友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

確定申告終わりました

2007年02月27日 19時04分09秒 | Weblog
 やっと確定申告を終了した。準備は以前からできていたのに、いつもながら動き出すのが遅くて、自分ながらあきれてしまう。県選挙管理委員会への政治団体の収支報告とこの確定申告が済むと、年度の義務を果たした気がする。確定申告して税金を払うわけではなく、むしろ源泉徴収で払ったものに対する還付が多かったけれど、源泉徴収されることがなくなった今は、還付の額もわずかでしかない。来年は確定申告をして、税金を払うことになるのだろう。税金を払うことは市民の義務であるし、一度だってイヤだと思ったことはない。税金の使われ方がイヤなだけである。

 そもそも税金は、みんなでやるところを一部の人々、つまり公務員の皆さんに代わりにやってもらうためにある。税金が軍事費に遣われることまで、ヨシとして払っているわけではないが、市民のひとり一人の意思が尊重されるような仕組みではない以上、市民の義務である納税まで拒否することはできない。今、世界中の国が軍事費を軍備ではなく、地球の未来のために注ぎ込むなら、ひょっとしたら破滅に向かっている地球号を救うことができるかも知れない。

 確定申告の場面も選挙管理委員会への収支報告の場面も、どうしてか申告する側は妙に深刻な表情だ。私は何もやましいことはないのになぜか卑屈な気分に陥ってしまう。申告の仕方がわからないことや、書き方の間違いがあるかもしれないが、誤魔化したり改ざんしたりしているわけではないのだから、もっと堂々としていても良いはずだ。それが、相手から許可を頂かなくてはならないような場合は、相手の逆鱗に触れないようにとへりくだってしまう。全くイヤなものである。

 許可する側にいる公務員の皆さんも、決して何か間違いを見つけて咎めてやろうなどとは考えてもいないはずだ。できればスムーズに事務を片付けたい。間違った申告がないようにしておきたい。そう思っているはずだ。人間は立場がちょっと違うだけで、その思いは全く違うものになってしまう。許可を与える側、指導する側、何かを決める側、こちらにいる人はいつも反対の側にいる人にわが身を置いてみる必要がある。優位な側にいると、反対の側にいる人のことを忘れてしまい勝ちだ。でも、いつまでも同じ立場にいるとは限らない。逆転はよくあることだから。
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