先日、中学・高校と一緒だった友だちが訪ねてきた。昼間から酒を飲むことはできなかったので、午後5時に来てもらうことにした。昨年、「どうしている」と電話がかかってきて以来、この日で4回会い、3度酒を酌み交わした。彼は私より先にブログを開き、毎日必ず書き込んでいる。私がブログを続けようと思ったのも彼に負うところが大きい。彼のブログの中心課題は「自分探し」である。大学を中退して、営業マンとしてやってきて腕を上げ、自負できるまでになる前、「高校を卒業してからの10年間がすっぽり抜けている」と彼は言う。その空白を埋めたくて、文章を綴っていると。
私には残念なことにその間の接点が全く無い。彼がどこでどのように暮らしていたのか知らずにいた。彼がクラス会に出席するようになって、初めて、かつて文学青年が優秀な営業マンになったことを知った。昔から饒舌な方だったが、いっそうその傾向は増していた。彼を初めて知ったのは中学1年の時で、よその町から越境で通ってきている男がいると聞いた。その男はかなりの問題児で、何するかわからないというウワサがあったが、私は見ることも無かった。学年は8クラスもあり、1クラスは60人近かったので、実際よく知らないうちに卒業してしまっている人のほうが多い。
彼とは3年で一緒のクラスになったが、「問題児」だとは知らなかった。担任が彼に特別な関心があるようには感じていたが、「優柔不断でしゃきっとしていない」ところがいけないのかと思っていた。成績も先日聞けば、私より良かったが、全くそんな風には思わなかった。いつ親しくなったのかわからないが、彼の方から自分は一人っ子だが本当は養子なのだと話してくれた。そして、家にこいと言う。自転車に乗って彼の家に行った。ご夫婦で洋服の仕立てをしていた。私の両親は明治生まれなので、いつもPTAなどがあると他のお母さんに比べて母が年寄りだと感じていたが、彼の両親はもっと年寄りだと思った。ところが聞いてみると私の両親よりも若かった。年寄りに感じたのは、派手なところが無かったからだろう。
彼の両親に会い、家庭の幸せは決して血のつながりにあるのではないと日記に書いた。それから、実の姉が名古屋にいるから会ってくれと言うので、彼と一緒に名古屋まで行ったことがある。お姉さんはどこかの工場で働いていた。なぜ私が彼の姉に会わなくてはいけなかったのか、よくわからなかったが、自分の育ての親や実の姉に会わせることで、彼はこの時から「自分探し」をしていたのだろう。
高校では同じクラスになったことは一度も無いのに、私が生徒会長に立候補した時には生徒会の役員になってもらったし、彼が所属していた「文学クラブ」の機関誌に詩や小説もどきのようなものを私も書いた。彼は吉行淳之介の作品などをよく読んでいた。「自殺未遂をしたこともある」と、彼の家に帰る道すがら聞いたことがあったので、その話をすると「全く覚えが無い」と言う。感受性が豊かでよく勉強もしていたから、いつかは物書きの道を歩むのだろうと思っていた。次々と好きな女性ができ、普通はそれを言わないと思うのだが、その度によく聞かされた。私に言うだけでは物足りないのか、女の子にも直接そんなところを見せるので、多感なのかただの女好きなのかわからなくなる。それに決して深入りしないことも不思議だ。
私には残念なことにその間の接点が全く無い。彼がどこでどのように暮らしていたのか知らずにいた。彼がクラス会に出席するようになって、初めて、かつて文学青年が優秀な営業マンになったことを知った。昔から饒舌な方だったが、いっそうその傾向は増していた。彼を初めて知ったのは中学1年の時で、よその町から越境で通ってきている男がいると聞いた。その男はかなりの問題児で、何するかわからないというウワサがあったが、私は見ることも無かった。学年は8クラスもあり、1クラスは60人近かったので、実際よく知らないうちに卒業してしまっている人のほうが多い。
彼とは3年で一緒のクラスになったが、「問題児」だとは知らなかった。担任が彼に特別な関心があるようには感じていたが、「優柔不断でしゃきっとしていない」ところがいけないのかと思っていた。成績も先日聞けば、私より良かったが、全くそんな風には思わなかった。いつ親しくなったのかわからないが、彼の方から自分は一人っ子だが本当は養子なのだと話してくれた。そして、家にこいと言う。自転車に乗って彼の家に行った。ご夫婦で洋服の仕立てをしていた。私の両親は明治生まれなので、いつもPTAなどがあると他のお母さんに比べて母が年寄りだと感じていたが、彼の両親はもっと年寄りだと思った。ところが聞いてみると私の両親よりも若かった。年寄りに感じたのは、派手なところが無かったからだろう。
彼の両親に会い、家庭の幸せは決して血のつながりにあるのではないと日記に書いた。それから、実の姉が名古屋にいるから会ってくれと言うので、彼と一緒に名古屋まで行ったことがある。お姉さんはどこかの工場で働いていた。なぜ私が彼の姉に会わなくてはいけなかったのか、よくわからなかったが、自分の育ての親や実の姉に会わせることで、彼はこの時から「自分探し」をしていたのだろう。
高校では同じクラスになったことは一度も無いのに、私が生徒会長に立候補した時には生徒会の役員になってもらったし、彼が所属していた「文学クラブ」の機関誌に詩や小説もどきのようなものを私も書いた。彼は吉行淳之介の作品などをよく読んでいた。「自殺未遂をしたこともある」と、彼の家に帰る道すがら聞いたことがあったので、その話をすると「全く覚えが無い」と言う。感受性が豊かでよく勉強もしていたから、いつかは物書きの道を歩むのだろうと思っていた。次々と好きな女性ができ、普通はそれを言わないと思うのだが、その度によく聞かされた。私に言うだけでは物足りないのか、女の子にも直接そんなところを見せるので、多感なのかただの女好きなのかわからなくなる。それに決して深入りしないことも不思議だ。