友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ヒラリーの自伝

2007年02月15日 19時54分11秒 | Weblog
アメリカの初代女性大統領となるであろうヒラリー・ロダム・クリントンの自伝「リビング・ヒストリー」を読んでいる。ヒラリーは今年還暦を迎えるから、大統領となる時は61歳になってしまう。夫のクリントンは早くから大統領を目指していたけれど、ヒラリーの方はそれほどの野心家ではないようだ。少なくとも今まで読んできたところではそんな気配は無い。とは言うものの、自伝を出版すること自体が大きな政治的野心の表れであることを考えると、彼女が大統領を意識したのは夫クリントンの栄光が消えうせたことにあるのだろうか、そんなことを考えながら読んでいる。昨日の時点は、1975年、ヒラリーがクリントンに出会った4年後、結婚式を挙げたところだ。

 日本は長い歴史がそうさせるのか、格式が重んじられる。政治家、ましてや総理大臣となればそこそこの家柄である人が多い。クリントンは看護婦の息子で、彼が生まれる前に父親は交通事故で亡っている。母親は4年後に再婚するが、酒癖が悪い暴力亭主もクリントンが21歳の時にガンで無くなり、3度目の夫も病死するなど、男運の悪い人のようだ。そんな母親から生まれたが、クリントンは「同情深い、楽天的な人柄」(ヒラリー)で、大統領へと上り詰めた。正にアメリカンドリームである。
 
 二人の出会いから結婚までのヒストリーはそのまま映画になってもよいほどの熱愛劇である。クリントンはヒラリーのそばにいようとして遠回りする道を選ぶし、ヒラリーも法律家として評価を受ける道を捨ててクリントンと共に歩く道を選ぶ。熱愛は「ただ一つわかっていることは、ビルほどわたしをわかってくれる人も、笑わせてくれる人もほかにいないということだ。長年一緒に暮らしてきたが、今でも彼はわたしが会ったなかでもっとも刺激的で、エネルギッシュで、活き活きした人だ」の一節に象徴される。大統領になるために書かれた文章に過ぎないと言う人もいるだろうが、私はヒラリーは心底そう思っていると受け止めている。

 ヒラリーの家庭も実に普通で、お父さんは強いアメリカを信じる典型的な共和党支持者だ。お母さんは両親の離婚で、祖父母のもとに預けられ、14歳で家を出て子守をして暮らしている。「両親はアメリカの限りない可能性を信じた世代の典型である。資格よりも勤勉を、放縦よりも自立自尊を信奉した」とヒラリーは述べている。ヒラリーはかなり近眼であったが、ごくごく普通の子どもだった。お父さんが政治の話が好きだったせいか、政治には関心を持っていたようだ。そして小さい時の実践では、アメリカの子ども多くがそうするように、貧しい人たちを助けるボランティアに精を出している。

 アメリカの大学の仕組みは日本とはかなり違うのか、その実情を知らないのでわからない店が多いが、ヒラリーは女子大に進みそこからイエール大学のロースクールに入る。高校生の時にも共和党の集会に出たり、票集めの活動をしたりしているが、その辺の仕組みも日本とは違うようだ。大学生になると実際に政党の選挙にも携わるが、こういう仕組みも日本には無い。最近、大学生の研修制度ができて煮たようなことをやっているそうだ。それにしても大学生が議員の下で実際の事務を担わせるアメリカ人の発想は面白い。日本のロースクール制度がどのようになっていくのか興味深い。アメリカの選挙のやり方はよく知らないが、若い人たちを早くから巻き込んでいる点ではうらやましい気がするが、実際はずいぶんお金がかかるだろう。無党派市民派なんて、やっていけるのだろうかと思った。
コメント
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