友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

半身不随の失意から

2007年02月18日 22時37分23秒 | Weblog
中日新聞に「老いの風景」が連載されていて、時々読ませていただきました。その作者、渡辺哲雄さんが講演に来ると広報にあったのでぜひ話が聞きたいと思い、行って来ました。新聞に連載された物語りはどの話も短く完結されています。これらの連載は温かく思いやりのある話が多かったので、私は、作者は自分と同じくらいの歳かそれよりは少し上の人だろうと想像していましたが、実際はもっと若い方だったので驚きました。それに、話術の巧みさにも関心しました。

 「人の心には川が流れているんです。人は自分の話を聞いて欲しいのです。自分を知ってもらいたいのです。そういう流れがあるのに、誰にも聞いてもらえなければ、せき止められやがて氾濫してしまいます。誰かが聞いてあげれば良いんです。そうすれば人は自分が愛されていると思えるんです。言葉は人を傷つけます。言葉は人を救います。人を救う言葉を発してください」

 この話をデイサービスのスタッフのみなさんに伝えてあげよう、そんなことを考えながら、ちょっと満ち足りた気持ちで家に帰りました。その時、どうしたことか江南のギャラリーでやっている展覧会が今日までだったことを思い出しました。カミさんにそのことを告げ、「一緒に行ってみないか」と誘いました。電話で尋ねると親切に場所を教えてくれました。

 教えていただいた駐車場で車を止めようとしていると、一台の車の運転手さんがここが空くから入れたらいいよというように、手招きしてくれました。それからギャラリーに入ると、個展の主、島田隆司さんが来場者に話をされています。芸術家は気取った人が多いから、話の邪魔をしないようにそっと見て帰ろうと思っていましたら、島田さんの方から声をかけてくださいました。2年半前、自分が突然脳出血に襲われ右手足の麻痺となり絶望の日々を送ったこと、病室にあった紙に動く左手で絵を描いてみたら描けたこと、それから夢中で何枚ものスケッチをしたこと、そしてリハビリのために始めたピアノの演奏が楽しくなったことなど、話してくださいました。スケッチも見せてくださいました。ピアノの練習や発表会の写真も見せてくださいました。

 島田さんが一生懸命話してくださったので、私は昔の記者癖が出て、「ええそれで」とか「それは良かったですね」とか言いながら、さらに島田さんが話を続けられるように努めていました。もっともっと島田さんの話を聞いてみたかったのです。すると、私の隣でカミさんが泣いています。どうして泣けたのかわかりませんが、しばらくは「自分でもわからないけど、泣けてしまって」と言って、何度も泣いていました。カミさんの亭主である私も一度は絵描きを目指していたことから、島田さんの一生懸命さに出会って涙が流れてしまったのかも知れません。失意のどん底に落ちても人は何かきっかけがあれば立ち直る強い力を持っているものです。「極楽トンボ」と言われた私もそろそろ何かを始めないと残りの時間がなくなりそうだと感じています。
 
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自分探し

2007年02月17日 23時59分25秒 | Weblog
中学・高校と一緒だった友だちが今日は遊びに来した。遊びといってもただ飲んで、昔話をしたに過ぎません。しかし、この歳になるとそのことが楽しいのですから不思議です。私たちも若い頃は昔話などする人は年寄りの典型と思っていました。彼が突然、お前のところへいくといってきた時はビックリしました。そしてすぐ、温かな気持ちになりました。高校時代のあるいは中学時代の卒業アルバムを見ながら、ああでもないこうでもないと肴にして、今、結局午後11時20分過ぎまで、飲んで昔話に花が咲きました。これは言うまでも無く、私たちの自分探しなのです。
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甥っ子は日展作家

2007年02月16日 23時16分57秒 | Weblog
 先日、日展を観た。いつもなら甥っ子の作品を楽しみに出かけるのだが、残念ながら今年は入選していないと言う。甥っ子は彫刻家で日展にも何度か入選している。まさか自分の身内から日展作家が生まれるとは思わなかった。入選すればどこかの居酒屋で、親しい人たちが集まってお祝いの宴が行われる。何年か前に、この宴席で、私が学生時代にお世話になった恩師の息子が勤める大学の先生と一緒になったことがあり、そんな昔話をしたところ、その息子から電話があり、私が家庭教師をしていた恩師の長男と再会することもできた。

 日展は日本画も洋画も相変わらず見学者が多く、ゆったりと観られないほどだった。知人の作品を見つけては、「いつもながらうまいな」とか「昨年の作品から少し変ったかな」などと鑑賞させてもらった。甥っ子が出品している彫刻の部は、今年は展示の仕方が変っていた。その一品一品を観ていて、甥っ子の作品が通らなかったのも仕方ないように思った。今年の作品のレベルは高いと感じた。彫刻家は、画家のように作品を売って食べていくことはできないし、画家のように絵画教室で生活することもできない。彼は、パチンコ店に見られるような自由の女神やキリンとかゴリラのようなコマーシャルの置物の制作で生計を立てている。近頃は景気が悪いから経営は難しいようだ。

 芸術で飯を食うのは大変なことなのにどうしてそんな道を選んだのかと聞いたことがある。甥っ子は私が絵を描いているのを見ていて「かっこいいと思ったから」と言う。甥っ子が小学生の時、私は大学で絵を学んでいたが、まさかその時のことが彼の人生を決めることになるとは、恐ろしくもあり不思議な道筋でもある。私が美術を専攻したのは、高校3年の時に父親が死んだので、これで大学に行くことは無くなったと思ったその時、兄が「国立なら行ける」と言ったので、それじゃー美術をやろうと決めたからだ。その選択には何の根拠も無かった。絵描きになりたいというものではなく、とりあえず大学にいくなら好きにさせてもらおうか、そんな程度だった。

 日展の話に戻すが、彫刻の展示室で作品の解説を熱心にしてくださった作家がいた。率直な方で、何の飾り気も無く自分の作品と他の作品のことを話してみえた。私はそれを感心して聞いていたが、感動はその後にやってきた。解説が終わると人々はそれぞれに次の作品の鑑賞へと移っていった。一人になったその作家は、ひょっこんひょっこんと歩いてまたもとの位置に立った。ビックリした。多分、小児麻痺で身体が不自由なのだ。こんな身体の不自由な人が彫刻をつくることができるのか、彫刻は体力が要る、力が無くてはできない、それをこの人は見事にやってしまっていることに感激した。

 私は31歳の時に、左足と両手を骨折した。左足の膝は粉々に割れたので30度くらいしか曲がらない。短距離が得意で、体育科の先生と競っても負けないくらいだったのに、走ることはできない。左手は見た目には全く何事も無いのだが、手首が粉々になったので握力は小さく、手のひらを返すことができない。右手は中指と小指が根本で骨折しているので、棒のようなものをしっかり握ることができない。かろうじて筆や箸のような細いものは持てるが、太いものは力が入らない。私はもう絵描きではダメだとあきらめたが、この作家の姿を見て、なんと自分は甘ったかと思った。今から作家になることは無理だが、せめて甥っ子にはこの先も頑張って欲しいと思う。
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ヒラリーの自伝

2007年02月15日 19時54分11秒 | Weblog
アメリカの初代女性大統領となるであろうヒラリー・ロダム・クリントンの自伝「リビング・ヒストリー」を読んでいる。ヒラリーは今年還暦を迎えるから、大統領となる時は61歳になってしまう。夫のクリントンは早くから大統領を目指していたけれど、ヒラリーの方はそれほどの野心家ではないようだ。少なくとも今まで読んできたところではそんな気配は無い。とは言うものの、自伝を出版すること自体が大きな政治的野心の表れであることを考えると、彼女が大統領を意識したのは夫クリントンの栄光が消えうせたことにあるのだろうか、そんなことを考えながら読んでいる。昨日の時点は、1975年、ヒラリーがクリントンに出会った4年後、結婚式を挙げたところだ。

 日本は長い歴史がそうさせるのか、格式が重んじられる。政治家、ましてや総理大臣となればそこそこの家柄である人が多い。クリントンは看護婦の息子で、彼が生まれる前に父親は交通事故で亡っている。母親は4年後に再婚するが、酒癖が悪い暴力亭主もクリントンが21歳の時にガンで無くなり、3度目の夫も病死するなど、男運の悪い人のようだ。そんな母親から生まれたが、クリントンは「同情深い、楽天的な人柄」(ヒラリー)で、大統領へと上り詰めた。正にアメリカンドリームである。
 
 二人の出会いから結婚までのヒストリーはそのまま映画になってもよいほどの熱愛劇である。クリントンはヒラリーのそばにいようとして遠回りする道を選ぶし、ヒラリーも法律家として評価を受ける道を捨ててクリントンと共に歩く道を選ぶ。熱愛は「ただ一つわかっていることは、ビルほどわたしをわかってくれる人も、笑わせてくれる人もほかにいないということだ。長年一緒に暮らしてきたが、今でも彼はわたしが会ったなかでもっとも刺激的で、エネルギッシュで、活き活きした人だ」の一節に象徴される。大統領になるために書かれた文章に過ぎないと言う人もいるだろうが、私はヒラリーは心底そう思っていると受け止めている。

 ヒラリーの家庭も実に普通で、お父さんは強いアメリカを信じる典型的な共和党支持者だ。お母さんは両親の離婚で、祖父母のもとに預けられ、14歳で家を出て子守をして暮らしている。「両親はアメリカの限りない可能性を信じた世代の典型である。資格よりも勤勉を、放縦よりも自立自尊を信奉した」とヒラリーは述べている。ヒラリーはかなり近眼であったが、ごくごく普通の子どもだった。お父さんが政治の話が好きだったせいか、政治には関心を持っていたようだ。そして小さい時の実践では、アメリカの子ども多くがそうするように、貧しい人たちを助けるボランティアに精を出している。

 アメリカの大学の仕組みは日本とはかなり違うのか、その実情を知らないのでわからない店が多いが、ヒラリーは女子大に進みそこからイエール大学のロースクールに入る。高校生の時にも共和党の集会に出たり、票集めの活動をしたりしているが、その辺の仕組みも日本とは違うようだ。大学生になると実際に政党の選挙にも携わるが、こういう仕組みも日本には無い。最近、大学生の研修制度ができて煮たようなことをやっているそうだ。それにしても大学生が議員の下で実際の事務を担わせるアメリカ人の発想は面白い。日本のロースクール制度がどのようになっていくのか興味深い。アメリカの選挙のやり方はよく知らないが、若い人たちを早くから巻き込んでいる点ではうらやましい気がするが、実際はずいぶんお金がかかるだろう。無党派市民派なんて、やっていけるのだろうかと思った。
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初恋

2007年02月14日 22時24分23秒 | Weblog
 今日はバレンタインデーです。チョコレート会社が作り上げたことは確かですが、今ではすっかり一般化してしまいました。我が家の孫娘も12日に友だちと一緒に手作りチョコを用意し、今日、学校が終わるとお目当ての男の子のところに届けに行きました。私もそのおこぼれをいただきました。ところがその場にその子の友だちもいたそうで、「明日学校に行くのがイヤだなあー」と言います。おしゃべりなクラスメイトから何を言われるのかと心配しているのです。

 残念ながら私の子どもの頃にはこのような習慣はありませんでした。まだまだ、男の子と女の子が一緒にいたりすると「不良」扱いされた時代です。小学校の頃、女の子たちは男の子の誰それが良いとか、そんな話をしていたのかとカミさんに聞いてみましたが、彼女も記憶がないようです。そうしてみるとやはり時代は大きく変わったと思います。

 私が女の子を始めて意識したのは中学に入学した時です。学級委員になったことにかこつけて女の子に「よろしく頼む」という手紙を出しました。女の子は幼稚園でも同じクラスだった子で、お人形のようにかわいい子でした。幼稚園の時、女の子の後をつけて、家まで行ったことがあります。町が自動車産業に変りつつある時代で、彼女の家はそうした会社の役員でした。私の手紙は担任のところに届けられ、私は注意を受けました。担任は母親が教師をしていた時の後輩だったので、大問題にはならなかったようです。私が初めて書いたラブレターがあっさり担任の手に渡ってしまい、私の彼女を見る目も冷静になっていました。今でいう美形でしたから、たくさんの男達は皆彼女に注目していましたが、美しいというだけの魅力しかありません。

 私は中学1年が終わる頃には、私の前の席の、ちょっと変った女の子が好きになっていました。この子も新しく町にやってきた新しい家庭の子でした。我が家は材木商で家族10人が住んでいましたが、彼女は家族4人のサラリーマン家庭でした。おしゃべりが好きで、甲高い声でいろいろ話しかけてくれましたが、彼女の大きなキラキラ輝く瞳を見ていただけで、何を話しかけられたのか覚えていません。甘えん坊でお茶目で移り気な子でした。高校3年の冬、彼女は「私よりよい人を見つけなさい」と言いました。「あなたが恋しているのは私ではなく、あなたが描いた私なのよ」と。私は彼女と一緒にいて話していることがとても満ち足りているとは感じていましたが、中学1年の終わりから高校3年の冬まで、二人だけで話す機会は多分、一度か二度しかなかったと思います。

 アフリカのコンゴの独立を指導したルムンバ首相が暗殺された時です。彼女とばったり道で出会い、1時間くらい立ち話をした時、彼女がルムンバの死を悼む言葉を発しました。政治には全く関心がない子だと思っていた私には目からウロコでした。彼女の感性に改めて感心しまし、私はますます彼女が好きになっていました。しかし「生徒会長に立候補するのはヤメテ」と言われたのに、受け入れませんでした。新聞部と生徒会とでほとんどの時間を費やしていたので、彼女と会って話すことはありませんでした。それでも、私が好きなのだから彼女も私が好きに決まっていると思い込んでいました。彼女が言うように、私は、私の描いた恋に恋していたのです。
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優しさは忍耐から

2007年02月13日 23時34分51秒 | Weblog
 私は1週間に1日だけ、デイサービス施設で手伝いをしています。「話し相手になってくれればいいですよ」と言われて、不安を抱えながらも出かけました。この施設には1対1あるいは1対2でなければ対応できないような重度の方が何人か利用されています。

 通い初めて間のない時でしたが、いつも「大丈夫?」が口癖になっている重度の認知症の女性がいつものように「大丈夫?」と言った時、たまたまスタッフが女性の方を見ずに、事務的な調子で「大丈夫だよ」と答えたました。するとその女性は「大丈夫じゃないでしょう」と強い口調で怒りを表しました。

 認知症だから、どうせ何もわからない、そんな気持ちを彼女は敏感に感じ取っていると知りました。私の観察するところでは、認知症の人は言葉が出なかったり、計算ができなかったり、そういうことはありますが、しかし感性は、だからこそより敏感であるように思います。スタッフが自分を理解してくれているのか、もっと単純に言えば、自分を好いてくれているのか、嗅ぎ分けているように思います。人間はどんな状態であっても人間で、自分を受け入れてくれる人を求めているように思います。

 私ができることはただただ利用者の人を好きになることだと考えています。デイサービスでは日を追う毎に利用者が元気になるとか成長するとかいうことはありません。施設では、利用者の人が気持ちよく過ごせたと感じてもらうことが大切なことのように思います。それで経営がうまくいくかどうかは私の知るところではありませんが、誠意をもって利用者の人と接する事の積み重ねが良い結果を生まないはずはないと思います。

 それにしても、こうした施設で働く人は実に大変です。まず第一に朗らかでなくてはなりませんし、忍耐強くなくてはなりませんし、優しくなくてはなりません。私が通っている施設はそういう点では良いスタッフが揃っています。手伝いの私の方が利用者の人からあるいはスタッフの人から教えられることがたびたびあります。人が生きるということは、どこへいってもどこまでいっても、勉強することなのだと教えてもらいました。
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NHKテレビ『日本のこれから』

2007年02月12日 20時08分33秒 | Weblog
先日、2月10日の夜、NHKテレビで『日本のこれから』というテーマでディスカッションしていた。途中から見たので間違っているかも知れないが、団塊世代について、これからどうするのかが論議の中心課題のようだった。団塊世代がこれから大量に退職すると、日本経済は衰退してしまうのではないかという懸念がある。そこで、堺屋太一さんは定年を70歳まで延長することだと提案していた。この案は同時に年金問題で、支払う側を増やすことにもなるという。経営者の方から、多様な労働ができることにもなり、団塊世代が持つ技術の伝承にもなると賛同があった。これに対して、70歳まで定年を延長すれば、若い人たちの就職がますますできなくなる。多様な労働形態というが、実際は低賃金のパート労働者を増やしているに過ぎない。そして、団塊世代からは「いったい俺達はいつまで働かさせられるのだ」という怒りの声もあった。

 この番組では、いろいろな設問が用意され、その結果についても意見を聞くという手法が用いられていたが、設問が「(団塊世代が)地方に戻ることをどう考えるか」とか、「(団塊世代が)定年を延長して働くことをどう思うか」となっていたので、団塊世代でない人たちには答えにくかったのではないかと思った。いや団塊世代でも「私は田舎に帰る気はないが、帰ることは望ましいのでは」という意見もあった。ここでの設問としては、「あなたはどうするか」と聞いたほうが本質がスッキリしたのではないかと思った。

 いずれにしても、「団塊世代に何を期待しますか」という設問に30代の人が、「何も期待していませんがカバーもできません」と答えていたが、当然のことだと思った。「このままでは国の成長率が下がってしまいますよ」と、経営者の人が言っていたが、人が生きているのはそれぞれに、自分が思い描いた人生を生きようとするためであって、決して国家のためや地域のために生きているわけではない。経済成長率が下がれば、下がったように生きれば良いではないか。なぜ、右肩上がりの経済成長を金科玉条と考えるのだろう。社会に合わせて個人を縛り付けるような政策は人を幸せにはしないだろう。

 団塊世代の中もいろいろで、2千万円以上の財産がある人が30%あり、一人800万円もする豪華客船の旅は何年か先まで予約で一杯だという。その一方で300万円以下の財産しかない人も30%いる。団塊世代がすべてホクホクの退職金が出るわけではない。働きたくなくても死ぬまで働かなくては生きていけない人も大勢いる。一生懸命働いてきた人が、たとえわずかな期間であっても、ゆったりとした時間を持てるように保証することが政治の仕事だと思う。
 ゆとりのある人から少しお金を出してもらって、みんながそこそこの生活ができるようにすることが悪いとは思えない。お金がある人も、そのお金ができたのは、そこそこに生活して社会を支えてきた人々がいたからではないのだろうか。
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政治家が悪いはホント

2007年02月11日 12時13分52秒 | Weblog
 子育て支援の現場にいる若い女性からこんなメールをいただきました。

▽<子育て>
母子保健の現場、虐待の現場にいますと、若者の幼さ、子育て環境の悪さ、子育ての危うさを日々感じております。
「産んでしまえば、なんとなく子どもは育って国を保つ人々が溢れる」など、子育てを知らない人の、安直で貧相な発想ではないでしょうか。
少なくとも今の日本では不可能だと感じます。子育てはまさに手塩にかけなければいけない。それが幸せであり、反面大変なもので、親になれば生きることそのものでもあると思います。

担当ケースを見ていて、この子は、大きくなったらあんな問題を起こすかもしれない・・・犯罪者にならないでくれますように・・・引きこもりにならないで・・・壊れてしまわないで・・・と思う子はたくさんいます。勿論アプローチしていますが、支援に限界を感じることも多々あります。
無条件に愛されるという体験が乏しい子が、やがて、今度は思春期問題や精神疾患、虐待などでまた我々の手に戻ってきます。

むなしいです。
彼らの厳しい生育歴や苦悩、壊れた心に触れるたび、痛みと怒りを感じます。
そして、その人への支援は 一筋縄ではいかないですし、また傷が深すぎて修復不可能な時もあります。そんな時、この人達が痛がったものは、学びとしてもらい受け、今の子育てに投影しなければならない、と思うのです。
でも、彼らの幼少期の状況に似ている家庭が、今 普通の家庭にたくさんある気がします。心配です。

子育ての問題は、今の経済向上と便利を求めてきた、社会・文化の副産物なのに、今の施策は年金対策の出産数確保がメインになっています。
国民がそれを選んでいるのですが・・

真剣に取り組んでも解決しない。大事だと思うことは、施策から外れていて、むなしいばかり。次第に怒れてきて、「そんなにじゃんじゃん産めっていわれて、たとえ産んでも、今のままじゃ、ちゃんと育たなくて、みんな結局は福祉の対象になっちゃうよ~!そしたら、年金どころか、そこから更に税金が要る世の中になっちゃうぜ~!」なんて悪態をつきたくなります。・・・・・・・。

◇こういう現場の真剣な声が、政治に反映されていかないことに問題があります。役人の中には20年30年先を見越して計画を立てよう、基本となる考え方を確立しようと、全力でやっている人もいます。それが責任ある立場になるにつれ、つまり、政治家(議員)との接触が多くなるにつれ、場当たり主義というか事なかれ主義というか、当面の課題の処理へと傾いていきます。やはり、政治家が一番のガンなのでしょう。政治家は決して物知りではありませんし、思慮深くもありません。政治家は場当たり的で無責任な人が多い職種だと思います。国の将来や地域の将来を真剣に考えてこそ政治家の本領発揮であるはずなのに、当選目当ての、無責任な現実重視に流されているのに、そうではないと見せているところに問題があります。
 昨日の私たちのフォーラムで、栗山町の議長が「議員の資質・技量があからさまになることが議員の質を高める」という発言をしていたけれど、全くそのとおりだと思います。議員が何をやっているのか、市民は本当に知りません。「議会だより」を見たり、議会報告と称するバス旅行に連れて行ってもらって、「ウチのセンセイはよくやっている」と評価しているくらいです。運動会や敬老会に出席していれば「議員活動をしている」と思っています。首長と親しく話していれば「実力がある」という具合です。議会で質問もできなければ、たまにする質問は当局が書いたものであることなど市民は知りません。大勢の市民の見ている前で、それぞれの議員の資質と力量が丸見えとなる場面が設けられれば、もう少しまともな議員が生まれてくるかも知れません。そう信じたいと思います。
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地方議会は要らない?

2007年02月10日 23時48分02秒 | Weblog
今日は私たち「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」が公開フォーラム『議会を変えよう!』を開催した日ですので、このことについて書こうと思っていました。ところが、と書き始めて、いや待てよ、それではあまりにも失礼すぎるし、せっかくの今日のフォーラムを台無しにしかねないと気がつきました。というのも、今日のフォーラムを勝手に祝して、一人でビールがなかったのでワインを飲みながら、何気なくテレビをつけたら、NHKで『日本のこころ』をテーマに激論をして、見ていたら言いたいことが山のようにできてしまったのです。

 でも、冷静に考えるなら、まず今日のフォーラムについて書くべきだと思いました。私が代表を努めていた時はこれほどの参加者はいなかったほど、今日は盛況でしたし、その中身も満足できるものでした。栗山町議会の橋場議長が、なぜ議会基本条例を制定するに至ったのか、そして条例を活用することの意義を熱っぽく語ってくださいましたし、四日市大学の岩崎先生が、栗山町議会が何を目指しているかをキチンとまとめてくださったこともあって、議会がどうあるべきかが見えてきたと思います。

 私は、今日の地方議会はまだまだ本来の議会制民主主義の姿にはなっていないと思っていますので、確かに日本の地方議会が栗山町議会のような議会になれば、自治体のあり方も大きく変わっていくだろうと期待しています。けれども、私は議会制民主主義が本来の民主主義なのか、実は疑問に思っているのです。情報公開が徹底され、つまりは住民がいつでもどこでも行政の情報を手に入れ、しかもなお、いつでもどこでも自由に発言できる仕組みが保障されるなら、議会は必要ないのではないか。私たちは議会制民主主義を今日における最高の民主主義の形態と考えてきたけれど、住民がいつでもどこでも発言できる仕組みができれば、議会の機能であるチェックを住民がいつでも直接できる、そうした仕組みを立ち上げることができれば、議会は不要となるはずです。私は極論でしょうが、本当は議会が不要となるような社会の仕組みをつくるべきではないのかと思っています。

 岩崎先生が「私は議会がキライなんです」と言われたその真意はわかりませんが、議員という自分たちの役割もわかっていない権力者を作る必要はないように私は思います。ただし今、議会を廃止することには、首長の独裁になりかねないので、それが良いとは思いません。やはり、栗山町議会のような議会がどんどん生まれ、そしてその成果として自らを否定するようになって行くことなのだと思います。それは何年先ののことなのでしょう、でも意外に早くやってくるかもしれません。
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議会基本条例の栗山町

2007年02月09日 23時13分29秒 | Weblog
「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」は明日、北海道の栗山町の橋場議長を講師に、四日市大学の岩崎教授をコメンテーターにむかえて、公開フォーラム『議会を変える!』を名古屋都市センターで開催する。
 わざわざ前日から来ていただくのに、「会食もしないのでは冷たすぎないか」と言う会員の提案で、今晩一緒に食事をした。名古屋の名産であるコーチンを食べながら話すうちに、やはり話題はなぜ議会基本条例を制定したのかとなった。栗山町で議会改革に本格的に取り組みだしたのは約5年前で、議員と住民とのあり方から論議が始まった。議員は住民の意見を吸い上げているというが、それは後援会などの特定の人の意見ではないか、議員が議決した案件に責任があるのは当然だが、説明責任は果たしているのか、さまざまな問題点を洗い直し、見直していく中で、たどり着いたようだ。
 明日のフォーラムではこの辺りのことは、もっとリアルに、もっと詳しく説明されると思うので、ぜひ期待して参加していただきたい。
 一つの改革が実を結ぶ時というのは、いろんな要素が絡み合うのだろうが、中でもやり遂げようとする、ロマンチズムというかハイな情熱をもったパイロットが必要だと思う。そういうリーダーが存在しないところでは結局打ち上げ花火に終わってしまう。栗山町の橋場議長とは全くの初対面であったが、議会が住民の皆さんに本当に理解され支持されるためには、何をしなくてはいけないかをこの人はキチンと考えていると思った。
 ウチの議会はこれでよいのかと思っている方はぜひ、明日の公開フォーラムに来ていただいて、ご自分の思いを発言していただきたい。そうすることで、議会とは何か、どうあるべきかをみんなで考えていく場にしたいと思う。
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