた人々もいるだろう。

 友だちはさらに、「もちろん意識してではないが、人間は戦争を繰り返して人口調節をしてきた。今は戦争が出来るような時代ではなくなったので、エイズとか地震とか、そういうものが人口増加を抑える働きをしている」ともっともらしい理屈を展開する。まあ、そういうこともあるかも知れないけれど、やがて人間は自然災害を最小限に食い止める道を見つけるだろう。テレビを見ていたら、80歳を超えたお年寄りが「若い人が死んでいって、どうして私のような年寄りが助かってしまったのか、助かったことは嬉しいことなんだけれど、家も無く、畑も無く、帰るところも無くて、どうやって生きていくのか、生きていて本当によかったのか」と呆然とした表情で語っていたが、心中はよくわかる。

 昨日は名演で、普段は昼の部に出かけるのに、カミさんの仕事のために夜の部で観た。昼間の内にブログを書き上げておけばよかったのに、すっかり忘れていて結局間に合わなかった。やはり、私もボケているようだ。さて、昨日の出し物は劇団文化座の『てけれっつのぱ』という明治初期の小樽を舞台にしたものだった。役者さんは一生懸命で演技をしていたのに、上演時間が2時間40分もあるので何故か間が悪い。ささやかに商売をしていたのに立ち退きを求められ、挙句の果てに店に火をつけられて何もかも失ってしまう。これは偶然なのだろうけれど、それでもみんなで復興に向け力を合わせて頑張っていく最終場面は、今の時勢にピッタリだった。

 義援金集めを初め、物資を集めて被災地に送り届けたり、インターネット上に暖かな励ましの言葉を集めたホームページを作ったり、高校生や大学生は「現地へ行って何かしたい」と希望していたり、少しでも被災された人たちのためになればと節電していたり、みんな凄いじゃーないかと思う。東京都の石原知事が「天罰が降りた」というようなことを発言しているそうだけれど、亡くなった人や被害にあった人のことを思えばそんなことは決して言えることではない。人間としての感性が無くなっている。テレビで流されている金子みすずの詩を受け止めることも出来ないモンスター政治家になっている。78歳にして知事選挙へ立候補するという。日本人が大事にしてきた「恥」を知らない人だと私は思う。
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万一に備えて買占めとは情けない

2011年03月15日 19時52分50秒 | Weblog
 今日のNPO「おたすけ」の会議も東日本大震災の話題で持ちっ切りだった。災害時には井戸が役に立つという私たちの主張が現実化したからだ。「おたすけ」のホームページを見た人たちから、(今はまだないけれど)注文が殺到するのではないだろうか。こんな楽観的というか自己本位というかノー天気な仲間だから、ノー給料でも働くことが出来るのだと感心した。地震の凄さを語るとともに、避難生活の報道を見るたびに絶対に井戸が必要だと確信し、何としても井戸掘りの道具と技術を確実なものにしなければと意思統一した。

 そしてさらに、娘婿が東京電力に勤めているという仲間は「あんな説明しか出来ない会社はダメだ」と言う。娘婿がテレビカメラの前で解説していたわけではないが、「会社の体質が現れているようで情けなかった」というのである。「説明は国民向けではなく、会社の弁護に終始している」という訳だ。私もテレビを見ていて、どうしてキチンと説明できない人に解説役をさせるのかと思った。新聞記者は原稿を書くためには自分が理解できていないことは書けないから、質問するのだが、説明する役の人が答えられない場面が度々あった。

 原子力発電所の爆発事故の説明も輪番停電についても、それは知らないからなのか、知っていても何か話してはならないと思っているのか、歯切れが悪かった。するとまた物知りが「東京電力は、エリートは現場に出たことがないから、現場の様子が全くわからないのだ」と言う。「原子力発電所は高価な施設だから、安全のために全てを無くしたくない。出来ればちょっとでも施設を残しておいて、使えるようにしたかったのだろう。住民の安全などという考えは彼らには無いよ」と付け加える。おそらくそのとおりであろう。政府機関である経済産業省の原子力安全・保安院の説明は全く無駄で、東京電力からの情報を繰り返しているだけだった。何のための機関なのかと思う。

 科学の数値が問題ではなく、数値が危険を表しているのか大丈夫なのか、まず国民はそれが知りたい。東京電力はどうしても弁明に回ってしまうから、現場に第3者の研究者を入れて、避難の判断は政府が行なうべきだろう。それが国民の安全を守る方法だと思う。アメリカでは日本は地震で国の半分がつぶれ、原子力発電所の爆発で追い討ちをかけられていると報道されているそうだ。オバマ政権は原子力発電の事故とその対処に強い関心を持っているとも言う。原子力発電の安全神話はもろくも崩れたけれど、その行き先に明日のアメリカを見ているのだ。

 外国の報道では、日本人はきわめて冷静で、秩序正しく暮らしていると賞賛している。どんな事態になっても我慢強く、身勝手な行動をつつしみ、配給には列をつくり、間引きされた列車にも怒らず順序良く並ぶ。「これって、学校教育の成果だよね」と私が言うと、「日本人の気質じゃないの」と言う人もいる。「強奪も暴動もなく、整然として、たいしたものだ」と私。「いや、スーパーでは買い占められて物がなくなっている」と反論された。そうか、被災地では自分の食べ物を隣の人に分けてあげていたのに、何も心配のないこちらでは万一に備えて買占めとは情けない。
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名古屋市議選は予想通りの結果になったけれど

2011年03月14日 22時14分08秒 | Weblog
 11日に発生した「東日本大震災」をテレビも新聞も連日取り上げている。おかげで13日の名古屋市議選挙がどこかへ行ってしまった。これでは投票率は上がらないだろう。新人の当選は難しいかも知れないなと思った。河村市長を代表とする減税日本は41人が立候補し、28人が当選したが目標の過半数には届かなかった。既成政党はいずれも解散前の議席を下回った。予想通り民主党は惨敗であるが、自民と公明はやはり底力を見せ付けた。日頃の議員活動のきめ細かさの差が出たのだろう。首長と違って議員選挙は地域エゴが幅を利かせる。私たちのような無党派市民派の候補者は逆に、地域エゴに縛られない候補として受け入れられる。首長には変革を求めても、議員は地元のために働く人という意識があるのだろう。

 それでも、減税日本はよく頑張った。さすがに議会解散の署名運動が功を奏した。何しろ46万人の地域別の有権者名簿を持っているのだから、それを元にくまなく回ったのだろう。そうした草の根の票の掘り起こしをした候補は当選し、風任せの候補は落選したのだと思う。減税日本に民主党は完敗したというか、民主党の候補に票を投じた人は現状の変革に期待した人たちであるのに、期待を裏切られたと思うから今度は減税日本を選んだのだ。だから、減税日本の政策というか体質が見えてくればまた見切りをつけることになる。

 減税日本の政策は、10%減税と地域委員会しかない。これを仮に通したとして、さらに色々な課題が出てくることは確かだ。その時に、どう判断するかである。河村市長は「南京大虐殺はなかった」と発言していたけれど、そういう歴史認識でいいのかだって問われるだろう。10%減税にしても、これを永久に続ける意味はどこにあるのだろう。一律に10%減税すれば、収入が5千万円の人は500万円も戻るが、300万円の人はわずか30万円でしかないことは小学生でも計算できる。金持ち優遇の愚策と批判されても当然だろう。減税を行なうことで行革に取り組むなら、まず住民サービスを低下させないことを前提に、どのように市政を運営していくか見せるべきだろう。

 自民党は重鎮たちをほとんど当選させさらに新人も当選させている。やはり選挙のやり方を知っているし、まだ有権者は自民党離れまでは至っていないということだろう。民主党も当選回数の多い人は当選している。自民と民主と共産が減税日本に立ちふさぐ、そういう議会になるのだろう。減税日本は議会で第1党にはなったけれど、議会の運営については未経験だから、自民と民主と共産に押し切られるのではないか。すると解散前の議会とたいして変わらないことになるが、河村さんはこれをどう乗り切るつもりなのだろう。

 地震の被害は大きくて、とても立ち直りそうないけれど、それでも生きていかなくてはならないから、絶望的なのだけれど人また働き始める。凄いなと思う。
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敬語や丁寧語や謙譲語の使いすぎは聞きにくいだけ

2011年03月13日 22時02分28秒 | Weblog
 次女のダンナが手術することになったと長女から伝え聞いてビックリした。土曜日の朝、11時間かけて家にたどり着いたとダンナから電話があったので、ホッとしていたのにいったい何があったのだろう。電話がつながらないから詳しいことはわからないが、全身麻酔で行うと言うから相当な手術だ。しかも、病院は電気が通っていない。自家発電の装置はあるだろうけれど、大丈夫なのかと心配になる。だからと言って、こちらから迎えに行くことも無理だから、手術が成功してくれるようにと祈るばかりだ。今朝、次女から電話が入って聞くと、「手術は受けたけれど、全身麻酔ではなく、今病院から退院してきたところ」と言う。電気が通っていないから長話しは出来ないからと思って詳しいことは聞けなかったけれど、無事であればまずはそれでよい。

 テレビはどの局も地震の被害を取り上げている。原子力発電所の爆発も報じていたけれど、なんとなく遠慮したような扱いになっている。原子力発電が危険な存在であることを知らせたくないのだろう。それにしても、民主党は原子力発電に肯定的だったのか、いや野党時代は厳しい姿勢であったと思ったのは錯覚だったのだろうか。民主党でなくても政府として、原子炉が危険域に達した時点で住民の避難を勧告すべきだった。危機感を煽ってもし何事もなければ非難されるとでも考えたとしたら、避難勧告を早めに行なって非難された方が、被害が出てから非難されるよりは正しい責任者の立場だと思う。そうしなかったのは原子力発電に対する危険視を回避しようとする考えが強く働いている気がしてならない。

 次女夫婦はアパートへ戻ることが出来た。しかも電気は通じるようになったが、まだ水は出ない。冷蔵庫と電子レンジは無事で電源を入れたら使えるそうだ。ただ、周りのスーパーなどには物がなくて食べるものと飲むものに困っていると言う。ガソリンスタンドも閉鎖されていて、車で買出しに行って、もしガソリンがなくなったらいざという時に困るからむやみに出かけられないとも言っていた。「いいこともあるのよ」と次女は言う。「近所に井戸がある家があって、水が欲しい時は使ってくださいと知らせてくださった。飲み水ではないけれど、トイレや洗い物に助かっている。井戸って本当に大切!」と言う。私が井戸掘りをしていることを知っているから、ヨイショしてくれたのだが、そう言ってもらえると何故か嬉しい。

 大変な状況にありながら父親のやっていることを評価してくれる娘がいると思うと気分も少し癒されるが、それにしても政府関係者の会見をテレビで見ているとそのよそよそしい様にあきれてしまう。枝野官房長官はクセなのか、そういうものなのか、よくわからないが、どうしてあれほど不自然な話し方をするのだろう。変に敬語や丁寧語や謙譲語が多いのだ。「ご報告いたします」でなくても「報告します」でいいと思う。「ご発表申し上げました」ではなく「発表しました」の方がはるかに聞きやすいと思う。そういえば、国会での質問に対する答弁でも「先生のおっしゃってみえる」などというものが多いけれど、本来なら「先生」ではなく「議員」でいいし、「おっしゃってみえる」ではなく「発言された」か「言われた」でよいはずだ。もっとスッキリと発言してもいいのになあーと思った。
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やはり運命としか言いようがない

2011年03月12日 17時19分55秒 | Weblog
 電話が通じないとこんなにも不安になるものだとよくわかった。次女夫婦は茨城県に住んでいるので、地震の被害に遭っていないかとみんなが心配して電話をかけてくれた。当の本人たちは電話はおろか電気もない真っ暗な世界にいてさぞかし怖いと思いをしていたことだろう。昔のように電話がなければ連絡を取り合うこともないので、「知らせがないのはよい知らせ」と言っていればよかったけれど、昨今のようにケイタイで何でもやり取りしていると、ケイタイがつながらないと不安になる。「メールも届かないみたいで」と次女の友だちが電話をかけてきた。みんながそれぞれに安否を確認したいと思うから、電話はパニック状態にあるとテレビは伝えていた。

 昨日から、テレビはどの局も地震に関する報道ばかりだ。阪神淡路大震災の時もテレビを見てビックリしたけれど、今回の三陸沖地震も津波がこれほど大きな被害を及ぼすものとよくわかった。昔から地震・雷・火事・親父と言うけれど、地震でこれほど大きな被害になるとは思いもしなかった。台風は毎年のように襲来し、その被害が語られるけれど、地震や雷の被害はそんなに大きく語られることがなかったけれど、改めて地震の怖さを思い知らされた。地震で亡くなった人が増えている。同じ場所にいても命を失った人と助かった人とに別れる。ほんの少し、何かが違ったからだろうけれど、それはやはり運命としか言いようがない。

 人はいつでもどこでも、何が起きるか見当もつかない。最大限に努力して自分を守っている人でも、道路をきちんと歩いていたのに車がぶつかってきて亡くなることがある。本人に何の落ち度もないのに、不意の事故で命を亡くすことだってある。この世にオサラバするか否かは本人の意思とはどうも関係ないようだ。そうか、運命なのか、そう思えば誠に気楽なものだ。まだ死にたくないとか、まだ遣り残したことがあるなどと言っている友だちもいるが、そんなものは「ケセラセラ」ではないか。私自身は充分に生きてきたから、思い残すことはない。もちろん、突然の通告よりは余裕があった方がいいけれど、それも自分が言うことではないと思ってはいる。

 思い残すことは何もないと思ったが、中学時代から書いてきた日記を始末しておきたい。生きることは恥を上塗りすることだなどと見栄を張ったようなことを言ってきた。日記は日々の記録として、いつか自分を見直すこともあるだろうと残してきたけれど、これは焼き捨てた方がいい。残された者が処分に困るようなものは残すべきではない。突然に地震が襲ったように、いつ何時何があるかわからない。そう言いながら、まだ身の回りのものを片付けるのは早いだろうなどと勝手に思っている。人がいい加減なのか、いや、私自身が適当なのだろう。

 今晩は誕生日会という名の飲み会。たくさん里芋をもらったので、イカと一緒に煮た。この料理は私の祖母が作ってくれたものか、カミさんのお母さんが作ってくれたものか、思い出せないが自分で作ってみた。市販の里芋でないから大きさが不揃いになってしまったし、親イモも使ったのでちょっと色目が悪い。今晩は地震を話題に酒が進むことだろう。
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地震は止められないが貧困や虐待は止められる

2011年03月11日 19時45分16秒 | Weblog
 東北地方で今日の午後3時ごろ、かなり激しい地震があり、その後も沖合いから内陸部へと連続して発生しているようだ。昨年3月にタイのバンコクから帰国し、今は茨城県に住んでいる次女夫婦はどうしているのかと心配になった。カミさんが連絡した時はケイタイがつながったようだが、私がかけた時はつながらなかった。午後6時半頃、次女のダンナから私のケイタイに電話があり、次女と「連絡が取れないけれど、そちらには何か連絡が入っていますか」と尋ねてきた。彼は「出張で東京にいますが、電車は不通で家に帰ることもできない。こちらはどこも大混乱です」と言う。テレビで見ると火災も起こっているようで、あの阪神淡路大震災を思い出させる。

 次女のダンナには「カミさんの電話がつながって、アパートの人たちと一緒に避難しているということだったけれど、テレビの報道では津波や余震が続いているようなのでまだ安心はできない。こちらに連絡が入れば伝えます」と話した。東南海沖地震がやってくると言われているけれど、三陸沖地震がこんなに大きいとこちらはどうなるのだろうと恐怖が走る。そう言いながらも私は案外勝手で、まあなるようになるさと思っている。私の住まいは高層マンションなので地震が来れば平屋の家では味わえないほど大きく揺れる。このマンションがつぶれた時は、ほとんどの家は壊れてしまっているだろう。ニュージーランド地震でもそうであったけれど、運がいい人もいれば悪い人もいるわけで、それは神様が決めることだと思っている。

 人が人の命を奪うことは絶対にあってはならないと思う。今朝の新聞では、94年の連続リンチ殺人事件の3人(当時は18歳と19歳の少年で、現在は35歳)に、最高裁が死刑を言い渡したとあった。死刑そのものには反対であるが、3人は長時間に渡って被害者をなぶり殺したのだから、その恐怖と無念さを思えば極刑が下されても当然だろう。ただ、死刑は公ではあるが殺人であることには変わりない。そして、もし死刑ではなくていつか刑期を終えて社会に出されたとしても、彼らが生きていくための働く場所も見つからないだろう。高齢者で出所した人が再び罪を犯さなくてすむような仕組みが必要だと思う。

 新聞で読む限りでは、3人とも「自分たちがやったこと」「死刑を受け入れます」と述べている。また被告のひとりは支援者に対して「こんな自分を見捨てずにいてくれて、自分は幸せだと思います」とも話している。事件から16年を経て、弁護人が言うように「事件当時と今では別人で、生まれ変わっている」のかも知れない。だからと言って、人を殺してしまったことはなかったことにはならない。誰でもたとえ正当防衛であっても、殺人を犯した人はその罪を償わなくてはならないと私は思っている。3人に共通することは不遇な少年期を過ごしていることのようだ。貧困と虐待がなければ、彼らのような少年は生まれなかったのであれば、社会が貧困と虐待を無くさなくてはならない。地震は止められないけれど、貧困や虐待は人が作り出したものだから絶対に止められるはずだ。
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