友々素敵

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愛知県知事選挙の憂鬱

2007年02月06日 19時29分19秒 | Weblog
 今日の中日新聞は、先の愛知県知事選挙に立候補し落選した石田芳弘さんが「政治家としては終わったと思っている」との発言を載せ、政界からの引退を伝えていた。やはりなと私は思った。私も彼を担ぐ勝手連の理事の一人だったので、理事会にも出席したが、なぜか熱いものが沸きあがっていないと感じた。勝手連の横のつながりもできないままに、それこそ各々が勝手にやるという感じだった。

 それに、選挙戦の直前からは民主党が前面に出てきて、勝手連は何をどうやってよいのやらという具合だった。「これでは勝てないんじゃーないか」。そんな不安が横切った。だからこそ、石田さんはこの選挙に自分のすべてを注ぎ込んだのだと思う。彼にすれば、共産党との共闘も視野にあったと思うが、民主党のエゴでつぶされたから、やれることはすべてやりつくす気持ちだったのだろう。

 「政策で争う」と石田さんは意気込んでいたが、首長選挙ではどうしても似たり寄ったりとなってしまう。教育の争点もハッキリしなかった。教育で日本一を目指すと言いながらその具体策は見えてこなかった。愛知の管理教育についても言及されることはなかった。石田さん自身が、自民党県議だった頃から、愛知の教育の問題を整理することのないまま、教育で日本一を目指すと旗揚げしたから、中身ではなく、お金の使い方の問題になってしまったのだと思う。

 それでも選挙結果を見れば、石田さんがどんなによく頑張ったかがわかる。石田さんの得票が神田さんよりも上回った市は12ある。神田さんは7万票の差を石田さんにつけているが、一宮市の4万票差を除けば後はどの市町も僅差でしかない。神田さんというあまりパッとしない人が相手候補だったことも逆に石田さんには不利だったかも知れない。神田さんは一宮市長時代から何もしない人という評価だったけれど、会って話せば誠に真面目な人である。柳沢発言は許せないと思った女性たちも、「別に神田さんがそう言ったわけではないから」と、ちょっと気の弱そうだけど誠実そうな神田さんを支持したのだろう。

 選挙をやってみると、「政策と人柄で選んで欲しい」、それこそが投票行為の判断基準であると私たちは思う。しかし、実際はいろいろな要素が絡み合う。宮崎県知事選挙のような風が吹く時もあれば、先の長野県知事選挙のような時もある。議会での発言や質問を当局に書いたもらわなければできないような議員も、選挙で当選すればやはり議員である。自治体の将来の夢を描けない首長でも、「人がよさそう」というだけで何期も続ける場合もある。でも結局は、私たち自身のレベルの問題に尽きる。
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