今日はバレンタインデーです。チョコレート会社が作り上げたことは確かですが、今ではすっかり一般化してしまいました。我が家の孫娘も12日に友だちと一緒に手作りチョコを用意し、今日、学校が終わるとお目当ての男の子のところに届けに行きました。私もそのおこぼれをいただきました。ところがその場にその子の友だちもいたそうで、「明日学校に行くのがイヤだなあー」と言います。おしゃべりなクラスメイトから何を言われるのかと心配しているのです。
残念ながら私の子どもの頃にはこのような習慣はありませんでした。まだまだ、男の子と女の子が一緒にいたりすると「不良」扱いされた時代です。小学校の頃、女の子たちは男の子の誰それが良いとか、そんな話をしていたのかとカミさんに聞いてみましたが、彼女も記憶がないようです。そうしてみるとやはり時代は大きく変わったと思います。
私が女の子を始めて意識したのは中学に入学した時です。学級委員になったことにかこつけて女の子に「よろしく頼む」という手紙を出しました。女の子は幼稚園でも同じクラスだった子で、お人形のようにかわいい子でした。幼稚園の時、女の子の後をつけて、家まで行ったことがあります。町が自動車産業に変りつつある時代で、彼女の家はそうした会社の役員でした。私の手紙は担任のところに届けられ、私は注意を受けました。担任は母親が教師をしていた時の後輩だったので、大問題にはならなかったようです。私が初めて書いたラブレターがあっさり担任の手に渡ってしまい、私の彼女を見る目も冷静になっていました。今でいう美形でしたから、たくさんの男達は皆彼女に注目していましたが、美しいというだけの魅力しかありません。
私は中学1年が終わる頃には、私の前の席の、ちょっと変った女の子が好きになっていました。この子も新しく町にやってきた新しい家庭の子でした。我が家は材木商で家族10人が住んでいましたが、彼女は家族4人のサラリーマン家庭でした。おしゃべりが好きで、甲高い声でいろいろ話しかけてくれましたが、彼女の大きなキラキラ輝く瞳を見ていただけで、何を話しかけられたのか覚えていません。甘えん坊でお茶目で移り気な子でした。高校3年の冬、彼女は「私よりよい人を見つけなさい」と言いました。「あなたが恋しているのは私ではなく、あなたが描いた私なのよ」と。私は彼女と一緒にいて話していることがとても満ち足りているとは感じていましたが、中学1年の終わりから高校3年の冬まで、二人だけで話す機会は多分、一度か二度しかなかったと思います。
アフリカのコンゴの独立を指導したルムンバ首相が暗殺された時です。彼女とばったり道で出会い、1時間くらい立ち話をした時、彼女がルムンバの死を悼む言葉を発しました。政治には全く関心がない子だと思っていた私には目からウロコでした。彼女の感性に改めて感心しまし、私はますます彼女が好きになっていました。しかし「生徒会長に立候補するのはヤメテ」と言われたのに、受け入れませんでした。新聞部と生徒会とでほとんどの時間を費やしていたので、彼女と会って話すことはありませんでした。それでも、私が好きなのだから彼女も私が好きに決まっていると思い込んでいました。彼女が言うように、私は、私の描いた恋に恋していたのです。
残念ながら私の子どもの頃にはこのような習慣はありませんでした。まだまだ、男の子と女の子が一緒にいたりすると「不良」扱いされた時代です。小学校の頃、女の子たちは男の子の誰それが良いとか、そんな話をしていたのかとカミさんに聞いてみましたが、彼女も記憶がないようです。そうしてみるとやはり時代は大きく変わったと思います。
私が女の子を始めて意識したのは中学に入学した時です。学級委員になったことにかこつけて女の子に「よろしく頼む」という手紙を出しました。女の子は幼稚園でも同じクラスだった子で、お人形のようにかわいい子でした。幼稚園の時、女の子の後をつけて、家まで行ったことがあります。町が自動車産業に変りつつある時代で、彼女の家はそうした会社の役員でした。私の手紙は担任のところに届けられ、私は注意を受けました。担任は母親が教師をしていた時の後輩だったので、大問題にはならなかったようです。私が初めて書いたラブレターがあっさり担任の手に渡ってしまい、私の彼女を見る目も冷静になっていました。今でいう美形でしたから、たくさんの男達は皆彼女に注目していましたが、美しいというだけの魅力しかありません。
私は中学1年が終わる頃には、私の前の席の、ちょっと変った女の子が好きになっていました。この子も新しく町にやってきた新しい家庭の子でした。我が家は材木商で家族10人が住んでいましたが、彼女は家族4人のサラリーマン家庭でした。おしゃべりが好きで、甲高い声でいろいろ話しかけてくれましたが、彼女の大きなキラキラ輝く瞳を見ていただけで、何を話しかけられたのか覚えていません。甘えん坊でお茶目で移り気な子でした。高校3年の冬、彼女は「私よりよい人を見つけなさい」と言いました。「あなたが恋しているのは私ではなく、あなたが描いた私なのよ」と。私は彼女と一緒にいて話していることがとても満ち足りているとは感じていましたが、中学1年の終わりから高校3年の冬まで、二人だけで話す機会は多分、一度か二度しかなかったと思います。
アフリカのコンゴの独立を指導したルムンバ首相が暗殺された時です。彼女とばったり道で出会い、1時間くらい立ち話をした時、彼女がルムンバの死を悼む言葉を発しました。政治には全く関心がない子だと思っていた私には目からウロコでした。彼女の感性に改めて感心しまし、私はますます彼女が好きになっていました。しかし「生徒会長に立候補するのはヤメテ」と言われたのに、受け入れませんでした。新聞部と生徒会とでほとんどの時間を費やしていたので、彼女と会って話すことはありませんでした。それでも、私が好きなのだから彼女も私が好きに決まっていると思い込んでいました。彼女が言うように、私は、私の描いた恋に恋していたのです。