中日新聞に「老いの風景」が連載されていて、時々読ませていただきました。その作者、渡辺哲雄さんが講演に来ると広報にあったのでぜひ話が聞きたいと思い、行って来ました。新聞に連載された物語りはどの話も短く完結されています。これらの連載は温かく思いやりのある話が多かったので、私は、作者は自分と同じくらいの歳かそれよりは少し上の人だろうと想像していましたが、実際はもっと若い方だったので驚きました。それに、話術の巧みさにも関心しました。
「人の心には川が流れているんです。人は自分の話を聞いて欲しいのです。自分を知ってもらいたいのです。そういう流れがあるのに、誰にも聞いてもらえなければ、せき止められやがて氾濫してしまいます。誰かが聞いてあげれば良いんです。そうすれば人は自分が愛されていると思えるんです。言葉は人を傷つけます。言葉は人を救います。人を救う言葉を発してください」
この話をデイサービスのスタッフのみなさんに伝えてあげよう、そんなことを考えながら、ちょっと満ち足りた気持ちで家に帰りました。その時、どうしたことか江南のギャラリーでやっている展覧会が今日までだったことを思い出しました。カミさんにそのことを告げ、「一緒に行ってみないか」と誘いました。電話で尋ねると親切に場所を教えてくれました。
教えていただいた駐車場で車を止めようとしていると、一台の車の運転手さんがここが空くから入れたらいいよというように、手招きしてくれました。それからギャラリーに入ると、個展の主、島田隆司さんが来場者に話をされています。芸術家は気取った人が多いから、話の邪魔をしないようにそっと見て帰ろうと思っていましたら、島田さんの方から声をかけてくださいました。2年半前、自分が突然脳出血に襲われ右手足の麻痺となり絶望の日々を送ったこと、病室にあった紙に動く左手で絵を描いてみたら描けたこと、それから夢中で何枚ものスケッチをしたこと、そしてリハビリのために始めたピアノの演奏が楽しくなったことなど、話してくださいました。スケッチも見せてくださいました。ピアノの練習や発表会の写真も見せてくださいました。
島田さんが一生懸命話してくださったので、私は昔の記者癖が出て、「ええそれで」とか「それは良かったですね」とか言いながら、さらに島田さんが話を続けられるように努めていました。もっともっと島田さんの話を聞いてみたかったのです。すると、私の隣でカミさんが泣いています。どうして泣けたのかわかりませんが、しばらくは「自分でもわからないけど、泣けてしまって」と言って、何度も泣いていました。カミさんの亭主である私も一度は絵描きを目指していたことから、島田さんの一生懸命さに出会って涙が流れてしまったのかも知れません。失意のどん底に落ちても人は何かきっかけがあれば立ち直る強い力を持っているものです。「極楽トンボ」と言われた私もそろそろ何かを始めないと残りの時間がなくなりそうだと感じています。
「人の心には川が流れているんです。人は自分の話を聞いて欲しいのです。自分を知ってもらいたいのです。そういう流れがあるのに、誰にも聞いてもらえなければ、せき止められやがて氾濫してしまいます。誰かが聞いてあげれば良いんです。そうすれば人は自分が愛されていると思えるんです。言葉は人を傷つけます。言葉は人を救います。人を救う言葉を発してください」
この話をデイサービスのスタッフのみなさんに伝えてあげよう、そんなことを考えながら、ちょっと満ち足りた気持ちで家に帰りました。その時、どうしたことか江南のギャラリーでやっている展覧会が今日までだったことを思い出しました。カミさんにそのことを告げ、「一緒に行ってみないか」と誘いました。電話で尋ねると親切に場所を教えてくれました。
教えていただいた駐車場で車を止めようとしていると、一台の車の運転手さんがここが空くから入れたらいいよというように、手招きしてくれました。それからギャラリーに入ると、個展の主、島田隆司さんが来場者に話をされています。芸術家は気取った人が多いから、話の邪魔をしないようにそっと見て帰ろうと思っていましたら、島田さんの方から声をかけてくださいました。2年半前、自分が突然脳出血に襲われ右手足の麻痺となり絶望の日々を送ったこと、病室にあった紙に動く左手で絵を描いてみたら描けたこと、それから夢中で何枚ものスケッチをしたこと、そしてリハビリのために始めたピアノの演奏が楽しくなったことなど、話してくださいました。スケッチも見せてくださいました。ピアノの練習や発表会の写真も見せてくださいました。
島田さんが一生懸命話してくださったので、私は昔の記者癖が出て、「ええそれで」とか「それは良かったですね」とか言いながら、さらに島田さんが話を続けられるように努めていました。もっともっと島田さんの話を聞いてみたかったのです。すると、私の隣でカミさんが泣いています。どうして泣けたのかわかりませんが、しばらくは「自分でもわからないけど、泣けてしまって」と言って、何度も泣いていました。カミさんの亭主である私も一度は絵描きを目指していたことから、島田さんの一生懸命さに出会って涙が流れてしまったのかも知れません。失意のどん底に落ちても人は何かきっかけがあれば立ち直る強い力を持っているものです。「極楽トンボ」と言われた私もそろそろ何かを始めないと残りの時間がなくなりそうだと感じています。